めも(ジャーナルアプリと日記と鈴木志郎康さんあれこれ)

iOS17.2からジャーナルアプリが追加された。

ジャーナルアプリを初めて起動した際に表示された文章をスクショしてコピペしたのが以下。

ジャーナル
記入の提案
デバイス上の人工知能機能を使用して、日々のモーメントに基づくジャーナル記入の提案が作成されます。
あなたのためのキュレーション
提案は、訪れた場所や撮影した写真など、書きたいトピックを振り返るのに役立ちます。
データは非公開です
記入または保存する提案にあなたのデータが含まれている場合にのみ、ジャーナルアプリでそのデータにアクセスすることができます。

ジャーナルアプリ 記入の提案


ジャーナルアプリの提案やプライバシーについての仕組みについても、説明されていた。



"ジャーナル記録の提案"とプライバシー
"ジャーナル記録の提案”は、どのデータが提案に使用され、何がジャーナル記録用アプリと共有されるかを選択できるようにすることで、あなたの個人情報を保護するように設計されています。

"ジャーナル記録の提案"で毎日のモーメントや特別な出来事をインテリジェントにグループ化
"ジャーナル記録の提案”では、パーソナライズされた提案を提供するために、デバイス上で処理してモーメントや出来事をインテリジェントにグループ化します。デバイスに保存されている情報を使用して、"ジャーナル記録の提案”で、思い出したり書いたりする特別なモーメントを提案できます。どの提案が"ジャーナル記録の提案”を使用するジャーナル記録用アプリと共有されるかを制御することができます。
"ジャーナル記録の提案”には、アクティビティ(ワークアウトの種類、継続時間、経路、消費カロリー、心拍数など)、メディアの使用状況(視聴したポッドキャストと曲、アーテイスト名、トラック名など)、連絡先(メッセージ、電話、FaceTimeでやり取りした人など)、写真(ライブラリの写真とビデオ、共有アルバム、メモリーなど)、および利用頻度の高い場所(利用頻度が高い場所を学習するための、最近行った場所、およびそこを訪れた回数と日時など)からの提案が含まれることがあります。
"ジャーナル記録の提案"を有効にすると、あなたにとって意義のある提案を作成するために、デバイスに保存されている限定的な履歴データが使用されます。これには、ワークアウト、メディアの使用状況、コミュニケーション、写真が含まれます。

"ジャーナル記録の提案”に含めるデータのカテゴリは、"設定”>"プライバシーとセキュリティ”>"ジャーナル記録の提案”に移動し、特定のカテゴリをタップしてオンまたはオフにすることでカスタマイズできます。複数のジャーナル記録用アプリで"ジャーナル記録の提案"が使用されている場合、"ジャーナル記録の提案”に含めるカテゴリの選択は、すべてのアプリに適用されます。また、“設定">"プライバシーとセキュリティ> "ジャーナル記録の提案”に移動し、”履歴を消去”をタップすることで、ジャーナルアプリとまだ共有されていない提案の履歴を消去することもできます。"ジャーナル記録の提案”は、"設定”> "プライバシーとセキュリティ> "ジャーナル
記録の提案”に移動し、“すべてオフにする”をタップすることでオフにできます。すべての提案をオフにすることを選択すると、"ジャーナル記録の提案"を使用しているすべてのジャーナル記録用アプリに適用されます。
近くにいる人
"ジャーナル記録の提案"では、あなたにとってより意義のある提案や関連性の高い提案を判断するためにコンテクスト情報を使用することもあります。"ジャーナル記録の提案”では、Bluetoothを使用して近くのデバイスや連絡先の数が検出されますが、具体的にどの連絡先が近くにいるかについての情報はデバイスに保存されません。この情報は、提案の向上と優先順位の決定のために使用されます。この情報はデバイス上に保存され、Appleとは共有されません。"設定">"プライバシーとセキュリティ> "ジャーナル記録の提案”に移動し、"ほかの人との提案を優先”をタップしてオフにすることで、
"ジャーナル記録の提案”で近くのデバイスや連絡先の数を使用して提案の優先順位を決定することを許可しないようにできます。
また、"設定">"プライバシーとセキュリティ> "ジャーナル記録の提案”に移動し、"近くにいる人によって検出可能にする”をタップしてオフにすることで、連絡先があなたを近くにいる連絡先の人数に含めるかどうかを制御することもできます。”近くにいる人によって検出可能にする”を無効にして連絡先があなたを人数に含まれないようにすることを選択すると、"ほかの人との提案を優先”も無効になり、"ジャーナル記録の提案”で、提案の向上と優先順位の決定のためにあなたの近くのデバイスや連絡先の数が検出されなくなります。

"ジャーナル記録の提案"のジャーナルアプリや他社製アプリとの共有
あなたにとって意義のあるモーメントを選択し、"ジャーナル記録の提案”を使用するジャーナル記録用アプリに追加することで、どの提案がそのアプリと共有されるかを制御できます。共有するまで、提案はあなたにだけ表示されます。どのアプリが"ジャーナル記録の提案"を使用しているかは、"設定">"プライバシーとセキュリティ> "ジャーナル記録の提案”に移動し、"プライベートアクセスを使用しているアプリ"で確認できます。
提案をジャーナルアプリと共有することを選択した場合は、エントリーを管理できます。iPhoneがパスコードでロックされている場合、ジャーナルアプリのエントリーは暗号化されています。デフォルトの2ファク夕認証とパスコードがある場合は、iCloudに保存されるときにすべての
ジャーナルのエントリーがエンドツーエンドで暗号化されるので、Appleでも読み取ることはできません。さらに、2ファクタ認証を有効にし、デバイスパスコード、Face ID、または Touch IDでジャーナルアプリをロックすることも選択できます。
通知
"ジャーナル記録の提案"の通知を有効にすると、"ジャーナル記録の提案”によって、モーメントや特別な出来事について書くように促される場合があります。"ジャーナル記録の提案”の通知は、"設定">"プライバシーとセキュリティ> "ジャーナル
記録の提案”>"通知”に移動し、タップしてオフにすることで無効にできます。
Appleが収集する情報は、いかなる場合においても、Appleのプライバシーポリシー(www.apple.com/jp/privacy を参照)に従って取り扱われます。


モーメントとかインテリジェンスという言葉がある。
モーメントは瞬間とかいう意味のようだ。記憶しておきたい瞬間の手がかりとして、さまざまな提案をするのがジャーナルアプリの役割のひとつだ。ただ、人間の記憶と、書き残したい意欲は別個のものである。
思い出して書き足してるうちに興にのって全然違う話を書き始めていたり、すごいことだったはずのことがあんまりふくらまなかったり。
あえて瞬間を引き延ばして書いてみたり、どうでもいいことを事細かに書いたかと思ったら、急に意味もなく端折ったりもする。さらに、そのときの体調や気分で、提案に乗ったり振ったりする。

インテリジェンスは知識とかいう意味のようだが、今読んでる『インフォメーション 情報技術の人類史』のプロローグでは、情報(インフォメーション)という言葉が普及する以前、クロードシャノンが書いた手紙には、今なら情報と書くべき箇所が「知見(インテリジェンス)」となっていたらしい。
その頃には、今現在使っているような意味での「情報」や「情報処理」といった言葉はまだなかったらしい。

個人的な体感に引き寄せていうと、私は、インテリジェンスを「機械のほうでうまいことやってくれる」ぐらいの意味で捉えている。

融通が効かないなりの、ちょっとした融通のようなもの。忘れているんなら忘れているで全然よかったようなもの。
モーメントとかインテリジェンスといった名称で、自分自身の記憶と意欲で全然事足りるようなものを、補助したり支援したりすることに対し、わたしは少し懐疑的だ。
ただ、記憶力か意欲に何かしらの問題がある人が、うまく使う道具としてのジャーナルという可能性はあり得るのかもしれない。
脳、出てこない、東北大学川なんとか教授の、脳ドリル、じゃない脳鍛(のうきた)じゃない、一時期ブームになったあれ、DS、ニンテンドーDSで流行った、脳ドリじゃない、脳、脳トレ!
脳トレの一種にはなるんじゃないかと思う。問い返しのお題みたいなものが表示されているのを見て、自分の一日を思い返すのはいい。
脳の底の沈殿物を掻き回すようなところがあり、あれはなんか効くような気がする。なんで機械に問われなきゃならんのだと癪に障る人は、見ないほうがよい。わたしは癪に障った。というか、はてなブログとかnoteでやってる"お題"系のものにまったくのったことがない。
なので、そろそろ自分に変化を取り入れるためにも、そういったお題とか、タグ付けとかをしていったほうがよいのかもしれない。
などと考えている。
いやほんと、「スキしてみて」とか「現代詩」とか、ガッツリタグを入れるべきなのかもしれない。



正直、聞いた音楽とか写真とか位置情報の振り返りはちょっと便利だなーとは思うけれども、「そのへんは俺がアドリブでやるから」って気持ちになって、逆に見ない。思い出しかたも、書き方も自分でやりたい。

食わず嫌いもよくないと思い、一日だけ書いてみたけど、なんだか不安になってきて、結局メモアプリにジャーナルで書いた日記をコピペしたりして、手間になるのでやめてしまった。

わたしの中では、わたしが書いたもののなかで、「日記」がもっとも大きな枠組みになる。
noteにこうやって書いている文章も、最終的には投稿した日の日記の中に組み込む。ジャーナル内の文章も、最終的には"日記"の一部にしないと気が済まないのである。
違うプラットフォームに分散して投稿されていても、最終的には、メモアプリの同一日付の文章の中に組み込まれていないと気が済まない。
note、はてなブログ、現Xなどへの投稿と、そこに載らないメモアプリの文章などを同一の日付でまとめたもの。これを、個人的には日記と呼んでる。

話は変わるが、ここで鈴木志郎康さんの話をしていこうと思う。

たとえば、鈴木志郎康さんの詩集「やわらかい闇の夢」あたりから、「家の中の殺意」、あるいは「日々涙滴」あたりまでをして、あのような詩のモーメントを、インテリジェントに拾い上げることは可能だろうか?

笑えるとか感心するとかいうのは、情報としての意外性というか価値であって、そういうものをまったくもたない−先が予想できて、冗長で、当たり前で価値を持たない−もの。

話はそれるが、ミルクボーイの漫才は予想できるから笑える部分がある。というより、駒場のボケと、次にくる内海のツッコミが接続されたときどうなるかが直前にわかるからこそ笑える。次にくる言葉がわかっていて、明らかにディスになるけど、もう止まらないことだけは確かである状況。もう「Aであるか」「Aではないか」、1bit確定の漫才である。その理由付けや視点が無理やりだったり目の端で捉えていても皆忘れているような事柄だからさらに笑えたりする。



ただ、そのような価値や情報をもたない記述について、私たちはそれを大事にする方法をもちえない気がする。なんだか、小綺麗になることと同意だと思われているような感じがする(たとえどれだけ雑然としていて、とりとめがなくとも)。
また、丁寧な生活の一環であるかのような、自身をある一定の戒律でまとめあげるための手段、自身の価値発信の一環としての、「何も価値をもたない文章を発信する自分」であって、結局「何者か」ルートの亜種でしかない。
これらの格好とか仕草は、発表する時点でどうしようもなく含まれてしまう。

話をもどす。鈴木志郎康さんの詩は「いいなあ」みたいなことを普通に詩に書く。休みの日の午後かなんかに、あんまり喋らず、奥さんとゆったりしてた時間がめっちゃよかった、みたいな詩があった気がする。普通はそういうのをうまくゆうのが詩ぃやろ、とツッコミたくなるが、ほんとうに「いいなぁ」であったのなら、「いいなぁ」でいいのである。

この「いいなぁ」へ至る道も、いくつかあるように思う。シャッと拾うようにして決断するタイプの気軽で直感的な「いいなぁ」であり、もうひとつは、皮を剥ぐように「本当にそうか?」と自問しきったうえでの「いいなぁ」である。
前者は最初の(すぐ感じた)「いいなぁ」であり、後者は最終的な(吟味しつくしたうえでの、言語表現としての)「いいなぁ」である。到達点は結局一緒である。
そんなのは、本人の納得感とか、出版された経緯とか書いた人の経歴とか、装丁(媒体)の雰囲気とかのトータルから読み手が感じとるものであって、実のところはそんなたいしたことではないし、逆に言えば全部大したことなのでやばい。個人的にはなんかいい装丁の本ばかり褒めちぎってたりすごい壮絶な言葉との戦いが垣間見えるとか言ってるような人は、そういう業界の習わしに取り憑かれている信心深い人かなとも思うし、また、人間というのはそもそも、どこまでいっても、そういうふうにしか書かれたものを捉えられないのだとも思うから、それは仕方ないのだと思う。書かれたものにまで生存バイアスがあるのだとしたら正直絶望しかない。
また話がそれた。
「いいなぁ」に対し、読者が「随分と思い切ったな」とか「浅薄なやろうだな」とか思うのも自由である。

象徴主義というか、なんか、まとめに入ってるような感じが、たぶん鈴木志郎康さんは嫌なのかなーとは思う。
何かの象徴であるとか、まとめに入るとかじゃなく、そのままいきたいみたいなのは、プアプアのときでも、日常の細かい詩でも、あまり変わってない気がする。
家族の詩を書いても、「なんか抜けてる気がする…」みたいなことをあとがきで書いてた。あと冨岡多惠子さんも、現代詩文庫の詩人論のとこで「りんごのようなほっぺ」が比喩になる前のやつを鈴木志郎康さんはやってるみたいなことを言ってたので、私はそれを信じる。いまだに何を言ってるのかはよくわかんないんだけど。



で、そういうやつ(詩?)を日常から見つけ出すには、無限にあるどうでもいい瞬間から、「それでも、ギリ、ネタになりそうな瞬間」を、自身の審美眼でもって取捨選択し、切り取って、成り立ってないような成り立たせ方でもって詩にしなければならない。
だから無限にあるような瞬間から、詩集ができるわけである。うんちがマンションの配管を通ってるなぁとか、ラーメン屋のダクトは掃除しないんだなあとか、何も考えず、ずっとみかんの筋を剥いてきたんだなあワハハとか、そういう瞬間を厳選しまくったわけである。

意識しないでずっとやってきたことなど、本当にそれこそ無限にあるのだが、人生も紙幅も有限である。



(ここ重複)通勤途上の電車からみたラーメン屋かなんかのダクトか煙突か排気口の油汚れをみて「ああいうのは掃除しないもんだなあ」とか、みかんの筋を剥いてるなぁとか、団地に住んでたらうんちが上をすごい勢いで通ってるんだなあとか、なんかそういう「あらためて言わんでええやろ」みたいなことを、都市生活者も忘れてる目線でスッと書く。

でも、ちゃんと「私である」というような、署名(シグネチャ)のような詩もところどころにはある気がする。私でありながら、どうしようもなく都市生活者の目線でもものごとを(地続きで)捉えたいという欲求。
おそらく、その地続きであるという点が重要なのかもしれない。
詳らかにはできないけど、点を結んでいくと、擬似的に都市生活者から「私」へのルートが見えてくる。
(でもここには大きな断絶がある気もする)

で、これは今、日記を書いたり、お金にならない文章を書いている人(ブログ?、Discord?、SNS?、Youtube?)の中にもある部分だと思う。
それを価値の源泉として引いていくのか、自己満足であったり、仲間を探すための術として用いるのか。目的は違えど、みなモブから個を屹立させようと考えたり、あえてそうせずに静かに抑えながら生きるすべを模索したりしている。

(ちょっと話はいきなり飛ぶ。重複もしている。)

他者と自分のあいだにある、みんながしょっちゅう感じてるのにド忘れしてる、このイメージ、よく言葉にできたねぇ!っていうんではなくて、結構無理やりに生活の中から見つけ出してきて詩にする。

でもそれは乱発されているわけではなく、厳選されている。なんでも作れそうだが、成否のポイントは存在するように思う。

翻ってみて、ジャーナルアプリが提案してくる素材(ネタ)は豊かだろうかと思う。絶えず記録される位置情報、聞いていた音楽、撮った写真、日記を書き出すためのちょっとした質問。

なんか、ここからこぼれ落ちているものにしか自分なんてないし、日記なんか書けないという気がしてくる。それは、鈴木志郎康さんが日常生活を詩にしていたときの感覚に、ちょっと似てるんじゃないかなーと思う。

あとプライバシー。これも鈴木志郎康さんは敢えて書いていくスタイルだった。といっても、それは思いのほか少ない(もっとありまくる気がした)。いやそれでもふつうの人よりは書いているほうだろう。ただそれはあくまで作品としてであって、なんか世間を巻き込んでバトルをするというんではない。スキャンダルとかいうんでもない。
(本人は世界を自分の言語で転覆させたかったけど、単純に意味のわからないものとして受け止められた的なことを書いてたような気もするが…)

まあ、ひとつも書けないのが普通ではあるのだが。
その意味では、鈴木志郎康さんは芸人に近い。
プアプア詩の生活に触れている部分もそうだし、ふだんは書きとめないことみたいな詩もあるし、離婚したときとか、お母さんが死んだときの詩もある。イキそうになることを「感じが極まってくる」と書いてあるのを読んだときは痺れた。
確かにそうである。言語化への執念のようなものを感じた。
で、その詩はイキそうになるときに前妻の名前を言いそうになるので忘れようとしたら前妻が悲しむだろうという、かなり身勝手な詩なのだが、まあそれはそれとして、あとは雑誌に掲載されなくて、詩の本文より後日談のほうが長い詩とかもあって、詩のタイトルに「註を必読」とか書いているよくわからない詩もある。
理由を明かされないまま掲載を拒否された鈴木志郎康さんがボロクソに「海」か「鳩よ」か忘れたけど、そのへんの編集者を叩いてる詩もある。なんか鈴木志郎康さんはいつも現実を突き抜けていないみたいな感じのことをよく書いてたイメージがあるが、このときも、現実に影響を与えたのだからまあいっか、みたいな感じで最終的には収まってる。

鈴木志郎康さんはジャーナルアプリ不適合である。そもそも「読者限定公開無用雑誌」とか考えてる時点で(ここで天竺鼠の川原を思い浮かべた人もいるかもしれない)、ジャーナルアプリに収まらないものをもっていたお人である。
さんざんモーメントとインテリジェンスとプライバシーの裏をかいてやってきた人が、また読者を限定していったり、詩集とその作者を呼んで話を聞くのが楽しいという、詩集のフィジカルと個人の語りを合わせたものを、詩集の楽しみとして感じるように変遷していったのが面白い。
最初は言葉だけで現実を転覆させるぐらいの勢いでやってきたのに。でも、その筋道は、わからないでもない。


11月?12月?〜1/6朝まで
すごく疲れた


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