鈴木志郎康さんのお墓

3/18(土)に、鈴木志郎康さんのお墓の前まで行ってきた。東京の経堂という駅から少し歩いたところに福昌寺というお寺があり、そこの墓地に鈴木志郎康さんのお墓はある。
雨が降っていて、お墓の文字の「遊極私」の遊のしんにょうがすごい延びて「極私」の下まで延びているわけだが、そこの窪みに雨水が溜まっていた。ツイート(おそらく親族)によれば、このお墓の文字は鈴木志郎康さん本人が生前にデザインしたものだそうだ。
誰かが亡くなって、改めてその人の文章を読むと、なんか、ほとんど生と死についてしか語っていなかったかのように錯覚することがある。


この日の目的はゲンロン総会というのを見に行くのが目的だったのだが、わたしは経堂から五反田は歩けると思っていたのだが、無理だった。
雨で靴がぐずぐずになって、世田谷八幡宮というくるりがばらの花を書いたという言い伝えのある土俵なども歩いて見に行ったりして、その足で五反田へ向かったのだが、途中でこれは無理だと悟り、電車に乗ったのだが、疲れがとれないまま、ゲンロン総会会場の五反田のTOCビルへ行ったものの、意識が朦朧として、すぐにホテルに戻って泥のように眠った。
のち、SNSで見ると、会場でレーザー光で文字を表示する展示は1500円ぐらい支払うと自分が好きな三文字をレーザーで空中に表示できたのだそうだ。ここで私は「なぜ私は『遊極私』をレーザーで照射してもらって写メらなかったのか」と軽く後悔を憶えた(ここだけ、2023/9/18追記)



鈴木志郎康さんのお墓。

日本列島と黒い髪と海と女のなんとかという詩で始まって
5つの詩(現代詩手帖に寄稿したもの)で終わった

「遊極私」というのは、パッと見
「遊べよ」と言われてる気がする。極私を遊べ。

でも、これは自分と戯れて遊べとか、些事に拘えとか、自虐的に生きろとか、なんかそういう意味だとは私には思えなくて、「面白がれ」
いや、もう少しやわらかくいうと「面白がりなよ(自分を)」っていうニュアンスを勝手に読み取った。

で、さらに、この「自分」つまり「私」は、他人でもある。他人も自分のことは「私」だと思ってるから当然である。いや、当然なのかはしらんけどもや。

だから、この「遊極私」というのは、閉じこもるために背中を押すための言葉ではなく、わたしにとっては半分ぐらい戒めのように感じられた。

鈴木志郎康さんがほんとうに最後に書いた詩がなんだったのか
私は知らない。でも現代詩手帖に載ってた最後の詩は、お母さんをそういうふう(おかあさーん)に呼んだことがなかったということから始まり、文学によって友を得たのだというところで終わっていた気がする。

鈴木志郎康さんの旺盛な同人活動とかを見ても、なんか自分のことばかりをすごく掘り下げてるようにみえるけれども、実際には
それを書き続ける場所を確保していたし
めっちゃふつうに人とも交流していたのだと思う。
わたしは現代詩文庫22の裏表紙を見て「ああ、視線恐怖症(裏表紙は目を閉じてる)なのにパンイチで歩いてる、この人は生きるのがへたな人なんだ」と勘違いして「生きよっ」と思った人間なので、なんかよく喋る人っぽいぞっていうのをなんとなく知識として得てくると、「まあそれはそれとして…」っていう部分と、自分がもってた鈴木志郎康さんのイメージとの折衷案ができてきて、特に裏切られたとかもなく、まあ、まあ、こっちが勝手に思ってただけだし…と、
そんなふうにこなれていった。
(上記の文章のリライト前なので、以下は繰り返しの表現になる)
私は元々「ああこの人はすごく孤独なのだ」と思って読むようになって、気づいたら徐々に「なんか違うな」とはなってきたけど、それで気持ちが離れていくこともなかった。

自分のことも、また人のこともすごく掘り下げさせるようなところもあったようなことも、どこかで時々読むような気もする(これは、鈴木志郎康さんの詩の授業を受けた人とかの文章とかを読んだとき、私が勝手にする想像である)。

なんか、なにかにつけ、私は、そんな風にはとても生きれないなぁ…と思っている。
そこまで人の言葉に伴走してもっと考えようと執着してくれる人ってなかなかいないでしょ、少なくとも、わたしは疲れてしまう。
だから遊極私というのは正直結構厳しい道でもあるように感じてしまう。

けど
なんか、そういうふうに考えれる余裕のあるときは、なるべくそういうふうにしたいなぁ、くらいの気持ちはある。

なんとなく、個人の感想としては、鈴木志郎康さんはルーツをあまり書かない人だった気がする。すくなくとも、自分の文章のときと、そういうのを書くときとを、かなり意識的に分けていた。
つまり、前提知識の要らない文章を書くときと、自分がどういうものを見たり読んだりしてきたかを書く文章の割合でいうと、9:1ぐらいな気がする。
断片的にはどう考えてもデカルトを読んでるだろうなって雰囲気はあるけれども、ちゃんと本人の略歴に「方法序説を読む」って書かれてるのを見かけたのはつい最近(8月ぐらいだった←2023年)で、あとはなんか浪人生のときの塾みたいなとこの先生の思考法みたいなのが結構ルーツにあるっぽいみたいな感じのことを読んだのもどこだったか、なかなか思い出せない。
鈴木志郎康さんの身近なところか文章を掘り起こしていく、「のてのて」とか、「歩いていく」とか言われる感じは、「(狭い世界の有名人である)誰それが言うように」みたいな言い方をしないのでとっつきやすい。
逆にそういう書き方ばかりする人はただアンテナ張って仲間を探したかっただけなんじゃないかと、古い雑誌のコラムを読んでて思う。時間が経つほどそういうのは際立ってくる。誰に向けて書いていたかとか、テンパってたかとか。紙幅を埋めるためにのたうち回ってるなとか。

(ここからも少し重複するかも)他の人をくさすわけじゃないが、読んでいて、なんかいきなり知ってて当然であるかのごとく、どこかの国の人の名前とか、その人が生み出した横文字の概念とかが頻出するようなタイプの文章を、鈴木志郎康さんは書かなかった気がする。鈴木志郎康さんが「つまりこれはソシュールの言うまるまるに相当する」とか書くだろうか。書くわけがない。
だいたい自分の中から掘り下げていって、順番にのっそのっそと進めていくのであった。
雑誌とかに書いてる文章は、どう考えても明らかに紙幅を稼ぐようにのたくってるような感じの筆の運びをしているときもあって、それはそれでおもしろいなぁと思ったりしたけれども、そんなときでも鈴木志郎康さんは衒学的というか、ジャーゴンっていうのか? 言葉によって敷居を設けたり「わかるよね?」「当然読んでるよね?」っていう試しのようなものを入れなかった。かといって(おそらく)本人が読んでないわけでもない。別に人に読んでもらうためにそれは要らないだろうという判断があったのだろうし、極私というのはつまりはそういうこと(←よくわかってない)なのだろう。
(だからこそ私のような無学な人間にも届いたのだろう)
これはおそらく安保闘争などから脱落してしまったというところにも現れていて、第二詩集を読む限り本人はすごい落ち込んでるというか、なかなか前のめりで運動に参加できなかったことを、すごく惨めな体験かのように綴っていたように記憶しているが、個人的には鈴木志郎康さんの資質はそういうところにあって、わるく言えば庶民的、あるいは商人?的なとこがあって、頭でっかちというか、インテリではなかった。まあ思索に耽るという意味では頭でっかちなのかもしれないけれども、なんか自分で書いて実現してみないと気が済まないみたいな感じで、別に小難しい言葉を振り回せれば気分がいいみたいな感じではなく、自分の中にある興味とか謎を言葉によって解明していくのが少なくとも1970年代あたりまで鈴木志郎康さんの姿勢だったように思う(ここも9/18追記)。

(なので、ここからはさらに重複になるかも)もっかい言うけどさ、鈴木志郎康さんが「デュオニソス的な…」とか書いているのを想像できるだろうか?
いや、できない。
だいたい鈴木志郎康さんは「こないだ夜中自転車で何かを買いに行ったらこういうことがあって(以下略)つまりものを書くということは社会と対立するという事なのである…」みたいな感じの話の運び方になるのではないだろうか。とにかく一人で文章を書いて社会と反発して国を転覆させるのが基本である。

『現代詩の鑑賞101』という、リンゴが表紙に載ってるアンソロジーの、鈴木志郎康さんの鑑賞欄に、注釈で八木忠栄さんが「現代詩に正当な嫡男があるとして(鈴木志郎康さんのプアプア詩は)鬼子だった」みたいなことを書いていた気がするが、私はこれを勝手に「前提知識の要らなさによる配慮ができる書き手、つまり膂力のある書き手としての谷川俊太郎や大岡信が嫡男で、膂力のある書き手の傍流側が鈴木志郎康さんだった」というような読み方を勝手にしていることがある。
ここでいう膂力というのは、ねじくれた背骨みたいなものを両の端から引っ張って、まっすぐにぴーんと伸ばし切るみたいな文章の力のことである。
このためにはある程度明快な論旨とそれを書き切る体力(意識?)が必要である。あと読む人の射程。どこまで見据えた文章が自然に書けるか。同じような属性の人を対象にした、読ませる力の足りない文章ではなく、興味をもったすべての人に開かれている文章を書く生まれつきのサービス精神みたいなもの。
(今みて思うのは、そういうのが足りない人でも結構詩の雑誌に書いていたりして、ぜんぜんのたうち回ってるじゃんということである。これはなんか安心する。いや、安心してはいけないのかもしれない。。)



「前提知識が必要」になってしまう箇所というのは、実は書き手もよくわかっていない、噛み砕けていない部分であり、だからふわっと「こっちは(カタカナ)的で、こっちは(カタカナ)的なのではないか」とか謎の二項対立を持ち出して「だからなんだっていうんだ」みたいな話を延々読まされるはめになる気はする。
なんか忘れたけどインフェティティなんとかとフェティティなんとかの対立であるみたいな文章とかみたことあるけど「まじでなんなん」ってなる。

そういうので誌面を埋め尽くしてる雑誌というのはたくさんあるけど、そういうのはフムー、ムフーとはなれても、なんのパワーももらえない。腹持ちの悪いお菓子みたいな感じがする。

膂力が足りず、広げれず、既存のエコシステムの中でしか生きるすべをもたない文章書き、というふうに見える。端的にいえば弱さに見えるし、その弱さよりさらに弱い自分の文章力を呪う。だからできるだけ自由に踏み躙れる権利があると勘違いしてしまう。
でも、鈴木志郎康さんだけは(わたしのなかで)常に別である。

◆今書いてる途中にお風呂に入ってきたけど、頭洗ってるあいだに色々考えたこと

鈴木志郎康さんは面白がれない人のことを面白がるだろう。君、自分のことを面白がれないの? 
周りのことも面白がれないです…
いや君面白いねぇ、君のその面白がれなさを詩にしてみないか(10時間後)
ハァハァ…もうこれでいいですか…(疲れた、帰りたい…)
君、これじゃあ君の面白がれない面白さが全然わからないじゃないか、一緒に面白がれない面白さが伝わらない原因を考えてみよう!
(助けて…)
みたいな感じのイメージを、風呂で頭を洗いながら考えていた。
こういうしつこさを鈴木志郎康さんは人より持ってたんじゃないかと思ったりする。そういう、人の何かを見ておもしろいなぁとかいいなぁって思う感性がなくなって、なんかギスギスしてる私。
私は逃げたり削ぎ落としたりしてばっかりなので、もう生来の怖がりなのかもしれない。
だから、興味をもってくれる人によって救われる以外、道が考えれない。
「幻滅の予防」にもそんなことが書いてあった気もするが、鈴木志郎康さんには勝算もそこそこあったんじゃないかと思ってしまう。

***(余談)

今回の東京行きは元々はゲンロン総会というのに参加するための旅程だったが、経堂から五反田の距離をよくわかってなかったので五反田の会場に着く頃には消耗し切っていて、ほとんど意識がなかった。あとあと知ったところでは、コミュニティスペースにあったレーザーアートの文字は、頼めば3文字を自分の好きな字に変えることが可能であったそうだ。
「遊極私」をレーザーで出せたらよかったのになぁ、と今更ながら思う。

3/23朝 3/26昼加筆修正
しごと

9/18追記、修正、もうこれでいいや投稿

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