日記メモ3

あさ。歌壇4月号をよみつつ、SPY FAMILYの4話とビスクドール8話を見つつコーヒーでエレガント力を養ってるます。
歌壇4月号は特集に「独りよがり? 謎のある歌? それを分けるもの」というのがあって、それ(表紙)を葉ね文庫のTwitterで見かけてぽちったのが昨晩とどいたのを今朝ポストに取りにいったら雨が降っていた。
総論の部分で詩客の短歌時評が参照されてたりして久々に詩客を見にいったり「そういや新次元はどうしてるのかな」と見にいったら5月1日現在、更新はまだっぽい。

独りよがりには、喰らいつけるサービス精神というか、そういうのがある気がするが、それはいいのか?という話もある。というか、もうサービスや気配りは諦めたほうがいいのではないか、人生の尺的に?
保存性を高めるために水分を飛ばすのが自分に向いているのか、という意味ではもう石板に彫ったりしない時代の人間はある意味でとても未来を信じてるとも言えるし、諦めてるとも言える。
世界哲学史にあの絵文字、なんていったか、ヒエロニムスじゃなくて、あれである。あれ。ヒエロニムス…、あかん、でてこん
あれ
まじででない
やばい
あれ
ピク…
ピクピクマンホール
(エジプト 文字で検索)
ヒエログリフですね、ヒエログリフとかは博物館が火事になった時に石板に焼きが入って余計頑丈になったとか書いてあって笑ったが、ポンペイの人は死んでしまったし、まあ私もいうてるまに死ぬんですが、けれどもほぼ日手帳の箱にあった箴言みたいなやつによると「応急処置みたいなものばかり求めようとするのかね? たったの1年でさえ365日もあるというのに」というのが書いてあって、煮詰めるために頑張ってみてもいいのかもしれないとも思わされる。

ただ自分はもう少し、クロニクル昇天したいというか、見ているもの(選び取った属性情報)と共にそのまま昇天していきたいという欲がある。
というか、今の人はみんな「動物化するポストモダン」の図みたいに、私が属性を消費しながらそのまま天使の輪っかがついたまま上昇してチーンとなっていく生き方なので、その射程を広角にしてまで今自分じゃないと思うような表現をしてどうするのか?とは思うし、そもそもそこまで選べるまでの言葉の使い方を自分ができるともおもえない。広角にしたり、魚眼にしたりするのはテクや高い別売りのレンズがいりますので、基本みんな肉眼でマクロに寄るのでいきおい「独りよがり」になりがちなのでは。
あとさっきコボちゃんがTwitterでバズってたけど、オチの意味がわからないという返信がけっこうあって、意味というか総体的な雰囲気とかぱっと見とか最終的に意味がわからなくてもいいぐらいでいいとか、つどつどでわかり具合を諦めるというか、「オッケーブラザー意味はよくわからないが気合いは伝わった」ぐらいのコミュニケーションが言葉だけの場合には特に重要で、もうみんなテレパシー使ってるぐらいでテレパシーじゃしょうがないかぁぐらいの鷹揚さと気合いが伝わるかが重要である。気合いは思い込みではなく、基本よくわからないが伝わったぜ、という親指をグッとやるのがいいのではないか

ブラックジャックの「シャチの詩」みたいに読者にお百度を踏みながらさんごのかけらとか真珠みたいなものを咥えて小さな入江に散らせて死んでいってるのが今のブログとか日記表現に近いのかなと思う。
そこにいいねがつくとちょっとは嬉しいけど、最終的にはチーンとなり、ブラックジャックがピノコに「これで話は終わりだ」と話しかけて物語が終わる。

‘そうか、作品によっては必ず細部までわかるとは限らないんだ…

ビスクドール11話

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