2/27,memo

中村計さんの文春のM-1インタビューがまた始まっててキュウの回の真ん中がYahoo!ニュースにあってそこから文春オンラインに行って読んでいろいろ考えてたのだが
最終的には
今生きてることを使わない手はない
という結論に達した
恣意的に言葉を並べていけるということは作品性である
作品性は今生きていることを疎外する≒おもしろくない(即効性として)

駄洒落みたいな詩集のタイトルも
もしガキ使のフリートークで喋ったら横で浜ちゃんがハガキをおもちゃにして機嫌悪そうにぶらぶらして殴ってくるかもしれない
駄洒落みたいな詩集のタイトルをもってきて褒めてくれるのは仲間内だけであるが、でも今生きていることでもある。駐車場の「空あります」を「クウあります」と読んで「いいなぁ」って思いましたとか、
子供が下校時にでも思いそうなことをいい歳こいた大人が思ったら
いけないのか?そういうわけではない
それはガキ使のフリートークでハガキをトントンしてる浜ちゃんの横で喋ったら殺されるという話であって、それはそれで今生きているということではあるから尊重は
されねばならない。
そして書物は時間と人を選べない。そして今生きている人は時間と書物を選べる。
だからそれが開かれる場所のことを考えても仕方ないけど
考えてしまうし、生まれたばかりの書物はなるべくたくさんの人から愛されて欲しい気もする。
今生きていて忘れている部位をくすぐってほしいけどそんなことはなかなかできないから、そのへんにあるものをみてちょっと読み替えてみたり、地口や駄洒落に走って「ほら」って言いたくなるけど、子供と親の関係ならまだしも、それを大人同士でやるのは結構厳しい。大人の世界はショービジネスの世界であり、ハガキの束でハガキの山をトントンしてる浜ちゃんが俺を笑わさんかったら客なんか笑うわけないやろがぇみたいな態度で横に控えている状態で「こないだねー駐車場で空ありますって書いてあって僕クウありますって読んだんですよ」などと言えば全力でけつを蹴られるに決まってる。わかるでしょう?
ちょっと大きめの本屋の詩集の棚をみたら「しばきたくなる」詩集のタイトルはたくさんあるでしょう、でもしばいてはいけない。
尊重しよう
尊重しようがない
もう、かばいきれない
ゾーニングが必要である
これは だいじょうぶです これは きっついです
心の中でしばこう。心の中で詩集のけつを蹴ろう。
心が浜ちゃんになってる。
浜ちゃんは即物的である、でもあの浜ちゃんに嘘の話でのってきてもらったり、笑ってもらったりしたらまっちゃんの目も感動で打ち震えて潤むだろう。
価値を求めてはいけない。けど、詩集って結構する。
あれはほぼ装丁とか印刷代である
ああいうふうにしてお金のめぐりをよくするのである
しらんけど
でもたぶん出した本人も儲けは気にしてない。赤字覚悟で刷って本屋に並べてるのである。たぶん。しらんけど
結句
だからわたしたちは詩を書いたり詩集を出したりして今、生きていることの保護区として書いているんであって、その保護区としての恣意性を作品性と読み替えてお互いを慰め、褒め、書き続ける者たちであるのか、いかに!
2/27朝

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