0723

あさ。191g→195g。指を噛まれてからはラグにあぐらをかいて、膝やふくらはぎのまわりで戯れてもらい、ときどき指を出して「いてっ」とか言いながら(本当に痛いし、ちょっと皮膚が切れる)、噛み加減を調整してもらっている。かれにしてみればこれがおそらく感情表現のメインだと思うので。

かれはストレスがあるとお腹を掻き始め、手を揉み始め、顔をくしくしし始め、体を曲げてお腹に顔をうずめるようなポーズをとったりのローテを始める。何かがままならないとき「なんかちがうんだよなー」ってときは、大抵こうなる。
自傷の原型のような感じがする。プリミティブ自傷。最近は指でのふれあいに関してなりやすい気がする。甘噛みしてえんだけどなー、あごのあたり掻いてもらいてえんだけどなー、みたいな感じなのかなと思うが、指を出すとすっと引いてしまう。りっちゃん曰くのハリネズミのジレンマである。
おれがほしいのは餌じゃねえ、ふれあいなんだ!みたいな気合いは伝わってくるのだが、いかんせん指が塞がっていてどうにもこうにも。今朝もかなり勇気を出して指を出してみたのだが、まだやはり怖い。爪に圧がかかってくるとこちらも予期不安になる。

そういや昨日は指がダメだから小さいほうきではどうかと試したらめちゃくちゃテンション高くほうきの毛を両手でバシバシ叩きながら遊んでいたのだが今日は「もうそれいいっすから」である。

今朝は無表情でルンバの上にいて、CLEANボタンを反応させて「テレッ♪」と鳴ったのでちょっと笑ったらトムとジェリー走りでカーテンの裾に消えて、ひだの出っぱったところから身を低くして鼻頭を出して。耳もカーテンの裾に引っかかるのに任せてそろそろとまたでてくる。

りんごの枝をわたすと、くわえてぴゃーっと駆けていくのもおもしろい。カーテンの裾と、テレビ台の下に宝物置き場みたいな場所ができていて、大きめのペレットとかが一個だけ置いてあったりするとおもしろい。

ランドマークとして、テレビ台の下の中央の足のねもととか、掃き出し窓の窓と窓のサッシの真ん中とか、なんか一応目印っぽいのはあるようにおもう。

あと、リビングのカウンターキッチンの真下に砂壺で浴びた砂を少しずつ運んで"砂ゾーン"を作ろうとしている。ここはしょっちゅうやってきては、ずささっ、と受け身をとっている。

おもしろいのは、腹を後ろ足で掻く時、同じ側の前足もひょいと上げるときがあって、このときのポーズが、なんか、めんどくさがりなおじさんみたいにみえておもしろい。
ナンバ歩きならぬ、ナンバ掻きである。
そもそも別に、両前足を置いたまま後ろ足で掻くこともできるのに、前を向きながら、ひょいと左手をあげて、左後ろ足で自分の脇腹を素早く掻いているのをみると、なんかものぐさだなぁ、と思わず笑ってしまうものがある。

HUNTER×HUNTERの念と贈与について考えてみると、モラウと戦って負けたあのライオン、途中で急に名前が変わった(これも気になることだが)、奴である。
あいつの能力は、相手に借りを作ることでそいつの能力を貸してもらうというものだった。そして、条件には、言葉で「これは貸しだからな」などと発し、相手と合意する必要があった。

スキルハンターは念を盗む能力であるが、相手の信頼度によっては、すすんで能力を貸すこともできる。

負債として押し付けられるもの。

ナックルの能力など。念の総量をカウントし、破綻すると絶に追い込まれる。
フェイタン。贈与された苦痛を熱エネルギーに還元し返済する能力。主観的な苦痛というものを相手に返済することはできない。
そもそもナックルの念を数値化してカウントするとか、フェイタンの受けた苦痛を相応の苦痛として返済するとかいうことは不可能なのではないか。
念というものの裏に、金融みたいなものが想定された世界観であることを自然に受け止めている。あるいは問わないでいる。

ジョイント型。関係性によって念を統合したり(受け取る、共振する)、受け継いだりする。

アベンガネ。除念。森の精霊?の力を借りて(混ぜて?)、負債をチャラにする。とはいえ、解除そのもの(除念によって現れる念獣の成仏?)を行うためには、かけられた念の解除条件を達成しなければならない。
団長の念獣はどんなものだったか?

アルカとナニカ。おねだり、命令、等価交換。ここにも、無償で無制限の除念と、贈与(どこかに皺寄せがくる)がある。
ここにも、叶える贈与の大きさに応じて、要求の規模や、被害者の人数(範囲や関係性)を瞬時に等価になるように変換するものが存在している。
念の市場原理というか、誰が決めてるのか知らないが(メタ的には冨樫であり、まんがというものの原理であるが)、物語内に収めようとすると、誰が決めているのだろう、と不思議になるし、このへんの判定は結局誰が(何が)行ってるのかって話になってくる。
ここに暗黒大陸にいるブリオンとか、あのへんのやつらがある程度答えを出してくれたりしないかなとも思う。等価交換や、とにかく「しくみ」が崩れまくってる世界を提示して、またそこにも実は「しくみ」があるのだ、っていう提示をしていくのが

ゴンがピトーを倒せる「レベル」という、本当にあるのかどうかわからない未来の肉体まで到達することができたり、また最近でてきた(最近じゃないのか…?)保菌者の人もマフィアシティみたいな「レベル」概念を導入している。
本人の主観によって、どこかで人を統計として処理して、人数で被害範囲を決めたり、あげくに相手を倒すパワーを計測して自分が相手を倒せる年齢(肉体)にまで成長したりできる世界。
また、人を殺す、とか死ぬ、ということも個人の主観によって判断され、それは念の判定にも影響を与える。
首がとれることが死である、死体は人間だが、血は物体であるなど。関係性は時間であるなど。念能力者が人をどう捉えているかによって、影響を与えられる範囲が変わり、また贈与や負債の多寡も主観によって判断されるはずなのだが、それとはまた別の「しくみ」によって、瞬時に釣り合いをとって起こされる影響というものもHUNTER×HUNTERの世界には存在していて、それに対する(謎への)憧れのようなものが、ずっとある気がする。

等価にできるはずがないものを物語のために匙加減で暴力的に処理する、表向きには理論や理屈が説明される。一応そういう理屈でこうなるんだと。とはいえ、到底それが等価なのか、因果なのか、考えるとまったく納得できないのだが、ふつうに読んでるぶんには全然それでいいし、おもしろいという。そこで納得できなくて読むのをやめる、ということにはならない。
逆に、いくら説明されてもまったく納得できないし、おもしろくもない話だって、いくらでもある(そういう作品は、いったい何が失敗しているのだろうか)

HUNTER×HUNTERはさまざまな登場人物を突き合わせて比較したり考察したりする甲斐がある。

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