0814メモ

勤労青年の教養文化史という本を読んでいる。
さまざまな環境によって青年学級の勤労青年たちや定時制に通う勤労青年が「冷却されていく」さまが資料をもとに丹念に描かれている。

なぜ読んでいるのかというと、自分自身が今まさにそのような環境に置かれている、あるいはかつて置かれていた人間だったのではないかと思っているから。

ただ、戦後から1950年代〜1960年代ではない。私は1980年代に生まれ、20代前後でインターネットに接続した。
そして、おそらくはおそくとも1960年代後半〜1970年代生まれの人間が作った「場」(この場合は詩というカテゴリー)にアクセスしていた。

わたしにとっては、これが勤労青年にとっての教養への憧憬のようなものに近いのではないか、あるいは勤労青年が環境的に恵まれなかった(旧弊や周囲の無理解、つまり社会的・経済的・時間的制約に阻まれた)こととそのまま重ねられるものではないが、問題の型、構造としては似たようなものを感じ取ってしまう。

場を作った人間にとってインターネットというものは、かつて「冷却」されたり、制約によって諦めたり阻まれたりしたものを再構築、あるいは再挑戦するようなもの(余技のようなものでもあったかもしれないが…)ではなかったか。

そして、その場にやってきたわたしたちにとっても、それらはまた勤労青年にとっての「教養」のようにみえたのではないか。

ただし、ここにはインターネット特有の事情が含まれる。匿名性によって、その人が死んだり、生活へと戻ったり、病気や環境、あるいは心境や、ほんのちょっとした些細な変化によって離れていったとき、こちらはそのきっかけを知ることがない。
知らぬ間に、突如として、「場」は遺構と化してしまう。そしてサーバーの契約期限が過ぎれば、そこ(ドメイン)はまた売りに出される。

身を突き合わせないメリットによって非同期的な置き手紙のようなやりとりを可能とした代償として、わたしたちは関係を構築し損なったまま、生活に帰る可能性を担保したまま「気軽に」インターネットの中でものを書いていたことに気がつく。
特に、そのような場に執着してしまう心性のひと、なんというか、先生としかしゃべれないような感じ、みたいな、つまりわたしみたいな人、書き言葉のうえではいつも僭することしかできない、おもしろくない人、そして生活においてはいつもうまくいかず、何度もこちら側にはじきかえされてくる人間にとって、勤労青年が翻弄される時代背景は少しずつ戦後の混乱期から朝鮮戦争による特需、工業化、農村の農閑期における二三男の余剰人員が集団就職によって都市部へと流入し、都市部での世帯数増加による一家に一台的な耐久消費財の普及、高度経済成長…(このあたりちょっと雑…)
このなかにもまだ世間体のようなものによって、学業の成績が優秀であっても、家庭の経済的事情、あるいは男女によって進学の有無、また中卒高卒の壁があり、中卒で企業の養成所に通いながら定時制に通い高卒学歴を得ても結局工員から職員へと上げてもらうには二十年近くかかったり、また定時制の設備の不備や教員の過重労働や熱意、また定時制の生徒側でも労働後の授業や生活パターンとしての業余のあまりの少なさによる脱落もあり、勤労青年というのは種々の要因によって、その教養への熱意を冷却させられた。

この冷却は、おそらく誰もが少なからず経験していて、それが社会的な差別として感じられるほどのものではなくなり、現在ではちいさくなって、そこらじゅうに遍在しているのだと思う。
ちいさくなった弊害としては、かつての勤労青年のような熱意をぶつける対象を見つけられないまま、なんとなくくすぶっていき、なんとなく終わってしまうというような冷却のされかたに移行しているように思う。

ただ、SNS等を見れば、今やそのように冷却してあきらめたよりも、あのときのまま、好きに生きていっていたほうが「よかった」のではないか?というような結果を見てしまっているような気にもなる。
個人的には、Twitterでフォローもしていない人のイラストが急におすすめに出てきて、それが1万も2万もいいね!されているのを見たりすると、なんとなくつらい。
これは、勤労青年が進学できず、進学組と就職組とで途中から教師や学校の待遇がまるで変わってしまうような悲しさをひとりで抱え込んでいる状態のような気がする。
(ここで「消費」を行えば、おそらくある程度の適応というか、順応ができるのかもしれない)

教養というものの変遷と、勤労青年が「教養」に充てていたものを今のわたしたち、あるいはもう少し前の、20代のわたしたちは「インターネット」への接続によって、そこでたどり着いた「何」に充てていたのか。
そして、そこで繋がらないまま、生活に戻っていった今から、どのようにして生きていこうというのか。
また、インターネット上にわたしたちがたどり着く「場」を作った世代にとっての「教養」とか「冷却」といったものはなんだったか。
冷却され、とまっていたものを再始動させたものはインターネットという時間や距離といった制約をとっぱらい、業余を効率的に扱うことのできる情報通信技術であったが、肝心の身体は冷却されたまま、帰宅後にもうひとつの自分のアイデンティティ、あるいは余技をコツコツと構築することに腐心し、身をやつした。

青年学級、定時制、人生雑誌、…インターネット?

わからない。ただ、勤労青年の系譜というものは少しずつ雑踏のようなものに紛れていって、共通する要素(というか構造のようなものや、それがもたらす心境といったもの)は今もどこかに確実に残っているように思う。

ただ、ここまで書いておいてアレだが、実際もっと昔はかるい気持ちでやっていたのだったし、おそらく場を作った人もそうだし、シコシコHTMLやCSSを打って、自分のサイトを立ち上げていた人たちだって、そうだったろう。それが「どうにかなった」人たちだって、最初からどうにかなると思っていたわけではなく、少しずつ他の人よりものめり込みの度合いが違ったり、得手不得手、バイタリティ、地理的環境、経済的、社会的環境によって育まれていった本人の行動と結果によって、ものになったということなのだろう。

結局軸足を完全に移し切ることができないまま冷却されてしまったし、最初からそのようなこと(会社に勤めない)はわたしには不可能だと思われた。かといって、あの当時、わたしはひきこもりだったし、むしろ、会社に勤めることのほうが不可能に思われた。
何度も部屋の中で、気絶して、起きたら六十歳になっているのを想像した。すべてがつつがなく過ぎ去っていて、孫がいる、そんなことにならないかと思っていた。

焦燥感だけをもってインターネットに耽溺していた。テレホーダイからADSLになったのはいつだったろうか。YahooBBが街角でモデムを配り倒していたのはいつだったろうか。働き始めたのはいつだったろうか。

結局働き始めると、降りることができず、学校という環境を繋いで繋いで漸くレールから落っこちることができたのに、2年か3年でまたひとつところで勤め上げるかのようにずっと働き続けているようになった。とうに義務教育+専門学校分の時間よりも、会社のほうが長くなってしまった。

結局、自分が知りたいのは自分の来歴である。来歴というか、インターネットの詩というのは結局なんなのか、なんだったのか。そういう問い。
くだらない、というのはどこかで読んだ気はする。
たしかに。
ネット詩に拘うほど無駄なことはない。
それもわかる。

実践が大事、的な。お前がやればいい、的な。
それもわかる。

でもどうしても気になってしまう。
それはわたしが生活に戻れない(不全感をいまだに抱いている)ことを意味している。
というか、中年期にさしかかり、ふたたび社会生活に馴染めなくなってきている。要はミドルエイジクライシス?ミッドライフクライシス?中年危機というやつである。そこにもともとの、ひきこもり的な心性も踵を返してきて、いよいよやばそうなので、次のところに行かなければならないと思っている、そんなところである。

たいしたところにいけるとは思っていない。ただ、いくつかの場所に身を属したい。そこまで経済的な負担にならない場所で、居ることのできる場所を探さなければならない。喫緊にもおもえるし、呑気にもおもえる。

ただ、この退屈さを振り向ける場所をつくるためのテーマを、自分の中から見つけなければならない。
勤労青年の教養文化史には「ノンエリート」という言葉がでてくる。
「抑圧の移譲」という丸山眞男の概念も引かれているが、この引かれている本には、「亜インテリ」の概念も出てくるはずである。
東さんのシラスで見たが、青年学級の教師、というのも亜インテリに含まれていたような気がする。

ノンエリートとか亜インテリという言葉や、知への憧れといった大層なものではない。
途中まで、というか今もだが、昔からずっと怠け者だった。まじめにひきこもっても、まじめに働いても、ずっと怠け者だった。
ずっとぼけーっとしていた。何をどうすればいいのかよくわからなかった。今もよくわかっていない。困っているわけでもない。いや、困っているのか。援助希求性に乏しいのだろうか、それとも援助されるべきポイントが細かすぎて、薄すぎて、自分でもなんかしんどいのかもしれない。

勤労青年〜を読んでいて思うのは、少しずつシフトしていく時代というもの。戦後に復員して農村にも民主主義的な概念が導入され、青年学級や青年会が始まっても、結局しがらみや旧弊によって青年たちは冷却され、また、農村での長男以外の処遇、また長男の宿命に対する次男以下への羨みなど、また就職組と進学組、男と女、大企業と養成所(工員と職員の格差)、中小企業と定時制、これが現在までシフトしていったとき、それらは今現在、どこに散りばめられているのだろうか?と思う。
どこまでいってもどこかで人は冷却される要素に晒されるし、その冷却された「教養や知への憧れ」現在では夢、といったほうがとおりがいいのかもしれないが、夢が解放されるには技術革新によって効率化が起こり、業余の時間がまず解放されなければならない。そのような気がする。ただ、そのとき、効率化による切り捨てられた側面(の忘却)によって、わたしたちはたびたびあしもとをすくわれたような思いにとらわれるのだと思う。(特に生活に戻れなかった者にとっては)

暇と退屈の倫理学では、遊動生活が終わったのが一万年前ぐらいで、そこから定住が始まって、ごみをどうするかみたいな話になってきた、みたいな話になって、そこにルソーとかの自由人?だったかの概念が出てきてて、それは存在しない人間だが、遊動生活というか完全に自由な人間は誰かに追い払われても「ああ、追い出された…別のところに住もう」とも思わないぐらいふつうに逃げて別のところに住むみたいな話だった気がする。要はものをとられても、何をされても天災ぐらいにしか思わない人間のようなものを私は想像した。
今飼っているエレン(仮)が部屋の隅に隠しているペレットがわるくなっていたので、ゴミ箱に捨ててしまっても、エレン(仮)は別に「コイツ、やりやがったな」と恨みに思ったりしない。「…ないなぁ」ぐらいの感じである。



なんか話がそれてる。知や教養は人格の陶冶に必要だ、という考え方があった。教養主義的なもの。ただ、それは、いくら学業で優秀な成績を収めようとも、経済的な事情や男女の格差または社会的な差別などによって、必ずしもそれが進学に直接結びつくものではなかったという事情から出てきた側面もある。

わたしの時代ではどうだったか。そのようなものは解消されたかのように見えていたし、わたしも進学できたのかもしれない。
ただ、わたしの場合は、精神的なおくれがあって(おそらく情緒や関係的なおくれ。認知面もあるかもしれないが)、途中で勉強に支障をきたしてしまった。高校の途中で完全に精神的におかしくなったまま卒業し、そのまま金だけ工面して専門学校を無理やり卒業したあと、どうしようもなくなってひきこもりとなったが親からの無理解に晒されたが、2〜3年後に働き始め、そこで自己愛性人格障害的な人間に洗脳気味な生活を送らされ、10年を無駄にしたが、そのまま辞めることなく働き続けての現在。
今思えば、自己愛的な彼は、わたしを周りの人間関係から切り離すようにしむけ、一人暮らしをすすめ、わたしの部屋に住み、わたしに金を貢がせたから、彼はひとりカルトのようなものだった。
彼は友達だと思っていたようだったし、わたしがあるとき発したひとことが、彼に何かを依頼したようなかたちになって、それが彼の洗脳癖のようなものと化合して、共依存のような状態になって、わたしも自身の「依頼」などとうに忘れ、彼を恨みながら従いつづけるという状況がひどく続いてしまった。

今、中年になって、ようやく凪の時間を手に入れて、もう暮れかけているのをみると、むしょうにかなしくなる。

今、わたしがてもとにおいているのは、情報通信史、情報技術史、日記や個人が書くものの歴史、チャップブックの歴史、人生雑誌の本(これも勤労青年〜の福間良明さんが書かれている)、あとはメディア史の本とか。
あとは文学全集とかもあるけど、Youtubeばっかり見てしまうからあまり読めてないし、読んでもかたっぱしから忘れていってしまう。

わたしが何かをまとめるというのは難しいのかもしれない。

ただ、何度もこういうところに重ね書きするように、繰り返して同じようなテーマで書いていくことで、最終的に何が言いたかったのか自分自身で判明してくるように、書きためていきたい。
ただ、その間にいろいろなとばっちり、僭したことを書いたり、バカにしてみたり、管見で好き放題のべたあげく顧みなかったり、まあものする人間からみれば信用ならないことをたくさんしていくのだろうが、おおめにみてほしいとは思わないけれども、許さないまちがってる消せとか言われると、困るし、消したくはない。

それを専門にしているわけでもないけど、書けるし公開できる、ということ自体に何か問題があるということはわかるし、わかってきたけれども、もうわからないようなふりをしながらにでも書いていかないと、自分なりに自分なりのところに到達することもできないような気がしてきたのだと思う。

死ぬまでに一冊、いや細かいのを何冊か出したい。細かいというのは小冊子。ZINE的な、フリーペーパー的な。紙の。

ちゃんとした本は一冊でいい。それがどういうふうになるかはなんとなくわかるけど、それでもいいとはまだおもえない。真ん中の言葉でずっと書き続ける鍛錬がまだまだ私には足りない。すぐにそれてしまうし、ふしくれだった言葉を使ってしまう。でも、それはそれで、といっちゃなんだが、終わらせるというか、書き切るとか、まとめあげるということが(ということも)大事なのだとも思う。なんかそのへんのことも、勤労青年〜の引用される文章を読んでいて思ったところ。
思いを書き切る、多少のてにをはではなく、まとめあげて書き切る、できるだけ真ん中の言葉で書くが、多少カーブを曲がりきれない言葉でもぜんぜんいい。なんかそれはそれで通じているし、そのほうがむしろ正確なようにおもえる。そういう言葉の使われ方がされているのを引用部分にたくさん見かけていった。

そういう意味ではわたしはいつも真剣味に缺けると思われていたし、今も書く文章によって、そう思われているのだ。
そうなると、わたしは所在ない気持ちになる。就職組でも進学組でもなければ、男でも女でもなく、文系でも理系でもなく、体育会系でも文化系でもなく、真面目でもなければやんちゃでもなく、真面目系クズでもなければチー牛でもない。誠実でなければ、不誠実ではある。
不誠実であることだけは、確かなようにおもわれる。
真剣味に缺け、不誠実であることだけが確か。
それは、わたしは何も表出できないし、伝わらないことを意味している。真面目なほうからふざけているといわれ、ふざけているほうからも不実をなじられる。まあ、単にバイタリティがなく、すぐに疲れてしまう。生気のない声で、とりあえずうなづいてしまう。
間違っているから何時間でも正すとか、真剣に話し合うとか、何時間でも残業するとかいうことはできない。したくない。

じゃあどうしようって話である。

冷却、というのがわたしが言ってる「うちなる奨励会」に相当するもので、これは環境によって教養への熱意が冷却されるのが、時代がくだるに従って、個々人の内面に託されるようになっていって、熱意の冷却そのものも、諦めと判別がつかなくなり、個人の判断に委ねられるようになっていった、ということなのだと考えている。
あと、戦後、復員によって同年代に人間が揃う瞬間と、パソコン通信やインターネットによって揃う瞬間は似ているのではないか。
そして、時代がくだるとともに、その熱意は冷却され、必要性もなくなっていく。最終的に、場を必要とする人間も減少し、場は衰退し、閉鎖・廃止されていく。
ただ、インターネットにおいては、平安時代的な「うた」の文化のようなものによってマッチングも行われていて、意気投合した者同士で生活に帰るというような形態もあったのではないか。

多孔化(鈴木謙介の概念)を拡げて、個人の属性や可処分時間や持つツールによって、ドーム状のインターネット空間に孔が開き、どこに降り落ちるかが決まる。
寄生獣の胞子のように、ある人間は魔法のiらんどに降り、あめぞうや2chに降り、知り合いの個人サイトに降り、Yahooに降り落ちる。落下地点からさらに漂流し、自分の興味や業余にあったものに立ち寄り、掛け持ちし、居着き、「現実的な事情による可処分時間の減少」により去っていく(ように見える)。
この退出の原因が、本人の死か熱意の冷却か何らかの事情によるものかはサイトに接続している本人からの申告を信用するか、現実に彼の身体のありかを知らなければ知ることができない。

そのような個々人の事情に深く立ち入るにはそれなりの興味や関係性や逸脱がなければならない。
私信、DM、オフ会、フリマや即売会。



インターネットばかりでサボってきた、という言い方もできるかもしれないし、インターネットしかできなかった、わたしには人間関係は難すぎたのかもしれない。かといってインターネットも苦手です。現実はもっと苦手です。
現実が苦手でインターネットやってて、インターネットが突破口にならずそのまま現実では働いて親しい友人も親もおらず、単なる労働するSNEP、SNEPというか、孤立労働者。

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