クロージングあずき、mち

この時期になるとおもちとゆであずきのクロージングというか在庫管理が始まります。大抵おもちのパックが余っててあずきがないのであずき買うと次はおもちがなくなって…のループに陥りがちです。わたしはもちは焼いてのり巻いて醤油にちょんとつけて食べるはしません。きなこもしません。ぜんざい一択です。

「(俳句)」
〈意味〉ああ、彼女のSNSで「彼」とは言われているものの、剣心とししおの乱ぐらい内密にされていて、彼女は「彼」という名詞を外部に向かって呟くために俺と付き合っているのだなあ。 ことよ。

阪神大震災のときのことを思い出して書いていこうと思う。
あの日は まず5時に起きて、2階の布団から抜け出し、1階のこたつの部屋に行った。こたつ部屋は畳で、東側はふすま 西側は腰つきの雪見障子だった。北側には母の嫁入り道具である桐製の箪笥が並んでいた。6畳ほどか。ふすまから入ると右隅にゲームボーイの一式があった。それは、半透明のプラスチック製の衣装ケースの引き出し部分だけを取り出したものに、ゲームボーイの本体、充電器、ソフトが雑然と投げ込まれている。
そこから「ゼルダの伝説 夢を見る島」が挿さったゲームボーイを取り出し、充電器を繋げ、自分のセーブデータで遊び始めた。
どこまで進んでいたかは思い出せない。
記憶的にはすでにクリアして、裏技(画面スクロール時にセレクトボタンを押してマップを表示すると、キャラが画面の反対側の端に瞬間移動するバグがあり、それを使って行けない場所へ行くのが(私の中で)流行っていた。その後、この裏技をやりすぎたせいか、ソフトが壊れて遊べなくなるという事件も発生した。)

ゲームは1日1時間という決まりがあったので、早起きして親と弟の目を盗んで隠れてやるのが常態化していた。

元々が早起きだった。家系でみんな朝が弱いのだが、朝起きて機嫌が悪い人とか意味がわからなかった。こんな横暴が許されるのか! とにかくまあ早起きだった
そのため、読売テレビ(日テレ)の「早見優のアメリカンキッズ」や「ジパング朝」、MBS(TBS)の「あなたにオンタイム」、またカンテレ(フジ系列)のテレビ放送が始まるまで流れている謎の天気予報(テンプターズの"今日を生きよう"などのグループサウンズが天気予報のBGMとして流れていた)などの早朝番組を見る習慣ができた。
この視聴習慣は現在の「めざましテレビ」に至るまで繋がっている。
そういやジパング朝はなんか石鹸工場爆発回があったりした。
あとなんかあの頃の女子アナは前髪が上がってておでこな印象が強い。
めざましテレビの時間帯で以前放送していた番組は、オルチングワンタ?オルチンワングワンタ?だったかで、なんだか変なウゴウゴルーガのおじいちゃんバージョンみたいな、
オープニングから見る気をなくすというか、まだ外が暗いうちからフジテレビのガラス張りのテレビ局の廊下みたいなところに人が立っててやけにテンションが高くて深夜3時ぐらいのやつやろ、何層に向けてつくってんねんみたいなよくわかんない謎の番組がやっていて、そのころはオープニングだけを見て人間が出てきたらチャンネルを変えていた記憶がある。オープニングはなんか中毒性があった。

子供の頃から早く起きて何かするのは好きだった。目が覚めるのが早かった。みんななぜそんなぐっすり寝れるのか、なぜ朝が弱いとかがあるのかと思っていた。
早く起きてもすることはテレビを見るか、ゲームボーイするかぐらいだった。夏休み、母の田舎に帰省しているときは群青色の中で散歩していた。

1995年のその日も朝起きて、テレビはつけず(音を出すと、不意に誰かが起きてきたときゲームボーイを切るのが遅れるため)最小音量で夢を見る島をやっていた。
こたつから東向きに(ふすまに向かって)うつ伏せに上半身を出して肘をついてゲームボーイを持ってた(目の前にはゲームボーイ一式が入った衣装ケースの引き出し)。
揺れ出したときの記憶はなく、ゲームボーイを切ったかどうかも覚えていない。ただ、すごい揺れと音で背中を起こすと部屋のタンス(上半分は観音開きだった)が全部開いて、中の母の着物とか、正装っぽいやつを包んでるような白い和紙みたいなやつが見えていた記憶がある。
反射的にこたつの中に入ったものの、暗い中で、もう揺れてるっていうか体の座標というか位置そのものが明らかに動いてる感覚があって「これはもしかしたら家ごと崩れるかも」と頭によぎった。うっすら死ぬかもとも思った気もする。
揺れが収まって、ほどなくすると家族が2階から降りてきて、大丈夫だったかとかこたつにもぐったのは正解だったとかなんとかいわれてテレビをつけてそこからはもう記憶がない。
いつも(正確にはまったくいつもではないのだが、記憶に残らない日常のようなもの)に戻ったのだと思う。流れてくる映像の衝撃はあったが、そこからはいつもどおり学校に行ってクラスの隅っこのいつものメンバーと地震のことについて話した。それからは帰ってからニュースを見ていた。あの頃はニュースでドキドキすることが多かった。地震とかオウムとか猟奇的な殺人事件で中学生捕まるとか、なんかそういうのを見てはドキドキしてた。
それとは別に、自分自身も極度の緊張の中で過ごしていたのだが、自分自身でそのことに気づけないまま生きていた。

40歳もすぎてやっとちょっと楽になってきた感はある。
葉ね文庫の人のいつのツイートだったか忘れたけど、「あったかいものを着ればあったかいみたいな当たり前のことがやっとわかってきた」みたいなツイートを見たことがある。感覚的には、それに近い。
ああ、そういうことだったのね、みたいなことがいまだに服装とか、靴とか、なんか身近なことでわかってくる。襟元を覆うと風が侵入しにくくなりあたたかく感じるであるとか、そういう基本を親からきさまは教わらなかったのかと自分で自分に思うけど、教わったかもしれないけど、伝わったかどうかを「みる」素養が親(相当の人間)にあるかも重要なんじゃない?
今発達障害とかいろいろとかで苦しんでる人というのはそういう、人に合った個別の対応みたいな「みる」ことができずに、「ふつうに」やってきた結果であって、そこで実は、いろいろぼろぼろこぼしてる子供に気づくことができないから(いやもともと子供といわず、人間というのはどんなものごとでもすべてを受け取ることはできないしぼろぼろこぼすものだとはしても)今なんか苦しかったり、今ふと気づけて嬉しかったり(さみしかったり)もするものである。気がします。(ここだけ2/15)



2001年の911のやつはちょっと位置関係が違って、1997年あたりまでの事件はリビングのテレビで見てたけど、2001年のやつはもうリビングで見てなかった。こたつの部屋の小さいテレビで見るようになっていた。あとネットで人の意見を読むようになったりもしていった。何より私はひきこもりになっていたし、今思えば、それ以前から、少しずつ家族というのが徐々になくなってきていたのだとも思う。
まだあの地震のころの前後は、ちょっと家族感はあった気がする。こたつの部屋で若者のすべて(フジファブリックじゃなくてドラマ)とか王様のレストランを家族で見ていた。あとは世界丸見えという番組があって番組の一番のメインの特集が海外の番組を流すだけみたいなやつで、あるとき海外の性教育の番組を流したことがあって、ちんちんにカメラつけて女の人の中にもカメラ入れてどっちからも映すみたいなやつで茶の間にセックスシーンがぼかしはあったかもしれないけどほとんどまるごと流れた。
母が「これ、流していいん…?」と絶句気味に父に話していた記憶がある。私はこたつの中でギンギンになって黙りこくっていて、性がまだ勃発していない弟が「おにい黙ってる〜wどうしたん」と聞いてきてかなりイラッとした。今もたぶんその番組と思われる動画はXVIDEOとかにある気がする。逆になぜ今もこの動画しかないのかとも思う。もっと流行らそうぜとは言わないまでも、今の機械で、ドローンとかで、なんかできないのだろうか。

だから、私の中であの地震を思い出すと、毎回、朝早く起きてこたつでゲームボーイのゼルダをやってた記憶になる。
それからもう28年も経つらしい。

2011年の地震は震度2だった。長周期のほうが届いていて、仕事中の建物はゆっくりとゆらゆら長く揺れた。社員さんがYahoo!等を見て「東北で震度○やて!」と言っていた。1時間ぐらいざわざわして仕事に戻った。

大阪の震度5のときはちょうど会社に入ろうとするところで足元がおぼつかないと思ったら電線が揺れていて、会社もエレベーターが全部使えなくなってオーチスに電話しても全然繋がらなくて、あとは行政のやってる結婚相談所みたいなとこでマッチングした人にすぐLINEをしなかったせいでフラれた記憶がある。

今はどうか。これからくる地震について。
最近は南海トラフの確率も5%〜95%とか、あるいは60%とか、さまざまなニュースもあって、備えについて考える。
確率についてはパチンコの経験からいって、いつ起きてもおかしくないレベルである。
パチンコ(パチスロ)の世界では、1/65535の確率で引く、99%継続が約束されたはずのループがものの一瞬で終わったりすることがある。

わたしは昔スナイパイというパチスロでおしりぺんぺんタイムというやつの99%ループが一瞬で終わったことがある。それぐらい確率というのは引くときは一瞬でダメなほうを引いてしまうものである。
60%というのは海(海物語)の確変継続率である。それで死ぬほど爆連させている老人が世の中にはたくさんいる。だから60%というのは侮れない数字である。
今書いてる知識は2013〜2015年ごろのパチンコの知識なので、もう今は全然変わってる可能性もあるが、あの頃は確率というものに(いい意味でも悪い意味でも)どれほど裏切られてきたことか。でも体感として、確率を聞いたときに即座に「あれの継続率と同じってことか…じゃあ当てにならんな」「あれの継続率と同じってことか…じゃあ絶対引くやろ(警戒しよう)」というふうに、確率に対する感度は上がったと思う。
パチンコの期待値とか確率を勉強するときに必ず通る、百個あるボールを一個とってまた元に戻してまたとって、その中から一個だけある「当たり」を引く確率、みたいなやつを1/399で1ぱちで10時から22時までえんえんやり続けるのを仕事が休みの日に1年間続けた結果、確率というものの残酷さがよくわかった。400個あるボールの箱に手を突っ込んで、1個だけ引いて、また元に戻してシャッフルされたものにまた手を突っ込む…と繰り返して、大当たりを引いたあと、さらに1/2の確率で確変か通常かの分かれ道がある。そしてさらに1/99の確率のSTを145回転で当てなければ通常に戻るという、あの確率だらけのパチンコの世界からすると、南海トラフが60%とかいうのはもう赤保留ではなく、牙狼剣保留でもなく、斬馬剣保留レベルであり、また、「天運」レベルでアツい。というかもうすでに日本列島にプレミアが出ている可能性が高い。それぐらい警戒せねばならない。
なので南海トラフ地震の発生率はほぼ常に100%である。だからこそYoutubeで地震やばい系動画は年柄年中やばいと言ってられるのだと思う。備えれるだけ備えて、ときどき何かを思いながら、あとは今を楽しむしかない。別に楽しまなくてもいいけど。まあ楽しむというか、なんか、居ようぜ、というか。
避難グッズに関しては、アイリスオーヤマの避難リュック一式と泥水を濾して飲むやつとランプとテントと5年もつ食べ物と水は準備してる。エンディングノートとかも時々思い出したように書いてる。

もうゲームもしなくなった。ゼルダのブレスオブワイルドも火山のところで止まってる。もう今年、次のやつが出るらしい。
早朝のテレビもめざましテレビしか見なくなり、占いが終われば消すようになった。
家族はいなくなった。地震で死んだとかではないのに、とにかく合わなかった。
パチンコもしなくなった。最後にやったのは4〜5年前?高島平のパチ屋でやったTOKIO DX(いや、もしかすると新宿のエスパスとか渋谷の楽園だったかもしれない…)が最後だったような気がする。
いろんなことをしなくなっていくし、できなくもなっていく。
その代わりに…ということも、わたしにはあんまりないような気がする。
おじさんというものの解呪、AI的なものによって人間味が川の砂をざるで濾して見つける砂金になってしまうんじゃないかみたいな気持ち、そうなったときの自分自身に巣食う「生産性」とか「意味」からの解呪、etc…
おじさん、生産性、意味、
属性みたいなものの内面化を少しずつ削ってリリースしていくというのか、そう生きないとAI的なものに蝕まれて楽しみを見出せなくなってしまう。
とりあえず、こうやって、とりとめなく書くのは好き。

ついでに成田さんの集団自決のやつについても書いておくと、あれも結局内面化された「自決(引き際)」によって自分の存在を仕事以外、生産性以外のところで見つけて生きているぶんには全然切腹も自決もしなくてもよくて、むしろそういうことを見つけて、仕事であったり生産性であったり(というか、この場合は"執行"とか"決定権")の部分を若い人に解放していくのがいいんじゃないかという話なのかなーと思ってる。だから「自分も歳をとるんだよ」とかいうツッコミをみてると、そんな話なのかな?と思ってしまう。
自分が気づいたとき仕事の肩書き、仕事の上での力、生産性、家庭内での位置、関係性、ポジションでしか自分を規定できなくなってることに気づいたらつらいし、そういうふうに自分自身を内面化して生きていってもろくなことにならないのでもっと役に立たないこととかわけのわからないことをやって「それ以外」の場所で生きれるようになったほうがいいのではないか、そのうえで、その方法として早めの引退勧告というのか自主的な引退を推奨してるんじゃないかなと思ってる。
これは逆に言えば棚にある商品みたいな、工場にある期間がこんだけで、ピックされて商品棚に陳列される期間がこんだけで、それを過ぎたら廃棄みたいな、賞味期限と棚に置ける期間の差みたいなものから降りるというのか、そういう使えるとか使えないみたいな発想から逃げて「何がしたかったの」というか「まあ何がしたいかもわからなかったら散歩でもしてみましょうか」「それもいやならまあ家でぼーっとしてたらいいんじゃないですかね」ぐらいの気持ちで居られるようにしましょうみたいな自己啓発的な意味合いで成田さんは言ってんのかなーぐらいで集団自決はよくない言葉だが個人的な感想をつらつらと書き連ねていくと、結局は価値観みたいなものからなるべく離れて暮らせるようになろうみたいにいってるんだと思う。ここは最近のAIの流れで日本に分があるみたいな話と、成田さんがよくわけのわからないことをするのが大事みたいな話はどっかでつながりそうに思ってて、ふつうに考えたときの日本の構造的な問題は絶望であるから、余計にそう思うのかもしれない。
社会はこうだから、男女はこうだから、ではなく、今目の前にいる人たちとの関係性でゼロベースから考えられるような人間になれればいいなあみたいなことを、(集団自決という発言から)なぜか汲み取ってしまう。あとは集団自決でTwitterの右側が1万件とかになってるのって結局それってなんなんだろうとも思う。時々急に「○○を求めます」とか上がってきたりして、それもなんなんだろうと思う。いい悪いとかではなく、なんなんだろうと思う。どうなればよくって、何が今困ってて、何に苛立っていて、何がつらいから今こうしているのだろうか、本当は何が問題なのだろうか、なんかそんなことを時々思うけどずっとは思っていられない。どっかにそういう人もいるんだなと思うだけ。そうだ!とも思わないし、がんばれ!とも思わない。

まあ人のことはどうでもいいとは言わないけれども、とりあえずは自分が今持ってる自分に対する「◯◯のくせに…」みたいな考え方からちょっとは抜け出したいかなーって気持ちで少しずつ生き方や考え方をシフトしていきたい。価値とか意味とか生産性から、全解放できなくても、まあ時々そこから抜けれる回路だけは持っておいて、どっちでもいける、あるいはシームレスに行き来できるように柔らかくありたいけど時々持病の癪が出るのかもしれないけど、そのときは許してね、というわがままボティのまま生きていき、そしていつかは必ず死ぬ。

まあこういう空論ばかりぶっても仕方ないのに、こういうので自分を螺旋状に高めていかないと行動になかなか移せないめんどうなやろーなのだ。こういう自分があんまり好きじゃないけど嫌いでもない。これは昔から案外そうで、あんまり自分のことは好きじゃないし嫌いだけど、そんなにそこまで嫌いでもない。コンプレックスは多いけど、妬み嫉みもすごいけど、まあ、なんか。。。

自分自身が何ができたら、どこまでいけたらいいかみたいなものをいくつか設定して、毎年更新するような目標と、一生かけてのやつと、いろんなものが重なり合って、それが自分自身の人生にハリを持たせてくれるならそれでいいけど、悔しいけどあの常套句、
人はひとりでは生きていけない
ひとりでできることはたかが知れている
このふたつはわたしが大嫌いな二大巨頭、くそフレーズであるし、こういう言葉を使って何かを言ったつもりになる人間は本当にこの世から消えて欲しい(こういう言葉を使わずにそれを伝えれる人間に転生していただきたい)と思うけれども、、、
いや、別に、この人間は徒党を組まなければならない的な発想とか、人間は人間に還元セールをするために生きてる的な発想すらからも降り、さらに降りてるという発想すらない状態にまで酩酊したいけど私はまったく酒が飲めん。ということで意識的にやるしかないわけで、
まあ、それで、わりとなんでもどうでもいい、、、というスタンスになってくるわけである
世の男性の割と通る道であり、いく道である(たぶん)

(1/18- …2/15?)

追記:おとといトルコに寄付した。なんか今下書きの記事をとりあえずぽんぽん出すモードになってて、時事をふと思い浮かべたとき、この文章は1/17の翌日、つまり阪神大震災の28年目から翌日に書かれたわけだが、今はトルコの地震があり、どう読まれるのか少し考えたが、このまま下書き記事を投稿する流れにする

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