牙狼鋼を打ってた時のエクセル収支と思い出話等々
Youtubeで1玉ずつ打ち出したほうが回るのでは?という動画を見て、また牙狼(鋼)のことを思い出していた。
動画では、「ステージに乗った玉が道釘から来た玉で弾かれたりしているから、本当は1玉ずつ打ち出したほうがよく回るのではないか?」と、閉店後(あるいは開店前)のホールでハンドルを固定して打ちっぱなしと1玉打ち出し(どちらも1000玉)で検証していた。
*
当時(2013年ごろの)私もそれが気になっていて、1ぱちで玉を小出し(4玉ぐらい)で打ち出して1K80回転ぐらいの牙狼鋼を確保して打っていた記憶がある。
あと、思い出したのは、まだ鋼の頃の牙狼というのは、液晶がもう少しコンパクトだったから、ヘソの位置が今よりももっと上にあり、玉も今みたいにほぼ直角にL字カーブで曲がっていくような感じではなく、丸い液晶周りに沿って、弧を描くように流れていた。
だんだん思い出してきたけど、京楽の台を当時から触りたくなかったのもそれが理由で、ウルトラマンタロウ?だったか仕事人だったかでも、とにかく玉の動きが直角にみえて、計算されているのだろうけれども、ぱっと見で無理ゲーに見えたから避けていたのだ。
で、鋼のあとの牙狼FINALも液晶が大きくなって、それ(直角軌道)になっちゃったから、敬遠して、それで鋼がなくなった時点でほぼパチンコを打たなくなった。
ついでに言えばFINALのギミックは顎がなくて落ちるだけだったり、映画のみで一台作るからゴンザクッキングとか入れざるを得なくなるのであって…とか、色々思うところがあってあまり打たなかった。映画は見た。
*
だんだん懐かしくなってきたので、収支表のエクセルを開いてみて、noteにコピペしたら勝手に画像になったからペタペタ貼っていこう。
これが私の約2年3ヶ月の収支の結果である
448万円使って461万円を勝ち取った。いったい何をしていたのだろうか。
*
次に、なんかアツいシートが見つかったのでこれを貼ろう。
たぶん、これは見通しをよくするために、よく打ってた台と収支とその累計を一覧にしたものだと思うのだが、パッとみてわかるのは、鋼だけ打ってればいいものを、よくわからないものをミーハー的に打ち散らかして結果マイナスというのが多かったのだなと思う。
1ぱちでいい鋼を見つけてから持ち直したものの、ミーハー癖は治らず結局収支は改善しなかった。あの頃は実践動画とかみてたから、興味本位で触って撃沈することが多かった。目押しできないのにスロット行ったりしてたし、演出目当てで打ってる台が多かった。一回ぐらいOPT(お尻ペンペンタイム)やりたい!とか。
たぶん、前頭葉というか、抑制機能が全体的に弱いのだろうと思う。
でも、途中からは牙狼鋼とトキオデラックスばっかり打つようになってる。パチンコは玉の動きを楽しむものである!みたいな原理主義的な状態になっていたし、また、トキオデラックス決まり手四十八手みたいなのを動画で見て、「今の決まり手は"野分"です」とか言ってるやつを見てた。
この"野分"がのちにわれらコンタクティ、みずいろクラブ、nowakiといった形で私の中の興味関心や偶然によって受け継がれて続いて行くのだが、、、それはまた別の話。たぶん、あのとき野分って単語を知ってなかったら、nowakiのことも知らない(気づかない)ままだったと思う。
あとは初音ミクだと思うんだけど16Rの音楽が好きだったし、ほんとに玉の動きが一番の主役で、あれほど玉がフィーチャーされてる台もなかなかないと思うし、とても面白かった。
どこだったか、四条河原町に出る手前にあるKINGかミカドか忘れたけど、あそこは今もあるのかわからないけど、あのお店はマジカペとトキオがたくさんあってよかった。
*
打ち始めたとき、地獄少女にどハマりした時は、まだ潜伏確変の意味もよく分かってなかった。その後、セグを覚えて、潜伏の意味もわかってきて、1/36をヘソで回す意味がわからなくなって打たなくなった。
いい台(甘いとかではなくおもしろい台)だったけど。台オリジナルのアニメが何とも言えない味があってよかった。なんかこう、年配の人が作画してるんだろうなみたいなことを勝手に想像してた。個人的な例えで言えば、フジテレビの火曜日のゴールデンの特番を担当してる人っぽいというのか。。
*
次に、鋼だけの回転数とか大当たりの回数や収支などを集計したシート。
これも10年ぶりぐらいに見た気がする。
当時、西院のスーパードームの1ぱちコーナーの牙狼鋼を貯玉で打ち倒して、ちっちゃくパチプロごっこ(というか検証?)をしていた。
そこは1円で玉を借りて0.83円交換だった。
他の所の1ぱち牙狼は、せいぜいいいとこ56〜62,63回転(収支表で確認した)なのに、そこの牙狼だけずっと70回転以上で、さらに、冒頭に書いたようなこまめな打ち出しを心がけると、時間はかかるが80回転まであげることができたため、4円でいうところの20回転で牙狼を回してる状態になり、それを貯玉で換金ギャップを埋めて止め打ちでしっかり玉をとっていけば自然と勝てるという理屈だった。もうあまり自信がないけど、確かそんな理屈で合ってるよね?
1ぱちなのでこれといって咎められるわけでもなかったし、4円でガチで勝ちに行く勇気もなかったし、1ぱちで好きな台をぶん回すというのは自分の性に最も合っていた。
思い出してきたけど、当時はさちぃって人のブログか動画か忘れたけど、それをよく見てた記憶がある。そのうちパチスロバカ一代とかを読むようになって、、、その人がなんか今は演者としてなんかやってるなーと時々Youtubeで気づいたりして。
ゆうちゃろも面白い。まだ時々見たりする。
でもあの頃はニコ動経由でパチンコ専門の動画チャンネルとかを見てたりもしてたのかもしれない。おじ5かなんか忘れたけど、沖ヒカルがざっけんなよとか言いながらジャグラー打ってるような感じの番組とか、あとは黒バラ軍団のジロウとか、ガチで立ち回って勝つみたいなリアルなやつが始まったりしてたな。
かなり話がずれてきた。もどそう。
2013年は頑張ってたけど、明けて2014年、さすがに最後のほうは飽きてきていて、貯玉も十分にあるから、午前中打って、当たったらそれを換金して午後は美味しいもの食べるみたいな感じだった。
そのうち鋼も撤去され、私は楽しみを失い、徐々にパチから離れるに至った…(そしてふたたび詩に行き着くわけである)
まあでもさっきも言った通り、発作的に4円に行ってしまったり、打てもしないのに20スロに行ったりして散財したから、最終的な収支は冒頭にあげたとおり、本当にトントンという感じで、460万も使って一体おまえは何をしていたのかという感じではある。
ただ牙狼鋼だけの収支で言えば、1ぱちでやり倒してなんとか40万ほどプラスに持って行ってるので、なぜこれを維持できなかったのかと悔やまれる。
*
でもまあ、ふつうに考えてサラリーマンが期待値で長時間稼働するのは難しいし、そもそもパチンコ打つ少し前までプライベートがしっちゃかめっちゃかで、それらの騒動が収まったあとの凪の時間がモラトリアム的に1年ほどあったから、その時間を何に使ったらいいかイマイチわからないままパチンコにのめり込んでいただけなので、そもそも長く付き合う趣味ではなかったのかもしれない。私にとっては。今にして思えばだけど。
でも、今もパチンココンテンツを見たりしてある程度理解できるのはなんか楽しみが増えてるようで嬉しい気もする。かまいたちが時々パチスロ動画あげてるのとか見て楽しめるのもよかった。
個人的に悔やまれるのは、ういちがスロットの出目を「きれいですね…」とか言ってた、あの感覚がわからなかったこと。
あらゆる文化、文化じゃなくても、あらゆるものにそういった美学というか、わかる人にしかわからない、うっとりしてしまうシーンがいっぱいあるのだと思う。まああるあるネタとかもある意味それの派生であるのかもしれない。
勿論、初代牙狼の鋼牙が言うように「時間は大切に」するべきだが、パチンコの時間はそんなに悪くなかった。出不精の私には出かけるいい理由にもなった(意味もなく大阪に行ったりした)し、今でもパチンコパチスロ動画見たら面白いわけだし。
あの時はほんと、p-world見て好奇心だけでパチンコ打つためだけに旅に出てた。
***
そんなこんなで、さっき「私の詩論大全」を読み終えた。
パチンコ台にもコノテーションとデノテーション、あるいは台の象徴的な部分と想像的な部分、制度的な部分と(二項にする適当な言葉がパッと出てこない)な部分がある。
パチンコ台も言葉とか映像として捉えてみたとき、案外複雑な構造をしているというか、絶対そんな気がする。
法律や公安があり、組合の自主規制というのか、内規があり、さらにそれらを実現する基盤やプログラムがあり、その上に表象的な演出が乗っかってはいるが、ちゃんと情報として内部的なものもランプや画面端の数字などで表示されていて、さらにそれを気にしなくてもめちゃくちゃ濃い味付けでコテコテに大当たりで視覚聴覚触覚に訴えかける脳汁がどっぱどぱでるノウハウが蓄積されていて、しかも玉がお金になる仕組みは三店方式で支えられていて、店員は交換所の場所を喋れず、交換率は店によってまちまちで、、、とパチンコが織りなしてる世界はウシジマくん的な殺伐としたところとはまた違った面でごちゃごちゃしてておもしろい。観念というのか概念というのか、表現として、また仕組みとしていったいなにがどうなっているのだろうかと思うことが多い。
簡単にいえばめちゃくちゃわかりやすいものの裏側でめちゃくちゃよくわからないものが複雑に絡んで動いている、そしてそれを金とレバーでコントロールできる(できない)ことがパチンコの欲求の根本にあるんじゃないかみたいなことをよく思う。
玉(運、確率)を個別に打ち出しているだけで、手が届かない盤面内部の、あれだけ豪奢な機械のギミックをぐわんぐわん動かせるという自分自身と、それに対する報酬によって人間が活かされてる。それは貧しいことだとも言えるし、ほとんどの人がそう思ってる気がするけど、じゃあ逆にそれほどそれ以外の世界が豊かなのかと言われればどうなのだろうか。相対的にみた場合、それより貧しいものも山ほどあるような気はする。
ただ演出と金という誘引力は凄まじいものがあって、虜になるのは簡単だから、文化的に享受するためのハードルが著しく楽勝であるというのは言えるかもしれない。
台とのコミュニケーションによる不実さというのか、気まぐれに遊ばれながら、活かされている。そして活かされたところの人生がどうであるかの判断は個々人の生き方に委ねられている。と、適当に書いた。
(2/5)
あとは景気のいい自慢画像で
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?