0820メモ

かくして、進学率が上昇し、教育の大衆化が進んだ一九七〇年代以降、格差と教養の結びつきは見えにくくなった。(中略)格差と教養の問題系は社会的に見えにくくなった。

岩波新書1832 「勤労青年」の教養文化史 福間良明
p272-273

この本の「冷却」のメカニズムを読んでいると、ネット上のある所属というか、行きつけのサイトというのか、サイトに参加したり立ち去るときのメカニズムも同じようなものなのではないかと考えられる。ただきっかけが昔ほど一斉に揃うわけではなく、個々の事情によるようになった。
また、参加する場所も(社会的に見えなくなって)、雑誌メディアのような大衆性よりもさらに細分化された微細なジャンル分けや棲み分けがなされ、それへのアクセスも自室になった。そこからさらにガラケー、スマートフォンの普及によって自室以外にも休憩時間だろうが外だろうが訪れることができるようになった。

プライベートが忙しくなればなるほどネットに使える時間は減るし、持ち込めない、あるいは手がふさがる仕事であるほど見れる時間も減る。

かつて熱心に参加していたサイトから「遠ざかる」ことはあっても、時々できる無為な時間に、ふと思い出してみて、ひさしぶりにログインしたり、ログインせずとも眺めたりすることもあるだろう。今どうなってるかな。

この本だと、そのあたりは歴史読本的なものが吸収している。この本は戦後の勤労青年たちの動きと教養への憧憬とその衰退、そして教養主義の盛衰が描かれているが、これは個々の参加者を擁したサイトの盛衰にも重ねられるように思う。そして、インターネット上ではその盛衰のメカニズムは同様に、そして素早く起こったように思う。
そして、きっかけは敗戦ではなく、インターネットという電子空間(?)の開拓による揃い踏み(このへんはまだよくわからないが、Windows95あたりから?)によるものだったのではないか。

この本には投稿雑誌メディア特有の「想像の共同体」、査読による優越性、また知識人やエリートに対する「反知性的知性主義」の話など、このへんを以前あった(あったかプロレスだったのか定かじゃないが)紙媒体とネットっていう対立項などが重ねられそうだ。

ただ、何度もつけくわえておくと、わたしがインターネットを始めたときにそこまで重苦しい気持ちであったわけではなかったということだ。
教養や格差にコンプレックスを感じて、それらを補うためにネットをしたわけではなく、働きながら夜の時間をネットでの勉強に費やしたというわけでもない。

わたしのころにはすでにNHKがひきこもりサポートキャンペーンをNHKを張っていて、わたしは絶賛ひきこもり中だったし、このころはひきこもりとかニートとかハイパーメリトクラシーとかプレカリアートとか言ってたような時代である。たぶん。
ネット上の詩では何があったのだろうか。現代詩フォーラムがインターネットにできたり、UPJとかSSWSとか鳥取砂丘で詩を読む会やはみだしっこたちの朗読会があり、プレカリアートのほうではこわれものの祭典とかがあった。というのをネットでみてた。
とくに「はみだしっこたちの朗読会」と「こわれものの祭典」は、直接的にはつながってないけど、当時ひきこもっていたわたしからみると、「ひらがな+漢字」の無職か自由人か不確かな人たちの集まりが東京でやっている、という認識では似た要素を孕んでいるようにおもった。たしか参加者は時々被ってることがあったような気もする。記憶違いならすまないが。
あと、「はみだしっこたちの朗読会」は参加したかったが、わたしが無力無善寺を訪れたのは結局、2015年ごろだった。

わたしは結局、就職氷河期という時期に砂泥底にいて何も気づかなかった。バブルが崩壊したときも自動販売機の下のお金を定規で書き出したり、釣り銭口を手でまさぐったりして過ごしていた。
景況感のようなものと遠い生活を送っていた。家族も冷え切っていた。わたしはひたすら自分の置かれた状況にのみ拘って過ごしていた。
それでいて、インターネットではこれといって役に立つものを見ることもなかった。インターネットでは、人生雑誌における同じ境遇におかれている人たちをみることも、まったく関係ない教養も、つまり自分で検索し、ソートするような形で人生雑誌的な構成でものごとを読むこともできた。
ただそれは必ずしもプロだけではなく、あとでプロ(それで飯が食えるように)になった人がいるにしろ、むしろ比率としては文筆業よりも当然ふつうに働いたりひきこもったりしながら過ごす市井の人が時間と指を使って打ち込んだ文字の連なりがあって、それを読むことになった。

ここにも教養主義への憧れじゃないけれども、読書量によって、少しずつタッパーの茶色い油汚れが洗剤で浮くようにぽつ、と頭抜けるようにプロが出ていくような形での、筆一本で食べていける人というのが出てきていた。

この頃には、この本にもあるように、経済的な格差ではなく成績によって進学が決まり、格差によって進学を断念させられ、さらにそのことによって社会的上昇さえ諦めさせられた時代の鬱屈とはかなり無縁になっている。
ただ、それゆえに、最初から決まっているわけではない、逆に、そういうのって、どうやってなるのかよくわからないみたいな時代になってくるような気もする。
めちゃくちゃ本を読んで勉強しても、何かになるかもしれないし、なににもならないかもいれない。
全員に、教養主義的な没落のあとに平等なスタートラインが与えられたかのような時代。

インターネットという、当時ある程度参入障壁のあった空間というかメディアができた。パソコン通信はさらに以前からあったものの、参入障壁と経済的な余裕が必要だった。
インターネットがこなれてくるのと、青年が流れ込んでくる時期、さらにi-modeの普及などで、一気に間口が広がって出揃うタイミングがあった。最初はコアな人間に与えられた業余、時間的地理的制約の解除、自らの教養を書き記す場や、理念やかつて諦めた(か、もしくは可能性を感じた)活動をそこで始めた。
ここに若者が流れ着き、人生雑誌的な役割を分担して果たした?
(若者が自分に合うものをピッキングしたり、自分で作ったりもした)
ただ、これらも人生雑誌やそのほかのしくみ(青年会、青年学級、定時制)などと同じく、個々に冷却(個人的にこれは「生活の引き波」とか呼んでる気がする)にさらされ、戻っていってしまい、衰退した。
ただ、それぞれがそのメディアの消失自体をわるいことだと思わず、またその所属を打ち明けることなく退出できることを担保に、自由な表現や心情吐露に使用したのも、人生雑誌が住み込みで働く青年にとって、雇用主の監視に晒されたのとは対照的。
パソコン(パーソナルコンピュータ)とインターネットで漂白された存在として、また、そこで、雑誌メディアの特徴とされた個々のパーソナルな情報を知らないままそこに集っているという「想像の読者共同体」を作りながら、そこからひとりで入退出を繰り返せる状態。膨大なインタラクティブな「雑誌」の投稿欄の定期購読をプロバイダー料金だけで自分で選べる状態。反応は早ければ数十秒〜数分で返ってくる。
ただその代わり、査読はつかない。査読的システムの構築や、査読者の査読(信頼?)も匿名の中、書かれたものをたよりに読者が行わなければならない。権威性がないと言い換えてもいいのかもしれない。
「権威性がないところにまた権威性を、敢えて立ち上げる」という運動の形が起こってくる。
もともと、詩の紙の雑誌自体が査読というものに通っているのか怪しい存在だったというのもある。
よしみで載っているとしか思えないものもあるように見えるし、あと、有名大学の持ち回りなのか、現代詩文庫やアンソロジーの大学出の多さ。ただ単に身内のことを「こ、これは事件だ」と言っているだけなんじゃないのか、という疑念。それに比べて大学を出ていない人のすくなさ。お情け(うまい言葉がど忘れして出てこない)で載せているような、明らかに中央的なものと辺縁のものとのバランスを欠いた選出によって考えられるのは、もっと素晴らしいものが見つけ出されないまま(不当に)眠ってるのではないかという考え方。現代詩、苦行や苦痛を有難がる生き方。大なり小なり持ち回りの誉めそやしで捻り出した「正直な」批評や美辞麗句のたぐい。だから助走でどうでもいいことばかり述べたてなければならなくなる。そしてそんなものに、くそみたいな額の原稿料を支払う。
ということもあるのかもしれない。なんか、このへんはもう少し相対化してみてもよいとは思う。たいしたことはない、と。あるていどの尊重さえすれば、あとはどうでもいいぐらいに。
たぶん、こういう心性は反知性的知性主義にちかい。そんな気がする。
かたや、
ブロックチェーン的な信頼によって担保されていない投稿サイト。文脈もバックボーンも知らない人による査読や自治。これはこれで微妙なものがある。これはこれで読んで意味があるのか? 剥き出しの相互の慰撫や自己顕示や自己撞着や自己憐憫と剥離の連続往復運動みたいなものをさらにメタメタにしたようなものの連なり。のたくった水みたいなものの連なり。

意味はいらないのもわかる。査読だっていらない。自分が所属する場所を応援する言説と現金が必要なのもわかる。ただ、やっぱり、当たり前だけど、できるだけ自分の信頼に足る、なるべく自由にできるところに所属したいし、支払いたい。無理に信じたり、無理に書くのはしんどい。
ご近所付き合いみたいなことをどこまでいってもしていることはわかる。それをしなくていい世界というのはあるようでないのもわかるし、自分がそんなことしなくていいわけがないのもわかる。

でもなー、である。

書いたら堕ちてしまう、という感覚と馴れ。個人的にはもう誠実さは要らないのだと思う。それは教養主義の没落に似ている。わたしは消費に似ている。昔、ひきこもっているとき、わたしは文化系なのに体育会系の生き方をしようとして失敗してどこにも居られなくなった、と思ってることがあった。いまおもえばこれは、わたしは教養がないのに消費にも行き着けなかったただの真面目系クズだった、という言い方で整理できるのかもしれない。

どうやって夢からさめるか、どうやって足を洗うか。どうやって(入口から)入り直すか。できるだけ現実的な手続きで。要は、気づいたら膨大な無為だったことに気づくような運営や運動や熱。冷却はそういうものにぶっかけられる。たぶんそういうところで誰か見つかれば、それはそれでいいのかもしれない。誰も見つからず、ただずっとあると思いながらやっている活動はこわいなと思う。その人が気づいたときの空漠感を想像するとおそろしくなる。ハッシュタグの人とかの中に、そういう人がたくさんいるんだろうなとは思う。
誰かを見つけるというよりは、得体のしれない沼から、物理的な何かを自分の手でつかんで引っ張り上げるというほうが近いかもしれない。
なんかそういうことを一個か二個でいいからしないと空漠になってしまうんじゃないかという気がしている。
冷まされたり、放逐されたあとに気づいたんじゃ遅いという気がしていて、今から何か、勃たなくなるまえに何か、という感じで、空中ブランコの次のやつに飛び移っておきたい。別のものに火を移しておきたい。

となると、さっき書いたようなこと、ささやかなものを馬鹿にするような言い方が跳ね返ってくる。どこにも所属できなくなる。
これは進学組と勉強しないやつらのはざまに置かれた、人生雑誌の投稿者の層のようでもある。言っちゃ非常にわるいが、読んでいて、この人たちは、ぼくたちの祖先、真面目系クズの元祖みたいな人たちだな、とちょっと思ってしまった。なにかこう、先生としか喋れない人のような。
とはいえ、先生としか喋れなくて何が悪い、とも思う。

たれの皿理論。居酒屋で空いた皿の重ね順でたれの皿を上にするとかどうとかに拘ってコミュニケーションをとらないひとくみの真面目?な男女?は本末転倒なのかそうではないのか。
なんか人生雑誌の読者層にはなんかたれの皿の積み順というどうでもいい話に執着することで、目の前にいる他の人と喋ることを怖がって拒否しているのにそのことに自身で気づいていないような感じ、を受ける。
皿なんか流しに持っていけば上下なんか誰も気にしないしそれは店員の仕事だし、そこで今しかできないことは居酒屋に集ったメンツで喋ることじゃないのか、みたいな。
逆にその時代は無垢に、全国雑誌の査読を通って掲載されたからといってシンプルに自分の優越性を感じて嬉しかったのだなと思うと、まだコミュニケーションにそこまで重きが置かれてない「いい時代(対俺比)」だったのだとも思う。
林先生とかやくみつるがネプリーグで漢字のことで敬われてるの見たりすると、そういう「いい時代」を感じたりする。

わたしからすると今はよくない時代である。しんどい。
どこにも飛び込みたくない。
気軽にフッ軽になにごとも始めたくない(のに始めてしまう)。
困った。

あと、青年時代に教養に憧れた中年層が、昭和50年代に、哲学や思想といった抽象度の高い教養ではなく、忙しい実務の合間を縫いながら学べる「歴史」に流れたと書かれているが、
これを平成10年代に、インターネットでぼんやり哲学や思想を読んでたひきこもりのはてなダイアラーが、中年になって千葉雅也の現代思想入門を手に取ったりシラスで番組買ったりするのと同じ構図のようにもおもえる(←これは私です)。
じゃあ、現代思想や哲学がかつての歴史ポジションに置かれた場合、次の中年は、教養への憧れによっていったい何を手に取るのだろうか。

あと、教養の実践(発散?)はどこで行われるのか。どのような形がありえるのか。出力形式の問題。自分の人生の決算棚卸し的な。

へぇ〜そうなんだ〜の先というのか。

また話かわるが

ひろゆきやホリエモンも内心、教養への憧れはあるのだと思う。
ホテルニューハンプシャーか何かで、悲嘆に暮れた親父がよれよれの服で高級ホテルのバーかラウンジかに入ったら、逆に真の金持ちだと思われて金持ちたちからめちゃくちゃ憧れられるシーンがあるけど、なんかそういう雰囲気をひろゆきやホリエモンが東浩紀さんを見る目線に感じるというのか、まあ妄想なんだけど、なんかそういう構図はあると思ってる。
これもたぶん知や教養というものへの憧れの一形態で、ITというものの時流にのって経済的に成功したはしたけれども、それとは別に、知への憧れというものはあるのだとおもうし、そこをある程度で諦めていいポジションをとることで代償行為に腐心しているのだろうな、という気もする。

知は、原理を根こそぎ浚ってくような凄みがあるというか、軽佻浮薄に賢く喋るポジションをいくらとっても真打がいるという感覚は取り払えない。それらを活用して噛み砕いて賢く生きる、という利用や消費の形態しかとれないのにオピニオン的な位置を占めている。まあどう生きても人の自由である。それでもいいし、もう追いつけない。それもそう。じゃあどう生きるかって話になって、やっぱり哲学は、勉強したくなる。

生きてると、あれってこういうことだったのかな(どういうことだったのかな)ーってことが増える。
どんでん返しが自分の中で共存する。過去の一側面をじっと見つめていた自分と、今、過去のまた別の側面を見つける自分。もう答えは合わせられるものと合わせられないものが出てきているし、合わせられるかもしれないけど、合わせないものも出てくる。
昔、鴨川の土手の割れ目からみそそぎ川の水が染み出しているところがいくつもあった。そこに網を当てて、オイカワを取ってる年長の人がいて、わたしは本気で信じて今まで生きていたけど、最近になって「…あれは実は嘘なのでは?」と思い始めるようになった。
川で掬ったオイカワを網に入れて、みそそぎ川から染み出している水に当てて、あたかもみそそぎ川の割れ目に網を当ててるだけで魚が取れたように偽装しただけだったのでは?
なんか最近こういう疑いの目を持ち始めている。

親やきょうだいのことは、もう答え合わせは要らない。
心残りは古い友人。これはいつか会いたい。男同士だったけれど、あのとき自分が「振った」のではないかという疑いが出てきて、これは今まで気づかなかった。彼が急に病んだのだとばかり思っていたが、あのときは自分がハイになっていて何も気づかずに人と縁を切ったりしていたのに、そのことすらずっと忘れていた。人に与えているショックとか、言葉の重みがわかってなかった。馬鹿だ。きびしい…よく生きてこれたなと思う

ものにならない教養より、早く(世のしくみ、ながれに)気づいて消費に折れ曲がれ

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