本のメモなど 7/1

関係性の裏側に張り付くということ
置き手紙(非同期の通信記録)の中に関係性を見出し、その関係性の裏に隠れて、身体性の伴わない"ごまめ"(関西の方言)的な存在として、インターネット上のサイトを巡ること。
(今だと、もうサイトっていうか、「プラットフォーム」とか「SNSのタイムライン」を眺める、といったほうが適当なのかもしれない)
このような、自らの非対称性は、他者から与えられるものではない。
(いや、そうでもないかもしれない)
"想像の読者共同体"(福間良明『「働く青年」と教養の文化史』から)の中での、自分自身の意識の規定。
この意識の規定のぐらつきによって、想像の共同体の中で、曖昧に存在することができる。また、意識の規定の意識的な操作(ややこしい…)によって、流動的で、心理的な自由とか安定を得ることができる。
簡単にいえば、インターネット上にロールモデル、目標、憧れを見出すこともできるし、また、それになろうとすることもできる。黙って見ていることもできる。そういう立ち位置を定めないあり方ができる。極めてリアルな書簡のやりとりを、同一化して、またひとごととして、逐次(?)読むことができる。

私の場合、ネットのBBSでひっそりとやりとりされていた
先輩と後輩らしき(関係性を模した)人たちの書き込みが、今もネット上で書き込みするときのロールモデルとなっているように思う。
また、意識や、書き込むべき水準というのも、ネット上のモヒカン族(昔のネットスラング)や2chの「半年ROMってろ」のようなものによって規定されている気がする。

ロールモデルを見出す場合、インターネット上のやりとりのおもしろさによって興味を持ち、その背景にある膨大な知識を推しはかり「俺には無理だ」となってから、また、自身を振り返り、自分なりの生き方をトボトボと実践することになる。

そこでは当然、人それぞれの歴史、身体性や体力、興味や関心、地理的、経済的、社会的な条件のあるものとして、自分なりの人生を送ることしかできない。

一瞬だけ、言葉だけの世界(もしくは情報の世界。今では画像も映像も音も十分に楽しめるから。情報の内容=コンテンツも豊富にあるし、それを支える帯域もあるけれども)(簡単に言えば、制約をある程度忘れさせてくれる便利な装置)で、体の場所や重さ、その体が持つ社会的な意味などをひととき失うことができても、一生続くわけではない。意識は途切れる。席は立つし、顔はあげるし、トイレだって行く。電話だってかかってくるだろうし、ペットも鳴く。




(過去形ではなく、現在進行形なのだが、肌感覚としてはもう過去形だなぁって感じがする)←これ、なんのことを言ってるのかよくわからない

で、結局、この体を引き取るペースが、ここ最近、減ったのか増えたのかがよくわからなくなっている。
私の感覚では明らかに「減っている」のだが、スマホの普及などによって、現実的には逆に「増えている」とも言える。体が衰えて、依存度は上がっている。更に衰えると、これらの媒体を操作し、能動的に繋がること自体が難しくなっていく。そしてその時点で、私が社会だとか世間?だとか思ってた、思い知らされていたものから事実上切り離されることになる。
ただ、そこからは新しい関係性が始まるのかもしれず、未だ見えていない(無い)だけで、自分の体がそういう状態になったとき、そこにはまた人間がいて、その人間やかれらの操る機器はネットでさまざまなものに繋がっていて…という関係性に置き換わっていくのだとは思う。
そこでわたしはいちいち代筆とか口述筆記とか頼んでまでネットに居ようとするだろうか?

私は昔ほど、それほど、ネットに依存しなくなった。惑溺とか、耽溺とかと言ってもいいのかもしれない。
「もっとふつうに」ネットを利用するようになった。
わたしは昔より簡単にクレカ情報を入れるようになったし、ひきこもりの頃よりは可処分所得が増えたから、簡単にポチるようになった。
所有権のない権利だけのコンテンツ(サブスク)にもいつの間にか順応してしまった。
見れなくなってる、聞けなくなってる、といってもそれは「権利関係の更新を失敗したかな?」程度で、またいつか巡ってくるものだとおもっている。歳月になってしまっている。

社会的なインフラとして、ネットが全面に押し出されてきた事もあるだろうし、昔から情報通信技術というのは人類の夢みたいなものだったから、まあ今はめっちゃ叶ってる状態なのだとは思う。



ネットにおいて、個人が見えるのに見えづらくなったと感じる。

個人が見えるのに見えづらい、とはどういうことだろうか。
書いてみて、うーん
どういうことなのだろうと考えてみると、今は、アカウントを見ても、「この人」というよりは「こういう感じの人かー」みたいに感じられて、その人の脳が作り出すコンテンツへの理解も、プラットフォームの形式に則った表示形式で行われるようになった。つまり額縁が決まっている中に、音や映像がはまりこんでいる。昔は、額縁、つまりサイトの構成や色使い、構造などがサイト作成者に委ねられていたため、その人の作った迷路というか、構造の自己表現の中でコンテンツを読むことが多かったため、その人の構造の中で彷徨う時間が俄然長かったから、「この人」ってなりやすかったのかもしれない。
「脳が実現するイメージ」をHTMLやJPGやなんやに落とし込んでハイパーリンクで繋いでいく過程というものに価値を見出すと、こういう考え方になる。でもそれも、サイレント映画の活弁士(この言い方で合ってる?)や漫画の版を削ってた人たちのようなものかもしれない。
"コンテンツ"って言ったとき、どこまでをとるかみたいな話で、まあ別に昔の人(この"昔"はインターネット老人会ぐらいの昔)だって別にこの仕切り線を見よ!とか思ってたわけじゃなくて、ふつうに文字情報や画像を見てほしかったわけで。でも、それらを構成する素材にどうしようもなくその人がにじみ出てしまうというのもあった。
サイトを見ながら「ああ、こういうありあわせの"素材"を使っちゃうのね」とかNEW!のチカチカする画像とか、使っちゃうのかとか。
マーキーは最初楽しいけどHTMLの理念からは外れてるからあんま使わないほうがいいとか、そうやって原理主義的になっていったりとか、、、
そして結局肝心のコンテンツはないという。それが私だった。



とはいえまあ、昔でも、パッと見で「ああ、こういう感じのサイトね」という見切りもあったかもしれないけれども、今ほど永遠のような、時間軸やアルゴリズムによって動的に生成され続けるタイムラインを眺めるような体験はなかった。

そもそも昔のサイトで、個人がビュー数を増やそうとすると、どうしても同一クラスタ上のウェブリングや登録制の何らかのサービスに登録し、バナーを置いて、登録順での「隣のサイト」とか「前のサイト」とかランダムなサイトに訪問し、その内容や構成、BBSでのやりとりなどの如何によって(もちろん自分自身のレベルや、それを乗り越えるほどの憧れなど)、総合的な判断をくだして「相互リンクしませんか?」と声をかけていたのだ…と思う。自信なくなってきた。
Yahoo!もまだ申請制で、ロボットも幾らか稼働してた気もする。
Googleがあの味気ないけどとんでもないスピード(今は当たり前の)で検索結果を出してくることにもなんかちょっとした抵抗を感じつつもYahooのバタ臭さにもなんだかなーみたいなところがあって、Googleはある意味検索という結果を素早く出すのだから、当時はちょっと気味が悪いけど機能は申し分ない、インターネットを体現してる検索サイトって感じだった、個人的には。



(相互リンクは)わたしもやっていた記憶はあるが、そこまで活発にやれていた記憶はない。WebRingは結局臆してやらなかった気がする。リスト化されて前後関係や両隣といった関係ができることでご近所づきあいに緊張&気疲れしてしまったり、そもそもタグを埋め込みに失敗したら怒られるかもしれないとか、そういう恐怖でやらなかった気がする。
めんどくささと怖さ。
昔から、わたしはネットでも人に声をかけるのは苦手だ。現実でもネットでもそのへんは変わらない。
ただ、ネット上で、ひとりでこうやって書きつけるのは現実とは全っ然ちがう。
現実ではほとんど喋らないからくちくっさくさい。
噎 せ る
とりあえず仕事(7/1朝一気に書いた)

(9/18-9/20 読み直して追記とかして投稿)



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