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あさ。SPY FAMILYとパリピ孔明を見てたらもうこんな時間。いやしかしいいですね。見てよかった。

人に薦められてみることも、可処分時間も減って、床屋談義でパリピ孔明なわけですが、おもしろいですね。食わず嫌いしちゃダメだなぁ

しかし三国志知らないのがくやしいなぁ、孔明って孔明の罠しか知らない。ニコニコ動画で外国の人が改造マリオやってジャンプしたら隠しブロックで落下して「What!?」っていう動画に「孔明の罠」って流れてたコメントぐらいでしか孔明を知らない。というか知らない。

なんかいろんなこと知らないなぁ
スロットの出目のうつくしさも知らない、コクもキレもよくわかんない、あとなんか書こうとして忘れた、あ〜ぁ、まぁいいかみたいな。

もっとまきでいけば、もっと詰め込めば、今からでも、とも思うけど
天野忠さんの詩にもあ〜ぁと言って死ぬみたいな詩があったですな

見つかるかなー…
と思ってさがしたら題名が「あーあ」だったので笑った。

後半の6行

それから死ぬ
わたしも死ぬときは
あーあというであろう
あんまりなんにもしなかったので
はずかしそうに
あーあというであろう。

現代詩文庫85 天野忠詩集 p105 思潮社

天野さんの詩はなんか死も多いが人生も多く、ライトバースの達人的な紹介が多いのかもしれないが、もう結構過ぎちゃってるよね感があってああわたしも過ぎちゃってるなぁもう死ぬしなぁあははみたいな、乾いた同感みたいな笑いがちょっとでる感じの詩が多い。若い頃はギミックばかりみていたが、なんか最近はもうあははである、で そのギミックも、電池とか使うような凝ったやつではなく、風でまわるとか、なんかそんな感じの素朴なやつなので、たぶんだいたい誰でも読める。
なんかここまで削いでしまってこれだったらなんか外国の詩人の翻訳とかとバトるような領域にいってしまってないかとか、あと今の人に共感されたいからもっと身の上とか今を詰め込まなきゃとか、そんな焦りを感じない。カリッとしつつゆったりしてる。

確か天野さんは大丸の反物売るとこみたいなとこに勤めたり同人やったけど弾圧を受けて小さい家に住んで書斎を作り北大路のVIVREとかあのへんに古本屋を構えてやってみたりどこかの大学の図書室に勤めて…という感じだったかと思うが、クラスト氏のいんきな唄という詩集をだして、それはなんかクラスト氏っていう変な外国人が「これは俺のここ(胸をかきむしるしぐさ)のこういうやつだから」とジェスチャーして俺に詩(紙切れの束?)を託してきたので、しょうがないからそれを本にして出してやった、みたいな体裁で書かれており、すごく徹底してそうなってるので、知ってても、ぱっと見ではマジだと信じ込んでしまう感じである。
あとでは改題されて動物園のめずらしい動物かなんかになって、とはいえ、詩集で有名というか、それなりにメジャーというか、わたし生れてないから知らないんだけど、有名になったのは40ぐらいからであって、そのせいもあって、基本的にはあ〜ぁ、っていうスタイルの詩が多いのかもしれない(とはいえ、若い頃には激情というか、戦争中に線路にこぼれた米を見て書いた感情的な詩もあり、要は今のわたしたちから知ったときの天野さんの印象と、天野さんの詩歴的なものにはずれがあるということ…というか、それは誰にでもある。簡単に、世の中のようなふりをしていえば「遅咲き」ということになるのかもしれない)。
あとはわたしなんかと違ってすごく本が好きでよく読む人なので、いろんなものプラス自分の人生っていうのをあんまり重きをおかないというのか、誰でもすっと立ち寄れる感じにしてあるところが逆にめっちゃ読まないとできないやつなのでは?とは思う。
あとめっちゃ読んだからこそ足るを知る的なこともできたのかなぁと思う。わたしはひとり広い部屋で1Kしか使わない暮らしをしているので、情けないなぁと思う。私情や身の上ばかり詰め込んでさ…知ったかぶりばっかしてさ…情けないよね
あ〜ぁ
というわけで
北大路のVIVREから以西、というか植物園から鴨川から以西
あのへんの南側に並んでいる家の、ちょっとよれた日よけのビニールとシャッターのおりた家をみてると、なんかこのへんだったのかなー天野さんの古本屋、とかぼんやり思ったりする。

まぁ、こういうのこみで「あ〜ぁ」って感じです。

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