0915

207→207
あまり寝れなかった。ストレスである。
チャップブック
「ライン工のマッツ、その特に波乱というほどのこともない人生とその顛末、いかにして彼がライン工として単純作業をやり遂げ、そして自分の人生を一人で切り開くでもなく、生き抜き、そして死んでいったか」

わたしは1682年、ノースホワイトリバー、ベットーのほど近くにある疎水のほとりに生まれた。母は産後の肥立ちがわるくまた鬱だったため、幼い彼は天井を見て過ごすことが多かった。母はいつも仰角の背中を見せ、テレビージョンでお昼の人気番組ユーキャンラフを見ていた。テーブルにはいつも湯気の立った容器麺が置かれていて、それを見て育った彼には容器麺はいつも馳走におもえたものだ。

彼が10になるころ、彼の母は近くの工場に勤めたら、気の合う人間と出会い、それで昔の明るさを取り戻したものだから、暗い彼には唐突な母の変化が裏切られたようにおもえ、つらくおもえた。
何より応えたのが、母の笑い声と、深夜、寝静まったあとにひとりで安物の音量耳当てをしながらラジカセでカラオケの練習をひそひそ声ですることだった。息が歯やくちびるでこすれるような、シカシカした音を、彼はよなよな聞かされ、そこにサビのような盛り上がりのある場面もそれで歌うので、とても気味のわるいもので、彼を毎晩くらい天井を見ながら「将来の不安」のようなものを感じさせた。

(彼女がよく歌っていたのは、おそらく禿頭&フライバード「君はその目で嘘をつく」などであった)

彼はよく、天井がぐるぐる回る感覚を楽しんだ。目を開けて、少し目を奥に入れるような感じで集中すると、天井と脳がぐるぐると回るのだ。
そして、少しすると「ずぅーん」という音が体の音で鳴って、二階の布団で寝ているはずなのに、体が一階に落ちるような崩落する感覚があって、毎晩その感覚を楽しんでいたのだが、今になっておもえば、これは楽しんでいたのではなかったのかもしれぬ。

(中略)

彼は40になった。彼は20代でライン工になった。ああ、哀れ
そのまま20年、ずっとライン工。
胃をこわしてもライン工。ああ、哀れ

ドコモのクーポン11000円もらったのに
タカシマヤのグルメサイトではジャストで使い切れと言われ
決済に進めない。ああ、哀れ

エクセルにグルメサイトの価格を全て転記
11000円ジャストになる組み合わせを調べるが
ああ、もう仕事に行かなければ
ああ哀れ
ドコモもタカシマヤも情けがない
情けのない国は滅びる。
こんな国、また、こんな国の人間は滅びれば良い、むろんわたしも。
ああ哀れ

ちなみに彼がチャップブックに書き遺した、十七世紀初頭のタカシマヤグルメサイト(タカシマヤ グルメ&コンフォート)の11000円以内のカタログ商品の価格であるが、以下の通りである

タカシマヤ グルメ&コンフォートの11000円以内のカタログ商品の価格一覧(重複可能性アリ)

ここから、ちょうど11000円になるように商品を選ばなければならない。当然のことであるが、もし、仮に11000円ジャストの組み合わせがあったとしても、これでは、自分が本当にほしいものなど選べようもない。
十七世紀初頭の携帯電話サイトのクーポンと、百貨店のカタログギフトサイトの連携の拙さ、ひいては当時のこの国の斜陽を垣間見ることができるであろう。この後、一世紀も持たず、この国は無くなるのである。ちょうど今、子供であるものが、全員死ぬか80代の老人になる頃に、ちょうどこの国は無くなったのである。

上記のように、当時のロンドンでは、たかがクーポンでうだうだと文句を述べたりするものもいれば、社会のできごとに対し、口さがない連中がスマートフォンでSNSに罵倒や意見を書き込むのが常だった。おいおまえら死ぬ間際にこんな人生でよかったと思えるのか?とは思うが、彼らにとってこれらも生活の一部であり、人生の一部をかたちづくっているのもたしかなのであった。
スマートフォンをもてるような人物は貴族ぐらいではないのかと疑問をもつ読者諸氏もおられるかと思うが、当時のロンドンでは、3大(楽天を入れれば4大)キャリアによる下取りや通信量と機械代を合わせて月賦にすることで、ほぼ無料で最新のスマートフォーンを入手することができたため、靴磨きから港湾労働者、むろんマッツのようなライン工まで暇さえあればインターネットに繋がった小さな画面と向き合うことや、その先の何がしかに文句を垂れることができた。ただし、このような人間ばかりだったのかといえばそうではなく、当時のロンドンの人口比からすれば、実際に書き込みをしているのはごく少数だったといえる。

中略の部分

彼の父はマカーだった。ピザボックスとクアドラがあり、よく爆弾を表示させていた。当時は写真屋が4.0になるかならないかであり、彼の父は口癖のように「レイヤーができるようになったのじゃ」と彼に言った。
彼は父の会社の大型のプリンターのある部屋に洋物のヌードポスターが貼られているのをよく見かけた。何かにつけて、そこに用事を見出して、それを見るためだけにその部屋に行った。
どこかの国の小麦色の若い女が、木にすがりながら、たわわな横乳を魅せていた。

彼はよく「心の闇」という言葉を聞いた世代だった。当時から嘘くさい言葉だと思っていたが、よく「14歳」とか「17歳」とか「心の闇」とかテレビージョンで言ってるのを聞くと、ほとほとうんざりした。
ただ、彼自身、それらとすれすれであるという実感はあった。
つまり、そのような年齢で法を犯し、捕まった少年少女の理解できない動機のようなものは理解できなくはなかったし、もう少し彼が気詰まりな環境に置かれてさえいれば、それは充分に彼を犯行に至らしめることが可能であった。

彼は今にして思えば広汎性発達障害であっただろう。ただ、とはいえ、環境が少しだけよかった。どれがよかったとはいえない。彼は今も苦しんでいる。とはいえ、さすがに40ともなると、誰もが苦しんでいるということぐらいはわかるようになった。かといって、わからなくてもいいとも思うのだ。そういった、年齢で40にもなればさすがにわかる、というような感覚じたいが、もっとも彼を苦しめるのだから。その意味で、彼は彼自身を苦しめる毒を追い出すためにほとんど苦労しているのだった。

彼の母は彼に無関心であった。というのもは簡単だが、彼が母のふつうに接する行為を受け取る技術にとぼしかった、あるいは少しおくれていた、とも言えるのかもしれない。すると、母は彼はなにごとにも興味がないものとおもい、さらに無関心になった。そのようにして、彼は自身のおくれと無関心とをさらに周囲と広げてしまうことになった。
ただ、それによってある種、おかしな王のような尊大さと空白を併せ持つようにもなり、これはいざというときに使えるのだった。
社会性が覆う一対一の対話の場面ではそれは強みだった。ただし、社会性が被わない一対一の場面では、彼の挙動からは弱みが握られ、彼はすぐにその弱みから金や時間を奪われるようになった。
彼は、社会性が覆う場所へと早く逃げるため、ライン工を抜け出すため、勉強をした。ただ、勉強といっても彼は絶望的に算数ができなかったし、インターネットばかりしていたので、勉強する時間もなかった。
ただ、そのインターネットをするということだけが技術だった時代が、彼に少しだけ有利にはたらき、また、インターネットで読んだものが彼にほんの少しだけ知恵をつけた。

そして彼は弱みを握り、彼を殴打し、金と時間をむしり取っていったバタフライピーを社会的に切り離し、今もライン工の正社員として働くに至るのである。

正社員のライン工は、正確にいえば、突発の欠員によるフォローが必要ないときは、ライン工ではない。
工場の正社員というのは、なってみてわかったが、40代ともなるとゾンビと地蔵しかおらぬ。
自律性と自尊心によって、やることがあるのかないのか、急に踵を返して、番重をとるのかとおもえば、とらず、そのままデスクにすわるのかといえば、座らず。一体お前は何がしたいのか。かと思えばずっとデスクに座っている。社内メールの見終わったものをまた開いてトップ画面に戻り、ログアウトしたかとおもうと、またログインする。
このようにして生きているのである。
ときどき何かもするが、まあそれであれば正味2時間で良いのである。
残りの6〜8時間については、くらしたり、すごしたりするための時間である。
これならば、AirPodsProで音楽を聴きながらiPadで漫画読んだりYoutube見てても仕事になるのではと思うが、この16世紀初頭のイギリスでは、「それをしないこと」こそが仕事なのである。

(使わなかった文、たぶん心の闇のくだりの最後のほうで使う予定だった?)けっきょく、彼にとって「恵まれ」とは、相対的に浮かび上がるものを掬うことでしかなかった。

なんかちょっとすっきりした。
しごと


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