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わたしは詩論というのをほとんど読んだことがない。昔のインターネットの言葉を何度も読み返してその都度「こういうことだったんじゃないか」と気づくのを繰り返して、たちもどることを繰り返してきた。これも結局以下の引用から得た作法で、
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わたしが詩を読んだりするときというか、書いてる人というか、書いてるものをみるときに念頭に置いているのは「この感じ」
それにしては煮崩れてしまったけれども、生活に戻れない(働いてるけど孤独っていうのかな、なんというか、疎外感というか、うそぶいてるっていうか、強がってる感じ?)まま、なんか生きてるなって自覚はずっとある。
だから執着しちゃうんだろうなと思う。
戻れないというか、うまく関われないというか。
まあそれはそれとして。
「岡さん」が書いてるESPのくだりはすごくいいですね。なんかぎゅっと、詩を読んだり(インターネットに)書いたりして、ふとしたことでいなくなることについて、コンパクトに書かれている。
それに対する「たみさん」の返答も面白い。初めて読んだとき、こんな返事書いていいのかと笑ってしまった。
冒頭の「ユーリさん」の文章もいいですね。
すごくやさしく書かれているのに、これ実際やろうと思ったらすごく難しいような気がしますが。
(追記:いや、"やる"とかじゃなくて、ふだんからなってるっていうか、やってるというか、そのようにあるというか、居るんだと思うんですけど。いや、そうあれないときとか、もちろん居られないときも含めて。と思うけど、それもふくめて難しいですね。言語という経路を通すというか、お豆腐を、細い水道管の中を、ひとつもかどを崩さずに通すために、いったんバラバラにしてもう一度再構成しなきゃいけないっていうか、そういう意味での(どういう意味だ?というツッコミはさておき…)そのままさは要るような気はしますが)
どの文章も平たくぎゅっと書かれててすごいなと思います。
「書き方」は特に書いてないけど、経緯とか、読み方とか、ありかたについては過不足なく、というか、どれだけここに書かれていることを細かく説明したとしても、それを読んだとしても、結局わたしはここに戻ってきてしまう。いわんとしてることしかわからない文章に憧れ(つづけて)ます。