書き損なったもの(1)

年の瀬に何かまとめて年間の思いを書いておこうと思って、ちとここに書かせてもらいます。

ネット詩て言葉について

鈴木志郎康さんを追って詩集を買い集めたり、現代詩手帖の特集号をヤフオク!なんかで落札している。わたしにとってはリアル部屋が監視状態だったのでネットは隠し部屋みたいなところがあった。やっとひとりで暮らしはじめて、リアルなものを置けるようになって、10年越しにいろいろ買い集めている(でも自分が何が好きなのかという感覚が退化していて好きなのかもよくわからない)。そのへん、なんか田中さんとか葉山さん?とかみてて、文章もそんなにぜんぶちゃんと読んでないけど、なんかこう家族やその周辺のことでたくさん苦しんで、やっと契機が訪れて、インターネット上の詩に触れることができたり自由のようなものを味わえるようになって選び取れるようになった人どうしの挙動というか、そういう分子というか、そういう精神のふるまいのようなものが似ているなと私は思ってて、そういうときにとっぴな動きをして痛みをまた味わいそうにならないように生きなきゃなとも思ってて、そういうのは結局言葉の足腰というか、その素養みたいなものによって担保されていて、わたしはけっこう割れ窓のままヴァルネラブルに生きていかなきゃならない素体をもってる気がしてる。……話がそれた。

図書館で借りた現代詩作マニュアル(野村喜和夫著)という本を読んでいると、鈴木志郎康さんの著作として「現代詩の展望」が挙げられていた。Wikipediaには載ってないし、タイトルの規模感からして単著じゃないっぽいなと思いつつ、いちおう頼んだらやっぱり単著ではなかった。戦後〜1986年までの100編のアンソロジーを挟み、その前後に戦後詩の鼎談やら論考がわらわら並ぶ構成だった。

で、論考をいくつかよんでいると、戦後詩、現代詩とよばれるくくりのようなものがあり、みなさん論考の冒頭で、それ(戦後詩、現代詩という言葉)についての留保やエクスキューズをつけて、うだうだと原稿を水増しされている。とにかく「どのへんを現代詩と区切るか、とか、こういうってほんとは意味ないんだけどね☆」みたいなくだりが頻出する。こういうのをよんでると、ネット詩という言葉の扱い(そもそも扱う人が少ないが…)によく似ているなあ、と思う。「この"戦後詩"を"ネット詩"に変えたら、…そのままいけるんじゃね?」と、なにがいけるのかはわからないが、そんなことを読みながら思い、ねむりについた。誰か賢い人がやってくれるだろう…とおもいながら、賢い人はそんなこと(ネット詩という言葉や歴史)にかかずらわないかもしれない。そういえば、私達も「そういう許諾」をうすぼんやりと交わして、うすぼんやりこうした帰結を理解しながら、ネット詩という時間を過したのかもしれないなあ、ともおもう。

いま許諾といったが、なんというか、これは、Yahoo!にニュースを提供する許諾をしてしまった媒体、みたいな感覚なのだろうか?

どんな許諾だろうか? 出入りの自由だ。もとの生活に戻れる自由だ。だが言葉は残り、口惜しい。無料で、自由で、すばらしいのもある。ホームとかライフとか、そんなカタカナにもどれる自由を担保しながら、自分の人生を自分の言葉で切り開いていくんでぃ!という気負った感じじゃなくても発表ができて、その発表したもののよしあしによって、あるていどクラスタを移動したり交流やマッチングもできるような、ひたすらうすらぼんやりした空間? このような場における許諾はひじょうに曖昧で、いつかわたしもホームページの下に「2001-2003(C) nemaru copyrightなんちゃら」みたいなのをつけたけれども、そこまでがっちり囲い切れるとも思ってなかったし、こっちのほうが先に飽きてその場を去ることもままあった。忙しくなれば手放すような場所でもあったし、かつ切実な場所でもあった。どこにも言えないような自分でもよくわからない曖昧なことを言う、それはつまりちょっと詩に近いが、それにネットは適していた。ネットの本来的な、論文のような構造をマークアップしてハイパーリンクで繋ぐといった発想は、曖昧なものを書くものどうしが作った場所を家や部屋に見立ててつなぎ合うという発想になった。いちおう、WWWやHTMLの理念というのか、また、西海岸のなんかとか、そのへんの考え方は理解したうえで、まあ若いから金ないからなんでもタダがよかったし、なんか言う場所がほしかった。でも場を手に入れるとあれだけあると思ってた言うべきことも、そんなに溜まってるわけでもなく、更新<日常に重きが置かれ、やっぱりだんだん億劫になっていくものだった。

今自分の昔のネット観をたらたら書いてみて、このへんに、インターネットの初期の未開拓さや若さが交じる。戯れた、という意味では、疑似的にしろ、新しい場所だった(そして場所を作ったのはちょっと年上のこがねもちのおじさんだった気がする。そのおじさんの気持ちがなんか最近わかる錯覚がする夜が妙にある)。夜、テレホーダイに限定された、大学のパソコンに限定された、時限的にアクセスできる置き手紙のある(だろう)公開私書箱。昔のYahoo!のバタ臭いロゴを思い出す。

境界と手続きについて(短い)


 たとえばネットで詩の雑誌を作ったりするでしょ。ネットは公開の場所として成り立つのかというようなこともやっぱり考えたりするんです。詩の作品それ自体の手続きとちょっと違うけど、この公開の手続きの問題も大きいと思うんです。ネットで詩を公開することに関しては僕はものすごく懐疑的ですね。これは公開の場所として成り立っていない。いくつか理由はあるけども、一つは公開の場所には「境界」がなければならない。ここは出さない、ここから出すという「境界」がちゃんとできてないと公開というのは成り立たない。ふつうは編集者がいて出版社があって、それが手続きの場所になって印刷物として出てくる。ネットの空間にはそういう敷居がなくて、書き手一人の判断しかないから、暗い部分と明るい部分の境目がない。それと同じことなんだけど、ネットというのは名前のアイデンティティを本質的に作れない空間ですね。あそこでもしアイデンティティを作っちゃったら利用されるから出さない。匿名性がつねに侵入してくるわけです。したがって名前によって責任がとれない。責任を問えない。だからネットの空間は全体として暗がりになっていて、どう考えても公開の場、公的な場にならないと僕は思う。ネットは一つの例ですが、一般的に詩の言葉を公開するときの手続きの問題は、これからかなりいろんなところでシビアになると思う。

(稲川 方人・瀬尾 育生『詩的間伐―対話2002‐2009』思潮社、p115)

これ読んでまあ端的になんもわかってねーなひっこんでろバカとも言えるかもしれない。でも悔しさは、手続きを踏まなかった仕返しなのだろう。おそらくこの文章が出た当初は2ちゃんねる的なものとインターネット全体を混同していると思われたり、詩の巧拙とネットの詩の玉石混交は早合点だ!ちゃんと読め!といった批判がでたのかもしれないが、今となっては、私達はこのアイデンティティを作れない空間(この表現は使いたくないが、引用との整合性のため)を利用して、匿名性によって、日常に還れる安全性を担保しながら詩を書いたし、それによって私たちは結局会えたり会えなかったりした。思ったより邂逅はなかった。これからは、まだあるかもしれない。わたしたちはまた中年というエアポケットに、空白期にさしかかってるようにおもえる。わたしたちはそこそこ慌ただしかった日常を、操縦桿から手を放し、あるいは誰かに任せ、オートパイロットのまま席を離れ、動ける程度の日常の余裕を、ふたたびもつようになった。しかし、それはなんだかおじさんバンドのようなものを少し感じる。次のことがしたい。しかし、私達の関係性とか過した時間自体はかけがえがない。そこにまた立ち帰ることに批判はない。ただ違和感あれば都度言い続けたい。正直でありたい。また、妥協的でありたい。

再度、ネット詩って言葉について

ネット詩ってなんじゃろかいな。ほとんどがつまらなくて、ほとんどがいとしいみたいな。原理主義がみればクソしかない、博愛主義がみればいとしい(ひっしとだきしめる)。もちろん私が生き抜こうと思えば待ったなしで後者!…ではあるが、ではあるが。。前者に誉められたいという気持ちも正直ちっとばかりある。わはは。

あきるというか、食傷気味になるというのはあると思う。ずっとこう、マラソンで同じ給水所で配るように愛せるか、ずっとクマソの若者が崖の穴の中を登るのを火の鳥みたいに見つめられるか(というか、その「火の鳥」は実は単純に社会不適合者なのだが。まあ、そこは用法用量をよく守ってお使いくださいとしか言えないのだが、おそらくその火の鳥は基本「出戻り」なので、それはもうほおっとくしかない)。

愛さなくては、というふうに義務になるぐらいなら、一緒に走って、そのグループと一緒に走りながら、その人たちしか視えません、すみませんねという予防線を貼って、ほかを見ないようにすることで、現実社会でのライフステージとしての契機が「老化」以外なにも訪れないほどの孤独ならば、そうやって時間とともに「卒業」していくのもありなのかもしれない。(補記:わたしはそろそろ死に支度のためにこうやって今まで書いてきたものを公開し始めている。もうこれはこれ以上よくならないだろう)ぬしになったりお局になったり重鎮モンスターパートになったりするぐらいならNSCの何期生みたいな感じで(各自の心の中で)期でわけて、M-1やR-1に出れる出れないみたいな感じで考えた方が人生を有意義に過ごせる場合もあるにはある。
なんといっても、このぬしというのは池のぬしなら釣ればしまいだが、ネットのぬしはぜんぶの釣り針にかかっていって、かつ何度釣っても池にいるという感じなので、その不完全な不老不死感が火の鳥感をうんで、どうしてもクマソの崖上りを眺めてしまう目線になってしまう。そして申告しなければ芸歴60年とかでもM-1に出てこれる感じなので、そういうことを瀬尾さんは危惧しておられたのかもしれない。今芸歴60年と書いたけれども、ネット詩人歴20年とかいうのは……、……、今文字に起こしてみてゾッとしたが、ゾッとしてはいけない。愛さなければならない。愛さなければならないこともないが、なんかいつもほわわわ〜んと余裕をもって接するようにしたい。インターネットのすべては祝祭的に過ごさなければならない。これはおそらくその情報技術というものの発端からして、シンプルにいえば相手をこの手でボコれないという理由によって、祝祭的性質を帯びるのだと思う。で、この祝祭にはおそらくわるいほうも含まれていて、それは昔の贄的なものも祭りだった頃のほうの意味での祝祭なのだと思う。なんか屠ってささげてうおーみたいな。であれば、その贄的側面に対しては自律しながら、それに加担しないよう、うまく祝祭の現代的な側面のみをうまく生きること、これは長く居れば居るほどわかったり油断したり熟達したり弛緩したりしていくものだろう。与太ってしまうこともあるかもしれない。まあでも慎重であるに越したことはない。基本はひとりでコツコツやるものなのだと思う。仲間がいればラッキーぐらいなもので。

原理主義的な部分と博愛主義的な部分を、本音と建前的に両立させることは可能なのかもしれない。ネットから詩にはいると、人とのぬくもりが余計なものに感じられたり、合評会がひどく退屈にかんじられたり、愛さなくてはならないといったマスト的な感情に支配され、疲れる部分もでてくる。それは水揚げされたサハギンの宿命なのかもしれない。ネット詩というのは、ネット上にある詩を、都合よく、好きなものを、時間、距離、人間、関係なく読めるところにある。水と空気が反転するようなものだからだ。水と空気を乳化させるか、炭酸のように混ぜ込むか、それはその人次第だが、そういうのは意外と自然にできるぶん、どこにも言う場所がない。暗渠にこもりやすい。そしてこれはまた動機となり、新しい場所や組み合わせができたり、その人が去るだけだったりする。

ネット詩の玉石混淆について

ネット詩で、覚えているものはなんだかんだどれもこれも素晴らしいのばかりだ。どこかのネット詩考に、A、B、C、D…と良い順に並べていくと、かいつまむ場所によって視え方が違ってくるよといったことが書いてあった。昔、ネット詩は便所の落書きばかりだという誰かの発言に憤慨する掲示板をみた記憶があるが、便所の落書きだとおもった人はX、Y、Zのあたりを見てしまったということになる。で、じっさいのところ、その良し悪しでいけば9割ぐらいZだろう。ネットは上質のAだけを提供する場ではなく、均質にAからZまで取り揃えております!という世界でもない。サイトポリシーで間口を狭くするか、良いものを掲げるかして見やすくするぐらいしかない。良いものの選び方は2パターンで、現代詩フォーラムのように全員で選ぶパターン、ぶんごく(2003?〜2020?)みたいに誰かが選ぶパターンがある。でも詩って、そういうんじゃないよね。自分で読んでコレ良いなぁ、とおもったりするものだ。「うまくなる」方向や、「(今までに)なかった」方向に「寄せていく」場合は、評価も有効に機能するのかもしれないが、その「評価」も「有効」も「機能」もなんかちょっとどうかな、みたいな雰囲気がある。それが嫌で詩を書いてる、みたいなとこあるでしょ。なんかこう、合わせにいって、それが本来の自分の資質っていうか、自分の弾み方や吐露したいことがらとまったく整合しないなら、それはそれで意味ないじゃん、とか思ってしまう。それじゃあなんか、なんかじゃん。世の中にあるほとんどのやつ(競技であり、審美であるもの)じゃん。自分でどーん!いって他者がどーん!といく感じのやつが詩ぃってもんじゃないの!?とおもうし、というか、むしろそれなら現実でカルチャーセンターとして、コミュニケーションツールとして、詩をてほどきしてもらうほうが早道だ。逆にいうと、そういう感じだから、ネット詩じたいが「うまくなる」とか「寄せる」という考え方自体にあまり馴染まないし、同じ場に、重ね塗りするように立ち現れる主体をそういうふうには捌ききれない(おそらく原理的に。本なら号数によって先に進むが、ネットの投稿サイトは、規約変更、更新、揉め事はあれど、号のようにはなかなか進んでいかない)。ネット詩は、誰かの読み方や、サジェストやリコメンドを信頼して読むというやり方についてはかなり優れている。というか、これがかなりの位置を占めている気がする。信頼できる評価者を自分なりに見つけて、その陰で作品を読んでいって自分なりにこっそり寄せていくなんていうのが一番学習効果あるような気がする。とはいえ、その核に誰を置くかということになってくるとこれが難しい。どうやったらいいんだろうか。なんかSNSでフォローするしないの判断をするときのbioを読むときの感じで政治的にどっちかとか、なんかうるさいなと思う感じとか、そういう感じで選んだらだいたいOKな気もするが…。まあその人(というかアカウント)の作品を芋づる式に読んでみていい感じだと思ったらその人のおすすめを読んで見るっていう感じでやっていくとだんだん染まっていきつついろいろ手札も増えていってそれを自分の日常や非日常とまぜるとなんか自分特有っぽいのがつくれるんじゃないかなぁとはぼんやりおもいます。わたしはそういうのできないけど、足腰のつよい、そういうの上手な人はがんばってください。

ネット詩は群像劇なのだろうか

詩というものの発動条件が思春期にあるとすれば、それはイルカの群れが泳ぎながら跳ねるみたいに布を縫うようにピークを描いて、それぞれのアドレッセンスのうねりみたいなものが時差で発現しまくって(は消えて)いる空間なんじゃないか、それを時差で眺めつつ、年齢がちかしい場合や、シンパシーの度合いに依って、それぞれが青春群像やら成年群像をやらかしては現実に消え(たり、執着したりし)ていく。時間さえあれば、大抵の場合、いつでも戻ってこられる。現代詩フォーラムなんか、お盆休みの実家の二階、元自分の部屋でなんとなく思い出して見た、みたいな人もけっこういるのではないか。そういう人にとっては、もうネット詩は思い出かもしれない。人によっては日々生きづらい社会に潜るための潜水帽。ネットの卑近さのせいで、参入と離脱の感覚も、もうかなり薄れてしまった気がする。現代詩フォーラムや文学極道のレガシーさがむしろネット詩という言葉を裏打ちしたり、思い起こさせたりする装置になっていて、ふだん無いとおもってるのに、そこにいるとだんだんと「ある!」と錯覚してしまう部分もあるのかもしれない。ああいう掲示板型であり、参加離脱の表明ができることで、かろうじてその縫い目のウラオモテを生きている(潜ったり、浮上している)感覚をこちらが感じ取れるし、結局のところ、その繰り返しをぼんやりと行いながら、同時に見つづけていることが「ネット詩」なのだと思う。基本は輻輳なのだろう。生活の輻輳ではなく、生活「以外」に対する輻輳輻輳した時代にインターネット上で詩を書いた人とのシンパシーの強弱で形作られているそれぞれの定義について、まいどまいどエクスキューズを入れなければならないほど、まぁ戦後詩とか現代詩とかいう言葉ほどはやいやい言われない言葉、つまり好き好きに使われるのがネット詩という言葉なんじゃないか。

アカデミックな部分(あるいは単におっさんと言い換えてもいいかもしれない)では少し先行するのかもだが、1998年あたりでネットがかなりガッと普及し始めた。ここらへんで若者もネットに流入し始めた。そこで詩についても青春群像が始まりはじめた。ADSLや光などの定額制で大容量のネットはまだまだ先の話で、YahooBBが街でモデムを配りまくり始めるのももうちょっと先の話。若者はありあまるバイタリティでテレホーダイ。ざっくりいえばネットの普及と若者のふわっとした時間がマッチしてネット詩がボワッとなって、さっきでてきたおっさんが用意しておいてくれた「場」で書いてボロクソいわれてなんでやねんみたいな感じでガッツが湧いてうまくなったりした。あと素地として別分野の人がきて書いていくという感じのこともあった。分野のボーダーであり、生きるのが大変なかんじの人たちだ。系でいえば、感覚的で才能ある大変なかんじの人たちと、悩むという意味で大変なかんじの人たちがいて、私はどちらかといえば後者だが、前者に憧れていた。

昼と夜で布を縫うように繰り返していたのは、テレホーダイとひきこもりという私の環境的な部分が大きいのかもしれない。ひきこもりだがテレホーダイの時間帯は守っていたので、現実とネット、ROMる、窃視する自分というところでどうやったら外に出られるのだろうとおもいながらネット詩を読んでいた。ネット詩のBBSでは才能ある若い誰かに語る師匠筋の人の発言を、才能ある若い誰かの後ろにこっそり立って聞くようなことが可能で、そういう場所に行きたいなあと思いながら生きていた気がする。結局なぜか孤独な底辺会社員としてわけのわからないことを書きまくることになっているのだが、まあ行き着くところに行き着いたなあとしか思いようがない。

そういう意味では最終的にどこかには行き着く(ということを信じたい。)みんな忙しくなってしまう。詩を人生に絡めようとすると、もうそれはそうせざるを得ない人か、仕事に寄せていくか、業余の趣味になってしまうか。そういう意味では現代詩フォーラムのことをふっと思い出してさっと書いて帰ってく感じはとても理にかなっていて、ほんとうにたまにカジュアルにオケイジョナルに詩を書いているってかんじだ。それでいてポエムじゃないってかんじ。鋼の錬金術師の師匠みたいなイメージ。ネット詩は境界をちゃんとできてないという指摘を瀬尾育生さんがしてらして、概ね同意だが、それはそれの良さがあるってことだろう。


引用リプライズ、カモーン!


 たとえばネットで詩の雑誌を作ったりするでしょ。ネットは公開の場所として成り立つのかというようなこともやっぱり考えたりするんです。詩の作品それ自体の手続きとちょっと違うけど、この公開の手続きの問題も大きいと思うんです。ネットで詩を公開することに関しては僕はものすごく懐疑的ですね。これは公開の場所として成り立っていない。いくつか理由はあるけども、一つは公開の場所には「境界」がなければならない。ここは出さない、ここから出すという「境界」がちゃんとできてないと公開というのは成り立たない。ふつうは編集者がいて出版社があって、それが手続きの場所になって印刷物として出てくる。ネットの空間にはそういう敷居がなくて、書き手一人の判断しかないから、暗い部分と明るい部分の境目がない。それと同じことなんだけど、ネットというのは名前のアイデンティティを本質的に作れない空間ですね。あそこでもしアイデンティティを作っちゃったら利用されるから出さない。匿名性がつねに侵入してくるわけです。したがって名前によって責任がとれない。責任を問えない。だからネットの空間は全体として暗がりになっていて、どう考えても公開の場、公的な場にならないと僕は思う。ネットは一つの例ですが、一般的に詩の言葉を公開するときの手続きの問題は、これからかなりいろんなところでシビアになると思う。

(稲川 方人・瀬尾 育生『詩的間伐―対話2002‐2009』思潮社、p115)

これは当時ネット詩VS紙媒体みたいなところでけっこうやり玉に挙げられてたのだと思うのだが、私は原文にあたったことがなくて、10年越しで読んでみると匿名性のところが2ちゃんねる的な勘違い以外はそこそこ合ってるんじゃないかと思う。合ってるというより、「見ているところがちがいすぎて、話ができないよね」っていう意味で合点がいきますといった程度ですが。同じ紙の本を読んでいるときはまだ話がもうちょっと合うし、誰々の何々ではあるが、ネット詩の場合、どこどこの誰々の何々になるのだが、そのどこどこは実際の場所ではないみたいなところで齟齬が生じているのかなと思う。わたしがネット詩のことを書こうとして、ネットのことを「空間」と言おうとしてウッと言葉に詰まるのは、実際は機械的にソートされた置き手紙が表示されていく「板」なのに、あのころはネットに「たどりついた」気がしていた。自由なところで発信ができるのだなという希望の部分で、そのへんから詩にはいることもできたりした。

ネット詩といった場合、板の部分と、ネットであるところの紐の部分がある。昔ネット詩と覇権を争った(と勝手に私がおもってるだけの)WEB詩という言い方も、どっちに重きを置くかでネット詩=紐のほう、WEB詩=表示画面のほう、ワイヤード=紐の中で光のような電気のようなものの煌めきがぴゅんぴゅんすばしっこく動いてる感じ、みたいなものに重きを置いている気がするし、なんかそんな違いがあるように思う。特にWEB詩というのはどっちかっていうと、DHTMLとかJavascriptとかMARQUEEタグなどを駆使したような、発光する画面表示によるコンクリートポエムとかタイポグラフィのようなものを私なんかは想像しちゃうのだが、みなさんはいかがでしょうか。

私にとってのネット詩

私にとってのネット詩の話だった。私にとってのネット詩は、「インターネット上にある詩」ではなくて、それぞれが送っているであろう、ある種の「軌道」に対する萌えのような感情なのだと思う。というか、私には、他人というのを想像しようとするとき、そこからしか考えることができないのだと思う(大げさではなく、ホントに)。小さな星が軌道上をまわっていて、大きな星のガスの霧やスペースデブリ(参加できなかった活動の跡とか…)をくぐる瞬間のような。そのとき、小さな星が自分(人生)なのか、大きな星が詩なのか、それとも小さな星のほうが詩で、大きな星のほうが自分(人生)なのか。それぞれが霧を潜る周期をくぐり抜けた跡を眺めることができるが、そこにはもういない人、いるんだけどやめちゃったような人がたくさんいる。「ふつう」なんてないけど「ふつう」になっちゃった人たちがいる。戻ってくるってことは「ふつう」になれなかったか、なりたくないってことだろう。

活動の跡(デブリ、遺構)の参照しやすさについて。これインターネットの利点だったはずなのに、以外と情報って欠けやすいし、参照しづらい。これも瀬尾さんのいう「公開の手続き」とか「本質的にアイデンティティの作れない場所」というところと通じるものがあるように思うが、これも人の現実空間での忙しさや、見通しの甘さ(ブログが三日坊主になりがちだったりとか)や、はたまたサ終(サービス終了)などは、まったく個人の力でどうにもならない。「まさか、ジオシティーズが終わるとは。ひとつの時代が終わったのだなあ」ぐらいの、そこそこ平熱の、通常運転の感慨で見てしまう。なんかめっちゃ泣いて取り乱すほどではない。ということはやっぱり、私たちはある程度サービスであることに気づいていた?

なんかソースがもうない(WebArchiveも"Uhmmm…みたいなことを言うぐらい無い")情報というのもかなりあって「あのときあそこでめちゃくちゃいい詩を読んだけど、今はもうない」という淋しさがある。あとはネット詩について書かれた散文や、論考?のようなものも、ちゃんと参照されているとは言いがたい。『ネット詩fについて』っていうやつがすごい読みたいんだけど、なんか『ネット詩fについて』は消えててWebArchiveにもなく、だけどこの文章を参照したと思われる文章はいくつも読めるので、めっっっっっちゃ気になる。知ってたら誰かコメ欄ででも教えてほしい。

毎度毎度ネット詩で巻き起こる、問題や議論のある程度は、現代詩フォーラムがパソコン通信からインターネット上に移ってきたときに侃々諤々されて残っているはずなのだが、まあ、あんまり参照されず、散発的に車輪の再発明が行われているのが現状じゃなかろうか(ということすら確認しようがない…)。あと、TwitterなどのSNSとなってくると、それぞれがフォロー、フォロワーという関係によって画面(タイムライン)をカスタマイズしている状況となり、同じものを参照するのが更に難しくなってきている。そういえばこの文章で引いている『詩的間伐』も、もとは「ななひと」さんの散文に書いてあったのを読んで知ったのだ。

ざっくりいえば、私達は出入り自由な場所に詩を書き始めた(それらはランダムに堆積されたり消去されたりする。風化の仕方はデジタルだが)。私達は時間差や年齢差で輻輳し、戯れたり、参照しあって、飽きたか必要に迫られたら日常生活に戻っていった。

ここからはさらにざっくりする。『子午線6』の鼎談(5人ぐらいいるけど)に「1995年あたりから視えなくなった」といったことがしきりに書いてあった。阪神大震災オウム事件によって世の中の空気が一変したから(歴史が輪郭を喪って堆積しなくなった???)といったようなニュアンスで読んでいて、なんだか「インターネットが抜けているな」と思った。並走している電車の一方が地下に潜っていくように、この人たちには見えなくなったのではないか?と感じた。「見えなくなった」ことと「のぼってくるのを待つ」ことの、感じ方のウラオモテが、この人たちの「詩」と、私の「ネット詩」に対する感じ方に対応しているように思えた。なんか定点で電車に乗るようにものごとを見てると、(ものごとって)見えなくなっていってしまうのだなぁと思った。

この人たちからみれば、私達は壁(抵抗や苦悩)で堰き止められ「公開の場」へとのぼりつめなかったダメな人たちといった見方ができ、私達はその人たちの定点観測による系譜のようなもの(体育会系にしか見えないが)に、あんまり興味がなかった。もっと自由にやりたかったし、なにしろ最初に見つけた場所がそこだったし、あるいはもっと長い目で見た場合、それで生きていく自信も、つもりもまったくなかった(もっといえば、考えたこともなかった・そんな世界があることも知らなかった)ということだろう。また、サラリーマンじゃなくても、芸術のジャンルとして、隣接する?ものに移っていったということもあるのだろう。

鼎談の後ろのページに載っていた詩のエピグラフは、嘉村奈緒さんだった。なんとなく悔しかった。

おわりに

…以上メモでした。ちと忙しく、田中さんへのお返事すっ飛ばしてこんなの書いてごめんなさい。田中さんのレスは既に読んでいて「ネット詩は発展途上」という文章を読んだとき、正直「それはないだろう」と思い、そこから断続的に、自分にとってのネット詩について考えてました。
ネット詩はやはり時差で同じことを繰り返していて、量として堆積されるところもあるけれども(その堆積から文脈に気づいてたどり始めることもあるけれども)、発展という意味では、技術やサービスとしての発展に影響されて感性が少し変ってくる部分はあるかもしれないが、ネット詩が発展することはないだろうというのが私の考えです。

ポータルもなければ道筋もないし、ネット詩が発展するなら、最低これだけは読めみたいな、引き継いでいくような、参照すべき文献や場所がないので、個人の自主性に委ねるしかありませんし、「インターネット上の」詩に興味をもつきっかけやタイミングも人それぞれですし、それを責めるというか、それに対して変にカリカリするのも違うだろうし…。といった点で、発展はしないでしょう。発展と無縁なところに、ネット詩のいいところがあるのだとおもいます。

「ネット詩のいいところ」は、やはりどこから入るか、どこから出ていくか、おかえりただいま自由なところ(これは時間的にも社会的にも)であるので、その出入りの自由さゆえの参照されなさ、拙さっていうのはあるとおもいますが、そこを愛おしむって視点は大事だと思いますが、あまりにも慈母っぽく、上から見すぎるとちょっとよくないのかなっていう部分もあります。

まあ、やっぱり、そうやって慈悲の心で上から見ると、やっぱり掻い摘むようなことができてしまうからなのですが。言葉ってそういうもんじゃん、という声もあるとおもいますが、やはりネット詩を言葉単位でみるか、人ベースでみていくかっていう部分で、私はパソコン通信の人がもっていた(と私が勝手に思ってる)寛容さというのか、人ベースで見つつも、最終的には言葉のレベルですーっとソートされていくような関係を保てたら素晴らしいなぁと思います。

原理主義なのに原理主義的じゃないというか。。もっと、言い換えると、単純に、おもしろいもの、好きなものを書く者同士、互いにシンプルに惹かれ合っている光景に、遠くから惹かれてました。そして、そういう人たちの「活動」には厳然たる表現の水準があり、わたしはおそらくそこには誘われないだろうなと気づいてた。私にとってはそれが「ネット詩」なんだろうな。。なんかそんなふうに思います。感覚的には、玄関のたたきに降りずに外をみてて、ドアは開いていて外は快晴で真っ白にみえるような感じ。

現代詩フォーラム同窓会は、そういえば途中からやってきたひとがいた気がします! 田中さんだったか! 乱文乱筆、失礼! 長すぎてすまん! 書捨て御免!

※ この文章は田中さんのBBSに書き込む予定だった文章です。原文は、BBSに投稿できず、2018年12月17日の日記に流し込んでいたものをサルベージし、適宜インデックスをつけたり、加筆・修正しました。

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