すっぽ抜け詩のすすめ(仮)
「詩のようなもの」を書いてきたわたしのこと。
四十一歳のわたし。二十歳のころから詩のようなものを書いてきて、詩なんか書けた気がしなかった。皆はいつも合評会にちゃんと詩を書いて持ってきていたのに、わたしは一度として詩を持って行ったためしがなかった。時間いっぱいまで書いた、穴ぼこだらけで足跡だらけの、すっぽ抜けたような、とても「わたしが書きました」と言えないような「恥部」のようなそれを、皆と会うため?だけに、毎月、性懲りもせず持ち寄っていた。
そのすっぽ抜けた言葉たちを、もう詩として肯定してしまおうという魂胆で書き始めている気がする。これは自分が詩集を書くために必要な流れであり、前提。
わたしが書くものは、いつもどこかが必ずすっぽ抜けている。詩を書く人たちの世代・年齢のばらつきや社会的階層の多様さ、あえて言えば、そのなかにみられる、ある種のよわさ、屈折、やまいのにおいや有閑、定年、マンスプ、マウント、暴露のための虚、実存への渇望などさまざまに加味してみても、それとはまた違う「わかってなさ」が、わたし自身や、わたし自身が書くものから取り払えない。
つけこまれるような、隙、セキュリティホールがある。軽率、迂闊、脆弱性。ヴァルネラビリティー〔もろさ、つつかれやすさ。かっこいい響きなので使っている〕は、わたしに一生つきまとう性質なのだと、つくづくおもう。だれにでもない気遣いにほとほと疲れきってしまい、ブレーカーが落ちるようにひとときれ、そして、だれも見も、知りもしないまま、誰かの手におちてしまう。いつもそして恨みだけがのこる。
「よく見ていないこと」「よく見ていなかったこと」は、ときどき優位になる。人を振るときにとことん冷たい。興味がない。
書くと、わたしが何か言ってるようにみえる。その効能で、わたしもいくらか人間のほうへと引き寄せられる。ひととのつながりという意味ではなく、自分が人間というふわっとした概念につながる気がする。
どれだけ嫌いな人のこともよく見ていないし、憶えていない。ポチ電の暗い部屋のいやな時間、いやなにおい、いやなやつの逆光の暗い顔、角膜が曇りそうな距離の吐息、ほとんどの時間を早く過ぎれとしか思ってこなかった。
約十年。約十年、忍従し、ひとりの人間に大本営発表をしまくって、そいつの心を少しずつ島流しにしていった。武勇伝だ。少しずつ、バス停をずらしていったのだ。人間として、まっとうに反射すべき鏡としての役割を果たさずに、嘘の反応をつきまくって、うまくいっていると思わせて、断絶した。
三十代の十年、もったいなかったな、とおもう。四十代でもうボケはじめている。昨日のことをほとんど覚えていない。脳が縮んだのかと思う。
不感症になってしまったかもしれない。殴られたりした日や回数を憶えておいて金を毟ろうとも考えなかった。同じ職場だったが、同じ時間働いたあと、さらに働きにだされ、一日三十六時間ぐらい働かされていた。
そのお金でコンドームを買わされた。そして、その仕事(サンドイッチ工場)の夜勤の日払いの六千円のうち、四割を俺がとるといって四千円取られていた。心の中では(あ、こいつバカだ)と思っていたが、金は払っていた。
ずっとへいこらして、そうですねと答えつづけて、そうではないこともそうですねと答えて、ずれていくさまを無表情で見ていた。そしてまったく見ていなかった。
もう顔も記憶もまったくない。旅行や店もいろいろ行った気がするが、あれは旅行に入ってない。とっとと死ねとしか思ってこなかった。
漫画『凪のお暇』の一巻あたりの流れの恨みしかのこらないバージョンみたいなものかもしれない。あるいは漫画『恋のツキ』のふうくん(だったか)を振るときの、次の彼氏がいないバージョンみたいなものかもしれない。
しかも、それの同性の場合と考えてもらえるとわかりやすいのかもしれない。簡単にいえば軟禁? マインドコントロール?
当たり前だが、漫画のように、相手側の理屈や生きづらさがフィーチャーされるターンなど、わたしの人生には存在しないのだ。ああいう漫画は序盤は「わたしだわ〜」ってなるが、途中からファンタジーになる。たぶん分かれ目はふつうに暴力とか犯罪なのだとおもう。あとは相手側のいきさつの説明。それと「まとめようとする」圧力のようなものがほとんどの作品には掛かっていて、それは白けるのだ。綴じないのはたぶん話じゃないから、おもしろくないけど、リアルなときがある。それがホッとすることもある。
痛みを感じる話や、救いようのない話が読みたいわけじゃない。
攻撃的な告発を安全装置が少し足りないまま書くことができるのは、わたしが見たり知ったりできない性能によるものだろうとおもう。いつまでも、ものごとのささいな綾や細部が読み込めないまま、大掴みにおかれるからこそ、ぶざまに許された無風のそこで、誰にも触れられないまま死んでしまう気がしている。
多角的にみたときの自重自縛には罹らないが、かといって何かが起こるわけでもない。昔からスレストッパーだった。何か書くと流れが止まってしまうのだ。根っからの隙自語なのかもしれない。
急にネットの話をする。
非同期的であり、時間的制約を超えた置き手紙のようなもの、つまりわたしはインターネットのBBS機能のやりとりを陰でよみながら、その人物の代理のような気分でメッセージを受け取りながら、あこがれやロールモデルを形成してきたから、インターネットやメールで届くものや知るものこそが、わたしにとって、もっともゆっくりと、おだやかに誰かを知ったり感じ取ったりするツールだった。弟に届いた手紙を、やさがししてこっそり何度も読み直すようなことをしながら、わたしはことばをおぼえていった。昔のお城のお姫さんとかが手紙だけで婚約者に恋焦がれてるような、そんな感じだったかもしれない。おきゃんでうぶでねんねではすっぱでみざんとろーぷだった。だからそういうひととは少し共鳴しやすいのかもしれない。
インターネットによって(情報については)時間や距離の制約がかなりの程度取り払われた。効率化。これは若者にとってモラトリアムの過ごし方の一つとなった。また、それ以上の世代、社会生活を送る人々にとっても同様に、情報発信や取得の場となった。ただ、勤労青年のおかれた状況、文学的なくすぶりや奨励会的なもの(将棋の奨励会には年齢制限があり、もちろん文学にはそんなものない。やめるかつづけるかは、忙しいか暇か、それでもやるかやらないか、といった個々の決めることである。下火になったり人生の出来事や満足や諦念や成仏によって、百万回生きた猫のようにおだやかに死んでしまう文学的生命…いやいやいや、そんなんで死ぬんやったら、ほななんやってんな、今まで⁉︎的な文学的動機も、あることにはあるだろう)からはじかれた人間、つまり事実上文学活動から疎外されていた勤労青年の業余を拡大させた(じっさいは拡大したのではなく、こと情報において時間をきわめて効率的に使えるようになったので「これだったらやれる気がした」のかもしれない)。
かれらが活動をリブートあるいは活性化させることで、二十世紀末〜今世紀初頭にかけて、インターネット上の詩の投稿サイトというものは勃興したのだと、わたしは(←ここ大事)考えている。ただし、パソコン通信からの移行組みとか両方掛け持ちしていたような人もいるだろうから、そのような人にとっては移動とか継続というニュアンスをもったのかもしれない。
ただ、わたしはパソコン通信をまったく知らないため、詳しいことはわからない(どなたかそのあたりのニュアンスや流れ、感覚を教えていただければ幸いです)。
インターネット上の詩は個々のウェブサイトで発表されていたものもあるが、先に述べた彼らの拵えた「場」に集合した作品群、作者群もあった。そこからさらに分派して、気の合うものでまたサイトを立ち上げるような動きもみられた。活動のさなかで、ある疑問が芽生えてくる。紙に載っているような詩と同じぐらいよいものがここにあるのでは? なぜこっちの詩が紙に載っていなくて、あっちのくそみてえな詩が紙に堂々と載っているのか? という疑問。バトル勃発である。「紙媒体対ネット」という(仮構的)対立を設定することもあったり、賞レース、批評やキュレーション、マネタイズに向けた取り組みなどもあったような気がする。ただなんとなくこれらの運動を行ったひとたちは気炎を吐いているようにみえながら、よくもあしくも「おとな」にみえた。まあ書いているものもよく本を読む人だから、ポーズのようにも見えるしで、なんか最初からネットでできることの限界や、この対立軸そのものが無効であることもわかってるような雰囲気があった。真剣でありながら、どこかよたっているようなところがあった。完全に個人の「なんとなくのイメージ」だが。パトレイバーの後藤、恋は雨上がりのようにの近藤、風の谷のナウシカのクロトワ…、なんかそんな感じのイメージ。わかるだろうか?わからない?
なんか冴えないタイプのふたえのおじさんである。こういう人は本も意外とよんでてスポーツも意外とやってて意外と人生いろいろあったタイプである。この意外性三つが集まるとセックスがうまい気がする。なんかあのへんのひとらはセックスがうまそうである。そういえばルッキズム的なものも一部あったな、かっこよくなければ(モテなきゃ)詩人じゃないみたいなノリ。あれもなんか小山田圭吾的な、サブカル雑誌のなかのいきりというか、陽キャみたいな、まあつまり詩の世界なら王になれる!みたいな感じのもあった。さっきセックスがうまい気がするって書いたけど、あんなの全然書かなくていいのに、こういうのをいちいち書くのもそのノリの残滓な気がするので、結構根深い。全然書かなくていいことを書いてしまうという問題は根が深い。
わたしはじっさいに何が行われていたのかを知らない。場を作った人たちが、どういう人だったのかも知らない。案外ガチだったのかもしれない。とにかく、みえるもの、顕在化しているものだけをうしろからずっと読んできたのだ(ただ、現代詩フォーラム二十周年同窓会の時、管理人の片野さんに「ネット詩爆撃プロジェクトってどうだったんですか?」と尋ねたら「出た。黒歴史」と苦笑されていた。わたしが知っている唯一の証言はそれだけ)。
また、わたしの話に戻る。
こどもが浅い、のどかな川に、石囲いをつくり、ぞうりで川面を踏み荒らし、ねらいどおり浅瀬の行き止まりへとおいこむ。手に握られたオイカワ。日差しにキラキラしている。水を入れたプラスチックの虫かご。少し斜めに浮きかけたと思うと、串が通ったように息を吹き返し再起動する。何度か素早く、こつこつと往復したあと、なすすべなくひれと鰓だけを微かに動かしながらひくくにとどまる。草の上におかれたぬるい虫カゴの中。あそびに飽きるまで生きていられれば、自転車の前カゴの振動や衝撃に耐えれば、大きく冷ややかな水槽が待っている。そんな一縷のなかでずっと生きていたような気もする。そうして、何もやってこなかったような気もする。
仲間が何人かいて、いっしょに泳いでいても、気がつけば誰かがこどもになっていて、わたしは魚役になっているのだった。それを繰り返すうち、わたしは次第にこんなふうにしか生きれなくなったのかもしれない。
いそいで言い添えておくと、わたしは身長百六十センチのおっさんである。たぶんひじょうに口が臭く、目線がすぐ女性の胸元にいき、禿げかけていて、いつも挙動不審の人物である。若いカップルや女子高生とすれ違ったり、ポルタ(京都駅の地下)を歩いたりすると、防御創ができてしまう。
わたしの境界知能的だったり、むっつりだったり、発達障害的傾向による親子関係の不全や不良やがたぴし、つまり互いに手を伸ばしたり、つかんだり、ひろったりすることができず、わたしはうけとるのがへたで、相手はわたす工夫をすることができなかったまま、わたしはここまで生きてきてしまった気がする。いつか「(あなたの親は)毒親なの?」と訊かれたとき、濁して答えきれなかったけれど、よくよく考えてみると、出てくる答えはこんなもんだった。あたりまえだが、ほとんど誰も悪くなく、ほとんどは初期位置があまりよくないとか、ツバメが巣のどの位置で卵が割れると餌をたくさんもらえるかとか、その個体がどれだけ餌をねだるバイタリティがあるかの相関であって、人間においても、係数がいくら多かろうと、基本はそれなのだと思う。
人間のもつ係数の多さによって、乗数によってハネる確率は動物の比ではないのかもしれない。ただ、どんなにひとりの人間が頑張っても、人生の宝箱回収率は1%も満たないだろう。結局こちら側で枠を決めそこで充足を求めなければ、世界や自然や他者のいう「宝」から欲望を剪定していかなければ、どうにもこうにも無常で荒涼とした世界観からは抜け出しようがない。
ただ、もう、モノとかコトとか家族とかおべんちゃらとか演技とかマインドセットとかで充足することも既に不可能。
基本的には「あんなところからスタートしたわりに、そこそこいけたよな」みたいな感じでしか、わたしは走る力を捻出できない。そしてそれ(あんなところ)もボケて忘れ始めている。私は毎回ひじょうに遅れて、焦りで走って十人並みを取り戻すのくり返しで生きてきた。走ってるときの速度で人間にみえることもあったかもしれない。でももう走るのも疲れたー。
回避性人格障害や社交不安障害など、さまざまな病名を考え、さまざまにナラティブを考えたが、結局のところ空漠しかなく、わたしが親にもらったのは大きな空白、空っぽのようなものだけだった。
少しずつ衰えてはいるものの、いまだに女性への被害/加害恐怖と劣情、それを意識してしまったが故の視線恐怖による失敗の連続、それと、男性に限らない居合わせたときの眼光への弱さや隙、軽はずみ、突つかれやすさ(ヴァルネラビリティー)によって、わたしはこのような、警戒感があるのかないのかわからない、軽いのかも重いのかもわからない、おかしな人間へと変形してしまった。認知は歪み、すぐに横倒しにした円錐の底から中に入り込むようにして思い込みの世界に囚われ、身をよじっていってしまう。
更にこれから、わたしは加齢によって、単なるセクハラ視線をもった睥睨クソオヤジの肉塊のなかに埋もれていくだろうから、そのまえに、途切れゆく意識の中で、なにか必死で手をのばしているのかもしれない。誤解をとくようなしぐさで、いいたいことがあるのかもしれない。
たぶん、詩の話。詩→お笑い→合評→言葉の自立性
先に述べた性向や事情によって、わたしは詩というものにおいても、結局パーティーグッズのクラッカーのような円錐の中にねじりこんでいってしまい、胸臆の、認知のゆがみによって加工された世界が、それこそ管見で臆見な世界が「配管」を通り、ねじくれ、こじれ、煮くずれて、それが素材となって、次々に現れてくる。
それらを再構成しようと取り組んでは、放棄したり、逆にこれでいいじゃんなどの楽観、その時々の激しく滅裂した思考の雲間が急に晴れると、やけに勇んで、たたんでいた思いつきや閃きを悉皆蘇生させようと躍起になるも、やがて途中でくたばって、さばいた魚のはらわたを用水路に流すように日記の余白にフローしてしまう、だから、完成することもなく(その行為が)終わることもない。言葉を作品として棹をさし、時間性を超えることがほとんどない。これはめずらしく踏ん張って書いてるほうだが、もう増改築、いちじるしく、そろそろ諦めるかもしれん。
そんな表現を、それと自覚しながら、身ひとつで押し出していく行為。これは、わたしにとって「お笑い」のようであり「芸人」のようである。違いといえば、その身がその場にないことであり、いずれその身のほうがなくなるということである。その身がその場にあるというのはとても重要なことです。
そしてその身がその場にないということは宛もなく遠投です。
ただし、映画やラジオやテレビが出てからというもの、その場にその身があるひとでも、遠投になりつつあり。ただ、個人のひそかにやることは、ほんとうに、果ての果てまでいって受け取り手がまったくつかないということが十分に考えられます。だから、預ける場所にはとても気を払います。
じゃあ、わたしにとって、詩とは、ヴァルネラビリティーを全面に押し出していく芸人的行為(ただし本人は出演しない)ということになるだろうか? もっというと自虐?
もちろん、そんな詩は、わたしの体がなければ自立できない。スタンドがないと、パタンと倒れてしまう。なさけないみじめなものである。
このような、なさけなさやみじめさの告発を封じる、言論封殺のための「わたし」たちが居並ぶから、合評会というものはなんとかもつのだ。皆が互いに(表現者としてひととして)脛に傷を持つ身であり、あるいは生活に飽き足りない者であるからこそ、お互いに讃えあい、鼓舞しあい、慰め合いながら、なんとか精進して書き・生き続ける意志を保ち続けようとするのだろう。それぞれの表現の再確認の場として、漸進的に、趣味的に、実存的に。届くかどうか(どこへ?)は別として、目的は違えど、それぞれは必ずいちおうは進んでいく。進んでいけば、多分、どこかに出る。そういうふうに思うしかないし、書くしかない。
わたしたちは互いに作品として認める体裁をとりながら、互いの心理的な天候をよみといて、ああ私は晴れにみえるけれども、このひとには雨が降っているのだなーみたいに理解し、その認識をほぐすように、寄り添うようして進めていく。そして、持ち時間がおわると、作品として、その箱を、その窓を、しめる。その人の作家の時間と、適度に外部化された胸臆のリフレクションや整理が終わり、互助的な治癒や充足、所属化が漸進的にすすめられていく。これを誰かが治療と呼び習わしてくれても、結構。いっこうに構わないのかもしれないが、もう少し手前で、活動というほうが正確だし、わたしたちの、始めるときのスタンスにも見合うのだろう。そうお願いしたい。
もちろんフィードバックとして受け止めたり、誤読された箇所の精度を上げたり、添削して高めていくことも可能だが、わざわざそれをやるような行き先があるかを、先に確認しておくべきだろう。刹那的に記念碑的に、もうそれはそこで終わったものとして取り扱うか、もし書くならば一からリライトしたほうがてっとり早いかもしれない。その場でうけたアドバイスや指導が正しいともかぎらないし、とくに今の詩は、達成・実現とか、うまくなるとか、もっと上、ハイヤーザンハイヤー、絵にし手にし上に、とかいう客観的ななにかがあるわけでもないので、自分で打ち止めするしかないような気もする。その、どっちの詩(近代詩のような枠のようなものが相手側に漠然とあり選語や語順や韻律のまずさを客観的に指摘されたいのか、それとも現代詩的ななんでもありななかでそのウケ量や痛み量やわかり度やあるある感を客観的に知りたいのか、ただ単に、…いや、もうなんか…すごいっすね…いいっすね! と言えばいいのか)を求めているかによって、空気をよんで、話し方も変えるべきだろう。そういうのをけっきょく地蔵盆とか親戚の寄り合いみたいでなんか退屈だ、なんかちがうな…とおもうか、これはいいものだと思うかによって、その先の進むべき道も変わってくるだろう。自分の所属をもつということの嬉しさとか、その空疎さ、飽き足りなさ、その中でのトガりまくりやイキりまくりの黒歴史化など、いろんな人生がある。どれだけジタバタしたって、自分の身体があり人生があって、死があって、まあなんにせよ、いろんな人生があるしかない。
互いに、この身体や、この「わたし」がなければ直ちにパタンと倒れてしまう表現を持ち寄り、互いに支え合う。いや、どれだけ多くのひとに「良い」と認められたものであっても、それって結局参照項が多いだけだし、誰にも読まれないときには、どこかでパタンと倒れているのだと思う。大道具の暗い倉庫に置かれているのだと思う。ほとんどの言葉は使われてないあいだは絶対に平等に死蔵されている。参照頻度の多さのことを「よさ」と言ったりするのかも。ただ、その「よさ」も、言ったって、戦後のインテリ詩人の寄り合いが作った詩誌の中でのジャーナリスティックで人工的なものが連綿と生き長らえているだけだから、基本的には詩の世界は小宇宙みたいなものが乱立しまくっていて、個々の小宇宙ですばらしい!と褒めあえばそこそこいけるみたいなところもあるとおもう。これはこれで悪弊だが、そういうのは俺たちが死んでからの時間やひとがきちんと整理してくれるから、それを待とう(死ぬけどな)。
まあ、生きているあいだにそういうことにいちいち憤慨するのは野暮ってもんだろう。若いうちはいいけれど、ずっとやってると引く。つまりシンプルにいうとあっちがこっちの機知を理解しないのなら、こっちもあっちを理解する義理も必要性もないくらいには、詩というものは相対化されてしまっているのではないか。お互いに「ででたー!◯◯さんの自己増殖する悪夢のような散文詩やー!」みたいなことを言い合っているのを、なまじ文庫とかで出てるからキン肉マンとかジョジョみたいに読み込んで内面化してしまっているだけであって、もうすこしドライに塩対応で読んだほうが詩は逆に沁ゅむんじゃないかとも思う。すべての詩集は半笑いで読むぐらいがちょうどいいのかもしれない。
とはいえ、やっぱりその戦後インテリ詩人のつくった系譜みたいなやつから続いているところのひとが一番客観的にものを読めるのも確かなのだろう。ときどき例外的に在野の人が入ってるようなところもあるが、基本的には総じて「わかってる」人たちが、そういう人たちを選んで、拾い上げて育てていく流れができている気がする。これが現代詩手帖とかで、これはこれでたまにどうしようもないのもある気もするが、なんかそういうのはしつこいひとがお金を払ってむりやり入れてもらってるのかなとも思うけど、もし原稿料払ってるんだとしたらおいおいおいーと思う。
なんかやっぱり思潮社というのはあってほしい存在ではある。あの感じは今の日本においては貴重である。書肆山田も鈴木志郎康さんの詩集を作ったりしてるので貴重である。けどやはり実益ばかり追い求める昨今、詩集の惹句や一節が引用されてても、まじでそれで売れるおもてんのかと内なる浜ちゃんがツッコミを入れてくるので、まったくなにがそんなに値段するのか、価値が感じられない。ほぼ紙と印刷と人件費と流通費と事務手数料と利益しかのってない何かが詩集であり、心情的にも「なんも消費してへんのになんで消費税払わなあかんねん」というのが詩集に対する国民の総意である。
なんかそれはもう、生きてて死んだ人の重さをずっと測ってたら魂の4g分がぬけてちょっと軽くなってたみたいな、そんな話である。ラボアジエの燃焼理論である。作者の詩文は作者の魂分であり、それは庵野さんがいうように0から∞までである。その貴重な詩集をこんなおてごろな値段で販売してくださるなんて…。そうとでも思わないとやってられないような状況、ということである。でも作者は「これは作品であり詩の話者と作者は別人である」みたいなことをワーワーいうわけである。そこでまた浜ちゃんがでてきて「もうええっちゅうねん」とか「どないせえっちゅうねん」とかいって、どついて終わらせる。詩人はいつもシュン、としている
というわけで、自立する表現なんてものはこの世にはおそらくまったく存在しないのだが、ただ、詩は(千里を駆ける馬を見分ける)伯楽じゃなかろうと自立させるぐらいなら、誰にでも可能である。簡単簡単。これは0円のものを1円にするとか、そういうことではない。
ただ、わたしたちは、その「自立させるぐらい」を難しく考えたり(それもまたお互いの作家気分を擽る醍醐味であるが、やりすぎてはいけない)してしまう。何かといえばすぐにわたしたちは腰が引けたり、自分を差し引いて、なにか客観的に、時間性(保存性、ジップロック感、普遍性、射程距離や範囲)や効果、スペック、どれだけ真理やあるあるを的確に射抜いているかを考えようとしてしまう。言葉がどれだけうまく駆動し、引っかかり、ギミックしたりイリュージョンしたり明滅しているか。そうやって考えているときの甘美さも捨てきれない。とても魅力的である。
でも詩集に寄せ書きするやつとかはめっちゃしんどいと思う。もやいとかたのもしこうとか、なんか貧乏長屋の助け合いというか、盛り上げていこうぜ!という感じによって、逆にその寂しさをあおるようなところがある。ちょっと食べるとよけいにお腹が減るみたいなやつである。詩の界隈ではそういうことをよくやりすぎる。全員で帝愛の地下で働いてて全員でTボーンステーキの骨を削って作った1の目しか出ないサイコロでピンゾロを投げまくるようなことをして船出を祝わなければならない。そして、言葉をひりだすようにしてお互いのこぎいでる姿を見送らねばならない。その慣習のようなものに欺瞞を感じてしまったり、素直で正直でありたいと思ったりするけれども、ずっとそのようにあれるほどの腕もつてもない。兵藤とは言わずども、利根川ていどの権力があれば黒服に買わせることができるが、利根川もスピンオフの漫画では中間管理職としてめちゃくちゃ大変そうなので、あれはあれで大変なのだと思う。利根川は人間ができている。
まあ、みんな、なんだかんだいって詩人のマインドセットをもち、詩を書き、詩を読んで何かを思うわけである。そして毎回その心持ちを解放し、リセットしたいとおもいながらしがらみからはなかなか出切らない。出切る必要があるとも思わないが、なんかいちばん自分が自由であるなぁ…とおもえるところまでクラスターを移動できるように書き続けたいよね。ルサンチマンが横溢してにっちもさっちもいかなくなるのも困るけど。まあいずれにせよ、詩人のマインドセットを持ってしまっている。詩人はやっぱり「べき」からは解放されてるべきだよねとは思う。逆にいちいちスタンス気にせずふつうに詩を書いて勉強してわーいっていう市井の人が最強だなぁ、バランスだとおもおいます。
そうしたものを割とガチで吟味しようとするときに立ち現れる、あまりよろしくないあほで傲慢な批評家的な価値観や志向性、それらが照らし返してくるものは、結局権威主義や狭いジャーナリスティックでマイナーな事件やちまちました歴史を、通るべき道として絶対視するような態度とか、真理に到達しているかをやたらめったら規定しようとする、ものさしをあてるような態度が、それぞれの身体と、身体が表現した「なにか」を持ち寄った貴重なかぎられた空間というものを、見下したり、まったくくそみたいにつまらないものだと、ひとに判断させてしまう(それはただちに自らのよわさでもあるのに!)。つまり、この会場を借りるのがなんぼすんねんとか、借りるためのモチベーションやビジョンやパーパスをどう考えとんのか貴様、なめんな自分で会場かりてみろやぼけ、というわけですね? という感じで、だんだんとイザコザや内ゲバが勃発していく。
…そうして、詩というものが誰にでも書けるし、誰でも読める(蘇生させ、自立させられる)という事実は、つねに蔑ろにされ、忘却される。ただし「これは違う」と思うのはごく自然なことであって、それによってひとは常に位相やクラスター、場所を移動していく。出会いと別れがある。プライベートの事件、ライフステージの移行、事故病気、膝がちょっと、とかなんかいろいろある。
そのような場に居続けながら、地縛霊のように「違う」とか「俺だけは知ってる」みたいに言い続けるのはなんだか健康にわるいというか、からだに障りますよ、とは思う。もうそういうのはとりあえず原稿に起こして、然るべき機関(知らん、霞ヶ関とかペンタゴンとか成田さんのツイッターのDMとかか?)に持ち込んだほうがよいのだと思う。それで相手にされない感をうすうす自覚しているからそこに居る自分、というものにたいして、シンエヴァンゲリオン的なものを作っていただいたほうが健全な都市の木の苗の発展に寄与するんじゃないかと思う。
これはインターネットを念頭に。長く(時間的距離的制約のない)そこにとどまれて、火の鳥のように(人類の)進化を査定し続けるかのような鳥瞰的視点を疑似的に獲得し、維持する人間に陥りがちな、(しかたのない面はあるにせよ)ひとりひとりの一回性や個別具体性や挑戦や好奇心を頭ごなしに打ち砕くような、ふるめかしいやさしさは、とりもなおさずそこに張り付かざるを得ない自身の現実への直視や、「本物が見たい」という欲求と「もうそんなやつここに来ることはない」という冷笑と開き直りの反復運動に対する自身の内面のコンフリクトへの内省をまったく欠いているか、あるいは極度に欠いている。わざとその内省と行動の蠕動を停止させている。それは、けっきょく誰しもがもつような、うまくいかなさ、ままならなさ、それを予期する怯えからくるものだとわたしは思う。
昔のインターネットに入るときにあった作法、身体性や文脈が洗浄されることやその空間の独自性の把握、儀礼的無関心のようなもの、それらをじゅうぶん踏まえたうえでのステートメントといった、ある種言葉だけの存在となることで無視される属性を計算したり意識して入ってきている人がずいぶん減ってきているのは確かだが、それをいきなりガツーンと殴りつけてしまうのもいかがなものかと思ってしまう。ある意味加速主義なのかもしれないが、もう少しネット詩の世界に個々のクッションや揺籃期があって然るべきだろうとも思う。
価値のあるようにみえるもの、棹さすように時代に残り続けるもの、参照されつづけることで、そのように感じるものもあるようにも思う。叶うならば、それになりたいか、それを記した人間でありたいという欲望。
ツイッターで、犬や猫にとどまらず、自転車のハンドルに鳥がとまってたとか、家のひさしから雪が断続的に落ちるのがダンスダンスレボリューションみたいだって1万いいねもらえたりする。僥倖を待つように、それすら意識しなくなった個々人が手になじんだ媒体で日常を記録し、アカウントに放流する。アカウントとは行き倒れの可視化であり、行き倒れを食い止めるには、SNSという係累を断ち切るか、フィジカルな媒体、本や体などを売買することである。日がな沈黙するようにみえるアカウントの裏で、羨望のみによって駆動され承認欲求を肥大化させるより、自分にとってちょうどいい認められ方や認め方を育んだほうが(これからも人生を生きるんであれば)そのほうがちょっとは楽なのかもしれない。
わたしたちの詩の表現のほとんどは、せめて参照頻度を最大化する機会を設けるためのもっとも適した場所に置かれるだろう。なんらかの抵触が想定のされうるときには、自身が少しマイナーだと感ずる場所に置くだろう(つまり裏垢など)。
一度しかめくられない詩集、合評用に刷ったけど余った自作(力作!)のA4コピー紙、過疎の投稿サイト、note、はてなブログ、ツイッター。
なんとかしてそこから縁や絆を手折りたいと思いながら、そこから手折ってしまっては生き延びることすらできまい。手折りたいと思ってるうちに手向けられ、気づけばいつのまにか抱えきれなくなっている。みみっちいエコシステムにテイムされ、憶えているふりをしつづける。一言一句精魂込めてもお互いが忙しいことに変わりはない。顔でおぼえているしかない。
そのような場にあっても、じゅうぶんに詩を享受し合い、生きることを楽しめる世界もあるように思う。ただ、楽しめない自分もいることも確かだった。自分を棚に上げてまで、いったい何が、わたし自身をゆるさなかったのだろうか。
すっぽ抜け詩の可能性について。代名詞の妻について。
わたしが書くものは、いつもどこかが必ずすっぽ抜けているといった。それは詩の内容ではなく、詩の外縁、もっと単純に、表現のまずさとか筆力と言ったほうがいいかもしれない。
つまり、トーンの不統一、整合性、てにをは、語順、語感、説明不足、私性の過剰、文脈の寸断、欠落、飛躍、散漫さ、多々の息切れや諦めの放置、さらに放置したものへの推敲とくずし、ヨゴシ、詰め過ぎ、造語、固有名詞の多用、照準の甘さ、射程距離の狭さと反比例する孤高気取り、独りよがり…。挙げればきりがない。
ありとあらゆる破綻や失敗や息切れや投げやり、あるいは挫折や放棄をそのまま詰め込んだり、中途半端にやり直しては、また疲れてやめてしまったり。
それでも、書いてさえしまえば、まあまあそれなりに、少なくとも「そこにある」ことにはなる。
詩に、必須のものや最たるものなんてないのだとしても、なにかをとじこめているような、再生を待つ身であるようにおもう。このとじこめに失敗し、再生のままならないもの。それのことをすっぽ抜けと呼んでも構わないかもしれないのだが、少しちがうような気もする。近づき過ぎて視野狭窄によってデッサンが狂ったような、へたくそな絵のようにみえる。ふつうなら(かきつづけたり発表することを)とりやめるような。却下するような。筋悪な。だから、なかなか詩集にも私家版にもフリーペーパーにもZINEにも個人誌にも、まとめようがないまま、こうして日々が過ぎている。
ひとえに「なんとかなる」言葉の性質だけに助けられながらわたしは書いてきた。言葉が社会的なものであるということにもたれかかり、さも人間であるかのように暮らしてきたかのような。集合写真に映る自らの姿にどれほど強烈な違和を憶えても、他人からみたときはそれなりにまずさは隠れてしまうものだと目算し、もたれ、甘えてきた。これは、インターネットで妻あるいは子、と書くとき、男が無意識に最大限に利活用する性質と似ている。言葉の妻、あるいは言葉の子は、写真の妻、写真の子ではない。言葉の彼らは、いつも、終わらない漂着報告をしている。岸にたどりついたぞ、と。ずっと誰かに報告をつづけている。自分自身なのかもしれない。おそらく自身の役目が言葉のうえでは既に終わっていることを自覚しながら、彼らは、報告を止めることができない。そのような人間においては、一意に特定されない状態で、代名詞を所有した自らのみを、愛や感謝をとおしたふりをしながら何度も書き綴るほんとうの意味を、自身の内奥に見つめなおし、再考したほうがよいのではないかと思う。言葉の性質は使いようによって、かくも醜悪になるのだとみていておもう。ただ、それに助けられ、結果的に詩を手段として用いてしまっていることに対し、開き直ったり、ゆるしたりすることができないのだ。いつも、隠す必要のない部分を隠しているような気がするのだ。買ってきた新しいマグカップを映すために、机の周りのものをどけるようなことを、妻や子という言葉を書くときに無自覚にやっていないか、言葉だけで済むそれに、微塵もホッとしていないか。彼女や妻と書くとき、その顔を載せなくてラッキーと、まったく思っていないか。その存在がいる自分のことを、ラッキーだと言いたいだけなのではないか。そもそもそのあいまいな固有性のないしるしや記録は、いったいなんのためにつけているものなのか。そんな中途半端なことならば、やめてしまえ、ともおもう。
つまり、女がいるとは言いたいが、顔はそんなでもないよ、というときに言葉は便利なのだ。そして、それを愛する妻や愛する子に適用しながら、自分自身の報告を止められず、相反する感情を精査せず、開き直りながら、承認を求めながら、外に向かって「気づき」や「ほんとうのこと」として書き綴っているのだ。妻の顔を毎回貼り付けろとは言わないが、自らの排撃を常に感じながら、「これは自分にとってほんとうにほんとうのことなのか」を常に判断して書かないと、そもそも言葉を使う意味や出番が本当にあるのかすら疑わしい謎の評価欲求のみに駆動された自然体を装ったふうの主体が時間を浪費しているだけになる。そんなのは本人に言ってやれよ、という話である。だったら、妻や子に犬の鼻を盛って、キラキラにして、TikTokとかに上げてるほうがまだ健全なのではないだろうか。
ただ、隠す必要のある部分があるような生活を送っているという、摩擦や抵抗のある状況下での記述であることも、時には条件として、ほしい。無風の場所で自由に叫んでも、ひりひりするものが何ひとつない。しかし、結局のところ、自覚とか、ほんとうのことであるかどうかなど、あってもなくてもどちらでも構わないのだろう。こんな小さなところに詩の要諦があるとはまったく思われない。
できることなら、わたしだってちゃんとした、皆が読んで感動する詩を、それ単品で十全に機能し、再生される、水分の少ない、保存の効く、射程距離の永い、普遍性のある、芯をくった、ガツンとした、胸に痛みを感じるような、読んだらなぜか通勤電車で海に行った会社辞めたみたいな、つまり人の人生を変えれるような、脳や細胞、パルスや心に影響するヘビーな二郎系の詩を書いてみたい。ただ、わたしにはその戦略や勝算もなければ、そのような作品を書き上げる知識も感性もない。
若い頃のはなし。
若い頃はなぜか、何を書いても中央神殿のような、どこに投げても中央神殿に行くような気がした(書いていて、松任谷由実の『幸せに包まれたなら』みたいだなと思った)。いつも、向いた方向にちゃんと風が吹いていた気がする。もう追い風に乗って書けばそれだけで透明感のあるキラキラしたポエムや日記が量産できたのだった。今はもうないけど。今現在、気づけば、わたしは中央神殿から遠くはずれた、よくわからないあばらやにいる。すきま風が身に沁みる。右手の親指の爪の横がしょっちゅうパックリ割れて、そのたびにヒビケア軟膏を塗り込んでは、太ももで挟んだ両手を揉み込む。
あの頃のように、中央神殿に寄りつくことはおろか、外に出ることもめっきりなくなった。わたしはもう、ろくに文脈やてにをはすらうまく扱えず、変にねじ曲がった文章しか綴れなくなった。
「この手(文章)を見て、姫様は『働き者のいい手だ』と言うてくださるんじゃ…」と、いぼいぼの節くれだった手をさする老人のような文章しか書けなくなってしまった。姫様とは、架空のまだ見ぬ読者である。少し前までは田中修子さんだった(彼女はわたしとよく似たテンションやヴァルネラビリティーをもった書き手だった気がするが、その話は、いつかまた、ほかの文章で)。
かつては、自らの内奥をきちんとまさぐれば、いずれ他者に向かえる自信がちょっとはあった。それから、十数年働いて、ふとある日、顔を上げて見渡せば、もう、カスタマイズされ、蛸壺化された個々人の人生に、真実や痛みを憶えさせるような表現など、ちょっと思い浮かばない。中年というのはそういうものなのだろうか。書くものを響かせることも、また、書かれたものが自身に響くこともむずかしくなっていく。
気づけば、自由な生き方の手引きができる人間のほうが発信しやすい世界になっていた。わたしはなんだかスポイルされた気分で、会社にしがみついて、空中ブランコから落ちれたら…と少し計算をし始めている。
わたしは三歳〜十九歳ごろまで、幼稚園から専門学校までノンストップで学校をやったあと、一度その空中ブランコから落ちたことがある。いわゆるひきこもり。そこから3年間。二〇〇一年ごろから二〇〇四の夏ごろまで、毎日テレビを見て、インターネットをしながら日々を過ごした。どうやれば外に出れるかわからかった。社会にもどるすべをなくし、すべてがつるつるに見え、とっかかりが見つからず、焦燥に駆られながら家で過ごしていた。ときどき夢想した。「意識が飛んで、気づくと六十歳になっていて、縁側に座って孫と日向ぼっこしていないだろうか」
はたまた、自分はすごいので絶対にソニーが見つけてくれる、ソニーが迎えに来る、という謎の妄想に取り憑かれながら、焦燥に駆られながら『痛快エブリディ』や『ちちんぷいぷい』を欠かさず見ていた。いずれも関西ローカルの帯番組である。もう両方とも、もう終わったが。
今思えば、なぜソニーだったのかわからないが、昨今芸人の墓場と呼ばれるSMA(ソニーミュージックアーティスツ)のことだったのかもしれない。だがしかし、SMAだって、動かなきゃ入れないのである。部屋にいてインターネットを読み耽りながらソニーが迎えに来ると思ってるだけでは何も起こらない。
結局、知人が京都を去ることになり、そのとき私のひきこもりのカタをつけようと乗り出し、わたしを神社の境内に連れ出し、タウンワークというアルバイト情報誌と携帯電話をわたして、面接を取り付けるまで帰れまテンを実施。わたしはめそめそ泣きながら何件か面接を取り付けて、3社目で今の会社にアルバイトで入社。そのまままたノンストップで十七年会社員をやることになった。結局わたしはレールとか空中ブランコとか、乗っかってしまうと落ちるのが怖くなって続けてしまうのだった。
そしてまた、そろそろこの会社という空中ブランコから手を放すときがきたのかもしれない。
昔よりぜんぜん怖いのだが…。前回の落下はまだ親がいて、家があったが、今はもう親とも縁を切り、ひとりで三十五年ローンを支払いながら働いてて、この状況で(空中ブランコから)手を放したら、かなりやばい気がする。ろくすっぽコミュニティに所属せず、ひとりクソ生意気な中年コミュ障のおっさんが会社を辞める。それは、宇宙や世界にとってどうでもいい事態であるといえるだろうか。
わたしは、生きづらいわたしが、もしかしたら選択しえたかもしれない生き方をするひとたちを、ずっとインターネットでみてきた。インターネットにある文字情報(時々写真、時々mp3)のみで、そういうひとたちの存在を認識してきた。多少お金をもってからは、実際に東京へと足を運んでみたりしたが、もう何もないような気がした。わたしも枯れかけていたし、今思えばもう残照だった。
ひきこもっているときに「はみだしっこたちの朗読会」のことをネットでみていた。「こわれものの祭典」というのもあった気がする。
あの頃はプレカリアートとか湯浅誠とかの時期だろうか? 貧困、派遣切り、ネットカフェ難民、それとメンタルヘルスの問題を抱えたひとたちが合流しているのかな、という感じだった。はみだしっこ…は政治性のうすいイメージだった。どっちにしても行けなかったが、ただ回を重ねていることを知るサイトのみを眺めていた。黒い(暗い?)背景色に白地の大きめの明朝。
こわれもの…は月なんとかさんとか雨宮さんとか、名前をど忘れしたが、苗字がかっこいいのでなんか芸名なのかな?とか思ってた。なんか注射器と薬の錠剤と貧困とゴスロリが混じってるような偏見をもっていた。
ものごとには、何も要らないといいながら要るものがあるような気がしていた。動きかたがとにかくわからなかった。動かないと動けないということもよくあんまりよくわかっていなかった。とにかく視界に人が入らないように、目線を掛け捨て型にして道の端やマンホールを見て生きてきた。でも道の端の雑草や虫の名前も、マンホールの種類にも詳しくならなかった。回避のための掛け捨て型の視線によって生きてきた。
言葉も、そのように扱ってきたと思う。恐怖と一瞬対峙させるためだけの投げつけるような言葉。内容はどうでもいい。一瞬だけ、その恐怖のすきま風をさえぎる場所塞ぎがほしかっただけだった。
あのとき、わたしがもっとひきこもって逆に行動していたら、つまり人生が詰んでいるヤバイと深刻に捉えすぎて逆にバカ?になってしまっていたら、今とはぜんぜん違う人生だったんじゃないかとはおもう。でもなんかそういう人生は、自分のバイタリティでは乗り切れず、途中で力尽き、暗渠にでも溶けてながれてきえてしまっていたのだろう、ともおもう。だめなひとたち?のなかのある種のサラブレッド性のようなもの、逆ノブレスオブリージュのようなものに、わたしは系譜、系統、師匠筋、憧れ、反発などのラインどりのようなもの(付置)がうまくできなかったのではないかと推測する。
だからサラリーマンが一番ではないにしろ、おそらくインターネットで見てきたあっちで暮らすよりは、わたしの人生、いや生命の長さにとってはベターな選択だったのだろう。インターネットから伝わってこない感じを推測し、これはやるとたぶん死ぬやつだろうという確信がそこそこ早い時期に芽生えていて、その道は選ばなかったのだけど、今もきらいではない。すきというための推せるほどの精神力はもうなくなってしまったが。それと引き換えに、自分のこともそんなにきらいではなくなった。
詩の話。どんな詩がいいだろうね。
詩を書くならば、強張ってしまって、まったくの私性を欠くのもどうかと思う。それは鳥を煮込んだ出汁のスープを全部流しに捨ててしまうようだし、もったいないことに思える。自分のことを書いて、他人の背中をつつくように、自分の背中をつつけるようなものを書きたい。しかも、背中じゃつまらなくて、なんなら他人の脇腹をつついて、ひゃっと言わせたい。でもそれは他人ではなく、自分の脇腹なのだ。自分の脇腹を自分でつついてひゃっと言わせるのはかなりの難しいである。
自分が目の前に指を差し出すと、目の前の景色が水紋になって、てもとだけがその先へと抜けていって、背中にちょん、と触れる感触があるようなもの。
また、お城の城壁にある弓矢の穴(狭間=さま)から、自らの秘密を飛ばし飛ばしに暴露するような、自分だけが知る秘密を暗喩や隠喩や裏拍(≒任意)で打つようなものも、なんだかちょっと、違うような気がする。それをまるまる否定するつもりもないし、わたしもしょっちゅうそういうのを書く。そして、なんか違うような気がするけど、もう時間がないからこれで、いっけぇ〜という感じでやってるので、投稿したあとは、慚愧の念でページがのりづけしたかのようにまったく繰れないとか、そのサイトのドメインに数ヶ月訪問できないとかいう後遺症が残る。
どこかでクイズ詩、という言い方を見かけたが、ようは作者本人が何かを比喩で扱ったり、表現のために情報を抑制したりすると、それがクイズのようになって楽しめたりすることがある。でもほとんどの場合みんな「わたし、それほど暇じゃないんで」みたいな塩対応で行きすぎる。これを「へぇ〜」とか「ほほぅ、なるほどうまくしたもんだ」とかいうのはほぼ福祉の領域である。
本来なら、詩そのものでうまく興味を惹かせろよといいたいところだが、そんな生き方をしてこなかったし、もう本人も目の前に来てしまっているから、もうやるしかない、乗っかるしかないという構図が、合評会であることがある。
別にこれが悪いというわけではない。ぜんぜんそれでも構わないのだ。そうではなくて、詩は、うまくいっているとか、効果的であるとか、構成するとか、彫琢するとか、そういうところから遠く離れたところにあるようでいて、たしかにそれらが詩をととのえることがあるのも確かだ。あとネームバリューで買ってみたらやたらおもしろくなくてしんどい詩の場合、もう誰も救われない。福祉ですらない。お金を払って買っちゃったんであれば、それは商売であり、それはもう被害とか、民事で争えるやつじゃん。
詩は文学とか芸術といわれることもあるが、そのひとのプライドさえゆるせば福祉やお笑いにまたがる領域にもある。いつでも詩には、ただ、常に、それだけじゃないという留保が付き続ける。いろんなものに散布されたようでいて、いろんなものを包含している。巻かれたようで巻いている。乗られたようで乗っている。負けたようで勝っている。なんかそういう性質というか、そういう雰囲気に惹かれるのかもしれない。
できれば、最後の最後で、最初からそこにあったかのような風合いがあるといいのかなあと思う。技術や構成というのはそういう最初からそうであったかのような、いつ読んでもさっきまでめっちゃダッシュで息急き切ったような感じに読めるとか、いつ読んでもめちゃくちゃ昔からあるもののようになるようなやつがいい。でも、今しかなかったんだろうなってわかるやつもいいんだ。
すっぽ抜け、すっぽ抜け詩の定義について。
すっぽ抜けるということは、投げる瞬間、指先からボールが離れる瞬間に「あっ」と気がつくのだ。自分の投げたい方向にはけして飛ばないであろうボールと、ボールが離れていく指先を感じながら、もうどうすることもできない。力が間違った方向に伝わり、そして離れていく。明白な「まずさ」を感じながらも、モーションに入ってしまった全身をつかい、全力で腕を振り抜くしかない。
目で見据えたはずの目標とその射程距離、それをもとに概算した腕や全身の筋肉の調節がボールに伝えようとしたもののすべてが、まったく目論見からはずれたところへと散逸していく。
それは悲しいし、なさけないことだと思うけれど、おもしろい。人生がずっとNGシーンだったら、悲しいか。詩がずっとNGシーンだけだったら、おもしろいか。ぶっちゃっけよくわからない。つらいようでもあるし、受け入れればおもしろくもある気がする。別にうまくなるとか、受賞とか賞賛とかを考えないんであれば、全然それでいい。
もともと言葉は常にそうでしかない気がする。ただ、わたしは度合いがひどい。わたしは生きているうちに、これを精進させようとか、コントロールの精度をいちいちあげようとか、握力を鍛えようとは(人生の尺的にも)もう思えないのだ。
わたしは今、この瞬間に、すっぽ抜けていくであろうこれからのすべての言葉を自覚しながら、それでも全力で腕を振り抜くことだけを自分に課そうとしている。何かの達成や到達を求めず、求めても得られないことを自覚し、機能や働きや目標を求めない。いや、求めようとした痕跡の上から、さらに砂をまぶしたり、ペンキをぶちまけたりしていくから、少しはのぞくかもしれない。その方法論的ではないアンバランスさや奇妙さ、不統一への謎の拘泥や執着を自覚する。それはリズムや韻律や内在律など快感の原則やルールに則ったものではなく、まして真理や永遠、普遍など、みじんも求めない。やけに背伸びをしたものの、結局届かなかったもの、途中まで消したけど消し切れなかった部分など。さまざまな失敗や上塗りや躊躇や後戻りや急発進が不規則に連続し、他者に部分的に届いたり届かなかったりする。そしてひとは啄むように単語をひろい、なんとかわたしに感想を述べようとしてくれる。
詩の理論。詩はすべて「ブーム」でしかないという話。
誰であれ多少はそうなのだ。すべての人間が、言葉から手を離す瞬間に立ち会うのだ。ただ、詩は、言葉から手を放す瞬間までの「ブーム」でしかないとわたしは思う。
真理を求めるブーム、定型詩ブーム、日常ブーム、プログラムのランダム出力結果ブーム、絵文字、顔文字、AAブーム、検索結果引用ブーム、あらゆるブームが人や、人以外のさまざまなものやはざまから、詩を投げかけてくる。かといって、わたしがそれらすべての透過点であり、なにひとつ崩さずにまっすぐそのまま言葉にして出力・再構成できるかといえば、そんなことはまったくない。ほとんどの場合、その試みは失敗に終わっているのだ。そして成功するような試みはたいていの場合やり尽くされていて、くそつまんないのだ。
それに、詩は出力だけではない。受け取る人、入力側にもブームがある。電車がまだ来ないホーム。線路の砂利と金網の隙間あたりに咲いてる葉っぱ、黄色の花。見上げると、架線の入り組み方、架線越しの空、雲のうごき。架線を基準にして、雲の移動を一時的に観測する。雲が架線を越えると、だんだんルールは弛緩してどうでもよくなっていって忘れていってまた別のことを考え始めている。
これらもたぶん、ブームである。谷川俊太郎もそこらへんの花みたいな詩が書きたいって言ってたしたぶんそういうことなんだと思う。
わたしたちの世代区分、言葉の中に入る意味の移ろいも含めてブームである。椎名林檎が流行ったら、みんな直ぐに「是れ頂戴」とか書いてた気がするし、やっぱり詩は、言葉は、ブームなのである。おそらく、宮沢賢治はこれの射程をかなり永く込めたし、読者によっても延命されている。まるでサーバーの相互バックアップみたく。
たぶん、わたしがいじけているとすれば、そういった移ろいのシステムや相互バックアップの中にまったく組み込まれないであろう自分自身の言葉を、いちいち何度も巨視的に見つめてしまうからなのだとおもう。そして、そればかりを何度も見つめてしまうのは、人との関わりが本当に怖くて苦手だから、そこに残る自分を想像できないから。これが、百万回生きた猫の死ねない理由(のひとつ)なのだと、わたしは思う。
ブームなんていうと怒る人がいるのかもしれない。なにごとかと。おれは真理を追い求めたり人の苦しみを描き切りたいのだ。オッケーブラザー。言いたいことはよくわかった。俺もそう思う。この視点は、ガチ勢に「ざけんなよ」を付与し、あんまりうまく書けない人たちには、ホッともっとを与える。相対化である。平等である。
さすがに、なにもかもブームでまとめられては困る。そうか。しかし困ったな、今のこの状況、ノリを、すべてシンプルまるっと説明しうる答えとしては、出す人の、出す時のブーム、読む人の、読む時のブーム。これぐらいしかちょっと思いつかない。もう少しおしゃれかどうかは分からないけれども換言してみれば、自転周期と公転周期などと言ってみると天体観測のようでセンチメンタルだし、みうらじゅんからBUMP OF CHICKENに昇格した気がする。ただ、その昇格は幻想だ。どこまでいってもみうらじゅんからはのがれられない。すべてはマイブームである。たまたま言葉が社会的な約束の中で使われるからマイブームに陥らずに済んでるだけであるが、あんまりみんなの興味がないことを書くと事実上わるいなのび太このポエムひとり用なんだ。
もっと言えば、書く人の言葉へのウザ絡みと、書かれたあとの言葉の塩対応っぷりをどれだけ計算し、飼い慣らして他者へと明け渡すのか。いかに言葉の毒親にならないでいられるか。これは投稿掲示板(死語)とかで揉めるタイプの作者にありがちなパターンなので、とても重要なところである。ほぼ揉める人は言葉の毒親である。
自分が書いた言葉の配列にケチをつけられたので防衛システムを作動させます、という感じの人は太刀筋というか、雰囲気でわかるので関わらないほうが、よい。
カーリング女子が「右」と言うだけで本当にあのストーンがカーブするのであれば、また、氷面を擦る彼女たちが、あのブラシで直接ストーンを小突いていいのであれば、楽勝だし、一気につまらなくなる。だれもやらない。
言葉のおもしろさには、ままならなさとか、どうしようもなさが重要である。それを「なぜこう読めないのですか!」とか「どこがいけないのか論理的に説明しないと、説明責任ですよ! この馬鹿、老害!」みたいなことを言うのは、言ってもいいけど、言ってもいいだけである。
いちおうなんか言われたくなければ、身体と詩をセット売りにしていれば、あんまり面と向かってはきつく言われなくなるだろうとはおもう。でもそれだとほんとうのところは言ってもらえない。だけれど、なんかそれはそれで、逆に、そっちのほうがほんとうのことみたいなところもすこしあって、対面じゃないからって、ちょっときびしいことを無理に言いすぎてるきらいもある。
インターネット上の身も蓋もなさとはまた違った、服とか、表情を総合的に判断して、もう少し地に足のついた感じのことを言葉を選んで言ってもらえる点は、合評というシステムのよさであるとおもう。あとはそれとなく自分に向いた方向へと差し向けてくれるようなところもあって、サジェスト機能というか、コンシェルジュな側面もあり、体と一緒に言葉も他者からの「君にはあっちのほうが似合うんじゃない?」みたいなノリで運ばれていくのは、運命っぽくて従ってみるときもちいいときもある。すごくしっくりくることもあるし、ああ、ここだったんだなぁ…っていうしみじみするってのもあるかもしれない。
言葉は出す瞬間のブーム、受け取る瞬間のブームである。言葉と格闘しすぎてバテる人とかもいるそうだが、無理は禁物である。命を削るとかしてはいけない。やってもいいけど。
でも、そういうのをすると、なんかものが言いづらくなるし、言わないのがいいみたいな風潮になるけど、赤ちゃんのいっぱい生まれた時期のことをベビーブームとかいうのに、死ぬとなんか言いづらいみたいなのはなんなのか。つまり人が死ぬとみんな動揺してしまう。迂闊なことが言えなくなる。あのひとはどうしてほしかったか。たぶん、べつに何もしてほしくなかったのではないか。インターネットのつながりの問題は結構ここに帰着する。とくにわたしにとっては特に。
アカウント、匿名性についての話。瀬尾育生氏の発言などと絡め。
わたしは死んだら動揺する人の居なさ加減によって駆動されているのかもしれない。わたしが死んだって、だれも気にしない。だから好きにする。そういう心のうごき。
わたしのアカウントは、わたしが死んだら即行き倒れ状態となる。アカウントというのは、複層式の行き倒れと儀礼的無関心、そしてアウトリーチしない/できない個人の境界線がその公開意欲の多寡や繁閑、健康寿命等によって左右され、混濁し、あいまいに担保されている。この状況から、相手が公開を停止する直前に、どのような「扱われ方」をされたかったのかを読み解くのはむずかしい。誠実であればあるほど、そのままに措かなければならず、作品であったか、証明すらできない。著作権の徳政令的なものを俟たないといけないのだろうか。もっと自由に書けるはずじゃなかったのか、ネットは。
少し長いが、すべて少し引用しよう。
『詩的間伐』における、瀬尾育生氏の発言。
むかしは、正直なにを言っているのかわからなかった。9割がた、インターネットのことがわかっていない人間の発言だとおもっていた。しかし、ちかごろ、誰にも公開も紹介もできない昔のネット詩を落穂拾いのようにして集めているときなどに、この発言の意味がなんかくっきりしてきて、まるで呪いであったかのように、自分の行動をしっかりとくびき、縛り付けていることにつくづく気づくようになった。
この瀬尾というひとは、ただ2ちゃんねるの名無し的な匿名システムを誤解して、ただただ駄弁を弄しているのかと思っていたが、実際のところは「生きているか死んでいるか、出したいか引っ込めたいかもわからないようなもののこと」について(結果的に、かもしれないが)話していたのだ。
境界というのは「覚悟」であり、手続きとは「関係性とか連絡先」のことであり、つてのことである。自分ひとりで何もかもやるということは、気ままでありデラシネ(根無草)であって、管理や許諾のためのつてさえ辿れないという事態が頻発し、わたしたちはそれをすべて本人の責任であり意思であるとして勝手に受け入れさせられ、呑まされる。
これが、わたしたちの帰結なのだろうか。ときどき、あまりにもさみしい。とくにインターネットにしか親和性のなかったわたしは、どうにか出来ないだろうか…と思うばかりで特に何もしない。わたしはこうやってあまやかに書いているのが好きなのだ。ひとに近づくと、ヴァルネラビリティーによる非対称の関係性(のコントロール)が始まる。それは怖い。でも飛びたい。
いつもそこで葛藤して摩擦している。
摩擦して決めたあと苦しみよりは「ない」に近いような気がするが、そうやって伝わるものだけを摘み取っていった先にある言葉は読みやすいだけで、ほんとうに最初はそうだったかな? 結局最後にはそうなるのかなっていう端的な、テーマの決まった、寄せられた話にしかならない。そうじゃない話をいつだって読みたい。
わたしは身を犠牲にしてでも、わたしを苦しめてきた相手にはいっさいほんとうのことを話さず、相手がずれにずれて危機に陥ったとき、相手が完全に依存しきった頃にやっと本心を話さずに遠のいていって、たすけない。耐えに耐えた熟年離婚のような様相で仕組み、仕込む。フェアネスの精神は皆無であり、契約や情や信頼のようなものは、脆弱性をつついてわたしを手に入れたとき、既にながれ、裏切られている。
ただ、その長期間を苦しみ耐えながら過ごす合理性や妥当性、時間や犠牲や尊厳のようなものを、そこまで薄くのばして人ひとりが存在できるものだろうか。その時間はいったいなんだったのだろうか。あるいは、とはいえ経済的援助がありながら、陰で脱出の準備を進めるのは、背信であり卑怯ではないか。
そもそもが始めるべき関係ではなかったのだとおもう。コミュニケーションの不足と不全、定期的な(非対称性の)確認の不足、つまり「そこまでよわいのだとはおもわなかった」とか「そこまでつかれやすいとはしらなかった」とかいう感じになるのだろうが、ひとと付き合うと必ずわたしはつらくてもすべてを俎上に出せず、かかえこみ、必ず過剰な包摂によるコントロールと同時に背信と交流断絶に向けた動きをすすめてしまう。
話がそれましたね。戻ります。
瀬尾氏のいう「境界」による出版システムは、相当の持続力や胆力が必要で、わたしには元々不向き、不釣り合いな環境なのかもしれない。冒頭に挙げた黒田三郎氏のいうところの「覚悟はついています」に相当する部分と、コミュニティの両立が、出版や編集という過程である程度得られる側面もあるのかもしれない。
これらをひとりで行うリスクをハンドルネームという匿名性をもった名前やアカウントというものに込めて、いざというとき離脱するための切り離しとして利用していたが、いずれ同一性に引き寄せられ、その名で身体も含めた活動を始めることもあるが、それもごく一部の人間に限られている。
つまり実体が、生き抜けるコミュニティと手を繋ぐのが先か、書かれたものの内容と身バレのリスクによって世間に挟まれて生きられなくなるのが先か、という危機的な瞬間が、攻めている人ほど起こりやすくなる。前がほとんど見えないほどの土砂降りの雨のなかを、ひさしから飛び出し、次のあるかもわからないひさしへと猛ダッシュしてたどり着かなければならない。
これは、そもそも書く内容が世間的に無風であるか、本人が無風であればリスクにはなりえない。本人が無風であるというのはつまり、それが生業と結びついている(同化している)か、障る世間がない無職のどちらかであることが多い。わたしは匿名のまま、無風の詩を書きながら、ダッシュのタイミングを待ちながら定年を迎えるか、その前になんらかの病気で健康寿命がつき、表現ができなくなるか、急に妻をめとり百万回生きた猫みを発揮し、すやぁ…と(文学的に)眠りにつくかもしれない。そして、漂着報告をくりかえすみじめったらしいくそみたいな存在に成り果てるかもしれない(ボーイズオンザランの最終巻の表紙みたいな醜悪な顔で)。
けどこの「打って出たい」みたいな欲望はいったいなんなんだろうね。生きているからには…みたいな邪魔っけな欲望は。
推敲とは、それまで書かれた言葉や文脈への背信であり、わたしの「すっぽ抜け」は、どうでもよいこだわりや思い入れや嗜癖を過剰に保護するために、作品全体への毀損あるいはバランス崩壊の要因となる。
ネット詩や、書いた作者のことを何か話そうとすると、なかなかうまくいかないように思うのは、おなじものを見ているようで、実はかなり分極化されていること(同じ場所で同じものを見ていたはずなのに…じょじょにずれていく会話と期待)と、会った瞬間は同質性のマックスで、あとは徐々に下がるしかないというか、わたし自身が、なにも望んでいないはずなのに、テンパって非モテコミットを発動してしまうせいもあって、だんだん熱がさめていくのが見てとれる。そこで調整して上げていけるようなバイタリティがあるか、よっぽどチューニングやフィーリングが合うか、錯覚したまま行くとこまで行ってしまうなどして先に情が湧いたりしてしまわないかぎり、原則的にひととひとは遊離してく。
結論わたしたちは、話さないほうがいいし、話すのもネットにとどめおいた方が、同質性のまぼろしが保てたり、綺麗に残せたりするし、いまさら感なども手伝って、そっちのほうに心がかたむくのだとおもう。
夢は夢のままで、的な。こりごりな人もいるだろうし、幸せな人もいるだろうし。まあいろいろあるのだろう。わたしはさびしい。なんか全員集合みたいなやつが、いいともの最終回みたいなやつがネット詩には永遠にこない。
その意味で、出発点から呪われていたような気になって、瀬尾氏の書いている言葉が今になって重くかんじられる。
どうやって詩を完成させるのか問題。ケリをつける。
今まで書いたもののひとつとして、詩集に載せるつもりがない。こんなもんじゃない。わたしの実力、こんなもんじゃない。そういいながら死んでいった人たちが、今までどれだけいるだろうか。死ぬまでにいっこぐらい、ちゃんとやりたかったことをやりとげたい。そう思いながらなにひとつまとまらないんだ。妥協ばっかりしてしまうのだ。
それが詩集だったのか?と問われたら、よくわかんない。もう詩集ぐらいしかないっしょ感がただよってきてるため詩集、ということなのかもしらん。
詩集を編むために、誰もがどこかでケリをつけ、現実的なところで妥協点をみいだし、しっかりと袋のくちを縛るように、作品を締めているなか、わたしはずっとしゃがみこんでゴミ袋のくちの端と端を引っ張って格闘している。
集合時間になっても、点呼が始まっても、後頭部に焦燥感を演出しながら、きちきちで到底締まらないゴミ袋のくちの端と端をおもいきり引っ張ったり、中のものを一旦あけて、詰め替えたりして、なんとかして括ろうとしている。だれにも声をかけられず、かけることもせず、ひとりでなんとかしようとしている。なぜじぶんだけができないのだろう。涙目。
いつも何かわけのわからないものや、よく知らないもの、さっき仕入れたばかりの手になじまないものをたくさん入れこんで、誰かが深読みしてくれたり、インテリだとおもってくれたり、ひょんなことから実はすごい超絶暗喩になっててすごい詩をわかってる人とかに激賞されたりしないかと夢想する。
あるいは、わたしと同じようにわけのわからないことを書いている人たちから、ミュージシャンズミュージシャン的に「ふむ、こいつはわけがわからなすぎて、まったくもって、逆に信頼できるやつだぜ…」と、通な人にわかってるやつと思われないかと夢想をする。わりとガチで、ほめられることや、承認を期待してしまう。
スタンス的には『われらコンタクティ』のように、宇宙空間で半永久的に映画を上映し続けるかのように、誰にも期待しない孤高の「すっぽ抜け詩」の泰斗であり、誰の琴線にもかすらず、宇宙の果てまですっ飛んでいくことをものともしない、強靭で色々とわかってる精神の持ち主だと思われたい。
そうしてわたしは毎回ずぶずぶと沼にハマっていき、ぎりぎりまで書くことを終わらせられず、逆に今、わたしはこの、逆に終わらせれないことを、日本人として、逆に誇りに思う。この、ぎりぎりの今の状況をそのままお出しすることこそが、わたしにとっての詩であり、逆に正義である。といった心境に陥る。わたしは毎回このような「逆の誇り」オーラをまとって、合評会に出陣していた。
詩はどこで完成したといえるのか。行き止まり。
それにしても皆、いったいどこで詩を完成だと思うのだろう。
自らの目の前に現れた文字列が、他者に再生され、十全に機能し、その目的を達成しているとおぼしき文字列であると確定し、認識する能力。推敲の手を止め、停止、完了する能力。
可塑性のない言葉というものに向かう姿勢を、あたかも最初にあったイメージを削り出しているのだと仮構し「もうこれ以上やれない」ところまで彫刻・彫琢する能力。
例えば、吉増剛造というピン芸人は、最初から詩人というキャラに入ることで、この問題をクリアしている。この芸人のすごいところは、のっけから「醒めている」というマインドセットを持ちながら、ずっと同じ熱量で走り続けることを決意しているような点にある。
それはチェックリストをひとつずつ鉛筆で引っ掻いて潰していくような、階段を一段ずつのぼる能力を、ブラックボックス化してしまうことだ。なぜそうなるのかまったくわからない、ナイナイの矢部の声を借りるなら「岡村さん、何してはるんですか」ということである。
ブラックボックスであり行き止まりであるのに、ふつうに生活もしている。「何してはるんですか」で生活している。いつも執拗にブラックボックス的な理由で言葉を追いつめながら醒めてもいて、徹底的に醒めながら追いつめている。最近はもう醒めてるキャラは要らないぐらい詩人キャラでいけてるので、人間続けることって大事だなあと思う。ぶっちゃけ何をやっているのかよくわからないが、なんかすごいである。まああんなふうに何をやっているかわからないままやり続けるのはしんどいだろう。なんだかんだ詩人も、売れない若手芸人とかとルート的には似たようなところを辿っているのではないか。
吉増剛造はランジャタイみたいなもので、要はしつこく何稿までやっててもこの人にはなんかあると思わせたり信じさせるパワーがある。「ポーズでやってんなこいつ」と思われない気迫がある。でも詩人の人って案外気さくでもある。最後のほうはブラックボックスでも手前のほうでは「あれはねぇ…」みたいに答えてくれたりするけどまあ最終的に何も言ってないようなことばかり喋るのでそのへんでお笑いに負けるというか、嗜好性が足りない。詩というものは基本的にR-1である事が多い。つまりピン芸である。ツッコミの不在の世界である。そもそもカンテレにゴールデンでああいう生放送の構成をやらすというのがそもそものまちがいであって、さらなるまちがいがピン芸人というのは腹の底から笑ってしまうようなものはめったにないのであって、毎回技術は高いというけれども腹の底から笑えるかっていったらぜんぜん笑えないということはある。感心もしない。
年末の『笑ってはいけない…』で、もし楳図かずおの代わりに吉増剛造が出て、浜ちゃんが「なにをいうとんねん」などと頭をはたこうものなら、現代詩人とかリベラルな人たちはただではおかないのである。あの、命をかけて言葉を真摯に追いつめている吉増剛造を「なにをいうとんねん」とは何事か。詩というものは、本当にマジで笑ってはいけないやつなのである。笑ったら本気でブチギレて即帰るの巻なのである。
詩人という芸人は、Mステで喋るとき、毎回正しいことを言おうとして、なんか尺に合わずタモリに「ではスタンバイができたようなので…」と流されて失敗している、みていてむずがゆいバンドみたいなものである。むずがゆいのは、わたしがそのバンドを心のどこかでひそかにがんばれー、と応援しているからである。
ここで、急に鈴木志郎康さんの話にとびます。
ふと今思ったのだが、鈴木志郎康さんは名前を変えることで運気が上昇したのではないか。天沢退二郎、吉増剛造、菅谷規矩雄、かなり本名でいききってる感のある名前が多いなか、(鈴木)康之はよわい。ここで鈴木志郎康さんは「最低でも五文字」と思ったのかもしれないが、なぜ「しろう」に「やす」を足すという暴挙にでたのかはわからない、わからないが、なぜかそうすることでこのイカつい詩人の名前の世界で渡り合えるようにしたかったのではなかろうか。もし志郎康じゃなかったら、高野民雄、渡辺武信、藤田治、このへんに飲み込まれ、落ち着いていたのではないだろうか。とはいえ、鈴木志郎康さんがペンネームをつけたのは高校時代のはずだから、天沢退二郎も吉増剛造も知らなかったわけなので、まあ、先見の明があるんじゃないでしょうか。
たしか、鈴木志郎康さんが康之じゃなくて志郎康だと思ったのは、なんか違う名前と存在として、これからは生きていきたいみたいなことを決意したと書いていたような気がするけれども、なぜそれが志郎康だったのかは説明されていなかったはず。だから、このへんも、ブラックボックス的な行き止まりの世界につながっていく。もう少し(命名由来についての文献を)探してはみるが。鈴木志郎康さんは本名の防波堤としてのペンネームではないが、このほぼアイデンティティや覚悟を同化させた名前にはなんか風水的な何かがあるんではないだろうか。
今姓名判断のサイトで見てみたら仕事運と家庭運は大大吉だが、総画数は大凶とでた。いったいどういうことなのか?
詩の話にもどる。弱者の一撃だった記憶、詩のイメージの変遷。
まあ、誠にホニャホニャと、いろいろ述べたけれども、わたしには、とにかく能力がない。
そもそも詩というのは、能力がない人が書くものだとすら思っていたような気がする。弱者の一撃のような、弱いからこその逆転ホームランこそが詩で、何もしてないやつが勝つのが詩の世界で、強肉弱食が詩で、弱者が王様になれるのが詩で…。そう思いながら、心のどこかには歌詞のような詩もあり、谷川俊太郎の『芝生』のような詩もあり、『コンドルは飛んでいく』や『グリーンスリーブス』のような伝承、民族や民謡のうたも、頭のどこかには印象が残っていて、今のように、何か現代日本で書かれた紙やインターネットの詩に偏重するようなことはなかった。むしろそれを知ってからはずっと「詩ってそもそもこんなんだっけ?」と思うことの方がよっぽど増えた。書かれ方も書き方も自由奔放で、それでもなんとなく真ん中の芯を捉えたようなものが良いとされているような、そんな世界だった。端っこの真ん中、気づかなかった端の端の真ん中を、いかに適切に抽出し、提示してあるのか、いかに言葉にならないものを言葉にしているか。そのようなことを尊ぶ風潮があるのか、と思いながら読んだ。ただしかし、これは心の打たれやすさ、参照のされやすさ、つまりうまさや評価がある程度確定したアンソロジーであって、無理にこの風潮に沿わなくても、詩は書けるし、人は尊重できる。
そう、別に書けないということはないのだ。ただこれを「詩だ」といって提出したり、持ち寄ったりする段になって、自分の肉体から切り離された言葉がどのように読まれるのか、計算・想定しきれないほどのリフレクション、その効能、関係性の変化や、はねかえりにはたと気づくのだ。そして、能力がないということは、このようなはねっかえりや関係性の変化、つまり影響にほとんど参入できないということなのだ。過激さのスパイスも、ただひたすら一味の瓶を振ることぐらいしかできないのだ。
詩のサラリーマンになる方法
となれば、次はサラリーマンの道である。団体に所属し、地道に働いたり貢献したりお金をいっぱい払って徳を積んで、その代わりに(作品の出来不出来に関わらず)作品賞とかホニャラホニャニャニャ(☜適当な人名が入る)賞とかを持ち回りでもらうんである。賞をもらえない人がいなくなるまで賞を創設しまくれば、みんなハッピーである。賞金はスクラッチくじ5枚とかである。
これならできるかもしれない。わたしもなんだかんだで十七年働いてきた。業績、成果、ソリューション。詩のために働くのだ。テーマを選定し、現状を把握し、対策を立案し、実行する。効果を確認し、標準化する。そうやって会社や社会に貢献し、CSRやエシカルをパーパスし、汚職と賄賂と背任である。背任はとても詩人に向いている気がする。背任は詩人のためにある仕事である。
まるで、お給金をもらうようにして詩の世界をのぼりつめ、詩の外資系コンツェルン財閥御曹司となり、てかてかのオールバックで本社ビルのロビーをツカツカ歩き、ごみみたいな幼馴染をごみみたいな目つきで睥睨するのである。詩の子爵になるのである。握手した手袋全捨てするのである。
けど、そんなことできない。心優しいからではなくわたしは馬鹿だから、いつまでも袋をあけっぱなしにして、いつまでも可能性を秘めたまま、未完の大器のまま、なにもしないですごいやつでいたいでござる。
自分のことがわからないまま、生きてきてしまっただけなのだ。人生のゲーセンのPRESS ANY KEYが点滅しまくっているのに、何も押さずに、ただただひたすら『たけしの挑戦状』よろしく宝の地図が浮かび上がるのをずっと待ちわびつづけていた。ここがゴールになることをずっと待っていた。わたしはずっと成長せずに、母を待っていたし、父を待ってもいた。その場にずっと佇んで、ボタンを押さずに、だれかの言いつけを守るようにして、交換条件のように、自分の成長と引き換えに、ただ、じっとすることで、何かが踵を返してもどってくるかのような錯覚をずっと信じ続けてここまで生きてきたのだ。
エッセー漫画の終盤で、自分で自分を抱きしめて周りの壁が瓦解するような心理描写の見開きの感動的なコマ、わたしにはない。わたしはひたすらくちくさクチクラであり、わたしは軽率に、迂闊に、裏切ったり、遊離しながら、はしゃぎ続けたりしなければならないとおもう。自分に課せられた責務があるとしたら、基本それぐらいなのではないか。
乳幼児死亡率の激減り、健康寿命の爆上げ、便利なこの世の中、ここ十数年で日本人の中流意識や頭ごなしな叱責や暴力みたいな世界観もそこそこ分解され、歩留まりもよくなってきた。今までは誰かしら先輩のいじわるとか暴力みたいなもので消えていく人たちがいて不可視化されていた。そういうのはなんとなく昔のAVとかブブカとかサブカルとか電波系とか鬼畜系みたいなところに残滓がたゆたってそれも時代のくだりによって霧散していった。そうやって人は増えてんだが減ってんだかよくわかんないけど、昔ほどゴリゴリしなくなり、クリエイティビティに目が向くようになった。きみはどう生きるか。週間そうなんだ。週間きみはどう生きるか。そうなると早く始めた人、先行者利得が活きる世界になり、そうなってくると、先に述べたような先輩後輩で昔ゴリゴリされて急にエアポケットに入ったような中年は、いわば「とっととやらなかったやつ市場」みたいなものの中に取り込まれ、足掻き始めることになるのである。いわゆる生涯学習であるが、先のサブカル的時代のネットなかった時代のホモソ的洗礼のせいで基本とがってるので、生涯学習なんかじゃねえ!ってなって、ネットで詩を書くというのは「とっととやらなかったやつ市場」の墓場みたいな様相である。「墓かよ!」と思うかもしれないが、わたしの心象風景はどうみても墓です。ありがとうございました。
自分で自分の詩を見た時の幻滅、理想の詩の形。
すっぽ抜けたわたしの「詩」をみると、そのようなことばかりが目についてきて、いやになることがある。ずっと死にたかったのだ。と言いたかった。時季も逃したが、ずっと死にたかった。とはいえ、もう「男の呪い」とか言うつもりも毛頭ないのだ。すべては時機をのがしていってしまった。わたしはその都度それらをちゃんとみのがして、見逃すことでたしかに選択していたのだ。
わたしの顔のしわのなさ、分不相応な声のおさなさ、声と不釣り合いな手の皺くちゃさ、歌声のなさ、わたしの人生なんだったんだろう。とかとんとん。
わたしの思う「詩」というものには、ある種の偏見というかロマンみたいなものがある。わたしの思う「詩」には、必ずオゾン層の穴みたいなものが開いていなければならない気がしている。あるいは、庭園の枯山水の砂紋に足跡ががっつり残ってしまってる感じじゃないといけないとも思っている。
丁稚奉公のちんねん的なやつが、自分の足跡を残さぬよう、丁寧に熊手で庭園の砂に紋様を引いて行って、最後の最後にうっかり足跡を残ってしまっているようなどんくささ、まぬけさ。完璧に世界や箱庭がきれいに閉じれていない感じが大事だと思っている。
それはつまり、どこかしら完成度のひくい「(まの)ぬけ感」や、統一性のなさであり、それは作品中の効果を生まない文体のトーン不統一、効果を生まない前後の整合性の反故など、可読性にもおよび、テキストを十全に伝え切ることよりも、その裂け目のほうに目がいって集中できないようなみっともなさのほうにこそ、共感性羞恥的な箇所にこそ、自分が息づいて存在しているかのような気がするのだ。
わざわざそれを丹念にチェックして、消していってしまっては、読まれ、また、伝わりはしても、そこに自分はいません、うまってなんかいません、としか言いようがないものが出来上がるだけだ。それは盆栽とかの剪定と、どうちがうのだろうか。詩は趣味のように切り揃えることもできれば、ぼうぼうにすることもできる。それは自由だが、わたしはぼうぼう派だ。
漫☆画太郎の漫画のような、ランジャタイの漫才のような、とにかく漫がつく何かのような詩が書きたい。青春時代、深夜、年末、MBSの『オールザッツ漫才』で見たリットン調査団のコントのような詩が書きたい。
考えてもみろ。おれらがいまさらがんばって本をいっぱい読んで勉強したり先行事例を研究し、ちゃんとした詩を書いたところで、それらは既に、もっとようけ読書したひとや、ぎょうさん人生経験積んだ先達や賢人や知性のある無頼な人間や無能者のふりをした天才みたいなひととかが、きりきりと体を絞るようにして表現した詩によって達成されたものの膝の上に、まったくそれと気づかず座るアンゴラ村長のようなものだ。短く言えばネタが被る。で、被ってるなら完成度の高い昔の有名どころのやつを読む。あと、そうじゃない、今ふうの、今様の、おもしろい系のやつだったら、別に個人の名を冠したものを読まなくても、Youtube、まとめサイト、匿名掲示板の名作コピペとかでじゅうぶんであり、ウン千円、あるいは千ウン百円だしてまで個人名の詩集として買うようなものではないのだ。所詮、個人の智慧には限度がある。読み人知らずでお題に沿って連続性のあるスレッドで大喜利を貫く人間たちのほうがよほど尊いのだ。
じゃあ、完全に自己満足で割り切るしかないのだろうか。ある意味ではそうである。だから、いつまで経ってもうだつのあがらない才能ある詩人をみるのはうれしいことだ。わたしにあるのは寿命と身の安定(ただこれも錯覚かもしれない)だけだから。わたしとは違う引換券の使い方をした人間をみて、物語も仲間も家族も賞賛も得ていない人間をみるのは、とてもほっとする。
わたしには、ひとなみの読書経験もないため、書いたものが、先達の膝の上に座るようなものなのかがわからないし、これがベジータがあえてしなかった変身なのかもわからない。ただ、常にそういうふうに感じながら、詩って、そういうことじゃねえよな、とも思う。ネタが被るから避けようとか、それこそ漫才というか、M-1の発想である。詩には上沼恵美子怒られ枠などというものはないのだ。好きに書けばいい。でも好きに書くというのもほんとはめちゃくちゃむずかしいことなのだ。コンパスなしで正円を書けみたいな話なのだ。
すっぽ抜けた詩とその仲間の可能性と考察。
すっぽ抜けた詩を書いている人間は、おそらくわたしひとりだけではない。予感はある。世界は広い。めっちゃいるだろう。それはちょっとした希望である。だが、自分がそうだからこそわかるのだが、そういう奴はめちゃくちゃプライドが高い。だから、みんなある程度の距離を保って、城跡の石垣の上に設置された観光望遠鏡から覗くように観測するのが、いちばんいいのである。これは長田弘の『賀状』的な世界観とはまったく異なる。あのような詩に潜む、弘兼憲史の描く熟女の乳首的ビルドゥングスロマンのような男性性、マチズモ、あれらは七十〜八十代用のおしめ詩(アテント、ポリデント)であって、給与水準が二十年以上横ばいで実質下がっている日本において、今の人が同じようによんで感動していては商売あがったりである。わたしの勘では、長田弘の詩集は(心の中で)焚書したほうがいい。
話を戻すと、そのような、すっぽ抜けた詩を書くひととの密やかな通信のために、わたしはすっぽぬけた詩を書くのかもしれない。詩の帯域も随分と拡がり、楽屋落ちのようなものや裏笑いのようなものを受容(ただし受け取らない)する層もきっと増えたかんじがする。わたしたちのような者が書く、すっぽ抜けた詩も、すっぽ抜けたなりの読み方や受容ができる世の中になってしまっているようにも思う。
おそらく『賀状』の頃には暗渠へと消え果てていたようなか細い表現や微かな輩も、かろうじて繋がり、自身を継続して表明できるようになった。但し、わたしたちは不意に情報環境すら操れなくなる日が訪れるし、時代が下がったとは言え、今も日々暗数となっていくひとびとはまだまだ存在していることも憶えておかねばならないだろう。いつかみずからのアカウントが行き倒れを示すだけのものになったり、メモリアルや途絶を示すものになる。なにもなし得ていないのなら、それすら成立しないことも十分にありえる。
次に、すっぽぬけ詩にとって大事な事実は、推敲しきったにも関わらずそうなってもうてる、ということである。
作者の内在律というか、テンポやリズム自体が多少狂っているというか、筋がわるいというか、文章の足腰がよわいというのか、リズムを考えれば崩さなくてもいいような箇所をなぜかしら、敢えて語感の悪いほう悪いほうへと推敲し、まったく意に介さない。わたしは、たぶん、わるい、リズム感のない、へこへこした早いセックスをする。腰をぬぼんばぬぼんばとリズミカルに振れない感じがする。指も蠱惑的に動かない。全体的色気がない。ここぞという時につまんないことばかり言う。非モテ。
なんべん永劫回帰してきても、どうあってもそうしてしまうような、なぜかここぞというときに一番語感のわるいものを選び出し、そこにきちっと置いてしまうセンスに長けているところがある。
置くか、置かないか。たった二択のルーレットのように、正解と不正解をぐるぐると回し続けた挙句、もうもうと煙をふきながら焦げた脳で不正解のほうを必ず選んで叩きつけるのだが、その逆を選んでもその時はその逆がまちがっているので、そのあとに冷却期間をいくら置いても、膨大な冷却期間をおいてから「ああ、ああ、今なら、よくわかります。よく考えたら、いや、考えなくても(笑)こっちでしたね」と、朗らかな顔をしながら、ちゃんとやっぱりまちがっているほうを選んで、そこに置くのだ。これはもうまったくの才能で、天性の終わってるである。
自分自身で、その語感のまずさや語彙のチョイスのミスりっぷりにまったく気づくことができないのだ。これは、たまに気づいている日もあるが、ほとんどの日は気づいておらず、直す日もあれば、直さない日もある。そんな感じである。家の棚の置き物のすわりが微妙に悪い気がして、すこし向きを変えるが、それが実は風水的にいちばん良くない方角になっているような、そういうセンスを、ぼくはもってる! それだけは自信をもっていえる。なんか部屋にも統一性がなく、外をあるいていても「おまえのその服はいったいなんのカタログの何ページに載っている服(コーディネート)なのか?」と信号待ちの向こうの人たちから厳しい視線を投げかけられている気がして、家を出られなくなる日がある。
いつも、自分が一番よくない日に限って調律を行ってしまう(でも、それもわざとかもしれない。なぜなら、わたしが完璧な日にことをやってしまうと、凄いことになってしまうから。こうやって、あえて才能を抑えているのだ)。子供と約束した前日に限ってわざと部下を誘って泥酔して二日酔いになるような、本番直前に余計なことをして全力で向き合うことを放棄してしまうナイーヴさとはまたひとあじ違った、真面目系クズ的な、奇妙で本質的な踏み外し方を毎回、常套手段として踏襲し続けている。その逆をやれば完璧というのでもない。生まれてきたこと自体がブッブーみたいなところがある。上島竜兵的などうぞどうぞ的な側面もあるが、それにしては誰も騙している形跡がみられないし、こっちも芸人として引っ掛かっているわけでもないのでブチギレるしで、ひとときれていくことにほっとしながらどうやって生きていこうこれから…とひとりで考え込む毎日である。
どれだけ完成された、閉じた箱庭のような、足跡のない世界を作ろうとしても、本人が狂っていることにまったく気づかず、毎回箱庭の隅やど真ん中に足跡をつけてしまっていたり、本人が舞台袖からギャン見えしていたり、要らない編集やテロップがいっぱいついていて読みづらく、コンプラ的にもだいぶやばいところまでいく。
一生駆け出しの尖り芸人みたいなことを非営利で、個人的営為として、ライフワークとして続ける。続けていって、死ぬ。
つまりフォビアと向き合わず、ひとや世界と協調せず、逃げ続けることを闘い続けると称し続ける。「すべてはテキストなのだ。ここには作者の死角や盲点、あるいは弱みやセキュリティホールなどまったく含まれないし、批評や批判も見当はずれだし、誰何なんてまったくなされないのだ」と強弁し続ける。手の施しようがない。なんでこんなになるまで放っておいたんだ>>1みたいな感じである。
そういう意味では、すっぽ抜け詩というのは、ほぼ「>>1の母でございます…」みたいな扱いを受けて然るべきスカムである。
そのことにまったく気づかず、平然と(あるいは敢えて)詩として提出し、その孤高の空気抵抗やなまあたたかい無重力感に耐えることこそが自身の詩であると確信する。さらに、興が乗ってくると、まともに書けてもいないのにヨゴシすら入れようとしてしまう。そして、さらに文意が混乱し、収拾がつかなくなるが、本人的には「これはこれで(逆に)おもしろいのではないか?」ということになる。
いかにdat落ちしないスレッドを立てるか?といったマーケティングや生存戦略の視点を持つことができれば、それはそれで進化であるし、それはわたしという詩を書く人間の終焉、卒業でもある。
自分の詩にゴーサイン出すためには。
この、どうしようもない「すっぽ抜け詩」を発表したり、愛そうとすると、まず基本死にたくなる。すきま風が、そこかしこから吹いてくる。とてもではないが、生きてはいけないような気がしてくる。ある日、急にすべてに気づいてしまって、ビルの屋上に駆け上がり、ダーン!と鳴ってしまいそうな気がする。このすきま風は、ある種の非対称性、契約不履行、つまり逆止弁のようなものによって発生している。このツケが溜まると、身体がパツンパツンにふくれあがり破裂してしまうから、みんな出来るだけ意味の通る詩や、完成度の高い詩を書きたいと願う。身なりや品行方正、割れ窓理論のようなものである。言葉の不法投棄、債務不履行はまず何より自身に降りかかる。だからまず何より自分自身を納得させるというか、OKとかGO!GO!ランプをもらわないことには、ひとはペカれないのである。
しかし、時には、書いているうちに熱中して、裡なる対象を見失ったり、クリンチして客観的に見られなくなってしまったりして、デッサンが狂ったポエジーを胸いっぱい吸い込んでしまうこと。
ビルの隙間のゴミためみたいなところに長渕キックで蹴り入れられ、ごみ袋をヨギボーにして頬にぽつぽつ降り始めた雨粒を浴びながら、それでもすっぽ抜け詩を擁護すること。
それっぽい冷静さを装って、詩のような体裁はもっているが、読む人が読めばすぐにデッサンが狂っていて、トーンがばらついていて、イメージ喚起力の低い、可読性の低いどうしようもない詩を、至って本気の本人がいる目の前で無理くり愛して破裂せずに居ること。
ぶっちゃけ、そんなのごめんだと思う。理念的には愛したいが、すくなくともやはり、すっぽ抜けした詩は、すっぽ抜けている自覚ぐらいは持っていてほしいとは思う。
みんな毎月持ってきてた合評会のあのときの詩を、ちゃんと詩集に入れていて、それをみた時「あ、みんなほんとうに詩を書いてたんだ」と驚いたことがあった。
私が持って行った合評会用の「なにか」は、詩とはまた違うものだった。偽造すれば自分がしんどいだけの、パスポートのようなものだった。
詩が書けていない。わたしはそれに気づきながら、なんとなくぼんやりと開き直ってきた。
文学史的空間把握とネタ被りと「それ以前の存在」。
なんか昔、高橋源一郎さんが、どっかでなんか、文学史上の空いてる場所を探して狙うみたいなことを言ってた気がする。わからん。わたしはそれを鴨川の河川敷に等間隔の距離をあけて座るカップル(以下等間隔カップル)のあいだに、さらに等間隔を見つけて座れと言ってるようなものだと解釈した。
いろんな本を読んで、「文学史」を空間認知し、余白、間隙を発見し、まだ為されていないこと(等間隔のあいだの等間隔)を探して、そこに座る。そうやって文学は充実が図られてきたのかもしれない。ずっとうつ伏せで両足をパタパタさせながらコロコロコミックでドラグ恐竜剣を読んでいたわたしのような人間には、どだい無理なはなしである。じゃあ、いったいどうすればいいのだろうか?
諦めろ
当然わたしは本読まないおっさんだから、文学史を知らない。等間隔で座るカップルは視えない。ガラすきの鴨川の土手だけが見える。だから、わたしがどこにどう座っても、結局誰かのカップルの幽霊と、重なって座ることにしかならないのかもしれない。
そういえば、鈴木志郎康さんもなんかの本で、一般人が新しいものや今までなかったようなものが書けるわけないと仰っていた。なぜなら、今まで書かれた膨大な文学作品からニッチを探したり、ウラをかこうとすれば、業余で寝る間も惜しんでめちゃくちゃ読んでパターンを知り、傾向と対策を練って方法論的にやらないと、そんなめったなことでは新しいすごい作品なんかできないから現実的にめちゃくちゃ厳しい、みたいなことを書いてらした気がする。
当時、鈴木志郎康さんは現代詩手帖の撰者か何かをしていて、「なんなのマジでこいつら。なんでこんな、作品に至れないもんばっか書いてよこしてきやがって」と嘆いていて、そういうのを月に三百個ぐらい読んでて、その理由について考察するうちに、先の発想に思い至ったのだった。「よくよく考えてみれば、ふつうに仕事して家帰って飯食って風呂入って本読んで詩を書こうとしても『詩って、だいたいこういう感じだよな〜』ってなるよな〜」と、いくらか同情的に書いていた気がする。
これがたぶん一九七〇年代の話で、今はネットとか時短アイテムが豊富にあるので、昔よりはだいぶ業余は増えた気もするし、情報へのアクセスも楽になったので、これらの話をそのまま現代に当てはめれるかというと、ちょっと違うかもしれない。そこはまあ格差社会みたいな感じで、的確にディグれる人間はすごくディグれるし、へたの横好きと、好きこそ物の上手なれの格差が顕在化して、結局親の金とか知性とか何を読んでるかといった、周囲の環境と本人の資質の乗数がエグくなり、事始め初速重視の世界観になりつつある気もする。遅くてもいい、いつから始めたっていいんだよ、今日が一番若い日だよと言いながら、早く人生を決める人ほど成りやすくなる。遅く始める人は、いつだって遅く始めたぶんの課徴金としての金づるでありスポンサーであり裾野である。利根川に言わせれば養分である。おれらは養分詩人であり、養分騎士である。クソース!
僕に才能はないのかぁ…
こういう便利な時代になっても、結局できなかったり遅く気づいた人たちはいったいどうすればいいのかという話である。遅いなりにやれるとこまでやる。まじめか。人生の途中でたまたま気づいて沼に堕ちた人はどうやって生きていけばいいのか? 予後不良か?
はたまた、中年となり、ぽっかりエアポケットに入って、ふと詩に気づいたり、思い出したりした人は、どうすればいいのだろう。中年クライシスまっしぐらであり、まあるいいのちを持ったKKOのおっさんおばさんどもは、いったいどうすればいいのだろう。かけ、書け、書くのだ!
…でいいのだろうか?
なんでもなるべくなら早いほうがなんとなくいいけど、詩は終夜営業やってますなのでいつだって入れる。去るのも自由。ただ実名でがっつりある程度の期間やってしまうと(取り)去りにくいかもしれない。手作り黒歴史、手作りデジタルタトゥー。
でも、詩ってカルチャー教室っぽいけど、人生にふかく関わってもいて、浅く触れることもできれば、さっき言ったみたいに、デジタルタトゥーのように、ずぶずぶにいけたりもする。呪われたりもする。自分の人生の道に自分でけちをつけるというか、どーんとでかい岩を置くような超試練が発生する場合もある。自分の人生の流れに棹さすことができる。時間性を超える。じっさいは超えれてなくても、本人的に「時間性を超えた」とおもえることが大事。
入れ墨の人が銭湯お断りされるように、詩を書く人で、詩によってなにかが刻まれてしまった人は、世間の、銭湯的ななにかに入れなくなる。人が詩を書いたとき、少しずつ事実をぼかすのは、この恐怖に臆するからである。作者=話者ではなく、詩=事実ではなかろうと、どうやったって「これでいこうとした」事実だけは残る。
恐怖を逃すには、代名詞を用いたりする気がする。わたしとあなたにしてしまう。男にしてしまう。女にしてしまう。妻にしてしまう。夫にしてしまう。
ここに読者が自身を代入するか、作者と話者を混同するかして、ある種の感興が起こる。それが詩のよさであり強みでもあるが、そこに作者の踏み込めなさを読み取ることもできる。書くなら書く、書かないなら書かない、の判断が恣意的であり、自己保身的である場合、それはべつに詩じゃなくてもいいのでは? となる。
ただし、何もかもをありていに、事実や個人名をガンガン使用して、公明正大にずぶずぶいくほうが、逆に演技じみていてけっきょくなににも触れられておらず、むしろ、浅い感じのフェザータッチみたいなののほうが、逆にずっぷりと現実を奥深いところまで突き刺している場合もあったりするので、これは一概に言い切れない。このへんは、職業生活を送りながら書くのと、そうではないのとではまた全然ちがう。金銭や糧を得るルートがない場合、自身でそれを確保しながら書かなければならない。もしあるのなら、確保せず好きに書くことができる。好きに書くことができても、それは嘘みたいなものである。ずっと一生「第一部 完」みたいなことを言い続けなければならない。
ただ、自身にこう問うといいのかもしれない。自己保身的に推敲しているか、「効果的に」つまり詩のために、それを行っているか。果たしてどのように返ってくるか。わたしはただの一度も効果のために詩を書いたことはなく、ただただひたすら自己保身的に、いつでも切り離せる安全装置を、二重にも三重にも張り巡らせながら、何とも向き合わず、書いてきたことだけは確か(そして、そんな安全装置が不要なほど、わたしはずっと安全だった。飯もめちゃくちゃ食うし)。
文章をきれいにしたり、体裁を保つのとは反対であって、きれいなものだといっても、それはきれいにするためにきれいになったというよりも、自分の奥にある細い配管から、冷奴のかどをひとつも崩さずに体外に取り出すとか、茶色い瓶の中に作ってあったボトルシップをバラして、外に再構築するような感覚に近いのかもしれない。そして、もとからあった感やこうなるしかなかった感や、気づいたら書いてもうてた感や、気ぃついたら目の前にあった感などがあると、なおのこと良い。それだけでなんか詩ぃやな〜って感じがする。
どっちにしろ、始めるなら、なにかと早いほうが勘どころが掴めるが、遅く気づいたときの対処法、身の処し方についても、わたしは考えていきたい。さっきからこんなことをずっと言ってるが、なかなか話が進まないのだ。
みたび、わたしの話。
わたしの話をしよう。さっきからずーっと、わたしの話だったけれど、やはりこれからもわたしの話をしよう。わたしの話以外、する気はない。
わたしは、たぶんCoccoのRainingで「詩」というものを認識した気がする。角刈りか、スポ刈りの中学三年生だったわたしは、買い食いとか、ものを買うとか、消費するとかいったことがほとんどなかった。ブリーフで、お母さんの買ってきた服を着ながらオナニーをしていた。お母さんの服でオナニーしていたのではない。お母さんが買ってきた服でオナニーをしていた。自我はあったけどないようなものだった。修学旅行から帰ってきてから、ずっと、ちんこが小さいのじゃないか、女子に向ける視線がわからない、常にパニックで、幻覚尿意でトイレにかけこみ、毎日ビオフェルミンや正露丸を飲んで学校に通学していた。時々息ができなくなって、ダッシュで物干し台に行ったりしたら息ができた。緊張の強いお子さんだった。
JEUGIAの視聴機で聞いてから、一年後、桂のツタヤで中古のクムイウタを買って、聞き倒した。
で、また、詩の話にもどります。
そのもっと手前の世界認識というか、もうその文学のウラをかくとかそんなのは全然無理だし、等間隔カップルの等間隔の隙間を探す手前の、河川敷へのルートもわからないし、そのための京都を形作るためのそもそものポリゴンが足りてない。だからわたしはいつも通勤でポリゴンの欠けた、ところどころ黒い京都を見ている(ほとんど黒い)。
そして、わたしの世界認識は、たぶんふつうの人が見てる2トントラックと、漫画太郎の漫画に出てくる2トントラックぐらいの差がある。今、2トンと言ったのも、すでにあってるかわからない。4トンかもしれない。そして、ディティールが粗い。生活のディティールも粗い。みんなのみてる世界より、だいぶディティールの粗い、雑い世界を見ている。しかも、この雑さは、芸術とかの削ぎ落とされたシンプルさの方角より、どう考えても漫画太郎のほうからやってきた気がしている。わたしは本よりも、オールザッツ漫才とかのほうから詩にきた気がしている。
だから、ぶっちゃけ、もうどうでもよくなったのである。鈴木志郎康さんが歳をとっては詩作がオススメというコラムで書いていたのは、もう書いてしまえばそれが詩であるという論法であった。
なんか茂木さんのクオリア理論を援用して、詩はそもそも詩の抜け殻なのだから、書いているときに脳髄で渦巻いてるのが詩なのだから、出力されたものについては、もうどうでもいいじゃん。いや、どうでもいいじゃんと鈴木志郎康さんが言ったわけではないのだが、私はそう思い、すっきりした。クオリア理論持ち出したのは、なんか寂しかったけど。なんとなく。
鈴木志郎康さんの鼎談とかを読んでると、なんか書いた人とセットで詩を読むのが楽しいと仰ってて、その何年か前に「詩は、もうわかっちゃって感じなんですよね」と、どこかのBBSで仰ってて、そのへんから考えるに、詩のギミック的な側面、構成として、ここで匂わせて、ここで効かせる、みたいなものに関してはもう、どういうのが出てきても「だいたいわかっちゃう」からこそ「もういい」みたいになったのだとおもった。
一九七〇年代の作品性みたいなもの、その、業余で作った芸術然、詩ぃ然としたようなものの得体の知れない誰のか知れないようなうまいのはもう要らなくなったらしい。
だいたいのところ、詩のギミック的な側面でいかに効率的に相手のなかで再生させれるかとか、操作的にふるまえるかとか、どれぐらい言葉の認知度があって、その言葉の小物感が浸透してるかとかを把握する感性やセンス、そしてあえてそこにヨゴシを入れるかとか、そのへんのところをきっちり考え抜いたやつで、しかも、それの深みとか、そこにどれだけ今までの蓄積を使ってもっと先に掘り進めるかプラス、その人の人生で言葉と格闘してるか感とか生き様とかが陶然としてるのをみて、入選させたりする。
まさいく等間隔カップルの等間隔を探す作業をされてるかたがたであって、それはそれですごいことだし、わたしにはできない。
もうそういうのは無理だし、チャレンジするのはいいことだし、だからわたしはわたしでやるしかないというシンプルな結論ではあるのだが、こういう経緯があって、わたしはこのまま、すっぽ抜けた詩を書こうと結論した。
人が目の前にいないと楽しくない詩でも全然いいし、言葉だけでうまく作動する詩が書けたらいいなと思うこともありますが、まあ好きにやるのが一番いいんじゃないか、もう等間隔のことも河川敷のことも、忘れはしないが、見えもしない場所のことをいろいろ考えてもアレだし、わたしはわたしですっぽ抜けた詩を極めよう、いや極めようともしないな、でも、ずっと書いていこうと思った。
「すっぽ抜け詩」の定義や理念について。
ここですっぽ抜け詩の定義というか、なんか理念みたいなものをざっくり今考えている範囲で書いておこう。
足跡が残ってる詩、残ってるというよりは消せてない詩。とくに、途中でやる気がなくなって力尽きたり、どれだけ推敲しても足跡や歪さが残ってる詩。歳をとって、若いときのような結晶化した透明な標準感や文体感がうしなわれ、文章の曲がりやクセがひどくなってるのにまったく気づかない感じ。またはそういう詩。ナウシカに褒めてもらえる系のおじいさんの手みたいな詩。ヤフコメの句読点がめっちゃ多かったりびっくりマークがめっちゃ多くて、てにをはが狂ってる詩。衣が剥がれてぽえ汁流出した詩。再生ボタンのない詩。カミオカンデとかにも検出されず、すっぽ抜けて、地球から抜けて、どこまでいっても誰にも検出されない詩(われらコンタクティ詩)。かっこつけてない詩(ただし結果的にかっこつけきれてないものはのぞく)。どちらかといえば笑わせようとしてる詩、つっこみ待ちの詩。
このへんの感じだろうか。ヤフコメ詩は個人的には厳密には違うような気がしている。これはパロディに近い気がする。
はずせないのは、足跡が残っていて、力尽きていて、夾雑物が多くて(しかも伏線にも暗喩にもなってない)、どこまでも飛んでくこと。
どこまでも飛んでいきそうな、誰にも刺さらず、どこ投げとんねん的な、放物線を眺めて笑うのが、すっぽ抜け詩の醍醐味である。これはオールザッツ漫才におけるリットンさんの笑われ方にヒントがある。
MBS深夜の生放送、オールザッツ漫才の客席は、観覧席の後ろに芸人の席があり、リットンさんの笑いは芸人がリットンのギャグがすっぽ抜けた放物線を眺めて笑ったものを観客が笑うという逆二層式構造(意味はわからない)になっている。
この発想でいくと、逆に、どこまでも飛ばずにそのへんの人に回収されたり観測されたりするような詩が、本当に詩なんだろうか?という気がしてこないだろうか。そっちのほうがよっぽどチキンじゃないかと思わないだろうか。当てにきてる詩(本人談では知らない間に書けたと言ってる)より、ポーンとあてもなく飛んでいく詩のほうが、おもろくないだろうか。
昔たしかに「当たった」から、それをしたくて詩を書いているような気もするのだが、いつしか「当てに行く」ようになってないだろうか。そして当たるからすごいみたいになってないだろうか。擦れるぐらいきわきわに絶妙に当たる、手品のような中央神殿感に憧れて始めたはずの詩が、いつのまにかスレてスレて、もう当たらないほうがてえてえ(尊い)とか言い出して、悲しいといえば悲しい。
でも、ぶっちゃけ、もう別に当たらなくてもいいのではないだろうか。その、当てに行くために逸失している、さっきの例でいえば、業余の時間で投稿のための詩を書いているとか、たとえ投稿のための詩は書いていなくても、もうほとんど詩を書くという行為じたいが体裁と整える、という意味以上になってないのだとしたら、それは気づかないうちに、鴨川の等間隔カップルに重なってるんじゃないか、ということが言いたいのだ。
その昔の人がやったであろう鴨川の等間隔の幽霊みたいな場所に、GIジョーの人形がバラバラ降り積もるような無為な詩作ならやめてしまったほうがいいんじゃないかという考えがある。やめなさいとは思わないけど、なんか暮らしのスタイルとして調律された詩を書いて、黒田三郎さんのやつで読んだ心得があって勢いなまぬるい詩作をするのだったら、まだ「不安定な詩作」を繰り返したほうが私はずっといいと思う。
なんかこういうのを読むたび、書くことや公開に躊躇ばかりして踏みとどまってしまうけど、人生はどう考えても有限であり、読まれない文章はやっぱり読まれないが、出されない文章はもっと読まれないのだが、なぜ出さないのかは自分がよくわかっているはずだ。だったら出そう。
すっぽ抜け詩の語感、詩はブームの定義。
すっぽ抜け詩、語感わるいなぁとはおもったけど、擬物語詩よりはまだマシなのかなぁと思って。
詩はブームであると言ったけど、じゃあそのブームの内訳はいったいどんな感じになってるものだろうか。今パッと思いつくものを挙げていくと
・言いたいこと。言ってなかったこと。
・言えないこと。
・思ってること。思ってなかったこと。思いたいこと。
・見てほしい自分(リターンを期待しているもの)。
・何かしらの実現。
・提出、態度、ステートメント。
こんな感じだろうか。それぞれにそれぞれが混ざり、必ずしもひとつに限定されるものではないが。
これらのブームへの寄りかかりを避けることが、さっき言った等間隔の中に等間隔を見つけるような、探査的な、詩というものの運動のひとつのようにも思う。つまり、自分は見てほしい自分を書いているだけなのではないか?と問い直すこと。あるいは見てほしい自分を書いて、その返りを期待しているのではないか?というか、なんか書いてることと周りの反応ずれてない?あー、そうじゃないのにー、みたいな。
そもそもその自意識の問い直しそのものは必要なのか? では、言ってこなかったことや言えないことを書くのか? 見て欲しくない自分をわざわざ書くのか? 要るから書くのか? 一緒に痛いとおもってほしい? おもわせたい? いや、そもそも自分を書かなきゃいけないのか? 何かしらのテキストを構成し、何かしらを実現し、提出すればいいのではないか。それが作品ではないか。では、自分はその作品を彫琢できるほど造詣があるのか、あるいはその裏を書いたり、新しいものを書けるという知識や文脈を把握し、理解し、自覚しているのか? では今、自分はどこに位置づけられているのか? 忘れよっ。トランス、自動書記、コピペ、フリーライティング、モーニングページ、日記、つぶやき。開き直ろう、結局は今の自分だけだ。いや、でも。
このようなルーレットが渦巻き、渦巻くことじたいがまちがいであるとも思う。もっとナチュラルに「ハッ! 気がついたら、もう目の前に…こ、この文章があったんです! 信じてください!」になりたい。
もうこの入り口からして、不純つーか詩に対して不敬であるな、などと思う。いや、これは逆に真摯なのだ。いや、これは(現実の課題から)逃げているのだ。生きていないのだ。何やってんだ。散歩しろ。シコって寝ろ。
右のような精神の摩耗を入念にくりかえしてから、すっぽ抜け詩を書き始める。ガチの徒労である。個人的営為である。これはオナニーって言われても仕方がない。
そして、これはある種の不義理を犯すことへの平謝りみたいなものである。こういうサイクルを、馬鹿なりに馬鹿だからか、ぐるぐるする。オナニー直後におしっこしようとすると、尿道と膀胱が精管と切り替わっておらず、おしっこが何度も下腹部をぐるぐるする感覚がある時がある。もう尿道の先まできている感覚がツンとするのに、またいったん奥へと引っ込み、もどっていく(真っ暗な頭の中、ぐるぐる円運動する尿)。それを何周も繰り返し(わたしはただうつむいて便器と性器の先っちょの、いずれつながるであろう水分の切っ先を期待しながら、尿と外界がつながるまで、亀頭を見据えながらじっとしている)、尿が外界とつながって、疲弊した、ちょろちょろの排尿が始まるのを眺める。つくづく人間はくだだなぁと思う。言葉はくだから通ってこないのに、くだから通ってきた感がある。
生きてきて、詩を排泄に喩えるのをいくつか読んできた気がする。もし、詩を書いてるときの逡巡を、排泄という例えに接続するならば、わたし個人の例で大変恐縮だが、だいたいこんな感じになる。
書く、書いていい、書かなくていい、書くべき、書かれるべき、書かないほうがマシ、書くな。これらについてはどうだろうか。
書いていいかどうか。書くかどうかは自分次第だが、これは何かしらの身体的拘束を受けている場合は、頭の中に構想するしかない。非常に幼い被虐待児の場合や知的な障害がある人の場合、構想する言葉ももたないまま、時間的身体的拘束と両親から昼夜問わず受け続けることになるため、あの人たちは、書くということはできない。もしかしたら、形としての、人の現れる「文字」を書きつけることはできるかもしれない。それは加害者の両親が撮った音声や映像とは違う。映像はものの一瞬でその人だとわからせるが、わかったあとに本当に誰であるのか、照合しなければならない。音声では、一瞬ではその人だとわからせることはできない。発した音声と媒体と記録性、整合性、合理性を照合しなければならない。人が身体を用いて書いた文字はどうか。では彼が打った人の出てこない言葉はどうなるか。
書くということは人によってはできない行為で、できる人間の中にも書く者と書かない者がおり、書く人間にも書くのを待たれる人間と別に待たれていない人間がいる。ぜんぜんべつに書かなくてもいい人間、書かないほうがマシな人間については、どうだろう。これらは自覚に基づいているという点が共通で、後者には他者評価の影響がみられるから、書かないほうがマシな人間のほうが現実なんだろう。そして、書かないほうがマシな人間のほとんどはふだん素通りされ、ふつうに不可視化しているのだろう。
田中修子さんについて。
田中修子さんが開設していたBBSはとても居心地がよく、わたしはよく、テキストフォームに慣らし書きをしてから、メモアプリにそれを移して長い手紙のような気分で文章を何度も継ぎ足したりしていた。田中さんがわたしの書いた文章の返信で書いてくれたもののなかに、ネット詩の印象として非常に秀逸な表現がある。わたしは田中さんの書いた文章のなかで、これがいちばん好きである。少し長いけれども、引用する。
わたしが長々と書いてきた印象が、ここにギュッと凝縮されているし、とくに「学校みたいで…」から続く文章については、ネットで詩を読むことを習慣化した人のくせのようなものを非常にうまく的確に捉えていて、まさにこれだと思う。
その前後にある「ユーレイ」や「現実との折り合い」についても、非常に端的にネットと自分というものに対する捉え方として「え、これって自分じゃないの」と思ってしまいそうな書かれかたをしている。
もともとわたしも田中修子さんが現代詩フォーラムに書いていた散文のテンションが自分とよく似ていたから興味をもったのだった。
その後、田中さんとは東京で二回ニアミス、というか同じ現場に揃ったことがあったが、結局、喋ったことはいちどもなかったし、顔もよく覚えていない。一度目は現代詩フォーラムの同窓会、二度目はともちゃん9さいさんの追悼イベント『世界のは展』。あとは掲示板でのやりとりしかしたこともなく、ツイッターもフォローしなかった。火ぶくれのはくちょうをDMで注文しようかとも思ったが、躊躇っているうちに田中さんは亡くなってしまった。
わたしにとって、ともちゃん9さいさんこと田中智子さん、田中修子さんの死は非常にショックだった。身近な人が死んで悲しい、いなくなって悲しいのとはちがう、人生にずんと重く響く、遠くのほうで行き先がすこし変わったような感じだった。
田中智子さんは初めてのCDを出して一年ほど経ったころだった。Apple Musicでともちゃん9さいが聴けるのはマジで隔世の感だった。
もともとPoeniqueというネット上の詩投稿サイトの詩会掲示板というBBS機能を使った半匿名の合評システムの中で田中智子さんのことを知った。
詩会はひと月〜ふた月ペースでBBSのツリーで投稿された詩に点数(0点〜5点。小数点は第一位まで)をつけて合評するシステムだった。それぞれの詩の投稿者がお互いに評価者となるのだが、投稿時には作者名が伏せられており、先入見なしに作品を評価。その後、名前が開示され、感想戦に突入するような流れだったと記憶している。だいたいは、点数のあとに作者がお礼を書くような感じだった。
田中智子さんは一年前ぐらいのある回の詩会で優勝しており(『あけましてお』という詩だった)、そこの受賞者コメントに「This is POPな球体が跳ねるって楽しいね、オザケン新譜おもったよかふつうだった。いとうさん(筆者注:Poeniqueの管理人)がわたしには何かあるって言ってくれたから続けてきました」的なことが書いてあって、なんかおもしろい人だなと思ったけど、詩はざくぎりのような感じがして、言葉がとてもぞんざいにゴロッと置かれてるような気が(当時は)して、これはどこがいいのか?と思って、何度も読んで、その月の詩会に提出されていた『カラオケ』という詩も田中さんが作者だったけどわけがわからなかったので他の作者の点数と評価コメントをみて、ああ、そういうことなのかみたいな感じで読んでいた。
そのときの詩会にあったのはちょりさんの『あるく』とか原口昇平さんの『殺戮の時代』とかがあって、その後の詩会にもれっつらさん(谷竜一さん)の『chika』とか、みいさんの詩(タイトルは忘れた)があったりで、わたしのなかで詩というものの印象がもっとも鮮烈だったのは、今思えばその頃だった。たぶん、絶賛ひきこもり中のころである。
みんなエンピツという日記サービスで日記も書いていたので、それもよく読んだ。田中智子さんの日記も好きだった。そのときから大丈夫かという不安はあったけれども、ツイッターが更新されなくなったときも、閉鎖病棟かなと思ったり、もしやと思ったりしていた。田中智子さんはもう歳をとらないが、亡くなった当時の年齢差は五歳ほど年上だった気がする。今はもう二歳しか違わない。
田中修子さんは五歳ほど年下だったが、今はもう八歳差になろうとしている。
わたしは正当に悲しむこともできないし、悲しみかたもわからない。そもそも今まで身近なひとが死んだことがないし、大事な人が死んだこともないので、人の死とその悲しみについて、比較対象がまったくない。
また、自分の家の話へとそれていく。
誰かの結婚式に行ったこともなければ、合コンに行ったこともない。小学校の高学年のころ、祖父が死んだときも、そんなに悲しいとおもわなかった。ただ、黒い痰をぬぐおうとして、祖母がハンカチを指に巻いて祖父の喉に突っ込んだら容体が急変し、そのまま死んだのだった。葬式のとき、いとこの少し年上の女の子は準備中のマイクの横で嗚咽して、その声が大音量で流れていたたまれなかった記憶がある。
それからは家族関係が悪化し、祖母は生きていれば百十歳とかになるので既に死んでいるのだろうが連絡はない。母方の祖母も八十は超えているはずだが、どうしているかはわからない。親戚の子も全員結婚したり子供がいたりするはずだし、弟も結婚して大阪にいるはずだが、どうなっているかまったくわからない。親父が生きているかもわからない。母はiPhoneに「◯○さんの六十四歳の誕生日」と表示されたから、六十四歳なのだろう。特に連絡もないし、こちらからも特に何もしない。
去年までは毎月母のいない時間帯をねらって実家に行き、壁掛けのカレンダーを撮影して、母のシフトを把握するのだけは続けていたが、今年に入ってから一度もやっていない。
母は誰かが死んだから帰ってこいとも挨拶しろとも言わない。ただひたすら連絡はない。もともと引きこもる前、引きこもり中、引きこもり後も、それほど会話はなかった。
殴ったことはない。蹴ったこともない。つねったこともなければ髪を引っ張ったこともない。中学校ぐらいまで一緒に風呂に入っていた。勃起したちんこを見せたりしていたし、射精はすべてブリーフの中でおこなっていた。
それを母がどう思っていたのかはよくわからない。よく見えていなかった。そのころは人が何かを思うということも、よくわかっていなかった気がする。働いて十二、三年経った頃、『プリンセスメゾン』という池辺葵の漫画を読んで「床暖房、あったかい…」というセリフを見て、床暖房のある部屋に住みたい!と1Kの築浅学生マンションを借りて四年ほどそこで暮らし、昨年末、2300万の3LDKのマンションを購入。ここで、賃貸の保証人としての親とも縁が切れた。ローン未払い時の補填が保証会社になるからである。
ある意味これを狙っていたのもある。調べていくうちに、買ったほうが動けなくなるが、保証人としての親からきれるのだと思うと、すこしいいような気がしたのもたしかだ。結局ひきこもったときも働いても、親とはしゃべらなかった。最後のほうの親の言葉は「迷惑かけんといてな」という、心底嫌そうな顔つきしか覚えていない。いや、もうすでに顔つきもさだかではない。おぼろげである。
ただ、親がどうおもっているかなどもうどうでもいい。案外ポジティブに、いい送り出しかたをしたとでも思ってそうで、それはそれでもうポンコツとしかおもわない。親というのはここではほぼイコール母親で、父は私が二十歳のころ家をでている。母は今ひとり、自分しかいない父の家に暮らしている。出る直前の家は天井が剥がれ落ち、穴が開き、空が見えていた。雨の日は二階の床にピクニックで敷くようなビニールシートの上にアルマイトのべこべこになった金だらいやそうめんを盛る大きなガラスの器などを並べ、受け切れるはずもない雨を受けていた。こぼれた雨水の領域も拡がるに任せ、乾くに任せ、乾いたあとは黒ずみ、天井の砂みたいなものと床とともに一緒に腐りつつあった。母は二階を放棄し、一階だけで暮らすようになった。二階のベッドはネズミのフンだらけになっていた。もう母は家をどうこうする気持ちはなく、暮らすのみであり、わたしはもう母をどうこうする気持ちはなく、父も弟も? いや、弟は嫁と孫をたまに連れてきていたようである。嫁の家族というものに対する慣習がぎりぎり母と弟を繋いでいるが、弟夫婦は二階の崩壊はどういう理解の仕方で許容しているのだろうかとはときどき思う。誰も家に穴が開いていることを話さないまま、たまひよクラブを買ったり、孫のために編み物をしたり、自分のことをばぁばと書いた手紙を書いたりして、生きているのである。それが去年末のことで、それ以降は知らない。母は弟夫婦と孫に囲まれて、まあなんとなく人間っぽく生きるのだろう。わたしはただ、かれらが壊れた家や、老いた母をこちらに投げてこないか、そういった根回しや策謀があったときはアイスソードのように殺してでも対処する決意を今から強く持っている。真言のように、かれらがそのように動くのを確認した時点でそう発動するように深く誓っている。かれらを殺して実家を焼き払い、逃げられるだけ逃げ、裁判でいっさいの反省を誓わず、罪と向き合わないというか、罪と認識しない。さまざまな理不尽を丸投げしようとしてきた家族づらしたものどもを返り討ちにしたまでである、と今から信念を持ち生きている。そうなれば三十五年のローンも関係ない。非常事態である。
ただ、「そんなこと」で、のこりの人生を棒に振りたくないというのも、偽らざる本音である。殺して捕まるぐらいなら、殺さずに捕まらないほうがいい。しかも弟と母と彼らのうみだした眷属のたぐいを殺しただけで捕まるというのは、私の感覚からすると、ありえない。どうにかして、かれらに対処せねばなるまい。
それる人間、イタイ人間としての「わたし」。
昔、現代詩フォーラムに書いていたら興がのってオナニーとか書いたら鵜飼さんがお前のせいでスレッドがびみょうな空気になって止まったじゃねーかみたいな感じにたしなめられた気がして、反省したりしたけど、いつもそういうことが多い。スレッドストッパーになることが多い。
わたしにとって書くことはなんか流れをぶった切ってしまう。「隙自語」とよばれる、隙あらば自分語りを始める人間。主題やテーマに沿おうとしない人間。すぐそれる人間。人間はそういう人間にきびしい。いつもテーマやお題で揃えようとする。わたしはじゃあどこで喋るの?と思う。そういうのは喋るもんじゃない、心の中にしまっておくものだ、ここではテーマに沿ったことを書くんだ、お前のことなんか誰も興味ないんだから、そんなことはチラシの裏にでも書いてろ。
こういう自分を消す訓練とか、自分を出す場所を確保する訓練や漂着の果てになにがのこるのかと、いつも思う。
自分を出す場所でも言えてないことってめちゃくちゃそこそこあるでしょう。便壺にこびりついた擦過痕うんちをどうしてますか、尿で穿ってますか、それともトイレットペーパーできゅっと拭きますか、<BR>タグを心の中でなんてよびますか、なぜ主題がいつも決まっているような、話の流れが要るような、最近それも重要だとわかってきたけど、無理に捻じ曲げてはいけないのだけど、どうやっても行きつかない話題とか、どうやってもさわれないところにある痒みとか、そういうのどうします? 知らないふりをしてなくなるまで耐えますか?
なんかそういう訓練に弱いから昔からしんどかったのだろうし、だから今ここにいるんだろうと思う。
毎回同人として参加させてもらってるLylic Jungleという同人誌にもイタイすっぽ抜け詩を毎回書いて投稿している。年2回刊行ぐらいのペースなので、送ってから半年後に届いたりすると「うわー、何書いたかなぁ」と恐怖で開けずに、本棚にしまっている。わたしは本に載ってる言葉より、そこに向けてぎゅーっと自分を燃焼しているときの感覚が好きなのであって、そのあとの作品がちゃんと紙に載ってるかどうかというのは恐怖でしかない。
また急に、ネットの話?になる。
昔、はてなができたころはてなアンテナというのにサイトを登録すると、更新を知らせてくれた。そしてはてなダイアリーという日記ができると、トラックバックという機能で元記事を引用しながら言及するというシステムができて、はてな村とかはてな論壇と形容されるようなコミュニティーっぽいものができているっぽかった。
わたしが追ってた(こう書くとストーカーみたいだな…)詩のひとは、HTMLの直打ちか、(ホームページ)ビルダーか、エンピツという日記サイトが多かった気がする。あとは日記のランキング用のウェブリングのバナーをつけたりしてる人もいたのかな。
はてなはその少しあとにできた気がする。はてなでは当時、なんとなく儀礼的無関心ってキーワードをよく見かけた気がする。どういう文脈だったかはまったく憶えてないけど、まあはてなで繋がり始めたとき、振る舞いをどうするかみたいな、ある意味今にも通じるような話だったんじゃないだろうか。
今、SNSでどうあれば良いのか、いまいちわからない。
ほとんどのひとは儀礼的無関心をやれている。
あのころはまだもう少し、ものごとってカチコチしていて、白黒はっきりつけれるような気分があった。フロイトとかラカンとかフランス現代思想、精神病理学、何か因果があったり、広汎性発達障害とか反社会性人格障害とか言われたら、なんかもうそれで手打ちみたいな感覚があった。若者が優先席に座ったらいきなり怒鳴りつけてもよかったし、携帯をいじったらペースメーカーにさわると怒鳴りつけてもよかった。殺人事件があると何日もやっていた。
今はなんかいろんなことが相対化してしまって、すべてはグラデーションであって、みんな多かれ少なかれなんかあるみたいな感じになって、優先席に座ってる人がどれだけ若々しくみえようと、じつはどんな事情を抱えているのかわからなくなった。殺人事件は同居人系か子殺し、家族同士かSNSを通じて知り合ったとか、そういうのばかり聞く。
住み分けが効いてきていて、ほとんどの殺人ってもう無垢な家族信仰のもとでしか起こっていないのではないかとすら思う。少し引いてみたら「ああこれは無理、ぜったいに無理」みたいに距離を取りやすくなった。その代わり、なんかものごとは見えづらくなった。そもそも昔の白黒こそが頭おかしかったのだろう。もっとものごとは相対的でドラスティックではなく、粘り腰でゆっくり、ゆったりと確実に動いていく。うつや躁鬱、統失でパキシルを飲むと音がシャリシャリするとか、薬で体感を書き合うような、三環系はどうだとか、SSRIはどうだとか、薬に対する誤解というか、治す気がそもそもあるのかというか、今ほど薬で現状認識を柔らかくして認知行動療法でうまくやっていこうみたいな感じではなく、ただてきとうなことを言って薬をめちゃくちゃもらっていやなことがあったらめちゃくちゃ飲んで全然治らないとかあれは効くとかあれは効かないとかいうようなのも含めて、なんかこうカチコチしていた。
足し算や引き算のような、これとこれを足すと2になるような、小数点がない世界観だった。
今は結局オープンダイアローグとか、人のコミュニケーションによって治していくというめちゃくちゃまっとうなアプローチになってきていて、そりゃそうだよなという感じで目が醒めてきた時代。そりゃ叱ったり怒鳴ったりして人が変わるわけないよなとか、なんかとにかくものすごく当たり前のことが当たり前になってきた。自分自身もう最近は全然怒らないし、怒ってるのをみることもない。地域によってはまだそうでもないのかもしれないが。
簡単にいえば兵隊が薄まってきたのかもしれない。兵隊が子供を育て、その子供が兵隊を育てていたのだが、その兵隊もだんだん血が薄まっていって、ここ数年でだいぶ兵隊も死んだ。
あとはネットと翻訳が進んで別にフランスとかヨーロッパだけが特権的に哲学や思想が強いという感じでもなくなって、色々と捗ってみると、別にそこまで世の中フロイトとかの見立てどおりなわけでもなく、むしろその発想のせいで拗れてる人のほうが多いような感じだと気づいてきた。つまりあなたのうつの原因は、あなたは気づいていないだろうが、じつはこれだ!とかではなく、もっと話を聞くだけでよかったのだ。そもそもあまり変わりません、じゃあもうちょっとお薬増やしてみますか…みたいな会話が狂っているのであって、これはただの遠隔操作というか、変わりがない=薬増やすのあいだにある理屈が不明瞭すぎるし、患者の言葉と印象だけでこちゃこちゃやっていても、患者の関わっている人的ネットワークのこじれじたいを集めてきて全員で紐解いていかなければすぐに患者はもとにもどってしまう。ノンフィクションとかで、これ親が夜に入れ知恵してんじゃない?みたいな感じのときがあったりするが、そういう場合は薬を増やしても意味がなく、この毒親のほうをどうにかしないと問題はほぐれないのである。
なんかそういうのが全般に集合知として基礎づけられてきたのがここ5年とかじゃないだろうか。個人的な体感だが。
なんの話だったんでしょうか。よくわからない。まとめましょう。
結局なにが言いたかったのだろうか。昔、BBSで、詩というのは「自分が自分の勅撰になるということだ」と書いてる人がいた。人の番ではなく、自分の番なのだ、と。それはわすれがちだけど大事なことだと思う。なにかと言葉を書こうとすると、真ん中をとってしまいがち。それだと、人の番でも別にいいことになってしまう。あなたはおそらく行動して同一性がじゅうぶんに確保された個人、ではないのだから。
あと「勅撰」のひとは、こうも言ってた気がする。「俺たちはひとりの状態のときだって大抵知ってるんだから」どうとでもとれる感じだけど、わたしなりに解釈してみると、孤独な状態で生み出した言葉の感じ(そういう感じの言葉が出てくる感じ、経緯、回路)ぐらいはみんな持ってるし知ってんだよ。わかりきってんだよ。そこでごちゃごちゃ言葉いじくったって、いいものなんかできっこねえよ。みんなそんな状態でやり続けてどうにかなるわけないことぐらい、わかってんだよ。
こんな感じでしょうか。では最後は引用でしめます。
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