メモ 5/18

昨日から『「働く青年」と教養の戦後史 「人生雑誌」と読者のゆくえ』(福間良明/筑摩書房)を読み始めている。

新書のほう(「勤労青年」の教養文化史)を読んでから、どうしても気になり、こちらも購入した。読みながら、自分自身の来歴(もうちょっといい言葉ないか?)と接続しようとしてる。

とはいっても、私は戦前戦後に青年期を過ごしたわけではないので、自分の生きる時代の構造に置き換えたり、当てはめながら読んでいく。

わたし自身の「仕事」「インターネット」「詩」との関わりと、義務教育を終えたばかりの勤労青年が、人生について考えたり、形而上の教養について学ぶ意欲をもったりすることと、ダブらせて見てしまう。

ちがいはある。
私がネットで詩を書いていたことと、彼らが人生雑誌に投稿していたことは、構造(背景?)はよく似ているのだが、背景(こっちが構造?)は随分違う。

制限された紙幅に、査読によって掲載されることの優位性によって、経済的な事情で進学できなかった鬱屈を晴らす就職組の構造が、高度経済成長後の、しかもインターネットのある現在では、ほとんど無効化されてしまっているように感じる。

紙幅(スペース)は無限になり、誰でも即時世界に公開することができ、査読はない。また、現在では、査読のある媒体で、具体的な分野を持たない雑誌がなくなった(と思う)。

もし、人生雑誌を、今、刊行されている雑誌のどの分野に当てはめるか?考えると、なかなか難しい。

哲学、思想、小説、詩、短歌、俳句、そのどれにも還元されないし、そのどれでもありうる。
では、生活のスタイルの雑誌に還元されるのだろうか。たしかに人生雑誌の一部は「健康」へと舵を切っていったが、それがすべてではない。

人生雑誌にあったものは、今では、インターネットの個々のブログやSNS、各種プラットフォームへの投稿作品、またトピック別の掲示板の書き込みの中であるとか、投稿コーナー主体のサブカル雑誌とか、あるいは各種雑誌の片隅の投稿コーナー、新聞の人生相談欄や詩歌欄など、さまざまな分野に散って行っているであろう。また、カルチャーセンターやオンラインセミナー等の学びに行く姿勢も、人生雑誌にあったものの一部だと思う。
(これは別に、それらがすべて人生雑誌から始まったとか言ってるわけではない)

自分なりの考えを思いつくまま書いていくと、まず、青年だから何者でもない。それゆえ彼らの思うところは依然ジャンルに還元されない。さらに集団就職によって小さな商店で住み込みで働くような青年たちは生活の様式も強制されており、こちらにも還元されない。勤労青年が、戦後謳われだしたはずの自由と、経済的事情や旧弊によって生じた齟齬の中で燻り続け、さらに、自身の将来を満足に選び取れないまま就職した青年たちの不満や鬱屈もあった。それらは向ける矛先、吐き出し口のないものだった。その受け皿であり、一種の通交(想像の読者共同体)になったのが人生雑誌だった。



これらは敗戦という、特定の日を境にして、足並みの揃う(降りかかる)出来事だった。足並みが揃うといっても、生まれた日や年齢や境遇の差はもちろんある。ただ、それは想像の共同体のなかでは、あるていど緩和?緩衝?補正?されるのだと思う。

ネットの場合は、情報通信技術が境となり(パソコン通信もあるけど、"インターネット"というと、やはりWindows95あたりか? あるいはiMacか。とはいえ、それでも、まだ接続するには敷居が高かったから、ガラケーのi-modeか。そして、テレホーダイ。さらに、ADSLなどの定額制のブロードバンド。街頭でモデム配りまくり。そして、ダメ押しのスマホ)、足並みが揃っているかのような感覚を持っていたのだと思う。
あるいは吹き溜まりのような、2ch的な、「俺たち」の感覚。これはテレビに2chに因んだ文化の一端が映り込むだけで書き込みでサーバーがダウンする、みたいなイメージ。そこで年齢のはっきりしない、自身に合ったクラスタに居着くことで、表向きな社会的な帰属とはまた別の、ネット上の帰属意識を隠し持つようになった。

今なんとなく「インターネット 普及率」で検索すると総務省のグラフで、1997年は9.2%だったのが、2007年には73%になっている。
iPhoneは2007年だと思ってたが、そのときは日本では発売されなかった。翌年の7月にiPhone 3Gが発売される。
Twitterも同じ感じだった気がする。2006年にできて、2008年ぐらいに日本語化みたいな。
ようはその頃(iPhoneやTwitter(現X)が出る前)で、もうだいたい普及率が3/4ぐらいはいってるということだ。そこからはグラフ的には横ばいか微増になり、80%前半あたりをうろつくのだが、2018年にはなぜか79.8%に下がり、2019年に89.8%と急増し、そこからまた80何パーかに戻るという状況になっている。

見てて思ったのは、1997年の9.2%から2003年の64.3%まで一気に普及率のグラフが爆上がりしてるところに自分もちょうどいたのだということ。あと、学校のパソコンもネットに繋がり始めていて、ネットを使うと言えば学校、みたいなところもあった。

あとは書いてて思うのは1985年の電電公社がNTTになったところとか、そのへんの前後の流れも自分はいまいちわかってない気がするので、そのへんをもう少し知りたい気はする。

法律の改正やなんやで普及とかバラエティが確保され、技術が張り巡らされることによってチャレンジャーというか、アーリーアダプターが出てきて、ちょっとまだ値段のするやつをわざわざ買って試して場を耕し、値段がこなれてきた頃、暇な若いやつなどが入ってき始め、みたいな感じで、普及率や年次によって足並みがある程度揃い、そこに入ってくる人の粒というのか、興味関心の濃さもあり、まだある程度ベクトルを保っていた時期というのを、さっき言ってた1997年から2003年あたりの駆け上がっていく普及率のグラフを見て思っていた。
結局この「誰もが」に繋がっていく流れのなかで、まったく知らなかった分野のやりとりに刺激を受けて、まったく畑違いのクラスタを生きることになった疎外状況にあった人たちのこととか、さらにそのあとに次から次へと、もう当たり前になったネットからくる人たちの所作とか、そういうものが入り混じったり、前からやってた人も飽きてきたり忙しくなってきたりして、なんだか続いている理由もよくわからないハイコンテクストすぎるファンダムみたいなものに囚われてしまって、足並みを揃えることすらもはや叶わなくなってしまった状況。それが今のインターネットなのかなとは思う。

とりあえずのアカウントの確保と、時々の、あくまで気まぐれな発信。かといって、揺れないとは宣言しない程度の気密性。そういう質素なネットづきあい。今はもう、すべてこれぐらいでちょうどいい気がしている。




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いやいやいや、書いていて思ったけど、世代の違いも当然感じてはいた。大人っぽい人もいたのだし、自分と同じぐらいの人もいて、ちょっと上の人もいた。それもすべてサイトの情報を頼りにしているので実際のところはわからんが、わざわざ嘘つくことでもないし、、、

人生雑誌はある程度年齢制限が緩やかにかかっていたようには思う。ただ実際の年齢制限はなく、年配の人も買ってたかもしれないが、投稿欄の年齢とか内容を見て「ああ、そっか…こういう感じか」とかは思っただろう。
ネットも、単なる情報収集ではなく、帰属意識をもったクラスタに集まる場合、(行き着く)分野によっては全世代一揃い揃う感じのところもあれば、若い人が優勢、年配者多めなど、偏りもあっただろう。
ただ、年勾配はある程度隠せる(見るだけなら(居ることすら)わからない。書いたらちょっとだけわかる、年齢書いたら一旦はそう思われるけど、書いてるもので怪しさとか疑いはでてくる。そういう意味では、ある程度身体からは解き放たれている。言葉だけの存在として映る)。

だから、足並みというか、「同年輩が結構いるな」っていう憶測は、わたしがそういうふうに見たかったからで、進次郎構文みたいに「今20だということは20年後には40歳になっているということ」みたいな感じで、同じように歳を重ねていく人を想像しながら、数年間過ごしていた記憶がある。人の人生を垣間見た気になっていた。そんなことはまったくなかったけど、生きてるっぽいなと思うと嬉しいわけじゃないが、なんか。



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人生雑誌が隆盛を誇った頃に比べれば、青年の鬱屈や不満はあるていど普遍的なものとはいえ、構造的にはかなり無効化され、まどろんでしまっている気はする。けれども、その芯にあるものは、さほど変化していないようにも思う。

阿部寛のホームページ的な(静的な)インターネットから、WEB2.0のような、ある種Weblogとかプラットフォームに情報の内容(コンテンツ)を流し込み、ユーザーが指定した形でソート・呼び出し、生成されるのが当たり前になった状況下では、紙幅や紙面構成的な制約、または時間的な制約はなくなり、情報の発信と共有のコストは劇的に下がった。

また、プラットフォームの目的別に最適化された機能を持つことと、ユーザーがそこに帰属感を求めたり、想像の読者共同体を感じ取ることも漸進的に進んで行った。

おそらく現在最も大きな共同体は現X、いわゆるTwitterやYoutubeなどで、そこにある共同体のニュアンスは2chやニコ動のスラングやミーム、またゲームやアニメのカルチャーとも地続きなように思う。
これは匿名性(名無し、読み人知らず)の文化からの派生であり、昔「俺たち」とか「おまいら」とか言ってた人たちの心性を、言葉遣い(ミームなど)によって引き継いだものであるように思う。半角のワラがwになり草になる(ここにニコ動やオンラインゲーム等の文化、あるいはチャットの文化、つまり打ち込む速さによって生まれたミーム等も合流している)とか、Twitterの返信にもリッチなコンテンツ(死語?)である画像(漫画のコマ)や短い動画(GIFのことが多い気がする)によって行われるようになった。

巨大なトピック、リプ欄が賑わっているものに、自アカウントから、言葉で何かをリアクションすることは、とても無為な、個別性の発露でしかないように感じられる。
ただ、私や彼らは、巨大なトピックに対し、自身のタイムラインから素直な(あるいは計算された、ウケを狙った)リアクションを返しただけなのであって、それがトピックの側から見ると、同じような反応(最終的には2〜3の意見や反応に集約されそうなぼんやりとしたまとまり)がひたすら続いているようにしか見えない。
これらの流れを瞬時に把握し、その中から、ある程度の大勢を見極めて、自分の感性とのズレを照合し、チューニングを続けながら沈黙を貫くのが、おおかたの人なのではないかと思う。というか少なくとも私はそういう人間だ。



それでも敢えて反応し続けるか、最初から抜けておくか。あまりこれ(SNSの返信)に慣れるのは嫌だな、というのが個人的な意見で、本(「働く青年」と教養の戦後史)に絡めて言えば、単純に「ここ(人生雑誌)にはちゃんと進学組やエリートじゃなくても、働きながら人生について考えてる人たちがいて、励みになります!」みたいな時期は、ネットにおいて、かなり以前に過ぎ去っている。

ネットにおいてのそれは、おそらくサイバースペース独立宣言とか西海岸なんちゃら思想とかフリーとか、ああいうのの、そこはかとないエッセンスとか薫陶を、当時のインターネットユーザーの書くものからぼんやり受け取ったときに少し夢見た未来とか自由のイメージだった。

そのイメージが現実と折り合いをつけていくにつれ、冷却され、期待や高揚は沈んでいった。そんなこともあったよね、という感じだ。

また別の方向、日本での、一般的なインターネットの起こりから見ていくと、ネットで共有してきた体験(あるあるの積み重ね)による「世代が揃ってる感覚」(所謂インターネット老人会などと自虐的に呼ばれる共同体)のもつ、平熱みたいな距離感。熟達したかのようなインターネットとの距離の取り方。その距離感において「人生雑誌は…励みになります!」みたいな素直で素朴な回答はできるはずがない。



人生雑誌は、時代の趨勢によりニーズがなくなっていく流れだが、インターネットはなくならない。むしろフロンティアからインフラになって世の中すべてを覆い尽くしているかのような錯覚を起こさせる。

趨勢は、ユーザー側の、個別のプラットフォームでの共同体の歴史(史観)や感覚としてフィードバックされている。
共同体の史観が、静かに終わるかどうかの分水嶺というか、閾値が、社会活動、あるいは経済活動を起こすかどうかで決まるようにも思う。
うちに静かに秘める共同体は経済活動を起こさない。あくまで参加する個人が自身でまったく別の経済活動を行い、その業余をプラットフォームに充当し、捧げ、控えめな(いつでも去れるていどの)帰属意識をもつ。

そのようなプラットフォームの維持〜解体は、選択した分野の趨勢に左右され、かつ、経済活動を行わないのであれば、個々のユーザーからの利用料や献金によって成り立つ。

今、地味になくなってきているのは、生き方の制約(働き方の制約や、性別としての役割、年齢に沿ったプランなど)。

ただ、身体は残っていて、この身体を相互に軽くみなす(わかりあう/わかりあわない)ことによって、現在の解放感が享受できている。

「はずである」とか「べきである」という要求や、ネット上でのラディカルな進まない快進撃と、現実の旧弊さとの摩擦がないままの空中戦がSNSのトレンドの下の方である。
結局は、自身の成長と、自身が占める位置の移動と、制度の緩やかな更新を待つ身であるもののほうが圧倒的に多いように思う。そして現実的な力をもつのは彼らだというのも最近はっきりしてきている気がする。



ただ私にとって、それはもう解放に映らなくなってきている。必須科目のようになったネットには興味ないのだと思うし、私はまた体の問題に戻りつつある。私は世代と一緒にネット上の想像の共同体とともに繰り上がっていきながら、感覚としては、「懐かしのテレビ」と言われて岸辺のアルバムとか、港湾でやたら爆発してる渡哲也のドラマとかを、まったく知らないのに、「親が見ていて懐かしいのであれば…」とも思わず、昔はこういうのがやってたのだろうなぁ…と思いながら、「懐かしの」の部分をまったく意識せずに見ていた。最近お笑い芸人が持ってくるネタのシチュエーションで、テレビの番組がめちゃくちゃ古かったりすると、「懐かしの」が取れてしまってる人、かなりいるんだなと思う。松田優作のなんじゃこりゃーとか、今の芸人はサラブレッド(≒テレビっ子)過ぎて、見てるほうがテレビ番組の教養を落語みたいに知っとかないといけなくなってきてる気がして、それはそれでどうなのみたいな気はする。
結局、芸人なんて、だいたいは同じ世代として、一緒に知ってることを知ってるもの同士で歳とりながら笑い合って死んでいくものだと思っていたのに、なんか一世代古い、年寄りの番組のネタみたいなことされてると、ついていけないというか、「居場所がないなぁ」と思ってしまう。だんだん老化していく。

*余談2(余談1はどこか):写真のロールを見ていくと、半年前のことでも相当昔のことに思えてきて愕然とするし、ネットでモーニング娘。が今何年で…みたいな記事を目にしても愕然とする。
もうあれが20年前か…というのも愕然とするし、まだ半年しか経ってないのにまったく憶えてない…というのも愕然とする。

人間、プリセットで思い出せる時期のやつが「想像の読者共同体」で、「始めよう」とか「足を踏み入れよう」、と思った瞬間のことはほとんど覚えていない。

「年齢は関係ない」と言われるのは、共同体というものが、世代で形成される場合もあれば、「足を踏み入れよう」という気持ちで、志しでいける場合もあるからで、「想像」とか「読者」というのは、人間の身体を吹き飛ばす。
逆に言えば、そこには特に年齢の要件があるわけではなく、自分自身の構造との類似性(の予感)さえ感知できれば、主体的に興味さえ持てば入っていけるラフさ、寛容さがある。



また、当時(1990年代後半〜2000年代初頭)であれば、接続のための経済的、技術的な制約によってフィルタリングされた青年たち、当然ここにはそのまま進学した者や、就職して、とうに青年期を過ぎた者も含む、もう少し漠然とした、ゆるやかな「想像の読者共同体」ができあがっていたように思われる。
これらはアーティスティックでありながら、どちらかといえばSE(システムエンジニア)やIT業界寄りの人材が多かった、かもしれない。しらん。
くだけた言い方をすれば「パソコンに強い」人たち。
そして、これらの読者共同体が、即時データが反映されるインターネット上で非同期のコミュニケーション(置き手紙のような)を行いながら、さらにジャンルや好みや書くものの趣向(またレベル)によって自身の居場所について吟味・判断し、クラスタを移動し、誘い、最適な仮想的居場所に向かって漸進しながら、人生上(リアル)の出来事によって急な途絶を余儀なくされたりしていた。
そのような生き方の二面性(または昼夜といってもいいかもしれない)がインターネットによって生まれた。

ほんと、二面性というより昼夜としたほうがいいかもしれない。それには理由がある。当時お金のない学生や青年は、体力無駄にあったので、こぞってテレホーダイという定額制のネット接続サービスで午後11時〜翌午前8時までの間に、ネットの空間にいることが多かったから、必然的に、若者たちのネットでのコミュニケーションは夜間になることが多かった(と思われる)

また、インターネット上には既にアカデミックな分野や出版分野からの接続が多かったように思われる。
しかし、時間的な制約から解き放たれたメディア、フロンティアに向かって、業余を、文学的な野心や意欲による挑戦に充てる者も現れており、彼らによって作られた「場」へと引き寄せられる者もいた。

わたしが考えているインターネットの詩というものは、これらの「場」に惹きつけられた人間や、これらの「場」に人を引き寄せるような作品を投稿する人たち、またはその「場」を主催するもの、または構成する人たちの、漠然とした輪郭の一帯を指している気がする。

(5/18)
(9/24)


(使わなかった文章→)私には、何者でもなく就職もしてなかった頃にインターネットが現れた。

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