わいの平成詩史(だだ書き) 3
どこまで書いたのだろうか。
当時のネットの状況(わたしが見ていた範囲ですが…)
ジオシティーズやトライポッドなど、広告付きの無料WEBスペースのサービスがたくさんあった。お金がない若い人(わたしとかね)は、そういったサービスで、自分のホームページを作っていた。
作るといっても、HTMLを自分でメモ帳で打ち込んで、見映えやリンク構造を確認し、FFFTP(というソフト)でサーバーにアップロードするという手順を踏む必要があった。
ここが「沼」で、HTMLだけならまだしも、CSSまでこだわりだすと、もうずっとそればっかりやり続けるわけである。
とほほさんのサイト
とか、徳保さんのサイト
を見たりした。特に後者の徳保さんのHTMLやCSSに対する考えには結構影響を受けた。
しかし、また他方にはデザインのいいサイトもたくさんあって、そういうのにも憧れた。たぶん当時だと思うけど、404 not foundとかいうサイトや、ロッカールームデザインとかいうサイトがあって、そこのデザインには憧れた記憶がある。404 not foundは非常にアーティスティックなサイトで、管理人(とかいうのも失礼な雰囲気だった)はAB型の若者だった。ロッカールームデザインはすべてがドット絵で構成されたサイトで、箱庭的なギュッとした世界観のサイトだった記憶がある。
当時はウインドウのサイズを固定にして表示したり、メニューバーを消して表示させて、完全に自分のサイトだけを表示させる!みたいなサイトもあったり、DHTMLとかいうふざけた…いや、ふざけたと言ってはいけないのかもしれない…しかし…まあ、ふざけたやつがあって、訪れるといきなり全画面表示で自サイトを見せる猛者などもいるにはいた。
つまりサイトの微に入り細に入り、オーサリングし、コントロールし、じっさいそのように表示されるのかどうか? ということに入れ込む勢(ぜい)というのも当時は結構いた。
むしろ、いつの間にかそっちのほうが主眼になってきて、流し込むコンテンツのほうは「べつに…」みたいな人も結構いたんじゃないかな。
かくいう私がそれだった。
悪いことに、当時はブラウザも乱立していて、IEとNN(ネットスケープナビゲーター)と、もうちょっとするとOperaとかも出てくると思うが、まあそれらのブラウザや、それらのブラウザのバージョン違いでタグの表示の解釈とかが違ったりして、「全部同じ表示にしてやるぜ!」という情熱が発生しがちだった。
とはいえ、たぶんこの頃は、HTMLの4.01で、まあみんなやっぱりHTML始めたらまずMARQUEEを使うようなところがあるし、IFRAMEとかでページの中に窓がくり抜けるんだったらそうしたいし、
「(デザインへの)欲望と、(すべてのブラウザでの)表示の統一と、HTMLに忠実なマークアップ」
を必死に目指しながら、わたしはいわゆるホームページを作っていた。とはいえ、これはジオシティーズの仕様上不可能だった。ジオシティーズは、アップロードしたHTMLファイルにことごとく広告を付与してくるのだ。
「じゃあ、広告の表示位置をめちゃくちゃ狭いフレームとかにして見えなくしてスクロールバーも表示しないようにすれば、実質広告ナシにできるのでは?」
…というふうにすると、なんかそのフレームの広告と、隠そうとしたページの広告も表示されるため、もっといっぱい広告が出てくるみたいなジオシティーズ側からの粛々とした返り討ちに遭ったりもした。
だから、どこかで箱庭的な、閉じた世界観でHTMLをやろうと思えば、広告のない、有料のプロバイダで無料のWEBスペースをくれるところでやるか、あるいは、あれはどこかの個人のサーバーだったと思うが「お前がネットに対して思うところを述べよ。それを読んで俺が納得したら無料で10メガサーバーのスペースをやる」的なサイトがあって、そこに文章を書いて送るか、
あるいは、逆転の発想で、広告バナーを受け入れたデザインにする(まあ、ふつうに横書きでPタグとかBRタグで改行してHRタグで区切ってえんえんと縦にびろーんとのびていくようなサイト?)という選択肢があった。
しかし、ひきこもりのわたしは、やはり無料でかつ広告のないWEBスペースを探した。
当時はLivedoorが無料のプロバイダをやっていて、接続するとデスクトップに広告バナーがずっと出るという鬼だが、それとジオシティーズを組み合わせれば、実質電話代だけでネット(情報収集と情報発信)ができた。
電話代も、テレホーダイと組み合わせれば定額制になった。
ただし、生活の昼夜逆転と引き換えに。
テレホーダイというサービスは、23時〜8時までのあいだ、電話をいくらかけても定額で3000円とか4000円ぐらいになるサービスだった。
電話はインフラなので、親がまとめて支払ってるので、ここに3000円か4000円のるぐらいならギリひきこもりの呵責にも耐えれるのだった。今思えばひどい話だけど。ごめんなさい。
8時が迫ると、ブラウザでタブを開き倒して(たぶんDonutsというIEベースのブラウザだったと思う。派生がたくさんあって、Raptとかいうのがあったんじゃないかな)、8時を過ぎてからはオフラインでそれらのサイトを読み耽るという生活を送っていた。
なんか話がそれたな。
結局、わたしの焦点は「無料の広告なしのWEBスペース」に移っていった。ここでわたしが目をつけたのはソフトウェアのダウンロードサイト、Vectorだった。今でいうApp StoreやGoogle Playみたいなものである。それのもう少し野良感の強いイメージ?である。
Vectorでは、ソフトを作って登録した人に5メガの広告なしのWEBスペースを提供するサービスがあった。
というわけで、わたしはソフトを作ることにした。
ソフトを作るには、まずプログラミングをやらねばならない。何の言語を使おうか。
これは最近だと逆に説明が簡単になっているが、野田ゲー(マヂカルラブリーの野田クリスタルが作ったゲームの総称)に使用されているインタープリター言語であるHSP(Hot Soup Processor)を使うことにした。
HSPで頑張ってソフトを作り、もうほんとうにそれこそ黒歴史みたいなソフトを作って、Vectorに登録した。
5メガのスペースを得た。
「…で?」
である。
「…で?」が発動して、わたしは無料の広告なしWEBスペースを手に入れることが目的であって、そこで何かを表現するとか、流し込むということには、まったくといっていいほど興味がなかったことに気づいた。
今にして思えば、単純に書くとか表すということへの水位が高くて、さまざまなものが水没している状態だった。
書きたいことを好きに書けば(この言葉に多分に誤解が含まれるのを承知で、いったんは書いておく)よかったのだ。
ただし、そうやって好きに書くということは、自分自身の整合性を打ち崩すものとなる。なぜ書けないかといえば、自分自身のバランス、自分自身のこうでありたい、こう見られたいといったバランスを裏切られたり汚されたくない(特に自分自身には)気持ちがある。
わたしはこれのことを「ジェンガ」と呼んでいるが、好きに書いていくと、だんだんジェンガになってくる。整合性がだんだんななめってきて、今にも崩れそうになってくる。
おそらく自分の思い込みなのはわかる。だけど、あまりにもバランスが悪い。これなら崩して(消して)やり直したほうが早くないか?と思い始める。
たぶん、ある程度の量を読んだり、自分自身の位置を把握して書く姿勢を確保しないと、ずっと不安定な書きくちで文章を綴って、一生ジェンガに悩まされるものなのだと思う。
それは文章表現に対する背伸びが似合わないという意味で、無理をしている場合もあるけれども、もっと根本的に、どれが背伸びで、どれが地にかかとがついている状態か、自分では判断つかない状態なのが問題なのだと思う。
そして、これにはある種の他者感覚というか、空間認知能力とかリズム感が要求される気がする。
それらによって、書くものが自然と(空間認知やリズムによる拘りによって)統御され、また内容的にも、自己モニタリング的に、自己保存的に、書くべきことやそうではないことなどを自然に、踏み外さないように、あるいはあえて踏み外すようにして書き綴り、更にはそれを消さずに残すための安定性が確保されるのだと思う。
そういう意味では、わたしはあるトーンである期間書くことはできるが、途中で疲れてきて、すべてを投げ出してしまうことが非常に多い。ほとんどはそれで、それしかないと言っても過言ではない。
もう8時か、やべー
(つづく? いつになったら詩にたどりつくのか…)
【書いているうちに使わなくなった箇所 1】
だから、わたしは構造に忠実なマークアップを行うHTMLと、見映えでガンガンいくウェーイ系HTMLのはざまでずっと揺れ動いていた感じだった。
あとは「HTMLとは…」「インターネットとは…」「WEBとは…」みたいなところを読んでいく
たぶんケータイとかから入ってくる人はヤプースとか魔法のiらんどのほうから流入してきていたのだと思う。
みんなHTMLやCSSでなんとかして広告を追いやれないか腐心していたし、また、CSSのfon-size:8ptなどを駆使し、小さい字で表示するのが好きな人が多かった気がする。
font指定ではOsakaあたりを指定していたり。
IFRAMEで小さい空間を区切って、その中に小さい文字で日記を書いたり。
当時はロモが流行っていたり、あとは走査線の入ったような加工が流行っていたので、そういった写真をIFRAMEのフレームの外側にbackground-attachment:fixedで画像を固定したりする人が多かった。
あとはカーソルを注射器にしたりしてる人も多かったし、スクロールバーの輪郭を1pxの黒い線にして、面を真っ白にして、Windows特有のUIの立体感というか、ベゼル感を消してのっぺりさせたりする人が多かった。
その流れでデスクトップもカスタマイズしたりする人が多かった。
いや、ここまでくるとわたしの話である。
窓の手や、なんかもういっこカスタマイズのソフトがあった気がするのだが忘れてしまった。
【書いているうちに使わなくなった箇所 2】
このころはソーテックとかの頃だろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?