わいの平成詩史11

昔から、なんかネットで「ぽえざる」とか「ポエケット」という文字は見てた気がする。2000年代初頭。

それらの情報は、どっちかといえば清水鱗造さんの地方(ネット上でのマイ土地勘)に書かれていた気がする。
rain treeや、関富士子さんという名前も、わたしの記憶の中では、そこに結びついているような気がする。

リアル寄りの交流がある、ある程度年齢のいかれた詩人で、かなり早期の段階でネット接続されてた方々が作ってたコミュニティの感覚、とでもいおうか。だから、リアルで行われているイベントの告知や情報が書き込まれやすかったのかもしれない。



それを見て、「外では、詩を自分でまとめて冊子にして即売会とかをしている人たちがいるのだなあ、ということよ」などということを、なんとなくは知識として知っていた。
そのうえで「自分はネットだけでじゅうぶん」、と思ってた。
そこまで深く(深く?)関わる資格はないと思っていた。「風のように通り過ぎる」だけだと思ってた。



結局ぽえけっとに参加したのは2015年だった。ちょうど池袋西武(西武池袋?)で「ぽえむぱろうる」が復活してた時期でもあった。
(「ぽえむぱろうる」も、言葉だけで、なんとなく知ってた。)

さらに3年のち(つまり2018年)、なんとなく、鈴木志郎康さんの詩集のページを繰ってたら

(鈴木志郎康「家族の日溜り」の73ページに当時の池袋西武のレシートが挟まれていた)

「みかんの皮をむいた」のページに、レシートが挟まれていた。おそらく昔買った人が、挟んだままにしておいたのだろう(と思うことにする)。

日付の部分が、(おそらく)1977年7月18日になってる。

「ぽえむぱろうる」は1975年からだから、もしかしたら、この詩集は「ぽえむぱろうる」で購入された詩集だったのではないか? と思った。

「だからなんだ」という話だが。

***

鈴木志郎康さんに「プアプア詩」と呼ばれる、変な詩の一群がある。凶区の9号あたりから始まって、15号の特集までの全10作で終わる感じだが、第二詩集収録時点で一作が抜けて、代わりに番外というのが入り、10作になってるが、凶区に発表されたものと、番外も入れると、全11作になる。

現代詩文庫22の鈴木志郎康編や、鈴木志郎康さんの詩集成である「攻勢の姿勢」の、第二詩集のプアプアが10作になってるのは、凶区11号の「続々私小説的プアプア」が抜けているからである。

「凶区」というのは、1960年代〜70年代初頭にあった詩の同人誌で、東大の人と早大の人がやってた詩の同人誌が合体する形で出来上がったものである。

たしか東大のほうの同人が「暴走」で、早大のほうの同人が「バッテン」で、「凶区」の出版は、「暴走+バッテングループ」が行っていた。

(追記:バッテン+暴走グループでした。謹んで訂正し、お詫びいたします。)

話を戻そう。

2015年。わたしはポエケットに参加した。売り子だった。

東京に来るのも初めてか2度目だった。
なんか小雨が降ってるか、ちょっとやんだかぐらいの感じで、江戸博物館みたいなところで、ポエケットは開催されていた。江戸博物館は、いかにも「即売会を、やるぞ!」といった構えの建築物だった。ビッグサイトの縮小版とでもいおうか。展示即売会場から出たとこから見上げると見える、エスカレーターの底が、ピッコロの二の腕の柄みたいな感じだったのを覚えている。

ポエケット会場は、さすがに詩を書いたり読んだりしてる人の率が高いので、「ぱろうる」が復活してることも知ってる人が多く、そこで買ってきたものを見せてくれる人もいた。

わたしが売り子をしていると、「凶区」を見せてくれた人がいた。
それはたしか、26号か23号だったと思うのだが、記憶が定かではない。
わたしは、それをみてなぜか爆笑した。
(凶区が現実に存在していて、しかもそれが購入できるチャンスが到来したことでツボに入って、むせたのだと思う。とにかく爆笑した。)

わたしは翌日、そっこー西武池袋のぽえむぱろうるに行き、凶区の23号か26号を手にしたのだった。

(若干重複)なぜ爆笑したのかといえば、「凶区って、買えるんですね」ということに尽きるのだと思う。今思えば、そういうことなんだろう。

ほんとうに、このとき初めて、「凶区が買えるのだ」ということを理解したように思う。そして、これが蒐集の道へとつながっていくことになるとは、まだ知るよしもなかった…

***

このときは「記念アイテムとして、一冊ぐらい凶区を持っておくのも、いいよね?」ぐらいだったのが、だんだん蒐集へと目的が変わっていき、気づけば、ほぼほぼ全巻揃えてしまうことになった。
創刊号はどこにあるのか? そして毎回(検索に)出てくる、あの、吉増剛造と森山大道がやってるほうの凶区は、でてくんな! すみません…



それから、わたしは、だんだん、ネットで、言葉だけで知ったものを探訪するようになっていった。

凶区は実在し、タイミングさえあえば購入できる。ポエケットもそうだ。
であれば、阿佐ヶ谷も無力無善寺もともちゃん9さいさんも、実際に訪れたり、ライブを見に行けることに、やっとこさ気づいた。

思えば、昔から欲しいものを欲しいとか(糸井重里か!)行きたい場所に行きたいということがなかった。生まれたときからずっと自分の部屋はなく、自分の好きなものを置くスペースもなかったから、好きなものを買って揃えるという習慣が生まれようもなかったのだ。それに輪をかけて、わたし自身の性格もあったのだろう。
だから何かを欲しくなったり、誰かに会いたくなったり、そういう希望がつながってしまうと、「なんか知んないけど、死んでしまうのではないか?」と怖がってしまうくせがついていた。

さらに、わたしは淡白で、わたし自身の機能として、訪れることができるということがわかれば、あんがい1回で満足してしまうたちだった。
そして、ほとんどのこと(ネットで見ていた当時のこと)は、10数年前に過ぎ去っていたから(たとえば、無力無善寺の「はみだしっこたちの朗読会」など)、わたしはその跡を見たり、あった場所を見たり、追体験するばかりだった。
話の途中から出てくるモブキャラ(それはただのモブキャラである)みたいな気分で佇んでいた。とテキトウに書いてみたが、まあ最初から出てても、ふつうに佇んでいた気はする。

閑話休題。

だが、ああ、自分の本性を見すかされまいと、お互いに身を隠すのに費やすエネルギーときたら!

(トルーマン・カポーティ『草の竪琴』大澤薫訳p69)

なんか、こういうふうにネットを使うと、つらいかもしれない。
でもそのエネルギーは大事かもしれない。

homeがほしい とBが言った
それがひどくさびしいものでも と聞くと

(徳弘康代『homeについて』)

どうなんだろう。
ホーム。
あっても、どうなんだろう…と思ってるものがあっても、
あったほうがいいこともあるのかもしれない。
雨風が凌げる場所。
かいぞくさんの詩に、ビバークというのがあった気がする。

わたしたちは壊れやすいようにできている

(モリマサ公『「あるところに、帰るところはあるけど孤独な人がいました」』)

最近実感している。
ゆっくりと壊れるのか、はやく壊れるかの違い。
攻撃に転じるか、
回復にターンを使うか。
やれることは(なぜか)随分と変わる。
遅効性のもののほうが、時間に棹をさすのかもしれない(そう信じたいほうに行きたい)。

この詩をわたしといちども寝なかった男たちに捧げます

(アンバル・パスト『捧げる詩』細野豊訳)

ほとんどの男のこと。

僕はこれからどう生きればいいんだろう?詰んだ人生。美女と100回オフパコしようが僕の「詰んだ人生」に本質的な変化はない。

(傾向 - Hatena blog オフパコしてきた(中村) URL "http://udon-zuruzuru.hatenablog.com/archive/2016/11/27"より)

他者に興味を持っている自分に実感がないと、底の抜けたバケツになる。気にしなくてもよくなる日がくる。
エモかった日々を思い返すだけのエモい日々がくる。そうじゃない日々を思い返す日もくる。ターンがくる。
なんか、ウシジマくんの何くん編かはわすれたけれど、出会い系で会った子と街で再会したとき、「もう忘れてるかな」と思ったら、すれ違ったあとに、自分にだけわかるようにサインしてくれてた、みたいなときが来ると信じろ、信じれ、みたいな。
結局そういう人たちが、世の中には必ず散らばってるんだよー、とは思う。それは吉本隆明もなんかそんなこと言ってた気がする。しらんけど

Ah こんなにも放っておけない人は
星の数ほどいる中で

(西野カナ『Darling』)

とくにいない。

私たちは全ての人が藁のようなものだと思うべきだ。

(ハイーム・ヴィタリー・サダッカ『慎み深さ』長塚竜生訳)

なんだか、平等でいるために、すべてを灰色に見るべきだと言われてるようで、とても息苦しいけど、そうじゃない生き方もできればと思うし、たいていのほとんどの時間、わたしはそうじゃない生き方がじゅうぶんにできているようにも思う。


(これを最初に書いてたけど、なんか冒頭の文章からだんだんずれてきて、完全に浮いた感じになってしまった。閑話休題として茶を濁す。)


(つづく)

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