メモ 7/2

メモのつづき

「書かなくていい状況」と「死」の近さ
若年層の自殺率
若者の死亡原因などの統計データ
趣味、中年、堅牢性
切実、若年、脆弱性

「夜だけの旅」

プラットフォーマー、コンテンツプロバイダー

接続プロバイダー

コンテンツ、情報の内容

情報の内容、わたし

平凡なホームページの構成

すぐに尽きる「わたし」、空っぽと日常

プライベートと「わたし」

思い返してみると、当時(2000年か)、意外とリアルな人間関係をそのままネットに引っ張ってきて、ホームページを見せていた。そこと、詩の投稿や詩のホームページは分けていた。
表向きは「詩ぃて!」と思いながら、こっそりと詩を読んでいた。
時々、ネットの向こう側で人が死んでいることも知った。
ただ、20年前、ネットの向こう側で明確に死んだとわかる人は、ほとんどいなかった。少なくとも私がネットで「知ってる」といえるような人は誰も死ななかった。というか知ってる人がいなかった。
知ってる人とはつまり、「詩ぃて!」な関係だったから、当然といえば当然なのだが、だからといって直ちに死から遠かったのか?といえば、そんなこともなかっただろうけれども、
まあ呑気だった気はする(ネットで書かれてたものごとよりかは)。
結局当時も今も、バックボーンは想像するしかないのだ。
わたしは、自分でも自分が苦しいと気づくのが遅かったから、気づかなかったら案外呑気なままだったかもしれないし、今でもかなり楽天的なほうだとは思う。思慮も浅い。なんていうのかな。

そもそも私は現実でも、人にどう話しかけていいか分からなかったから、ネットでの交流はよけい苦手だった。だから最初にいたのは地縁で繋がった、気づいたらいた人たちだった。その先、親密な関係をもった人はほとんどいない。もうすっぱり「いない」と言い切ってよいほどいない。



(話が飛んでる、重複)私がそっちに引っ張られた場合、たぶん真っ先に死ぬから。そもそもそういう生き方を避けてきたし、選ばなかった。というか、私には交流の最初の言葉が出てこなかった。



それでも20代の頃は「書かなくてもよくなった人」のなかに、死が色濃く感じられた。詩も、そういうのを多く読んだ気がする。生きづらさとか、精神病院の時計の針とか。確かに私も生きづらかったけど、そういう生きづらさとはまた違った。

彼らのその生きづらさは、なんというか、スタイルというか、なんだかんだいって、服とか部屋とかはさまになっていそうな、そういう生きづらさだったように思う。
ずっと服も髪型も部屋も進化しないタイプの生きづらさ(気づかなければそのままずっとだるだるのブリーフのまま行ける…)タイプの生きづらさとは違った気がする。これもまた想像だけど。

つまりわたしの生きづらさはもっさかった(つまり後者だった)。よく言えば堅実だった。今思えば、発想とか行動の突飛さ(短絡的な行動力)が生活や精神の苦しさを生み出していて、それを支え切れる能力のある人間が偶然ここまで生き残って傷だらけのまま表現をしている、といった感じだったのだ。
試行回数が多くて手数が多くて、傷や失敗が多いタイプの生きづらさと、まったく身じろぎひとつしない生きづらさというものがあるのだとしたら、私は確実に後者だった。



あとは、たくさんの言葉に触れてしまい、生きることに価値を見出せなくなったような雰囲気の人、さらに過酷な環境と言葉の多さによって独特の感性をもってしまった人など。これも想像だが。



私の話にもどると、今も部屋には変な空白がたくさんある。時々部屋を見渡すと、自分で自分に鼻白んでしまうことがある。それは本にもペットにもコーヒーにも鼻白んでしまう。自分に白けるというか、自分が好きな物をかき集めたはずなのに、そんなものはいっこもないような気がしてしまう。
(昔、やっと一人暮らしをして、急に呼び出しの電話や脅しのような電話がかかってきた後、呆然と部屋をみわたしたときの感覚とよく似ている)
でも、まだ私はそのほうが合うのだと思う。
合うというか、長生きができる。長生きができてどうなの? で? みたいな問題はあるけど、要はHPが尽きる前に回復して冒険を続けることができる。
私にはしぶとさがないので、こまめに街に戻って回復しないとすぐに死んでしまう。

わたしはおずおずしながら生きていたほうが本来の感じに近い気はする。行動しすぎて、にっちもさっちもいかない(と思い込んでしまう)生き方も怖かったし、といってたくさんの言葉を読んで考えるような生き方もしてこなかった。
そういうところから自分なりにできないことを捨てていったら、今みたいな感じに落ち着いたということ。

だから、未来というか将来というか、「これから」の部分に、ネットで見かける「行動」を当てはめることはできなかったし、かといって、ネットにみるような「才能」をロールモデルとすることもすでにできなかった。
これらはどちらも「生き方」と形容されそうなものだけど、行動は未来で、才能は過去とか環境(資本?)と置き換えてもいいかもしれない。
ネットの、思いもよらないところに人を運んでしまう性質が、変な夢を見させてしまう。
また、ネットの、情報通信にかかっていた物理的制約や経済的制約を圧縮してしまう性質が、夢を見ていた人に思い出させてしまう。
今までは使えなかった隙間時間が、諦めた事柄を、ネット上でなら擬似的に再現できるかもしれない。
そういう色んな夢にどれだけ惑わされないか、あるいはおおいに惑わされるか。
わたしは惑わされながら、それを表に出さない生き方を選んだのだと思う。でもぶちまけることは嫌いではない。

(追記)ロールモデルというか、「こういうふうにしか生きられなかった人」の、本当に一部分である、ネット上のテキストを参照してしまうと、まったく自分の体力とか適性に見合わない生き方に誘い込まれてしまう。それは死を近づける。そういうふうにしか生きられなくなってしまう。
憧れたり、あんなふうに生きてみたいとか思うのは、相当数の堅実な(あなたならじゅうぶんできたかもしれない)選択肢を絶つことなのだと思う。

今はSNSによって、当時よりさらに可視化が進んでいるようにも思えるが、まだ見えない部分はたくさんある。より誘い込まれやすく、より近づきがたくなっている。二極化が進んでいる。ただ二極化とはいっても、わかりやすく生き方を持て余すのか、わかりにくく持て余すのかの違いでしかないように思う(Twitterで私人逮捕とかみててなんか思った 9/23)。



(文脈とび)そうなるかなんてわかるわけがなかったし、わかってしまえば動けなくなってしまうのかもしれなかった。



***



当時の若年層の自殺率のデータやインターネットの普及率を参照したいと思っていたのだが、その気持ちも潰えた(9/18現在)。

なんかChatGPTとかでうまくやればいいのかもしれないが、よくわからない。
単純に、日本ではずっと若者の死因で最も多いのは自殺で、当時(2000年代前半?)のインターネット接続者数は少なかった、と言いたい。
そしてさらに欲を言えば、当時の精神医療、精神分析的治療の環境についても考えてみたい。当時はもっとトラウマとかフロイトとか、結構カチッと物事が(本当にあるもののように)信じられていた気がしている。

オープンダイアローグ的な対話で直すとか、結局薬で直すんじゃなくて、薬を足がかりに、自分が他者との関係の中での実践によってものごとを少しでも自分の生きやすい方向にもっていく、みたいな感じ…

ではなくー

薬が効くか効かないかとか(音がシャリシャリ聞こえるかとか)、ボーダーとか人格障害とか、なんか名詞にすごくバチっとしたスティグマと脱出不可能なニュアンスがあり、世間もまだ普通に暴力がバリバリな感じで雑かったし、自分の教え方が悪いのではなくこいつの物覚えが悪いみたいな労働環境だったし、人と人はとにかく潰し合っていたっていうのが個人的な20年前の肌感だった。だから怖かった。



こういうのは「笑い神」(中村計という人が書いた笑い飯の本)などを読んでいても感じられるもので、なんかとにかく潰し合うというのか、古い暴力的なエスカレーションのなかでついていけない人間が次々脱落していくという、なんら生産性のない構図みたいなものが2000年代の日本にはあほほどあったのだ。
さらにいえば地域差もあって、2023年の今では完全に駆逐されてるところもあれば、未だにそういうところもあるってだけで、2000年代はまだそういう空気が日本全土を覆ってた気がする(すでにそういう空気から足抜けしてた地域もあったのかもしれないが、わたしはそこにいなかった)。
これ(ゴリゴリのエスカレーション)は笑いでも暴力でも精神科の薬でも同じ構図だったように思う。要は、なんか日本はバブルが弾けて不況になった一面もありつつ、若い本人たちも大概日本兵みたいな生き方してて、なんかどっかで読んだ言葉で言えば「抑圧の移譲?」だったか、なんかそういう軍隊的なものの真似事で生きてたから30年間生産性が全然上向かなかったんじゃないか?とも最近は思うようになった。

そりゃ若者同士がわけのわからないことで競って潰れ合ってたら良くなるわけがない。なんか明らかによくなってきたのもここ数年で、それは若い人から軍隊っ気が抜けてきて、さらに賢くなったからで、みんなリスペクトするみたいな雰囲気になったり、別にSSRIが人間関係を直してくれるわけでもないことに気づいたり、時代が変わったっていうより自分たちが30〜40代になったのでさすがにわかるようになった みたいな、そういう話でしかないような気がする。
若い頃は薬が人間関係を直すもので、クリニックの先生が背後霊みたいになって人間関係を修復してくれたり生きづらさを解消してくれると思ってるのに解消してくれなかったし(だから絶望してた)、なんかよくわかんないけどつらい感じだったので薬をいっぱい飲む感じ

今は今で市販薬でODしてる子もいて、そういう人は昔の20代のころのネットで見た若い人の感じを感じる。

今も昔も一定数いて、ああいう感じを、色濃い死の気配を、環境(係数?)から引き継いでるのだと思う。その数は減っただろうが、減ったからといってその人の苦しみがないわけじゃない。

性の神秘主義?というのか、宮台真司みたいな感じも2000年代特有だった気もする。もうあれもいい加減終わっているだろうとは思う。女の子はイキすぎて気を失ってガクガクしたいとかいうやつである。これも詩の中で一時期趨勢を誇った?考え方?だったけど、結局こういう"観"
つまり家族観とか、性愛に対する観念みたいなものは、詩の中で常にほとんど失効するというか、同年輩かちょっと上の先輩にチーッスっていうぐらいの符号とか表現になってしまう。陳腐化するということである。
過激さが板についてくるとでもいうか。もういいよそれっていうか。
(でも人間はそういうのの繰り返しでできている)
家族の形態とか性愛の普遍性みたいなものを捉えているかのような詩は結局あんがいその当時の社会学をなぞってるだけで、そのあともえんえんと同じようなことを書くようであれば、それはさっき言った暴力のエスカレーションのような世代性を象徴するだけの無効化した表現であって、もう世の中も自分の生もあんま見えていないという表現になる。それはそれでいいのかもしれない。



***


私が最初に作ったホームページは、「私が作った」と現実の人に宣言して、見に来させていた。ハンドルネームはあだ名で、当たり障りのないことをBBSで書き合う。というか、書いてあっても誰にもわからないようなことを書いていた。
コンテンツはほぼない。日記すらなかった。
自分が、index.htm、もしくはindex.htmlに何を書いていたのか
工事中だらけだったのか
それすらも覚えていない。
ただ、そのサイトには「詩」はなかった
携帯電話の着信音を作って、データを置いていた
のち、小さい短い動画なども作って、データを置いていた
最近teacupだったか、そこのBBSもサ終し、わたしの長いホームページ人生は終わった。
今は、現実の人が誰も知らない、私のアカウントで書かれている文字が点々としているだけだ。

そのあと、詩の投稿サイトを見るようになって、さらに自分の詩のホームページを作るようになった。でもこれはすぐに消えた。

作ることに満足して、ローカル(手元)でそのように動作するか、どのブラウザでも同じ表示になるか、を延々テストして、アップロードした時点で、満足してしまった。更新していくモチベーションはあまり(ほとんど)なかった。
また、更新したとしても、少しずつ「ずれ」を感じるようになり、それが世界に公開されていることに倦んでもきてしまった。

当時、詩を書くときも同じあだ名を使ったハンドルネームだった。
今思えば怖い。

知り合いだけのBBSも基本過疎っていた。半年〜一年〜数年スパンで書き込みがあり、「ここ、まだあるのか」的な内容が大半であった気がする

今で言えばTwitterで書くような事を書いていたような気もする

そこまで瞬時に世界と繋がる感覚はなかった。今の人がインスタのストーリーとか、一定時間で消える場所に自分の悪行を公開して、知人だけに見てもらうつもりが拡散されて…みたいな事は起こらなかった。

悪い事を書いたりしたおぼえもないが、世界なんかまったく意識せず、半公開のようなスタンスで書いていたから、意識は今炎上してる人たちと大差なかった気がする。
今は大きなプラットフォームがあって、そこにみんながコンテンツを投げ込むスタイルだから、誰がどういうタイミングで見てるかわからない。
あの頃は、確率的にも、世の中的にも、まあ見られないだろう、見られても、というところがあった。
今もうパッと出てくるのといえば、
東芝のクレーマー問題とかしか覚えていない。
(↑でもこれは今の炎上とは少し違うように感じる。「ネットにあげてネットで騒ぎになる」ではなく、当時そんなに影響力がないと思われていたネットに録音音声がアップロードされたことで大問題になった。つまり、「ネットのコンテンツが、現実に十分な影響を与えるほどフィードバックしたことに驚いた」としたほうが、私個人のニュアンスとしては近い。そして、これ以降、ネットと現実という区分けは意味をなさなくなり、今ではむしろそのフィードバックをあてにした動きのほうが盛んになっているようにも思う。ただ、その「盛ん」にする動きのために生きている人も、やはり生き方を持て余しているように感じる。そういう「夢中」とか「何かをしている」と思えている「それ」自体に対する、自分自身の人生と照らし合わせての吟味とか精査が、明らかに不足しているのではないかと思われる事例、ほとんど関係がないことに、ネットの制約のなさのせいで、(見過ごせない・世の中を変えるなどといって)参加してしまっている。)



本が閉じていれば内容は見えないし、本を開けたところで読まなければ何が書いてあるかまではわからないのだから、なんかそんなニュアンスに近かった。えぐい内容があっても、本より絵のほうが早く、書物よりSNSのほうが早い。早いというより、絡み合っているか、切り離されてるかの差のようにも思う。できれば遠いところに置きたい。20年前のネットは遠いところだった。よくフロンティアとかいう人もいた気がするし今もいる気もするが、今はなんか手作りのZINEであったり、本の体裁になったものを作りたいと思い続けている。ただこうやって取り留めもなく何度も似たようなことを書きつける習慣がついてしまって、どれを底本にしていいのかすらよくわからなくなってきている。書くたびに自分では螺旋をゆっくり上がってる気持ち、いや、そんなこともない。こわれたラジオ(この比喩はなんかいつもおかしい気がする)みたいに同じことばかり言い続けて、人間案外こういう感じしか無理なのかもとも思う。でも何か小さな、切り離されて、この世にまだあるのか、もうすべて捨てられたのかもわからないところにものを置きたいという気持ちはずっとある。検索して、HMV BOOKS?とかBook Offオンラインとか出てきて「在庫なし」ってかかれてるけど世の中にはまだあるかもしれないっぽいあの感じになりたい。あれじゃなくてもいい(ISBNなくてもいい)から、刊行物?を出したい。そのためには話をまとめたり、切ったり、収録しなければならない。終わらせないと、一旦の区切りをつけないといけない。



(また話が戻ってる気がする)
あと、昔は接続に1分かかるインターネットで、画像を一枚表示するのに数秒〜数十秒かかる事はザラだったので、そこまで証拠になるような愚行を瞬時に公開することは不可能だったし、インターネットを見ている人口もそんなに多くはなかった。今ではスマホでボタンひとつで高画質の動画を投稿できて、みんなもすぐに見ることができる。
まだ辺境、といったところで、その辺境で、なぜかリアルな知人とBBSでやりとりをしてみたりしていたが、まあそういうのはすぐに飽きるものだ。
辺境で、知られずに動けるのだから、
もう少し好きに自分の感覚に従うことができたのかもしれない。


(7/2)
(9/20 読み直し)


しばきあげる
書き上げる
つくりあげる

あげるは完了を表しているように思う
しばきあげるはしばくの完了形なのだ

アップするは完了形だろうか
アップしても更新に手が届く
元ファイルはここにあり、それをサーバーのファイルと置換すればいいだけだからだ。
だから本のように、本当に自分の手から離れてしまうものは「しあげる」ことができるが、自らが所有する元ファイルを起点として全世界(公称)が参照できるようにアップする行為には、あげるということができない気がする。
もう少し細かくみれば、おそらく、物理的に手を離れるか、制作者の心理、内面の「手」から離れるか、といったグラデーションがさまざまな媒体の特性によって発生するのだろう。
編み上げたマフラーとかであれば、あげた人と付き合ってれば離れないだろうし、別れたら離れるだろうし、みたいな。なんか、今思いつきで書いたから歯切れがわるい。
エヴァとかも公開してからもなんか各自がまだ直してるとかなんかで読んだか見たかした記憶があるから、そういう場合もある。劇場公開版も差し替えられることがあるし、そのあとの円盤(DVD/ブルーレイディスク)にパッケージングする段階での手離れもある。
そうやってさまざまな段階の手離れを考えていくと、こういうネット上の、てもと(公称)にある、私のアカウントが管轄するデータ群が仕上がるには、私自身がもうこれ以上剪定しない、することがないぐらいやり切った! もうウンザリだ! なんて日だ! とか思わん限り、終わりがないことなのだ。ずっとなんかチョキチョキやってて、日が経ってまた思い出したように編集したり読み直したり追記したりして、、、、


でもなんか、もうそういうのも、いつでもどこでもどこかの誰かがやってて、でもやるっていう感じの時代である。今という時代はそういう時代な気がする。

(9/20 おもいつき)

(9/21朝 読み直し)

(9/22朝 読み返して投稿)

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