わいの平成詩史15
当時インターネットで詩を読みつつ、ひきこもりからちょっとした単発バイトをしたりするようになったわたしはとりあえず文学全集の詩歌集に載ってた人の中でなんかよかった人を図書館で借りるようになった。
詩人単体の詩集を借りるのはまだ気が引けるので、思潮社の現代詩文庫の石垣りんさんとか鈴木志郎康さんとか岡田隆彦さんとかを借りてた。
石垣りんさんはなんか結構有名で、「詩」と聞いてイメージするやつのなかにちょっとハッとさせるところがあって、素朴かつ独自の人生観というのか、なんかちょっと考え方が凛々しいように思えるような雰囲気の詩だった。
個人的には1920年代生まれで東京出身で家族を養うために働いて生涯独身だったという点から、長谷川町子さんとなにか共通点というのか人生のルートというか考え方とかがすこしは似てたのかなとぼんやり思うことがある。石垣りんさんの場合は銀行員として勤め上げてマンション買ってという感じでした。
この本は詩の下に青い字で解説みたいなのがついてて、それを書いてるのが鈴木志郎康さんだから購入したのだが、後ろにあったこの文章がとても印象に残った。
家系からも当時の情況からもとても生き残れると考えていなかった。
鈴木志郎康さんも疎開先で機銃掃射を受けたという話があり、それで戦争の話が詩に出てくるのは随分とあとの話になっていて、なんだかトラウマというものについて考えさせられることもある。
当時は文学に魅せられて言葉を追い詰めて表現をしていたけれども、もしかしたらそれはすべて恐怖を押し込めるための「ふた」だったかもしれないという可能性について、考えないではいられない。
そういう意味では言葉じたいが、どうあっても「ふた」ではあるのだと思う。
石垣りんさんは「鬼の食事」とかがよかった記憶があるけど、なにぶんわたしは暗示にかかりやすいたちなので、実際にどうだったかはわからない。あの詩で「矩形」という言葉を憶えた記憶がある。
そういえば、詩学という雑誌の編集長だった寺西幹二さんという人が自身のサイト「泣きじゃくり部屋」に書いていた文章で、「原体験」という言葉も憶えた。わたしはあの過酷な文章がとても好きだった。
この「マイナスの場所から」と題された文章は、もともと紙の雑誌に向けて書かれた文章だったらしい(今気づいた)。
当時は紙に書いた文章のいくつかをインターネットに逆輸入してあることもあった。今では別に当たり前というか「はぁ…そっすか」みたいな話だけど、当時はなんかそういうのも気にするというか「原典」「原文」「初出」というものに対する憧れと、それは一生手にすることはないんだろうな
自分は一生こういう詩の本とはニアミスし続けて、詩のこととはネットで関わるだけなんだろうなというのは、働く前からぼんやりと感じていた。
それはなんか、「そういう人生はつらい」と感じていたからかもしれない。また、わたしがリットン調査団を好きなように、いい加減でありたいという、常にツッコミがほしいという関西気質によるものなのかもしれない。詩というのはなんかきっちりと一個閉じていて、読むたびごとに開かれる、ある種の再生装置のようなものであって、わたしのやつは常にどこかネジがひとつはずれていて、うまく動かないものであり、それに対し「これはどうやったら動くねん」とツッコまれたいのだ。
それはすなわち読者からわたし自身への興味を持たれたいという話につながってくるのかもしれないが、まあそこまで求めるのは厳しい。
鈴木志郎康さんも極私的覚書(極私的分析的覚え書)において、愛は求めてはいるけれども、モータリゼーション(たぶん車とか電車のことだと思う)の発達などによって、散り散りになったわたしたちにおいてそんなのは無理すぎてまじで幻滅するみたいなことを書いてた気がするし、わたしだってそ
う思う。
このへんとかめっちゃ好きである。
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そういえば、ミニ四駆を作れたことがなかった。なんか動かなかった。シャーシの時点でいったん試したら逆に走って、なんかいじってるうちにまったく走らなくなって、そもそもミニ四駆に興味がないことに気づいた。
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まあ、だから、ネジのはずれた装置はおそらく作者への興味関心とセットで置くのがよいのかもしれない。
都度スタンスとして作者として迎え入れ、時には「あなた」として迎え入れて、そのバランスによってわたしたちは合評や投稿を楽しんだり苦しんだりしている。
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あと、ネジが読者によってハマる場合があるという可能性もある。これは宇宙にヒューンと飛ばして何かと当たる可能性みたいに考えればいい。そんなんもうゼロじゃんと思うか、ゼロじゃないと思うかだけの差である。
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あとはそこに体を置いてしか機能しない詩しか書けないか、体を置かなくても機能する詩が書けるか、また、詩の書かれた情況や文化とともに昇天していくタイプの、同世代プラマイ数十年単位の塊として歳をとっていく詩を書くか。まあそれぞれだし、それらがどういう配分で組み合わされているかによって、どれだけの時間まで残ることができるかは変わってくるだろう。
なるべく普遍的なギミックやカタルシス、あるいは真理(っぽいもの)によってもたらされるものはまあ永く残れるだろうと思う。
ただ、それだけのために書いててもなぁ…というのが正直なところで、かといってそういう姿勢を批判したりするつもりもなく、まあ自分なりにすっぽ抜けた、常にツッコミ待ちの壊れた装置を書き続けるのが自分なのかなってことは、ずっと考えてる。
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それはつまり、カッコつけるというか、キリッとすることができないということだ。誤解を恐れずに言えば、鈴木志郎康さんは文章でキリッとするタイプである。
文章でキリッとできないタイプというのは、結構その人のバイタリティと関連してる気がする。途中からべらんめえみたいになって崩れていく人とか結構いるけど、岡田隆彦さんとかもどっちかというとその気があるというか、まあ紙の雑誌を読んでてもやっぱりそのへんはネットと変わらず途中から崩れ出していく人というのはいて、最後までぐいっと読ませれるように論とかを書ける人というのはふつうに希少なのだと思う。
そういう意味では、凶区というのはそういうのを高校からやってきた人が合流してなんかいきなり文章を崩れずに書ける人がぐわっと集まった瞬間だったのかなと思うこともある。
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逆に、そのまとめあげる力がないのなら、もう自分の身の丈にあったサイズ感で書けば、そのほうが自分のみっともなさとか、文章の書けなさ、あるいは文章の変な折れ曲がり方(目的語がさしてるものが途中で消えている、文脈が途中でおかしくなってる、論理性が破綻してる、ひとことでいえば「ひとりよがり」)をするんであれば、ちゃんと文章を収めれる範囲で書いたほうが自分も傷つかないし、もっと人に読まれるのが書けるのかもしれないけれども、やっぱりぐわーっと書きたいのである。
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で、そのぐわーっと書く場所としてのネットというのは非常に向きまくっていた。
ただ、ぐわーっと書くと、あとあと恥ずかしくなるのも世の常であり、次回はそのへんについて書いていこうと思う。
知らんけど
(つづく)
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