メミ

相変わらずちびちび「私の詩論大全」を読んでるわけだが、北園克衛の「応化観念」という観念、横文字だとイデオプラスティらしいが、これは5or6さんの詩集のタイトルだった気がして、なんかふと、ここで、記念じゃないけど、メモとして。

相変わらず雪は残ってる。昨日よりは溶けたのかもしれないが。

おそらく、当時、映像というものは、音韻に代る新鮮で内容豊富な「詩的契機」にみえたに違いない。しかしながら、詩が音楽ではないように、詩は遂には絵画ではありえないから、意味の代りに映像乃至は映像の意味を詩的関係の中核に据えるのは――その時代の戦略としての意義を別にすれば――やはり問題であると言わざるをえないであろう。

岩成達也『私の詩論大全』p173-p174

読んでいて結構意味が追いきれなくなることも多いけど、ぼんやりと思うのは、昔は言葉というものへの信頼度が高かったというのか、言葉の並びやフォルムの中にちゃんと詩情のようなものが格納されていて、これはいつなんどき開いてもまったく同じような感情を生むものだという考え方(確信)が論から滲み出てきていて、途中から、それらの例外に対処するあたりで話が拗れてくるのかな、、、と思ったりしていた。
包括的に処理し切るには、まずその言葉の中(フォルム、音韻)に作者が込めた詩情が格納されていて必ずその通りに再生されうるという信頼のようなものがある程度素朴にあったため、変な理論ができやすかった。簡単にいえば思い出補正がかかっていて、「あれだけ感動したあの詩に、何も入ってないわけがないじゃない!」みたいなところから始まってるのは、ある意味で素晴らしいことのように思う。で、岩成先生はずっとそのへんのことを指摘していて、これらはなんか論として、整理としては最もではあるけれども、なにか寂しい発想のようにも思えてくる。
人間がなんかやっていくたびに、「あえてしなかった変身」をしているかのようにも感じてくる。

ただ、この頃の論が多かった背景には、先に引用したような、映像というものがまだ新興のメディアであったこと、また、出版物や言葉を刷って刊行あるいは公開するためのルートが限られていてトップダウンでものごとがすっきり流れていた時代だったから、エリートというのか、文学者が海外からの思潮や運動を日本に紹介したり興そうとするときにも、そこまで詩や言葉のとられようというものが相対的であるとは思いつかなかったし、認めにくい、いや、認めたあとでも、なぜかまた言葉の中にはぜったいなんかある! と言ってしまうような姿勢が残っていた。ある意味、言霊理論といってもいいのかもしれない。
自身が、それら(詩)を読んで感動して、この中には何か入ってるんじゃないか、そうとしか考えられへん! と思ったから、それに引きずられてたんじゃないかなー、みたいなことを読んでて思った。
まあわたしたちもいつまでも昔、初めて読んだ衝撃とかに引っ張られることはままあり、ただし、昔ほど教養をもった人数が少なくないから相対的になり、淘汰?するための引っ張り合いが発生するのであって、今でいえば、もう詩をバズの回路にいかにのせるかとかがこれらの解決の一番すっきりした

(いつだろう、1/25とか26ぐらい?)

追記
「なんか詰まってるんじゃないか」みたいな発想として、ふと思い出したのが夏目房之介さんの手塚治虫の冒険?という本で赤瀬川原平が手塚治虫の漫画を初めて読んだときの記憶というか感想で描線の中に大福とかおまんじゅう(おまんじゅうは書いてなかったかもしれないが)とかが詰まってるんじゃないかと思ったみたいな回想が書いてあって、なんかそれと似たことが「言葉」というもので起こってたのかなーってことを今読み返して思った
2/15夜

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