シャッターめみ

人口減少社会のデザインをよんでていま120ページぐらいのところで内容的にはむら→まち→地方都市の人口移動とそれに伴う空洞化はむしろ政策の成功によって起こったみたいな話が書かれてて
小売り店舗法みたいなんが改正されたのが1991年で、翌年にはイオンの大規模モールが青森にできて…といった話のあとに、空洞化した地方都市,なかんづくシャッター商店街などの問題、また住宅地の空き家の問題、さらに高齢化によりモータリゼーションの発達によって郊外化した地方都市の高齢化に伴う買い物難民化などに対し、若者のローカル志向やクルマ離れなどはむしろいい傾向というか、問題に対しての新たな動きとして捉えられるというようなふうに私は読んでいて、で、若者がシャッター通りにカフェを…みたいなくだりを呼んだ瞬間、冒頭にリンクを貼った記事が思い出されてきた、というところで書き始めたのだった。

わたしもコミュニティというものに憧れてる部分はあって、けどなんか今までのコミュニケーションのノリだと厳しいというのがあって、だからコミュニティに憧れてるのだが、
まぁ正直どうにかならんかなみたいな部分があったけど今までは会社に打ち込んどけばなんとかなるやろみたいなナメた姿勢があって、そういやナメるってのはなんでするのかなっておもってたけど最近は「余裕をつくるため」なのかなとか思い始めてきた。
ある種の自己治療仮説みたいな、その場合、何が薬とか治療に相当するかは知らないが、なんとなくぼんやり最近そう思ってた、で、オルタナティブ、コミュニティということを思い浮かべ立体機動(自動変換でこうでてきた)

思い浮かべ、といっても何もしてこなかったからそのへんが空洞化していて、ボケもきてるのか意欲もわかず、なんか時々NPOに一瞬居ることをしたりしてる。けどこれじゃただの利用者であり参加はしていない。
「これがサードプレイスなのかなぁ??」と思った時、なんかちがうなーというか、内面化された男というのか規範ってのか、なんというのか、いやはや、なんかこう内側からつつくっていうか締め付けてくる苦しいものがあります。「意味があることをしろ」というのか。
なんかこうバスで窓外みるか本読むか目を閉じるか、耳は耳で、外音を聞くか音楽を聞くか自己啓発聞くかみたいな。生産性なのか、電柱に括り付けてある謎の管理記号みたいなものを見つめるのか。バス停のボルトを見つめるのか。イチョウのイボにいつまでも残ってる葉が排ガスでくっるんくるんしてる(蜘蛛の糸?)のを見るのか。
畢竟なんで生きてるのかみたいなとこに戻ってくるけどべつに戻ってる気もしないが、まあコミュニティである。やっぱいまわのきわに何してたんだろうってならないようにはありたいけど、そういう発想自体が生産性に取り憑かれてんじゃねーのって気もするし、年々ボケてきてそのへんの意味があることへの強迫とかも、もう諦めるというよりかは意識がうっすらそっ閉じされてくのかもなとも思っていて、だってそうじゃないとバスで発狂してる人ばかりになる気がする。「うぉー、もう間に合わねー!なんかいろいろ」とか。
Twitterで頑張ってる人とかはなんかそうならないか心配なことがある。でももしかしたら案外そういう人ほど片手間でやってて私なんかよりよほど充実した日常を送ってるんかもしれんみたいなこと考えると死にたくなるので考えない。で、これもたぶん生産性とか比較みたいな話で、「充実度」みたいなもので人を測りこくってるわけである。気づけばこういった比較をすぐにやらかしてしまう。
なんかこういうところからナチュラルに抜けたい。
その意味でAIの発展には頑張ってほしいと思う。最近だだだっとAIのやつが発展してきてるので、なんかAIには頑張ってほしい。
それとは別にわたしたちは個人のちまちまつくる愉しみをやるという区分が逆にしっかりしてきそうな機運もありそうな気がして、それが逆に楽しみではある。でもなんか当分会社が「人を守る」フェーズが存在しそうで、要は荘園というのか、一所懸命というのか、AI的なものから防波堤として、社会福祉的なものとしてしんがり務めてる間にわれわれは会社という枠をあまり気にせず移動できる人材になっておかねばならないみたいな気もしなくもない。今更になって「あなたの長所はなんですか」「あなたは何がしたいですか」みたいなこと言われてもなーみたいなところがあって、御社ではもうしません、ひとりで愉しみますみたいな気持ちがここ数年で盛り上がってきてるので、ひとりで愉しむことによってクラスターを移動して新たな仲間に会うような移動が起こっていくから会社が焦ってるということと、駆け引きとして空っぽだけどなんかあるように見せたり法律を盾にして居座る的な機運もあり、ことに40代からするとお前今更何を言ってるんだというのか、正直まずお前ら経営者は総括というのか、負のステートメントを出せというのが本音である。今世の中が変わってきていてあなたたちがとても大事な感じがしてきました、ではなく、今までなぜそれができなかったのか、人の、人生に対するリードタイムに対する責任みたいなことに対してまず自らの責任を認めて謝るというのか、誠実な正のステートメントばかり出してないで、誠実な負のステートメントを出せと言いたい。とはいえわたしもそういった会社の中で共犯的にぬくぬくと空洞化したのも確かで人生の意味というかを問い続けてこなかった責任とかもあるのかもしれないんだけど、あんまりにもあんまりである。あと、最初にも書いたように、人生の意味とか空洞化したっていうのも、あくまで会社での役割とか能力としての「やりたいこと」であって、レバレッジというかオオナタが振るえるとか、会社を使って自己実現する、人と関わって充実した感じを味わうみたいな話であって、べつにもうそんなんええねんという部分はある。で、そのもうそんなんええねんで飯を食うにはどうすればいいかみたいな感じなので、8時間いるからすごい大事みたいな話はもう欺瞞である。そもそも8時間いる「から」すごい大事って、誰が決めるのかって話である。納得感はあるのかもしれないが、8時間と大事というのは本当は「から」で結びつけれるものなのかという話である。8時間「いても」すごく大事ではないかもしれない。時間だけは平等というのも怪しい。そもそも「なになにはなになに」といった構文自体が怪しい。かといって私が仕事の手を抜いてるという話でもない。単純に「どうしよっかなー」と思える世界になってきたという話っぽい。昔だとなんか間違ってるんじゃないか、暗渠に行くんじゃないかみたいな気持ちがもうちょっと強かったけど、暗渠じゃなくて単に自分に合ってる世界へと徐々に移動していくっていう話になっていって、周りの暗かったものが同じ明るさに見えてきた気はする。その上で邪魔(暗く網掛け)をしているのがむしろ会社なんじゃないかって話になる。ガチャってのはその結果である。いまだに「えいやっ」と踏ん切らないといけないポイントがある時点で、会社というのは人にとって邪魔ものである。(2/13、なんかドバッと一気に付け足した)



逆にみんなつらいこととかあるのによくバスで叫ばないなーとかよく思う。おしっこ漏れそうとかでもぱっと見わからなかったりして、そういうのが体の中にあるのだと思うともっと叫んだりしていいんだよって気はするし、なんかそういう人と気軽になんか…ここまでいくと犯罪臭がしてきて犯罪なのだが、でもなんかもうちょっとなんとかならんもんかねみたいな気はする。ウルトラ横断クイズだったか、ハットの後ろから早押しの○×みたいなやつがニョキって生えるみたいに意思を表すことをすごく遠くの身近な誰かに投げてる。これは人口減少デザインの本にもあったけど、「ちょっとした声かけが日本は異様に少ない(みたいなこと)」を、この著者の広井さんおっしゃってるわけだが、身近な誰かで解決できそうなことを遠くの身近な誰かに向かって「マジ近いんだけどw」みたいなLINE送ってるような感じってこれ解呪するのってもう時間しかない気はしていて、けど個々の人は「めっちゃええこ」「ものごっつええこ」みたいな人ばかりで、なんか自分が一番わるい人間なのではないかみたいな気分に陥りやすい。というか、そういう「わるい」というのか、さまざまなキャパがなさすぎて、すぐずるしたりぶっちしたりあきらめたり投げ出したりする人というのは、もう社会の表舞台に早々から立ててないだけ説もある。
むしろ自分がそっち系だと思うので、だけどまあ中年までなんだかんだできてしまったからコミュニティである。
じゃあどういうコミュニティかというと中年のコミュニティなのか?
パッと思い浮かぶのはさもしいおっさんのコミュニティである。
レギュレーションを設けるとしたら詩とか、あとは酒飲まないとか、あとは王になろうとしないとか、そんな感じである。
結構王要素の人が多くなりそうで困る気はしてて、結構王の素養を持ってるけどプライドが高い人が多いと思うから、まあ簡単にいえばテイカー、もっていくのテイクで有名なTakeである。そういう吸い上げてるだけなのに「こんなにやってやってる」「俺はやった」みたいな顔をして何も変えていかないような感じのひとは職場に結構にいるので、わたしはそういう人はなんか天気図の台風(昔の黒字に白線で書かれた日本列島の上を白い台風の影が早送りで列島から去っていく)みたいな感じの、実際の日本列島(つまりこの場合は周りの人間の精神状態)だけを荒らして、何一つ会社には何も成果を残さず「やった感」だけで日本列島を駆け抜けていく台風みたいな人、こういう人は基本ろくでもないというのか嫌いな部分があるというのか、何もかもスポーツみたいな思考で考えて、何もかも勝負とかドッグファイトで後ろを取って撃ちまくるみたいなことをしてきて心底しんどいのでそういう人は絶対に避ける。
発覚したら強制退去していただく。
でもそれ以外では特に。
そういうコミュニティ。ゆるい感じ。ゆるいというより、低俗飛行ではあるけど、暴力性はない。

1Kの部屋
10時起き カーテン光
休み
初老の男性が目覚めた
横の初老の女性はすでに目覚めていたか 同時な気がした
二人は服を着て軽く食べ支度して
おもてのスクーター
彼女を家に送る
ふたりはおとなしそう
図書館司書のようだがふつうにレジと工場
クラスターの移動
地方都市ってこういうことなのかなって
ふたりでは
言わない
世の中の犯罪などすべて
クラスターの移動を手伝わないから起こっている気がするよ
お互いが
ちょうどいてよかったと知ってる
言わないことで同じぐらいコップが表面張力で溢れてるのに
ずっと過ごせそうなところがお似合いな
ふたりのまま
あんま
別れれない
同棲を言い出そう
(2/?〜2/12ごろ?)



2/15夜
日記、朝カーテン開けたら「寒いわけだ」の雪景色
11時ぐらいまで恵文社のオンラインショップで1万円(送料無料)になるように
頑張ってたけど、諦めて外に出る決意をし、雪の中、歩いていった
確たる根拠はないが、傘を持たず、ユニクロダウンのフードを被って
恵文社をめぐり、店員にきき、カメラオブスキュラの新月というやつを恵文社の二軒隣の恵文社(こっちはギャラリーっぽく広々と使われし空間で、どこかからワークショップしてるような声がもれ聞こえてくる)で購入し
オメガへと至る、ちょっとうすく商店街ぽくなってる道を歩き
オメガでTOKIOを一千円だけ打ち、真牙狼2の小冊子を持ち帰った
本当は買ったばかりのカメラオブスキュラでGOLD IMPACTを撮ろうと思ったのだけど、人がみっちりいたので気後れした
(あと、カメラオブスキュラ単体では写真は撮れないから、正確には、この機構を通した像をiPhoneで撮るということです)
帰宅する頃にはめっちゃ晴れてて道路もちょっと乾いてて
家でたときと景色が変わり過ぎていた


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