0609

あさ。散歩しながら詩集のアイデアを考えていて、やはり仕掛け絵本で張り型をつくるしかないのではないかという結論にいたった。その見開きに関しては、無論防水加工を施す。ISBNは取りたいので、おしろとかに偽装して、形状はわたしのものを極力再現するが、直径は5mmほど「盛る」。つまり75φである。



ページとしてはちょうど真ん中にこないといけない。
あと、ページが戻らないように綴じなければならない。
あと、前例があるかどうか確かめ、被りがないかを調査しなければならない。意外と江戸時代とかイギリスになんかありそうな気がしてるので、パクりたくはない。

パチンコ台が剣を押し込んで顔が出てもうアザゼルのように人を理解しようと迫り出してきているのに、本は詩集はいまだに本然としてそうしてあることが本である、みたいな引きこもりようである。
実用書であり、かつわたしの生きた証であるのだから、それはなにも文字だけに織り込めるとは限らない。できうることなら言葉だけで人の人生や人格形成、行動の変容を促したかったが、もう尺がないので、これにそのままゴムを被せてやっちゃってください、感じてください。これがわたしです。ということである。

もうひとつ、わたしとしては、張り型を残すことで快楽の次元からの離脱を図る意味合いもある。今現状わたしは「お前は週刊誌の見出しか」ぐらいにオナニーとかセックスに執着しているが、いずれ無理になる で し ょ う。
添え木までしてやろうとも思わないので、それまでに次のものに移行しなければならない。その移行対象へと飛び移る踏ん切りの一助として、かなり実体的な分離を果たしておきたい。
まあ簡単にいうとうおー勃起しねーオナニーできねー俺は無能だーやっべぇもう死ぬー、みたいになりたくないということだ。

あと男はそれみてどうするのか。男も入れればいい。もしくはしゃぶればいい。もしくはムラムラしてしこればいい。勃起の一助として使い、おかずはちゃんとしたのを見ればいい。

問題として、いくらゴムをかぶして、ページが撥水するとしても、本自体がだんだんにおってくるという問題がでてくるような気はしているし、なんか醒めた瞬間にゴミ箱にいくような気もしなくはない。
そこに付加価値をつけるにはどうすればいいか。
防臭ではなく加臭、変臭、個臭、交換価値。
(いいスメルですなぁ)

たがためいしを読み終えた。個人的には書き下ろしの「医者はなぜ処方するのか」が面白かった。これはちょうど昨日書いた「20年」の手触りの別角度からの話だったので、時々リンクしたり、時々そうだったのかと思ったりして自身の記憶と照らし合わせながら読めた。

わたし自身、薬と無縁というわけではなかった。2000年代にやはり「ベンゾ系」を一瞬だけ処方されて、でもやはりあまりに暴力がひどかったのでそのベンゾと、母が当時飲んでいたやずやの黒酢錠的なものやビオフェルミンとかを一緒に飲んで、なんか記憶がないまま会社で色々やらかして、2週間仕事を干され、そこで一度やめたことになってる場合と、やめてないことになってる場合の職歴がある。時々、そこで、ああ、そういやあそこで辞めさせられたことになってたこともあるのか…と思ったりする。
一応ひとつながりで20年ほど勤めてる場合と、ベンゾ系のやつで失態を犯し、そこで職歴が途切れて17年ぐらいになってる場合があるのだ。でもまあ会社は変わってないので、ほぼ20年勤めてる。
20年も勤めてたら、もうそろそろ時代的に辞めたほうがいいのではという気もしなくもないが、辞めてどうするということもないし、辞めたらまじでぼけそうなのでいやである。

1990年代後半〜2000年代初頭のわたしはひきこもりだった。確か3年ぐらいひきこもってインターネットをしていた。
そのあいだにNHKのひきこもりサポートキャンペーンなどがあったり、ニートがあったりした。
当時のひきこもりの定義は仕事をしてなくて家族ぐらいしか話す人がいなくて6ヶ月ぐらいその状態が続いている状態、みたいな感じで、そこに16歳から39歳まで、みたいな年齢の区切りがあったように思う。
当時はひきこもりを名づけて問題(対象)にするため「青年」の範囲内に収めたのだと思う。でもまあ当時からもっと高年齢の人はたくさんいると言われていた。わたしはちょうどそのときに20歳前後だった。
インターネットでやはり精神のやつを読むのが楽しかった。
サイコドクターあばれ旅みたいなやつを読んだり斎藤環さんのサイト読んだり、あとは精神分析のやつ、汎適所属とか、なんかそういうのを読んだりしてた。
あの頃は自分がなんで生きづらい?というか、自分が生きづらいんだとも思ってなかった。
なんかひきこもってるなぁ…と。意識を失って気がついたらえんがわで60歳ぐらいになってて孫が目の前の庭で遊んでたりしないかしら…などと思っていた。
要はなんか詰んでるなぁっていう焦燥感と、出口の見えなさ、何をどうしたら駆動するのか、始まるのかがまったく見当がつかなかった。なのでひたすらインターネットで精神のやつを読むことに耽っていた。
2chを見たり、詩のクラスタに行ったりしたが、2chで詩板を見ることはほとんどなかった。なんか怖かったのだ。2chはひきこもり板と新Mac板を見てた。

確か2005年の前後に、昔友達だった人が、就職で地元を離れるとき、わたしのことを「問題」と捉えていたらしく、わたしを神社の境内に連れ出して、タウンワークと携帯を渡して、電話するまで帰れまてんをされて、わたしは嫌すぎて泣きながら結局電話して3件面接予約して、その3件目で20年近く勤めることになった。

ここで、斎藤環さんの「ひきこもりのゴールは就労じゃない」というのは痛感する。わたしは結局就労してしまったものの、結局本質的には何も変わらない。仲間的な、友達のような人がいないまま、ここまできてしまった。
いや、時々はいたけれども、最終的にはひとりになってしまった。

まだ最終かわからへんけどな!

まあ、最終やな

結局辞めるのが怖いので、辞められないまま続けるうちに、アルバイトから正社員まできてしまって、なんかひきこもってるときの自分の掟を随分と破ってしまった。
当時の自分は、自分がこうなったら殺す、みたいなリストが結構あって、それを破らないことだけが自分の矜持だったのだが、それはもうあっさり、ひとつ破るとあとはなだれをうったようにバンバンその戒律を破り倒し、そんな自分がいたことすら忘れた。
そもそもがひきこもってる私には「こういう(ひきこもって世界を呪詛ってる)自分に刺されないような(配慮のある)人間になろう!」という経営理念というか、クレドがあったのだ。
でも、いろいろやってしまった。もう破戒僧である。岡田隆彦の詩にもある

求める約束にみずからあざむかれ
道を急ぐことはない。

岡田隆彦「大股開きに堪えてさまよえ」

これはひきこもってる時からすごい好きだったが、働き始めて、あの頃の約束を破り始めてからも、この一節はとても好きだった。というか、この詩さえあれば、他は要らないぐらいにいろいろ詰まってて、当時はよくこの詩を頭の中に携えていた(そらんじていた)。「死の河だから進むことができる」とか「薔薇を求めて安くあがるな」とか、なんか現代詩居酒屋の割箸の袋に書いてありそうな、箴言というかキラーフレーズしかないみたいなやつなので、ああ、そういえば、岡田隆彦さんもアルコール依存症だったのか。

わたしは下戸中の下戸なので、酒が飲めないのでその苦しみはなかなかわからないのだが、働き始めて1年か2年で、結局わたしはその脆弱性を見抜かれて、同じ職場の人間に集(たか)られるようになり、同じ仕事をしたあとに、わたしだけ夜勤に入ってそいつに金を渡すという生活を送るようになり、そいつに暴力を受け、そいつが彼女とセックスするためのコンドームを買わされ、といった生活を数年送るはめになった。
(ベンゾ系を処方され、それをプチODしたのは、この時である。私はこれで、死のうが、死ぬまいが、問題が表面化して、そいつとの関係が断ち切れることを望んでいたが、目が覚めると、そいつが心配そうな顔で現れ、さらにそいつが殊勝にこいつの面倒は俺が見ます的なポジションについてきて、さらに絶望した。周りもそれをよしとし、家族も面倒を起こさないでくれといった感じだった。ODの副作用で、私は2〜3日後頭部が異常にひんやりして、ログインのパスワードが思い出せないまま、布団にこもり旧劇場版のエヴァのミサトさんがシンジ君に語りかけるシーンを何回も見返していた、2週間干されてるあいだ、わたしはずっとそうしていた気がする)
わたしは「成長」したので、そいつは私を殴らなくなり、手下と子分と友達のあいだのような、よくわからない付き合いかたをして、10年続き、唐突に手を切った。

最初は報復に怯えたが、もう数年が経って何も起こらないので、もう大丈夫なのだろう。

だから、わたしは、男女のDVよりも、男同士の関係の、脆弱性によって主従関係ができてしまった場合のDVのようなものの窓口のなさに絶望していた。

気づくと、私は、生活はできてはいるが、人をまったく信用できなくなってしまっていた。

薬のうち、2chで読む薬の話はもう少し、なんか試してみて効くか効かないか、薬効の論争みたいなものや、自分にとっての相性を語る場のようなもので、自身の実人生の苦しみみたいなものについてはテーマとされていなかった。2chはスレッドというテーマ別の掲示板が立ち上がっているので、基本的に包括的なものはスレ違いと言われがちで、みんな基本的にテーマに沿ったことしか話さないから、わたしもそういう薬のスレを見ていたということは、(処方薬としての)薬自体には興味があったのかもしれない。
でも私は結局デパスもパキシルもサンカンケイも何も飲んだことがなかったし、下戸なので、そんな薬の種類や量に耐えれるものでもないという自覚があった。
わたしが飲んだのはレキソタンだけだった。

なんといっても、わたしは弱いのだし、あと、ここに書き込んでいる薬の猛者みたいな人の裏に実際に死んでしまった暗数がいて、自分はそっちの暗数になる確率のほうが高い、という確信のようなものが当時からぼんやりとあって、つまり、書いたり、残ったりする人はある程度の強靭さを持っていて、それを読まされているということ。

自分はバイタリティのなさや脆弱性のせいで、暗数のほうになるという自覚があった。

結局わたしは2週間干されたあとクリニックに行ったが、なんか急にその医者が「僕はここをやめる。君は薬をやめないか」と言いだしたので「はい」と言って、治療関係が終わり、わたしはまた男の暴力を受けながら10年(25〜35歳の一番たのしい(はずの?)とき!)を過ごすこととなった

まあ、40過ぎた今、まあ、いい感じなのだ。わるくはない。
社会不安も視線恐怖も治らないし、詰んでる感もある。
あのとき処方薬をくれたクリニックを紹介してくれたもとのクリニックのほうに今は通っている。
今の処方はやわらかい。毎回同じ話をしてる気がする。当時インターネットで仕入れた我流の精神分析的ワードを小出しにしながら、先生に「そうです!それです」とか言われながらやってる。
それだとわかっていても、固着した生来の癖のようなものは抜けないのだ。なんせ、はりがたを詩集につけなければとかおもってる人間なのだ。
視線恐怖になるのもさもありなんfeat.むべなるかなであり
今はこれ(視線)による失敗で地下百階まで墜落して会社を無断欠勤しまくるような事態にならなければ、それでいいのである。それか、わたしが視線に支配されてエロ親父(独身)になってぐへへ〜とか言えばいいのである。

わたしは不安でいっぱいになることはあるが、メンタルが落ちる、ということはあまりなかった。基本的に旧劇アスカの殺してやるみたいな側面のほうが強く、自分が悪いと思ったことはあまりない。
自己評価は低い。
不安や緊張はする。視線や会話は失敗したとしょっちゅう思う。
でも基本的にはバカなのか、楽天的なのか、落ちる、というような、落ちたから手首を切る、薬をガッツ飲みする、ということはなかった。
胃洗浄も措置入院もなかった。

TSUTAYA(本店)の視聴機でCoccoのRainingを聴いたとき、角刈りの高校生か中3ぐらいの僕は衝撃で動けなくなった。
聞き間違いじゃないよね?と思った。

それから2、3年して、生まれて初めてのCDを買った。というか、外でものを買うことじたいがそれが初めてだったような気もする。

買い食いもしなかったわたしが始めて中古のレンタル落ちのクムイウタを千円で買った。

角刈りのわたしは手首を切らなかったし、薬をいっぱい飲んで胃洗浄とかしなかった。自分が生きづらいとか、わけもわからない焦燥や不安に駆られていてもたってもいられない…
こともあったかもしれないけど、しなかった。

飛ばなかった。

ピアスも髪も染めず、まったく飛ばないまま、信長書店や紅葉書店のセルDVDコーナーを練り歩くポロシャツの角刈り中年男性として、わたしは生きる覚悟を決めた、っていうかそうなった。覚悟も決まってない。

今は進撃からの流れでかまってちゃんを聴きまくってる。

両親、いや周囲の環境からは膨大なVoidを受け取った。それは自分を尊大にもさせたり、自己評価を著しく下げたり、譲ってはいけない場所まで譲らせたりした。

ただ、公的な場面や、ここぞという面接の場面では、このVoidはよく機能した。これによって、わたしは男に殴られたし、男から逃げることもできた。男は私を支配することはできても、社会的なものや公的なものには弱かった。わたしはそれを使うことはできたけど、自分自身を飛躍させるように、形を変えるように、もっと簡単にいうと、かっこよくなることはできなかった。

誤解を恐れず言えば、バカだけどかっこいい服装の人はいるし、バカじゃないけどダサい格好の人もいる。
わたしはバカでダサい格好の人なのだ。

そのおかげで飛ばずに済んでいるともいえる。でもわたしはいずれ暗数や暗渠のほうに飛ぶしかないこともわかっている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?