わいの平成詩史12

(10/20ぐらいから10/31にかけて書いた気がする)

なんか一時期GIFが権利関係で使えないみたいな話になって、代わりにPNGやPNGのアニメーション形式であるMNG? ムング?(ミングらしいけど俺はムングでいく)的なものを使っていきましょう」という時代、時期があった。
最近は、画像が4文字の変な拡張子になってることが多い。
写真アプリの画像も、Googleの画像検索結果も、なんか4文字になってるけど、それを記憶しようと思わない。
毎回ときどき検索して、なんか「へぇ〜Googleが作った画像形式なんだ〜」とは思うけれど、すぐに忘れてしまう。
今検索したら、GoogleのほうはWEBP(うぇぶ、ぷ…)であり、写真アプリのほうはHEIC(へいく)であった。どのみちすぐ忘れるであろう。

GIFのとき、権利関係で使えないので軒並みソフトのほうもフリーのやつは「GIF出力機能を無くします」という対応だった。
そのときわたしもなんかキレてたということは、なんか作ってGIF形式で上げてたのだろう。けど何も思い出せない。

ここまでの話をまとめると、わたしには詩のクラスタとそれ以外のクラスタがあった。

ネットというのは所属クラスタをすごく増やせるけど、
ネットに入る前からやってることのクラスタがある人と、ネットに入ってからどこかのクラスタに(こっそりと)所属し、さらにそれを表立った人生に組み込んだり、ネット発の人やイベントに参加したりするか、夜に自室だけでウインドウからコミュニケーションをとるか、というような差があった。

そしてそれ(ネットはネットと自己完結すること)を自明とするか、悶々とするかのスタンスの濃淡もあった。
そうせざるを得ない人もいたし、単に態度として懊悩する人もいたであろうし、現在後悔している人もいるであろう。



わたしは ぽえ会を爆撃され、偵察のために、ぽえ会以外のサイトものぞきにいくようになった。

その中にpoeniqueというサイトがあった。
そこを読んでると、詩会というのをやっていた。
簡単に言えば、BBS(掲示板)の機能を使った匿名合評会のようなもので、
まずは、投稿期間内に作者を伏せられた書かれた詩が投稿され、それを参加者(投稿者)がお互いに読み合って、ツリー形式で点数をぶらさげていって、最後に名前が明かされて、もっとも点数高かった人が優勝、というのを1ヶ月〜2ヶ月のスパンで繰り返していたように思う。
すべてが明かされてからは、なんだか感想戦っぽい空気になって、投稿者以外の人も感想を書いたりしていた気がする。



そういうのを見る一方、わたしはVectorの5MBか10MBの広告なしの無料スペースを得るためにソフトを作ったり、2chのTClockというソフトのスレッドにいたりした。

TClockというのは、Windowsのタスクバーの時計をカスタマイズするソフトで、当時2chのスレッドでものすごい勢いで改造されていて、アップこそしないものの、わたしもひとりでカスタムして楽しんでいた。タスクバーにたまごっちみたいなやつを表示させて動かしたりしていた。
実用性皆無だが。
あとはCPUやメモリの使用率が随時流れてたりとか、今思えばなんの意味があるのかと思うけれども、当時はCPUとかメモリはとても気になる存在だった。

あとは、HTMLをいじる流れから、デスクトップをいじり始め、タスクバーとかその他諸々いじるという流れもあった。
デスクトップには違うOSじゃないけれども、パネル式のランチャーみたいなアプリを入れたり、あとは全体的に色々なものの立体感や影をなくしてフラットに見せようとしたりタスクバーを上にしたり。これはおそらくMacOSの9までの雰囲気を頑張って模そうとしてたのだと思う。
HTMLの方面でも、MacOSの雰囲気は憧れられていて、(フォントを)Osakaにしてfont-sizeを8ptあたりに固定してめちゃくちゃちっちゃいテーブルとかIFRAMEに押し込んでめちゃくちゃちっちゃい写メと一緒に投稿して日記を書くみたいな感じの世界観もあった記憶がある。
わたしはそういう8ptの世界と徳保さん的な原理主義的HTMLのはざまで揺れ動いていた。文章をマークアップするという原則に立ち戻り、まずは構造をしっかりしたHTMLを記述し、見た目はCSSでガッツリコントロールする、でも文字は読みやすいべきであって、8ptではなく1emとかでするべき、みたいなところでずっと揺れていた記憶がある。

この頃はなんかヤプースだかヤプログだかの写メ日記のサービスもあり、なんかロリポップとかとごっちゃになってるかもしれないが、まあとにかく左上にサンタクロースのピンクのヨーダみたいなやつがいるサービスがあって、それは女の子向けっぽかったからあんまり使おうとは思わなかったけれども、そこのサイトのMacっぽい灰色とか、Macっぽいフォントとか雰囲気みたいなものがすべてそのサイトから派生したのかといえば、そういうのもちょっとあるだろうけど、すべてがすべてそうではなくて、まあ単純にIT系、情報通信やCG系の専門学校などに通ってた人がMacを触ってそのときのいい雰囲気やフィーリングをWEB上でも再現しようとした、というのが実情なのかもしれない。
確かにOsakaの8ptぐらいの感じのよさというのは、読みやすさは度外視して、なんかいい感じであった。MS Pゴシックの8ptとはまた違う風情があり、どうしてもOsakaがいいのであった。HyperCardの線とペイントの線はなんか違う、みたいな気持ち。

でもMacOSがXになると、Windowsの私はDockに憧れた。
そのうち、WindowsでもDockが再現できるソフトができた。しかし、Windows98が入ってる私のSatellite2520には、ドックを模すアプリは対応していなかった。
あとついでに言えば、CDが焼ける時代になって、わたしもアルバイトでお給金をいただくようになってから、CD-Rを買ったけど、USBの電力供給が足りなくてまったく使えなくてすごく悲しい思いをしたこともあった。内部で一本のUSBを2本に分けてて、そのうちの1つのポートが本体側面に出てるみたいなことらしく、バスパワーのCD-Rは私のノートPCでは使えなかった。あれは悲しかった。3万ぐらいした気がする。

なんかそんなこんなで、カスタマイズばかりしていた記憶がある。

ただ、2002年とか2003年になってきて、2004とか2005年とかになってくると、だんだん「散らかってくる」。

なんの話かというと、Webサイトの更新にみんな疲れてきたというか、だれてきたり、また、日記的な書き物に対し、動的なHTMLが吐けるサービスが興ってきたこともあって、みんながそれに乗り移ったりして、なんか、感覚的には「誰がどこにいるのか」が、わかりづらくなっていった。

わたしたちは、以前HTMLごと中身のテキストも書いてアップロードして、目次も自分で作ってリンクをこさえてせっせと繋げていたわけだが、その手続きをMovable Type等のWeblogのパッケージとかに任せたり、はてなダイアリーといったサービスに任せるようになった。

この段階で、今まで読んできたHTMLの日記が途絶して、どこかのサービスで書き継いでいるのだけど、そのサービスでも飽きたか知らないけど途絶していて、次はどこにいるのかわからない…
みたいなひとが結構ふえた記憶がある。
これはわたしが見てた数少ない詩のクラスタ内の話であって、ITとか人文的な社会学的なそっちのほうはむしろ活況を呈していたような気もしなくもない。だからわたしも少しずつ、はてなダイアリーとかの他の記事(日記ではなく、記事のほうが近い)も読むようになったりしていった。



わたし自身の属性でいえば、詩、ひきこもり、ITみたいなところがあった。今はどれも破棄され、どれでもない。
本来であれば親という属性が入る歳ごとなのかもしれないけど、まあ好きに生きようと思ってる。

詩のところ(クラスタのことね)はなんか少しずつだけど、読む意欲がなくなっていった。
いろんなものが更新が滞ったり、なんか散漫になっていったり、盛り上がっていない雰囲気が蔓延していった。
(ただ、これも繰り返しの波というのか、置き手紙の連続で痕跡を辿るようなやりとりを繰り返していたから、どの時点から入るかによって、盛り上がりとかうねりの感じ方は結構違うのだろうとは思う。いろんな人がそれぞれのたどり方でネットの中の痕跡をたどっている。でもざっくりと(WEB上の)現代詩フォーラムの以前以後、また、文学極道の以前以後でわけてみてもいいのかもしれない。はかいしさんが書いてたやつはどちらかというと文学極道にフィーチャーしてた気がするけど、そういやNAVERまとめもサービス終了しましたね)
話がそれた。
時々、誰かからたどっていって「ああ、この人は今はてなダイアリーで書いているのか」と思ったけど、そこももう放棄されている雰囲気が漂っていて、じゃあこの人はどこにいったのか?ということが多かった。

現実問題、すでに社会人として働いていた人はそこまでがっつり日記を書く時間もないし、ある程度の生活習慣ができてるから、変化はなかったのだろう。
静的なWEBで、HTMLを更新して時々、ゆっくりと続けていた。

他方、わたしが見ていた同世代か少し上ぐらいの人たちはまだ「(所謂)何ものでもない人」たちだったから、彼らが就職したり、生活環境や習慣の変化が起こったことで、更新が滞っていったし、わたし自身もアルバイトをするようになって、どっぷりと浸かっていたインターネットやWEBからは離れていく感覚があった。まあ単純に昼夜逆転で一日中ネットを見て朝寝るみたいな生活は無理になった(あと付け加えるとすると、街角に白い紙袋でYahoo!BBのモデムを配る人がいっぱいいて、ADSLの常時接続になってネットを23時から8時まで見なくてはならないという制約も解かれつつあった)。

単純に忙しくなっていった。

「みんなもそうなのだろう」とは当時まったく思ってなかったけど、まあ更新されてないってことはそういうことなんだろうとすら、まったく思ってなかった。
「忙しくてもやる」というのは情熱に値する気もするけど、いやきみには他にやることがあるのでは?というのもつねにある。わたしもいつもそんな気がする。苦手を克服せよみたいな。現実と向き合えみたいな。ざけんなみたいな。

話がそれた。
わたしたちがテキストだけを打ち込み、流し込み、それらを保存し、ある種の期間やタグや検索ワードで抽出してHTMLとして出力するのはCGIが代行してくれる。
そういったサービス(動的なWEBが吐くもの)に対し、当時の感覚では、わたしは「なんとも浮ついたものだ」というか「脇がしまっていない」ような印象をうけていた。
今でいうと、たとえば何か困り事があって(iPhoneがおかしいとか)、検索したとき一番上に出てくるHOW TO的なページみたいなものが量産されていくような雰囲気の最初期。そういう、目的のためだけにシュッと出てきて、シュッとそれだけが出てくるときの、なぁんか詰めの甘いHTMLみたいなものに対する抵抗感があった。
あとは単純にサイドにカレンダーとかがついてると、幅を狭くしたときにぐじゃってなるみたいな、美しくなさみたいなのもあった気がする。

つまり個別のHTMLに対して雰囲気というものがあるのではなく、すべてのHTMLに同じCSSを振りまいていくのとでは、なんかニュアンスが違う。
換骨奪胎というけれども、まさしくそれで、テキストはガワに流し込まれるだけのものになってしまっていた。
そうなると、HTMLのファイルに対し、個別具体的な対応ができず、なんかちょっと隙間ができてゆるいものができて、なんかちょっと信用に欠けるようなものができちゃうようなきらい(偏見ともいう)があった。
でもテキストは一言一句合ってるから、いいっちゃいいのだ。でも、なんかすべてをコントロールできない感覚。
ネカフェの空調みたいな、なんか一気に全員分みたいな、なんかちょっと雑いような感じがしたのを覚えている。



そういう流れのなかで、静的な1.0のWEBで作ったサイトから、「日記」のみをそういったブログ的なサービスにリンクしていくようなサイトが増え(いや、前からそうだったんだけど、その流れが加速したというか…)、さらに、その管理者の生活環境の変化によって更新が滞り、放置された1.0的な静的なサイトと、放置された2.0的な動的なWEBサービスが残骸として残る結果となり、それから彼らがどこへいったのか、とんとわからなくなった。そしてわたしもいつのまにかWEBから遠のいてしまっていた。

(で、今(といっても2せんじゅうなんねんあたりからむこうずっと)、なんか、急に思い出して、Twitterとかで検索すると「いるじゃん」みたいになるターンが発生してきている。そこでフォローするかしないかというまた葛藤のターンが発生する。)

インターネットは今に至るまでふつうにずっと使っているけれども、WEBで何か誰かの動態や報告を興味を持って読み耽るような行動様式はだんだんと失われていった。まあ今はSNSで溶け合っている。
簡単にいえば、
腰を据えたもの。
毎晩書かれるちょっと長いもの。
やや衝動的だけど、遠いから非難されないまま在れるもの。
なんかそういうのが書きづらくなったし、読みづらくもなった。まあわたしも老いたからそういうのを読めるかといったら読めない。そんなんしんどいわ。
話がそれた。

わたしの見方では、だいたいわたしはプラマイ5歳前後の人の動向を日記とかBBSとかで読んでた。
その頃は気づいていなかったけど、みんな素養があったり、素養がなくてもまだ何者でもなかったりしたから、影響を受けてそっちに進むとかできていた。
あと、残る人は素養があり、かつ体が強いというジンクスがある。
なので、自分は早めに、そういう生き方はしないと決めた。
いっぱい薬を飲むと自分はたぶん臓器がもたないだろうし、上京してもみんなに嫌われてバイタリティもないからボコられて居場所もなく死ぬだろうとか、なんか当時は簡単にいえば、そんなことを思ってた。
だからそういうのは見るだけで、実際には行かないように決めていた。
でも、年齢的にはプラマイ5なので、わたしにも転機がきて、わたしも結局就労することになった。

みんながWEBから遠のいている印象と、自分もWEBから遠のく感覚があって、それは同時進行というか、お互いさまで、みんななんか同じようなタイミングで忙しくなったのだろうし、一旦再会とかもないけど、だから一旦じゃなくて今生の別れでもないけど、まあなんかようわからん同期の感覚を持って去った。

そうやって去って、現実のどこかに所属したり、他にやることが増えたりしていった。
まあ所属してなくても、自身の苦しみが最も強かった時期、という人もいたのかもしれない。
いろんな人がいるからおいそれと言えないけど、結局わたしは自分自身のコピーを少しずらしてスタンプして想像の代わりとするしかない。だから、苦しかった自分も少しは想像できる。
ただ、それだけでその時期を過ごした人、壮絶な人というのは申し訳ないけれども想像ができない。

そんなこんなで今まで購読していた人の多忙やサービスへの移行と興味の冷却などによって、いろんなものが散逸していったような気がする。

記憶だと、当時XREAというCGIが使える無料WEBスペース50MBにMovable Typeを入れて俺もWeblogをやるんだ!と意気込んだものの、設定で挫折して放置してしまった記憶がある。あれがいったい何年なのか…
もう覚えてすらいない…なにもわからない…

話は戻るが、詩会で田中智子さんという人の詩を読んだ。彼女の詩は、詩会の点数では非常にバラけていた。何を言っているのかわからない派と、わかる派で点数がまったく違う感じだった。

わたしは「これはどっちを信じるべきか」と思った。
でも読んでも何を言ってるのかさっぱりわからなかったので、何回も読み直して、あとは高い点数つけてる人のコメントも参考にして読んでると、なんとなくわかった気がしてきた。

詩会には過去ログもあったので、それも読んでると、以前田中さんが優勝したときの詩もあった。それが「あけましてお」という詩で、そこにMonkという人が高評価しているのを読んだ。

Monkさんは、かつてWEB1.0の時代に燦然と輝いていたテキストサイトというジャンルのサイトを運営していた。
でも侍魂系の、テキストいじり系ではなく、ふつうに改行せずにテキストを書く感じのテキストサイトで、どっちかというと大喜利的な傾向が強かったようにも思う。SEっぽい感じっぽかった。

Poeniqueには、フォーマルハウツというコーナーもあって、これは濃紺の背景をした詩の投稿掲示板なのだが、書ける人が決められていた。
Poenique管理人がスカウトしてきたなうての詩人が会員として名を連ねていた。
というか、わたしは当時誰か全然知らなかった(今も全然知らないままである)が、まあなんかすごい人なのだろうということで読んでいた。

Monkさんもその会員のひとりで、時々書いたりしてたから、まあすごい人なのだろうというのもあったし、なんか肌に合うようなところもあって、この人の書くことならなんとなく信用できるみたいなところがあった。

なので、Monkさんがいいというならいいんだろうという感じで読んでる節があった。
だからわたしは今も自分の読む能力というのは全然なくて、人の評判とかでしかもののよしあしを判断できないが、当時の感覚でパッと見て、なんとなくよさげとかなんかどうしようもなさげとかの印象判断はやってるような気がする。
あと、書き方で、当時の(詩に影響うけた)人だと想像する瞬間もある。
これはなんか文体に当時感があるというか、文頭と文末の印象で、確か以前完備という人の詩で

走馬灯のような生活はマイスリーがさらっていく

完備 footprints

こういう書き方がされていて、これはかなり当時度の高い詩文に感じた。

嗅ぎ分けるという言い方がいいのだと思うけど、わたしはそんなに嗅ぎ分けれない。それに嗅ぎ分けてるつもりが単に電波ゆんゆんになることもあるので、基本的に「あんた誰々でしょ」とか言うのは厳に慎みたいものです。

話がそれた。
田中智子さんの詩はよくわからなかったし、今もよくわからないけど、たぶん自分のリズムを大切にしているのだろうと思うし、ちゃんとした文章も書けてなお、こういう文章なのだろうと思わせるクレバーさがある。
それに引き換えおれは…とも思うけれども、まあそれはしゃあない。
人間素養やバイタリティというものがある。
それぞれの人生。
まあそれはそれとして、Monkさんが会員として書いていたフォーマルハウツというコーナーには12人ぐらい会員がいて、その人たちすべてが管理人のイチオシというか、たぶんいい詩を書く人たちだと信頼をおいて依頼した人物だった。
記憶だと

たみさん、大下さなえさん、アンテさん、Monkさん、蟹江奈穂さん、徳弘康代さん、先田督裕さん、T.Tさん、広瀬犬山猫さん、桐羽苑実さん、松岡宮さん、、、わすれた 12人ぐらいいた気がするけど

あとは、途中から、もろさんと原口さんが追加合格(フォーマルハウツはなんかハンターハンターの旅団みたいなシステムみたいになっていて、団員を倒す必要は別にないが、詩を投稿して、団員の過半数から二回○をもらわなければ会員になれないという規定があった。チャレンジャーは何人かいたけど、なれた人はほとんどいなかった記憶。というか、さっき書いたように、途中から全体的にいろんなものが散漫になっていった。これは主観かもしれないし、客観的にもそうだったかもしれない。)

で、フォーマルハウツで読んでると、みんな面白かった。
たみさんの「本なんて読まない」「ぴたり・怖い話」とか松岡宮さんの「上原君的昆虫」、先田督裕さんの「反復」、T.Tさんの煙突の詩(タイトル忘れた「るるるっていうな我が子よ…みたいなやつ」)、徳弘康代さんの「ライブレッドの重さについて」いろいろあって読んでて楽しかった。

それでわたしはこのへんを足がかりにこの作者のサイトとか、検索して出てくるサイトとかを見ていくようになった。

ただし、まだこの頃は「偵察」だった。
文章がとりとめなさすぎて自分でもよくわからない。
何回もリライト(これを修正するのではなく、なんかの契機で何度も最初から書き直す)していくのだと思う。壊れたラジオみたいにずっと書く。

(つづく)




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