2022年 年の瀬

特に家族も友達もいないので朝から家でパソコンに向かってる。「ので」ってわけでもないけど、いやでも家族とか友達いたらやっぱ行ってるから、「ので」なのか。いやー、わかんないね
とりあえず本を読もうと思っていて、無駄に積読してるけど、今読んでるのは最近買った『「自傷的自己愛」の精神分析(斎藤環/KADOKAWA)』。
もうちょっと若い人が読む本な気もするし(KADOKAWAって見たときなんかそんな気がした)自分みたいな人が読む本な気もするけど、まあどっちでもいいか
で、まだあんまり読めてないんだけど、自己愛のあんまり言語化されてないふわっとしてるやつ「ないよ、俺に自己愛なんて!ないない!」って言ってるけど「ああ、それ? それだったら俺にもあるよー」みたいなやつのほうを…なんてったかな、そう、「二次的ナルシシズム」と言ってますね(p50-p51)
なんか難しくて書いてあることはわかんないけど環流するようなイメージ?の自己像の愛し方、みたいな。
何年か前の年末もなんか和田秀樹の書いたコフートのやつとかを読んでて、今もまたコフートって出てきてるから、年末はコフートなのかもしれない。たぶん何年か前も、年末ごろには『子どものための精神医学』を読んでて、なぜわたしは年末にさしかかるとそういうのを読むのか?という疑問もあるけど、まあそれはおいといて

今年一年振り返ってみてどうでしたか。いやー今年は家を買って一年目にあたるわけで、なんか家のものを揃えつつ、ああ、ペットを飼い始めて、そんぐらいかなぁ。
猫は譲渡会行ったらなんかいやんな雰囲気で傷ついたから中年男性きびしい…と思ったけど、まあいいよ…くすん
猫種も調べたけど最近のかわいい猫はなんか軟骨が元々遺伝かなんかでそうなってるらしくて、そうなってくると反出生主義…、じゃないけど買うのはどうなのか…みたいな気持ちも出てきて。
でも、やっぱりみんなどっかの時点で押し切ってるわけである。じゃないと家に猫はいないし家族だっていないわけである。
じゃあ押し切られて疲れた人は押し切ってくる人がしんどいってなって、もうやだやめるーって気持ちになるわけである。

Charaの「夕暮れのうた」とか「ミルク」に出てくる「強引なもの」とか「穏やかに過ごすことをさみしさや孤独と一緒って言う人」とかといった、なんか力動的なダイナミズムをもたらす父性的な判断というのは人間生きる上でどうしても何十、何百、何千としていかないといけないので、いちいち深刻に悩んでるとあれであるからまあそんときのフィーリングでえいやーっていう瞬間も結構要るっちゃ要るのだが、わたしに関して言えばもうそういうのなんか疲れた、なんか戦闘機で後ろばっかりとってくる人がたくさんいて疲れた、醤油真ん中に戻さない人ばっかりでなんかもう疲れた、みたいな気分。アイメッセージでなんかいちいち言うのも疲れた。
うんざりした。それが40歳すぎての感想というか、
実感というか、なんとやら。

というか、最近、40過ぎて、今得ている時間というのが、意外に、ひきこもって暇ばかりだったはずの自分にとって、やっと同世代の人たちが大学のころに得ていたであろう暇な時間(別に暇なんじゃないんだけど、自由? いや自由なわけでもないんだろうけど、なんてゆーのかなー、こういうの)なんじゃないか?と思うことがある。

わたしはちっさい頃から緊張しいで、なんかしょっちゅうどうでもいいことで「やらかしてしまった」と思ってしまって泣くような子だった。
思春期入るとトップスピードで頭から漫画の吹き出しが出てる気がしてきて限界突破(たぶんちょっと統合失調症気味になって)。そこに視線恐怖もあって板書とかができなくなり机に突っ伏していることが増え、勉強しなくなり、頭ぼさぼさで服ぼさぼさで人格のコーハイに入団しながらとりあえずレールに乗っかるつもりでお金だけで入れる専門学校までは行ってそこから就職はレールじゃないのでそこでやっとレールが途切れて引きこもることができた。引きこもったときは結構安堵した。
ああやっとあの続いてきたレールから落ちれた、緊張しぃだった自分がやっとあの、いやこうなるんわかってたやん?とか思いつつ、まあそのころのあーしには援助希求性が足らんかったんでしょうね。。まあいいや。
まあでも引きこもりは引きこもりで後頭部にあるCPU(魚焼き器の網みたいなハンダで作った超低性能のCPU)が焦げ付くような焦燥感で「え、これどうするん?」みたいな焦りの中で毎日ネットするようになるわけですね。
意識飛んで60歳ぐらいになってへんかなと思うわけです。
シューティングゲームの復活パターンみたいなものがまっっっったく見えてこない。一回地面に転がったテニスボールをラケットでダムダムやっていって弾ませていってキャッチするみたいな感じの技?そういう感じの技も持ってなかったので、もう転がったボールのまま「しーん」としていたが、内心はめっちゃ「え、これどうするん」「どうなんの」みたいな雰囲気で生きてたけど家族からすれば「うぜー」の一点張りというか「なん、なんしてんのまじで」みたいな感じだったんでしょうね。



といっても引きこもる家には自室がなく、家族のいるリビングみたいなところの一角に万年床を敷いて引きこもっていた。むしろ弟が先に自室を与えられていた。なんでやねん。
で、母と弟はふすまでわたしを隔離してふたりでさんま御殿で笑い散らかすのを真っ暗な闇で聞くという数年間を過ごし、たぶんそこで家族というものへの気持ちは結構なくなったのかもしれない。
そこから友達の就職のついでにわたしのひきこもり問題にもケリをつけたいという人がいてその人がタウンワークで面接取り付けるまで帰れまテンを強要してきて神社の境内で泣きながら面接した三社目に もうかれこれ20年ぐらい勤めてる(!)わけだが、これもレーラー(レールに乗る人)のサガであり、乗ると降りれないという、わたしの宿痾でありんす
そこでひきこもってた頃の自己肯定感の低さみたいなものに目をつけられて同じ仕事をしながらお金をとってくる悪い人間などに10年間まとわりつかれたりして、もう気づいたら40すぎてるわけですよ。

ああ、やっと一息つけたってのが本音である。

まあ、よかったんじゃないですかね。「一生ない」と思ってたこともたくさんあったし。彼女もいたし、就職もしたし、家も買ったし。
でもなんかふつうの家族のいるおっさんと同じようなことを、ひとりでする必要もない気もしていて、なんでそれしちゃったかな、とも思う。
まあ自分にはひとりぶんしか扱う生命力(by石垣りん)がなかった、そういう生き方しかできなかったということにはなるんだろうな。
だから自分が自分でランチトートを持たせるとき「ああ、あしゅら男爵だなぁ」と思う。薬指に指輪がないあしゅら男爵みたいなやつがおっさんの自分に、嫁さんの自分がお弁当の入ったランチトートを持たせ、それをわたしが手に提げて、家族がいるような傍目でバス停でバスを待ってる。
あとはブラックジャックの「復讐こそわが命」みたいな回があったけど、あれみたいな感じで、自分の一部分がおちびちゃんであり、パパであり、ママであるという、そういうことも時々思う。
(あとついでに余談でいえば、ふつう「ブラックジ…」では口ごもれんやろ、とは最近思い返してておもった。これも漫画ならでは(言葉ならでは)のトリックみたいなもんなのかなとおもう)

だから、結論としては、ひとりになる必然でひとりになって、それで全然いい。というかこういう時間はなかった。けど、ずっとそれでいいのかとも思ってて、プリンセスメゾン(池辺葵の漫画)で沼ちゃんが机買っちゃったときに窓外の景色を目に映してるときの、あのシーンみたいな、なんかああいう感じ。

でもまあだんだん老いてきて、どのへんまで生きれるんだろうかとは思う。

成すでも為すでもどっちでもいいけど、なんかちょっと形になるものを残したいなーっては思う。

あと最近思うのは巻き込むことと、巻き添えをくらわすことの差ってなんだろなーってことも思う。「仕事で」よ。

今年はいろいろあったけど、全体的に小粒なものが多くて記憶に残らないことが多かったかな。
まあでもなんかYoutubeで経済系?というか、なんかこう30代〜40代が見てそうなやつをよく見てるよなーって気はする。今年は特にそうだった。
やっぱコロナが終わって次どうすっかっていうか、まあ人生30〜40年やってきて、いきなり外出れないとかあるんかい!みたいな感じでびっくりした部分もあるし、なんか世の中の状況にみんな目が向くようになったのかもしれない。

まあそういうなかでも、徒花的な自分の気持ちをもっと掘りたいよなー、というのは思う。

来年は、徒花的な自分の気持ちをもっと掘り下げていって、どっかしらの場所と関わりを持てたらなというのがうっすらとした抱負。

来年のテーマは「場所」だな!場所!

スモールステップにすると

「場所」に行く
話す
なんかそこでお金にならない仕事をする
お金にならないノウハウを得る
そこで少しだけDTP的なものも得る(これは勉強と、自分が個人誌作りたいから)
そして福祉的な世界がどうなっているのか雰囲気だけでも感じ取れたらラッキー、ぐらいの感じ


つまり自分は家族は無理だと気づいたけど、かといってボランティアや福祉的な擬似家族にも何かイチャモンめいた気持ちを持っているので、それをもう少し素直にするというか、フラットにしていきたいというのがあるのかもしれない。「なんで簡単に他人を面白いって認めてるんだよ!」みたいな、昔の芸人みたいな苛立ちみたいなものをずっと奥底で抱えてて、それを何もかもに適用してるところがあって、逆にそれはどうやったら解消されるのかといったら、もうこれは「「場所」に行って、話す」しかないのかなと思ってて、そういう意味では、これって芸人一年目みたいなことを書いてる気がしなくもない。ノウハウなのか関係性なのかわからない世界に、間に合うかわからないが足を踏み入れたいなというところ。
わたしの対人恐怖症もまた持ち直してきてるので、今の会社にいられなくなるかもしれないし、もしくは自分で「もし2つセーブがあるとしたら、ひとりの自分は絶対この会社に置いておきたいですけど、人生一回しかないですので…」とかいって辞めてしまうこともあるのかもしれない。

まあ今の会社の商材周辺への興味
個人的な興味
個人的な人生から派生してきた興味
誰かからサジェストされたもの

なんかこのへんが絡み合って今の状況ができてるので、来年も引き続き、時々こうやってnoteとかも更新できたらなーと思いつつ、みなさまもよいおとしを ではでは







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