メミM-1翌日日記

布団の中からスマホをいじってリビングの電気→テレビ→エアコンとつけていき、ウエストランドの朝番組行脚がすでに始まっていて、ちゃんと受けてるので「よかった…」と何故か安堵しながらリビングに行くと昨日M-1で6のままテレビ消してたことに気づいた。8に変えた。
めざましで三宅さんとか井上さんが笑うかどうかが問題である。

昨日は朝からピザをお持ち帰りして敗者復活抽選会〜決勝までずっとM-1。
おもしろかった。なんとなくこう自分の中のどっかが賦活化するというか、呼び覚まされるのが楽しいというか。絵が浮かぶとか、リズムに乗れるとか、そういう自分の中のどっかが賦活化するんであれば毒でも薬でもどっちでもいいというのが本音。
正義とか倫理とか、要は自分への遠回しな利害のことで、自分もこういうのが広まったらよくないなーこまるなー(昔これで嫌な思いしたなーとか)みたいな感覚は持ってるけど、それと矛盾する愉快とか痛快といった感覚もあって、一瞬ちらつく「傷つく人」をどれだけかき消せる(振り切る、切り捨てる)か、みたいなものに囚われて躊躇して笑いが遅れたり、おっかなびっくりだったり、なかなか煮え切らないときがある気がする。
こういうとき時々思い出すのは昔の漫才番組でときどき映る客席でめちゃくちゃしかめつらで見てるおばちゃんおじちゃんとかいて、幼いわたしは「戦後の傷がまだ癒えてない人」みたいな印象で見てて、そう考えると昔から切り捨ててるしだから今も切り捨てろとは言わないにしろ仕方ないしどうしても忘れてる瞬間はあるしそれより自分は自分がすこしでもよく生きれるように体のどっかを呼び覚ましたり活かしてくれるものに忠実でありたいと思ってしまう。

「戦後の傷」というより「戦争の傷」だけど、戦争というとなんか語感が微妙に違うから戦後にしてる気がする。

なんかパッと思い出すのは、真空ジェシカが「手刀の人」出してきたところ。あれ、なんか面白かった。たぶん審査員もわからないし、見てる人もハンターハンター知らない人には伝わらないけど、そういう間隙からパスが届いた気がして笑ってしまった。
ヨネダ2000は知らなかったけどボケの人?いや、ボケの人しかいなかった気もするけど、やりきっててリズムもよくて面白かったし空中ブランコの音符の重いところも絵が浮かんで面白かった。さや香の右の人の顔も面白かった。なんか昔はいきなり左の人が作ってきて右の人がどう反応するみたいな感じでやってるみたいなこと言ってた気がするけど両方本領発揮してると(活かしあってると)違うのかなーみたいなことをおもった。ウエストランドもなんかデッドライン越えてく感じと連呼するのがおもしろかった。今までケアなしモノディスはあったけどケアなし人ディスまで来た。そういやカベポスター順番恵まれなかったなぁ…。ずっと敗者復活の3人に選んできて今年やっと一発でいったのに一番引いてしまって。悔やまれる。敗者復活はカゲヤマに97か98ぐらい入れて絵馬みたいなやつで天にスワイプした。あとは令和ロマンと…

ど忘れした。ハイツ友の会か、ななまがりのはず…

*追記 これはM-1翌日の日記ぽい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?