自分の日記の書き方

日記について

あさ。日記の習慣があって、基本的にはスマホのメモの再構成という形をとっています。

癖として、信号待ちに思いついた言葉をメモするというのがあります。こういうのです

「良一」と「アンナ」

頭蓋内大穿孔良一だ
よろしくな

「良一」はシリーズ化していて、思いついた言葉+良一にしてます。「よろしくな」あるいは「よろしくね」をつけます。

アンナ・シオヅケよ
よろしくね

これは「良一」の「アンナ」バージョンですね。アンナの場合は「よろしくね」以外にも「野生の鹿をみつけたわ」とか、適当な言葉をつなげる場合もあります。他にもアンナは「アンナ・パンパース」などが(私の中では)有名ですね。
「ヘルベチカバックブリーカー」なども、「アンナ」の派生系といえます。「出すたびーにゃ」とか、どちらかと言えば、傾向として、シモに繋がりやすい気がします。

現時点での日記の書き方

信号待ちで、速記的にギャグや地口、駄洒落や頭の中で流れてる音楽やイントネーションや「良一」「アンナ」などを用い、後で自分が展開できるようにスマホにメモする。見たもの、感じたもの、思いつき、タスクなど。
帰宅してから、速記した行から数行空けて、今日一日の出来事を展開した文章をダーっと書いて、その両方を併記する。
週一か十日程度まとまったら、日付ごとに切り分けて、はてなブログに流し込む。

結果的に、行分けが数行+展開された文章という形になるが、ここにさらに、その日知った言葉や、印象に残った文章もコピペして挟み込む。引用の頭には'(アポストロフィ)を付ける。

消さずに足し続ける。少しでも何かを思い出すと付け足すから「あと、そういえば」という言い回しが何度も続くことがよくある。くどくなりがち。

翌朝に、前日のおおよその就寝時刻や、寝るまで何をしていたかを昨日の日記の最後に書き足す。

そして、また「あさ」から始まる日記を書く。ほとんどの場合「あさ」の手前に、一番搾り的なひとことを書くのが習わし化してきてる。これは見た夢、地口、思いつきのことが多い。
そのあと「しごと」か「やすみ」と書く。

ある日の日記の例

覇王彰晃拳を
おい
あさ
やすみ

日記の冒頭です。昨晩「覇王翔吼拳を使わざるをえない」でつとに知られるアーケードゲーム『龍虎の拳』のYoutube動画を見ていたので、起き抜けに「覇王翔吼拳」と打とうとしたら、変換がおかしくなったので、研ナオコつっこみ「おい」で対応し「あさ」につながる。

その日の朝のテンションのほどがわかる。検尿的に。朝こんなでも、夜はめっちゃ暗いこともあるので、それ含めて面白いなぁと思います。はしゃいでた子供がこけて「シィ〜…シィ〜…」とか言ってる感じです。次の行は…

係累勃発の刑

これは急に扶養しなければならない家族(親)やしがらみが増えた気持ちを表しています。現実に即してるわけではなく、頭の中でそういうストーリーが進んでいて、書いたのだとおもいます。次、

足、もつまっせ〜
なんか最近やけに足がもつれる気がする

これはダウンタウンの元マネージャーで今は吉本のお偉いさんである藤原さんが「乳、よせまっせ〜」てギャグやってたのをそのまま足に転用したやつです。ただ、これだけだと意味がわからないので、そのすぐ後に「最近足がもつれることが増えた」と文を補ってます。
これは書いたのがこの日というだけで、数日前からなんとなく感じていたこと(最近)だが、やっとここで思い出し、書き残すことができました。
たぶん体幹が衰えてきてるのかなとおもいます。次、

シーグラスの家
おわった家
でもまだ人住んでる
細い人工河川沿い
白亜目指した家
コンサバトリー
失敗した
曇った
青みがかった
時の進まないガラスに触れた
中からロゼット状に伸びた観葉植物の葉の陰がいくつか押し当てられ
暗い陰となって

これは散歩して見た家のイメージだと思います。最初の2行が散歩の時のメモで、それ以降は帰宅後書いたもの。別にこれを文章にする気もない(出来事じゃない)ので散らばったままにしてます。

なんか白っぽい、ちょっと憧れのあった人が造った温室っぽいガラス張りの部屋がちょっとゆめやぶれ青白く曇りガラス状になって中から伸び放題になったアロエっぽい植物が肉厚の葉を押し当ててそこだけちょっと暗くなってるー…みたいな話だと思います。
その直前に漂着物を採集するビーチコーミングという言葉を知り、砂浜にある角がとれたまるっこいガラス片のことをシーグラスというのだと知って、そこからシーグラスの曇り具合はなんだか失敗した温室に憧れた人の家のガラスっぽいなぁという連想で、そういう家はなんか人工河川沿い(あるいは裏道)にあるような気がして、それってなんなんだろなぁ…みたいなことだとおもいます。
憧れと背伸びと破綻、みたいなものがひしめきあってるというのか…。
サンルームでもなく、美容室でもないような、やっぱり温室的な使い道だった場所・ウインドウが湿気ではない妙な曇り方で青っぽく曇ってるのが気になるというか。

一発死刑の犯罪欄
鳥用の虫vs虫用の鳥
ノットフォーミーか
フォットノーミー
わんもあ円周率
一時の遊びに供されるもの
わんもあおやさい
かたってもかたってもオレンジ
かたってもかたっても俺んち

一発死刑の犯罪欄

「一発死刑の犯罪欄」はたぶん国転覆罪とか国裏切る罪とか水毒入れる罪とかのたぐい(死刑か無期しかないようなやつ)ですが、日曜の昼下がりって、なんかこういうのみてるうちに夕方になることがあるよねーってことだとおもいます。
デーモンコアのWikipedia読んでるうちになんか一日終わるとかですね。もっといえばなんで俺こんなデーモンコアとかマンハッタン計画のWikipedia読んでんのに彼女でけへんねん怒!みたいな思索につながる深い問題が横たわっています。

鳥用の虫vs虫用の鳥

「鳥用の虫vs虫用の鳥」これはたぶんツバメが人工河川の上を掠め飛んで羽虫をゲットされておられるのをみていて。意味は同じだけど結局非対称性は変わらないよね、っていうことを書きたかったのだと思います。「用」の位置が変わっても関係性は変わらないみたいなことだと思う。
バーサスなのは「良一」的なニュアンスで。バーサス使うとちょっとたのしくなるから使ってるだけ。

「ノットフォーミー…」特に意味はない。アベマの動画を見て月曜日のたわわ問題とかで出てきてた言葉を、なぜかフォットにしてメモした。

「わんもあ円周率」「わんもあおやさい」これは「良一」と同じで、「わんもあ」をつける癖です。元々はどこかで「ワンモア教訓」という言葉を見て癖になっています。

「一時の遊びに供されるもの」わからない。虫が鳥に供されるからか?
法律の賭博にならないやつの要件みたいなやつ思い出そうとして書いたのか?

「かたってもかたってもオレンジ」「かたってもかたっても俺んち」たぶん何かに使えると思って書いてるんだとおもいますが「屁をしてもひとり」とか「◯っても◯っても○○」構文で、何かに使えると思ったんでしょう。世界とか見識の狭さとかでしょうか。

行分けパートのまとめ

この日の私はたぶん、散歩しているうちに若い頃の部屋で悶々としてた頃のことを漠然と思い出しながらぼんやりと歩いていたのだろうなぁ…っていうことが、なんとなくですが、わかる気がします。

文章パート

今日は午前中エマ9とWOWOWのファブル2(うつぼを堤真一がやってるやつ)をみて午後からは歩いて府立図書館まで行って文芸春秋の東浩紀の論を読み、エマニュエルトッドのインタビューを読み中央公論のキャンセルカルチャー特集を読もうとしたら眠くて(隣の人はがっつりつっぷして寝てたけど)諦めて本を借りてまた歩いて途中でDONQでパン買って帰ってきた
あと宅配ボックスからメルカリでポチったデデデデ全巻も回収してきた
出しなにポストに入っていた拓元洋の詩集、冬の火は鞄にしまっていた
行きの途中、浄土寺のウェルシアかダックス、同じことかもしれないが、そこで目薬を買った
とにかく暑かった
平安プロムナードでは、エコまつりみたいなエコに気を使った食べ物とか雑貨のテントがたくさん並んでいてトークイベントやリズミカルな太鼓みたいな遠雷どろどろ音、通りの真ん中には4本の長い木を中央でつけ合わせたピラミッドみたいな構造物の接点にリボン状の布みたいなものがどこから延びているのかわからないがびよーんと伸びてきていて、木の接点に結ばれて風にたゆたっていた
そんなおぶじぇが象徴的に2個か三個、通りの真ん中に設置され
流木を売ったりしてる店が目についたあとは周りの芝生で憩ってる人間、どちらかといえばニット帽な男と生成りワンピースな女と安易な子供、みたいな組み合わせがおもいのままに座ってる、時にテント、時に犬、そんな印象、ちょっと観光
最近は子供を作る人間、というものの印象とその「強さ」に偏見をもってる
気がする
流木のことをビーチコーミング、とかいう書き方をしているのを見かけ、おぼえておこう、と思って、今思い出した
漂着物、とかいう意味らしい
家に帰って洗濯物をカワックしてたぶん17時過ぎから、さっき、19時過ぎまで寝てた
今起きてこれかいてる
calm beach combing
solid lull べた凪

信号待ちで書くのが行分けパート、家に帰って書くのが文章パートで、歩いているときの思いつきや見たものの印象が行分け、文章パートは記憶を辿って地点や行程や出来事に、その場の構成物の素材や人の感じとかをバーっと書き付けて現時点まで戻って終わる、といった感じです。
最近は見たものや読んだものの感想は書かなくなってきて、見た、読んだ、で済ませることが増えてきました。好きなものが減ってるって感じがしますね。嫌味なことばかり増えて。感想とか意見ってなんなんだろうって思うことが増えて。
シューティングゲームやアクションゲームで、壊せる壁に覆われたステージで、最初広範囲に打って壁を破壊しておかないと、だんだん先に進むにつれて先細って身動きがとれずに詰んでしまうような心の状態。
ディオゲネス症候群とか中年期危機とかいろいろ思い浮かぶ言葉はありますが、好きなものがどんどん脱落、あるいは剥落していって、かといって新しいものを好きになるパワーも衰えたり、桃白白が柱に飛び乗れずに野球盤の投手のコマみたいに硬直して降り積もりスクラップの山のようになってるのを心の中に見て暗澹たる気持ちになってるというのが現状。
そんな今日このごろです。

番外:夢の時はこんな感じ

ゆめ
Googleに行く電車
トンネルを抜けると
社内
老婆2が足指なく象皮
鎖おもりで落とそうと
逆に落とす
道中
雨で濡れた路面に花火が映っていた
あさ

Googleに行きそうだな…と思ってる電車に何故か乗っていて、トンネルを抜けると電車も終わってふつうに勤務する会社のオフィスに歩いて入っていて、そこで何故か足の指がぬっぺふほふみたいになった老婆二人に追いかけられて、老婆の足首にはおもりつきの足枷がついていたので、踊り場の手すりの隙間からおもりを落としてやろうとして、何故か間違って老婆のほうを落としてしまって、また路上を歩いていると、雨で濡れた路上に映る打ち上げ花火が綺麗だった、という夢です。

まとめ

なんのこっちゃかって話でしたが、いつもこんなふうに日記を書いてるよという話でした。


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