0718

あさ。エレン(仮)。187g→190g
昨日は、届いたマーレを組み立てながら「この隙間…厳しいのでは…」と思いつつとりあえず完成させ、ケージをそっ…と開けてみるとエレン(仮)は早速案の定、マーレの隙間からするー…っと出ていった。
ここでプチンとなって、リビングで部屋んぽさせることに。コード類をとにかく上に上げて束ね、エレンがケージに戻った後、台所の入り口の幅と除湿器とルンバ(一度動かしてマップを作ってからすぐエレン(仮)がやってきたので、まったく使ってない…わたしは計算ができない、無計画である)周りをメジャーで計って、運動がてら、歩いて百均行って、網みたいなやつたくさん買って、分解したマーレと併用して、入ってほしくない場所を囲ってから、夜にもう一度部屋んぽした。
なんか部屋の角を齧ったりしたので、そこをちょっと補強した。
だいたい20分以内には飽きて戻ってくる感じ。
あとなんか、糞もおしっこもしない。いや、してるのかな。わからない。時々砂浴びみたいにズシャシャー!と床で豪快に滑ったりしてた。
壁外調査、斥候、部屋んぽ、、、
こういうときのエレン(仮)は、のそのそしている。身を伸ばして低く歩く。あとは陰になるところにちょっと居着く。足の先には興味があるらしく、好奇心もある。
最近はよく回し車を回して、草やペレットを食み、水を飲み、プライムデーのついでに買ったりんごの枝(これはインフォーマル経済なのか?というか、そのへんで拾えないだろうか…)を齧り倒し、疲れたらハンモックで丸くなって寝言をいう。24度で、除湿をかけていて、60%ちょい。気持ちはわかる。

うってかわって今朝は妙に警戒されており、朝からカチカチ言ってる。なんかしたかなと思いつつ、一応部屋んぽとケージ清掃とペレット&草補充&水交換。
なんかちょっとしたことでトムとジェリーな逃げ方をする。
ケージに入ってから指を出すとほんのちょい噛み。指の輪郭の分だけ、口の周りが器用に凹むのがちょっとおもしろいけどさびしい。ATフィールドを感じる。数日前は「おほー…」だったのに…。
よくわからないので近くでのんびり過ごす。
なんか夢で悪印象を与えたのか(追いかけたとか?)、不満やストレスがあるのか。
あとはなんなのかな…。うーむ

これをみてて、保護犬の話をしてるところで個人主義的人間観のことを考えていた。坂上さんは65歳以上だと犬を飼えなかったり、若すぎても、単身でも飼えなかったり、あるいは庭があったら2mの柵をつけろとか、保護団体ごとにいろんな厳しいルールが付加されていて、そのへんをどうにかできないかみたいな話をしていたが、これは統計学的人間観と個人主義的人間観と犬の尊さとの合わせ技による厳しさだと思った。
坂上さんのいうとおり、65歳以上であれば、むしろ今までも犬を飼ってきて、そんじょそこらの人より飼うのがうまい可能性だってあるわけである。それを年齢によって、リスクとして振り分け、一律に、「平等に」ふるい落としてしまう。
わたしも単身で親も65歳以上だったので公的な施設も保護団体もアウトだったが、それ以外の関係性、それ以外の受け皿さえ確保できれば飼えたわけなのだが、わたしは一人である。
小川さやかさんが言ってた他者の能力を自分の能力であるかのように把握し、借りを作って任意のタイミングで返してもらうという人間観。
逆に言えば、関係性がないということは、いろんなものを捨てている、という考え方もできる。
つまり保護団体は65歳という統計学的なリスクによって、さまざまな出会いを捨てている。そして、衝動買いして飼育に困って捨てる飼い主も、宛先を知らないか、宛先がないと思い込んで捨てている。ものだってそうで、メルカリ的な発想もあれば、粗大ゴミに電話してシールを貼って捨てたりしているが、関係性の中でそれらが解決できればそれに越したことはない。
ただ、そこには借りが発生し、任意のタイミングで召喚される可能性と隣り合わせであり、これは今の日本人というかわたしにすると相当な負担であるというか、衰えまくった筋肉のようなものである。
億劫である。
これだけ個人主義的人間観に染まって生きてきて、まあ、いいところだけつまみ喰いしてきたような人間なので、いまさら関係性をどうこう、うんぬんというのもどうかと思うが、自分が臥しやすい場所ぐらいつくるかみつけるかしておかないと、という気持ちはうっすら(誰にでも)浮上してくるのだと思う。ただその先が見えてこない(行動の端緒がない、堂々巡りする)のも、関係性がないからなのだろう。

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