0622

あさ。昨日は雨の中2時間ぐらい歩いて、帰ったら本棚を別の部屋に移動して本詰めてたら疲れて寝てしまった。

細かくいうと、まず昼前図書館まで歩いていって、途中で「あ、こないだお金なくて断念したタルトタタンの店」とおもいだし、あー、またしても金ねーやとか思い、でも今回は京都会館のファミマでおろせばいいんじゃね?という偉業を達成。
なんかファミマで金おろしてまずは図書館に入ろうとするとプロムナードにバス止まっててすごい光量のライトも煌々と炊かれており、撮影か?と寄っていくと、リアのガラスをずっとワイパーで拭いている人とか、カッパ着てる人とか見物人、まぁ人だかりができていて、あと修学旅行生も多かったなー、で、地面にもすごい太い電源のコードみたいのが取り回してあって、なんかバッテリー的な箱も木の根元とかにいっぱい置いてあって、カメラはバスの中にあるらしく「映画の撮影…」というのはちらほら聞こえ、実際「SHOOTINGなんとか… 映画の撮影でご迷惑をおかけします」みたいな看板も置いてあった。
見てると、バスの乗降口から荒川良々ぽい人間が出てきてここではないどこかへ去っていった。
まあ見てる限りそれ以上なにも起きなかったので、また図書館へ
精神分析の歩き方という山崎孝明さんが書かれた本、これを借りた。
最近、なんか千葉雅也さんの現代思想入門にしろ、この山崎孝明さんの精神分析の歩き方にしろ、これらはわたしからみて端的に申し上げますとレクイエムであり超供養モードであります。
で、なんとなくおれたちのネット文化のラストみたいな部分、河口のような場所に佇んでいるおれたちへのレクイエムであり、インターネットを紛々かつ軽々と読んできて何にもがっつりがっぷりよっつに組むこともなく普通にネットの範囲内だけでなんとなく読み、特に専門とするでもなく、梅干を置く仕事に内定した人間が40ちかくなって「ふと、あれ(昔、はてなとか、2chでチラッと見てたような気がするあれ)って結局はどういうことだったんだろう」という感じのところを刺激してくる。
まあ世代的にも斎藤環さんと東浩紀さんが無双してた時期であるし。でも結局、「文脈病」とか、「存在論的、郵便的」とか、ドレスコードじゃないけれども、まず買っていいのかが分からんかったしね。いや買ってもいいんだろうけど、若いから金ないし、買ってもわからんかったらもったいないし、なんか勇気がでなかったよね。若い頃はネット民で満足してた。その専攻?でもない門外漢が買ってどうする、けど結局人生あるし現実もあるわけで。
けれども、当時は自己肯定感も低かったもんで、ハッ(自嘲気味の突沸)みたいな感じだったから、結局なんだかんだよまなかったわけですね、そういう世界があることを知りつつ素通りしたわけです。
ここで野田クリスタルのフレンチのネタみたいに走る新幹線をぶち破って727の看板を見に行くぐらいの気概が足りなかった。

とはいえもう2022年になると、社会のモード、風向き自体も変わっていて、言いやすい。というか、そういう人のボリューム自体が結構でてきた。
まあマッチングアプリのコミュニティでいうところの「浅いサブカル」とか「ライトなオタク」とか「中途半端なサブカル」みたいなやつであり、また、「亜インテリ」であったり「偽病人」であったりもここに含まれてくるのかもしれない。とにかく自覚のある半可通みたいな人がいっぱい生まれまくりいづる悩みみたいなものを抱えまくったわけですね。おそらく。
そうやって、まあ業界?のほうも、また、ある側面で半可通のように、でも人生を職業人としてやってきた人との、マッチングというか、そろそろ和解してもいいんじゃね?ってかなんで俺たち壁作ってたんだっけ?みたいなところがだんだん溶けてきた。相対化されてきた。
風通しもなんかよくなってきた、つまり支配的ではない、かたっくるしくなくなってきた。
権威主義的じゃなくなってきた(ただ、快哉をさけびつつ「免疫力おちたなぁ…」って思わなくもない。)
結局わたしたちもそれを歓迎する。わたしたちが年齢的にボリュームを占め始めたっていう寂しい事実、つまりくっきーなどがテレビに出てるのと理屈は同じかもしれない。大差ないのかもしれない。
ただ、あちらは受像機の話であって、こちらは能動的な知識への取り返しのようなもの、あのとき通り過ぎた知識への、復習の欲求であり、レクイエムでもある。
あのときの自分がほしかった本、でももう今読んでも、という意味で今読むべき本みたいな、変な本。
あと業界、というものの縮小再生産を見るに見かねているような姿勢(現代思想入門はそうでもないが)も同様にあって、おそらく、最近、このへんの危機感を持っているというような文章の主語は、どの分野に変えても通用するとおもうのだ。
たとえば現代詩、たとえば歴史、たとえば精神分析、たとえば現代思想、たとえば文学、すべて、内輪に閉じていて、よくわからなくて、あってもなくても別によくて、でも大事みたいな言われ方(カウンターとして残っといた方がいい的な言い方で生きながらえてきたわりに、とくに真価も問われずにのうのうと生きてきたようなものたち!)これらを取り巻く人たち、これらを飼う大学や病院、といった構造。
無駄に鷹揚で、それは何が生まれるかわからないからで、だからいつ意味が出てくるかわからないからたくさんの人を「研究」させてやるんだと。
で、市井の人からしたら「研究」ってもっとスポイトとフレスコで青い水と赤い水を混ぜてアフロになるやつだと思ってるのに、なんか3けた年(©️金属バット友保)前の本の解釈とか、いや実はこれはこういう意味なのでは?みたいなのをやって、しかもそこに終始し、それを市井の人が使える、生き方のレベルにまで還元セールせずずっとなんか内輪でやってるから国民がブチギレてる、ということぐらいはわかりましょうね、ということを今の大学は基本的に背負っている。

なんか、結局大学も行かず、かといって生きづらかった、探究もできない、つまり、あそこに行けばわかるかもしれない、っていうふうに這ってでもいくことができなかった私が、20数年たった今、世界哲学史、現代思想入門、精神分析の歩き方、などを読んでいる意味というのは、そういうところにある。
いやもっとラフに、死ぬまでに読んでおきたい、あれはどういうことだったのか知りたいってだけなんだが。
で、それを税金?使って延々やってるような感じの人がいそうだからムカつくってだけの話なんだけど、ほんとはそんなにムカついてもなくて、ノリで書いてたらムカついてきたってだけで。

だからこれはエンパシーじゃなくてシンパシーなのかもしれない。ハルケンブルグみたいにみんなで集まったらキィィィィンってなるかもしれない。

生きづらかった、というのがまずあって、そのときに求めるものの範囲がわたしはネットに限定され、そのまま職を得て梅干を18年間しろめしに置き続け、(追記:ここに"人生雑誌"的なものへの関心がわたしに含まれる余地がある)、ふとした空隙に苛まれ、ぼーっとし、ああ、あれ、そろそろ、尺的に、あれ読まないと間に合わんなぁ…とぼんやり思い、それは文学全集であったりするし、漫画もそうだけど、自分の生きづらかった頃のあの考えかたや人生というものの捉え方のツール群として片鱗だけをみせてきえていった(こちらから去っていった)かれらにもう一度、会いに行こうと思ったら、なんか20年経ったせいなのか、あの時はどう考えても獰猛なものに見えていたのが、今はちいかわみたいになっていて、なんかこんなドアゆるかったっけ?みたいな感じがあって、というか、現実生きてきて、自分でもぼんやり全部裏で繋がってる(陰謀ではなく、人間の営みとして)ことも薄々気づき始めているから、ちょっと読みやすい、さいあく読めなくてもいいぐらいになってきた。
いまはなんか、ああ、こういうふうに触れてもよかったんだ…っていう邂逅を味わってるターンみたいのが最近とみに多い、つとに多い、やけに多い、そんなんばっかと言っても過言ではないし、そんなんばっかだと言わざるをえないし、
また、これはよくない傾向だと反射的に言い添えておかねばならない
雰囲気である…… to be contined(←気合いでカバー) しごとー

いやしかし、「なんかあると思われてるうちが花」ですよ。まったく。
その花を生かし切れなかった、その花のあいだに変なことワーワーいってるだけのおじいさんになっちゃってもうええわ!って漫才が終わったのがつい最近で、もうハッシュタグ自体(やヤフコメ)がほぼ隔離スレの様相を呈しているというのか、そういう寂しさ。
なんかあると思われてるときに、花のときに振る舞いをもう少し自己モニタリングとブランディングを戦略的にして国民というか、ふつうに暮らしてる(と思ってる)人たちに「ふつうに」訴えかけるか、をしてこなかった。
そのうち花は枯れてしまって、まあ枯れたんなら枯れる運命だったんでしょうとか言われ始めてる。聞こえている。うなだれ、でも意識は判然としている。

PS
タルタタンの店は結局中に入ったらエアペイ的なものがふつうに使えたので電子で支払った。タルトタタンとくるみのやつを一切れずつ。
今日仕事から帰ったらコーヒーと一緒にたべ…
いや、これ、昼食べればいいのでは?
仕事の合間の優雅な…
いい考えだ
逆による家でコーヒーとタルトタタン、消化し切れる自信がない
かといって賞味期限的に次の休みまではもたないッ…
これは昼、職場で昼タルトタタンいくしかない!
こーしーの準備である、
まさか、ここで起こすつもりか
俄然昼がおもしろくなってきやがったぜぃ

いつもブロッコリー、胸肉、玄米、のさみしいサザエさんの次回予告みたいなメニューを食べていてまったく痛痒を感じないタイプなので、たまにはこういう胃にハェァプニングを起こしてやらねばならぬ。心に潤いを、穴には花を…チョチョポリスいくお、あ、こいつチョチョポリスっすよ
チョチョポリスかつカッツォポリス
しごと

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