0507

あさ。WOWOWで録画してたラルクのMV集前半戦(後半は今月下旬だったと思う)を見てる。今Vivid colorsまできた。
ラルクといえば当時ビバレコに中古のDUNEが4万か6万でガラスケースに置いてあってなんかすげーって思ってた記憶がある。
ビバレコは私の記憶ではT型かL字型の店内構造で、ビジュアル系は西側にあって、そこにゆらゆら帝国もあったものだから、私はゆらゆら帝国もビジュアル系だと思い込んでいたりした。
私はあんまり意思がなかったので、当時の友人と一緒にビバレコを巡るのが常で、時々安いワゴンのCDを買ったりするぐらいだった。

日記の本はちびちび読み進めている。1880年ごろから日記帳が販売され始め、1900年ごろには(子供が)日記をつけることのメリットが喧伝され、それが次第に休暇中、つまり教師が監督できない日にきちんと父母を手伝ったりしているかの報告書としての機能を帯び始め、それがうすく連綿と自分が夏休みに書いていた日記のようなものにも繋がっていたのだなぁ、みたいなことを、昨日は思ってた気がする。年代はちょっとうろおぼえですが
「休みの日こそ日記をつけるべし」みたいな発想を受動/能動関係なく押し広げていくと、テレホーダイの時間帯を狙ってネットで色々書いていたことも、ある意味では休暇中、つまり社会的に生きていない状態にあってこそで、それは教師のような監督者に提出するわけではなく、個人的ではあるが、その監督者は世間になるのだが、テレホーダイの頃の監督者はまだ世間と呼べるほどではなく、身内的なノリがあり、その想像力がある程度支配していたし、その想像力を(身内ノリが苦手な人も)内面化し、ROMったりしていたのだと思う。
日記によって、社会的に生きている時間と、家に戻っても社会的に生きているかどうかを確認する行動報告の継ぎ目を減らすことによって監視を続けること。メリットとして作文能力の向上、階級上昇などがあり、これが連綿と続いていくと、人生雑誌的なものやインターネット情の投稿サイトの表現のようなものにも繋がっていくのではないかと思うのだが、なかなか、もう少し色々読まないとわからない。これはあくまで自分の中でのつながり。
とはいえ、日記は身体的な拘束ではない、非常に曖昧な拘束の仕方で、嘘を書いて裏で舌を出すようなこともできるし、ここには家の形や"日記帳"というフォーマットや提出による拘束や当時の可処分時間などによる制約もでてくるだろう。要は自分のためだけに書くための媒体の所有、綴るための時間、隠すための場所、これらの要件が揃わない限り個人が内面を時間を超えて制約もなく書くことはできないというより、先に書いた要件自体がもうけっこうな制約として機能しているからこそ、当時は休暇時の日記を見るだけで、教師がそこそこ児童を訓導することができたし、児童もそのフィードバックを内面化して行動の規範としたのだろう。じゃあ、インターネットで書くことっていうのは、この流れの中ではどう位置づけられるのだろう? はたまたインターネット上の詩は?

などなど、以上、思いつき。 しごと



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