す 2/21

すげーやばいゆき

最近は人口減少社会のデザインを読んでる。今は医療のとこ。
なんか色々気づきはあったが、パッとでてこない。
記憶力がひどいです

若い頃の社会保障
ストック(土地、資産)の再分配
あとは健康というものの考え方が社会心理、環境的なものになってきてるとか(病気というのは環境とのズレによって発生している、という考え方?)

若い頃の社会保障というのは金銭面でもそうだけど若い頃に損なう健康のタイプって結構精神みたいなやつが多いというのをDALYか、
なんとかという
時々見るやつ、死因の上のほうランキングで時々見る気がする
のやつで20代の死因は自殺とか、そういうのとも繋がる気がする

なんでまだこのごに及んで淘汰しているのかと思わなくもないが

かといって百歳になってもリストカットしてもいいとは思う
なんかもう歳だからはしたないみたいな感覚もあってもいいけど
なくてもいいと思う
そしてひ孫とかから俺の存在めっちゃ綱渡りやんとかつっこまれてもほくそ笑むとかでも全然いいと思う

子供の頃の淘汰(というか言語化、手段化、ステップ化できず抱え込む苦しみ?)というのは周りも気づく義務というのか、なんというのか、うまくワンストップで包括的に適切なクラスタに移動させるための手段とか想像力が要るような気はする。
昔みたいに強引な感じだと、おそらく非常に脱落して消えてる人のほうが多いので、もう少しスマートにできれば尚よしなのだろうとは思う。あとは、天空闘技場の例でもわかるように強化系なのにダブル使うみたいな人が世の中にはたくさんいて、べつにそれもいいんだけど、それも残ってる人の生存バイアスの脂がのってるので暗数になってる人が幸せだったのかとか考えたときもうちょっといいやりようがあるのだろうとは思う。

で、その意味で大人同士のコミュニティ、「俺はようわからんからあの人に繋ごう、きいてみよう」的なやつがないと、そういうのが働かない、機能しない気はする。
うちでなんとかしなきゃ的な発想になる。

環境のズレっていう考え方でいうと、環境が合うまでシフト?シャッフル?し続けられる柔軟性とそれに対する世間や社会の寛容さみたいなものも要る(あのお宅は息子さんをどこそこに預けたんですってよあらまぁヒソヒソをまずやめろっていうかお前の家も大概だろっていうか人の噂とか、暇なのか?人生が空っぽなのかきさまー!空っぽでもべつにぜんぜんええけどもー!とか)

あとは、そういうものの公臭というのか、公的なもののにおいを消すのも重要かもしれない。公的なものというと、なんか入ってみると案外こんな感じなのね感はあるが、入るまで、または入ってもなんかうれしくない煮物…みたいな感じがするので、ハンバーガーっぽい感じでいってほしい。
福満さんの漫画に出てくるうれしくないほうのお寿司みたいなのとか、噂に聞いていたアミューズメントな通りが意外とあっさりしてて「え、こんだけなの?もう終わり?」みたいな、ああいう感覚と近いかもしれない。
つまり公というのは個人的な感覚では茶色で、煮物感があって、しかも「え、こんだけ」って感じでワンストップ感がない。
期待はずれで頼りない。寄り添いが足りない。

といっても、施設が嫌で何回も出る人とかもいると思うから、それはトライブ化するまでにいかにちょっとでも公をさしはさむかみたいなのが重要なのかもしれない。時々筑前煮とか食べとくことが重要なのかもしれない

トライブ化する要素として親と周囲の環境とネットがあって、その係数にちょこっとだけ公を入れる。この公は君が代を歌わすとかじゃないやつ。
本当に困ったときによぎる選択肢の一つとして。

で、公に依るタイプの人には私がよぎるように。
なんかそういうバランスをみる社会。バランスをみるっていうか寄り添う。
カスタマイズする?余裕のある社会。
余裕の連鎖する社会であり、かつ自然にストック(湯浅さんのいう溜め)が流動する社会。
かといって、全員をジェネラリストにするわけでもなく。
ジェネラリストにされる会社というのは喧嘩ゴマをアルカイックスマイルで見ている糞経営者の会社である
偏りは尊重しつつ。そのための「よぎる」であって、強制ではない。
よぎるときは本当に困ったときであって、
いや、ちょっと困ったときでもよい。
自分が困ったなーと思うとき
サクッと半休とって、時間とって
作業台に選択肢を並べれるというテクというのか、なんかそういうの。
そういうのの中に
公寄りのトライブの子には私が、私よりのトライブの子には公がちょっと見えているぐらいの、要は若いときの死因の上にくるやつがなるべく来ないようにして、あとは基本好きにしていいのではないかみたいな感じである。
強者っていうのは何において?って常に絶えず問い続けれる感じかもしれない。そういう意味でトライブをいくつか知っておけば強者とかドロップする恐怖みたいなものへの強迫も薄れ、かつ暗渠に見えている場所にもふつうに人が暮らしているし暮らせることにも気づけるだろうし、
むしろそういうのは今俺がほしい視点であるし、解除してほしい根強い規範、偏見でもあるのだ。

これはもうかなり
話がとんでしまってる 以下

まだ単純に住む密度が高すぎるのかなとかも思う
2060年までに高齢者の率は上がり続けるらしく、そこで人口の40%が高齢者という感じになって、人口のピークは2008年か2011年かそこらで今はずっと減っていってるところであるらしい。
この書いてる人はアメリカにもヨーロッパにも行って住んだことある人で、どっちかというとヨーロッパのほうが好きみたいな感じらしく、
ヨーロッパの国土と人口のバランスとかコミュニティ空間のつくりとかは参考になるのかと思った。
日本もほんとは6000万人ぐらいがちょうどいいんじゃないかみたいな
単純にこんなにいっぱいいたらセックスしづらい(声出しづらい)というのがある
アメリカの麦畑の奥にぽつんと変な家があってそこで水槽に人を沈めてる男とかなんかの映画であったけど、そこまでではないけどなんか喘げるぐらいのソーシャルディスタンスがないとセックスできないのではないかみたいな気はする。そもそも私は相手がいないしもう性欲も減ってきてるのに視線だけ睥睨するような感じになってきててなんか人生損しかしてない感満載で生きてるのでそのうちストレスで癌になって死ぬか喋ってないから誤嚥性肺炎とかで死んだりするのかもしれないと思いながら、尿の切れが悪くてなんか俺って弛緩した管(くだ)になりつつあるなーっていうのはぼんやりと自覚している。
いろんなところが緩んできたり融けてきたりして、穴をどれだけ塞いでもおっつかなくなってきてる。筋力しかり、記憶力しかり。
まあそれでも生きているのだが、最近ブルースウィリスさんが若年性の認知症かなんかで俳優辞めるみたいなニュース動画を見てて、前頭側頭型の認知症というのはなんかそのへんにタンパク質がたまって感情とかの制御が難しくなるけど記憶はそこそこ重症化するまで保たれるやつらしく、なんかルールとかをふつうに無視したり行列に割り込んだり、ふつうは言わないことを平気で言ってしまうらしく、なんか時々逮捕されてる人とかにもこういう人っているんじゃないかと思ってる感じの病状だった。
というか、わたしもこれ(認知症)になりつつあるのかもと思った。
認知症か、あるいは男性更年期障害みたいなやつ。両方かもしれない。

しごと(2/21朝ぶわーっと書いた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?