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めも(食卓塩変遷)

今回は鈴木志郎康の詩作品「激しい恋愛」における食卓塩の変遷をみていきたい。

「激しい恋愛」の初出はバッテン10(発行日1963年12月15日)で、ここで鈴木は1ページで収まる詩を3作品書いている。
p6 深い感情
p7 ゆきずりの恋
p8 激しい恋愛

「激しい恋愛」は、その後、第二詩集である『罐製同棲又は陥穽への逃走』、現代詩文庫22『鈴木志郎康詩集』、『攻勢の姿勢1958-1971』に掲載されている。

この時期の前後、鈴木の詩は言葉を超えて記号であったり、文字を罫線で囲んだり造語が増えており、「激しい恋愛」においては食卓塩の瓶のイラストが詩行の中に挿入されている。
このような表現になった経緯については、第二詩集の「覚え書」に書かれているが、とにかく社食で食卓塩を見たら、なんかものすごく嫉妬を覚えてしまったみたいなことが書かれていた気がする。

とかなんとか書いているうちに見つかった。この箇所(第二詩集のp116〜p117)ですね。

物との異和感は勿論、そう容易に消え去るものではない。それはむしろ激しくなるばかりなのだ。生命の充足が物によって妨げられるのは商品経済社会にあっては一般であり、私とて例外ではない。この異和感はそれを解消したいという強い欲求を私に起すが、又他方それは私自身の実在感を弱めて、反対に他人の実在感を強烈に感じさせることにもなるのだった。それも、私自身が何か強い不安に襲われているとき、他人と物とが極めてスムーズに関係しているのに遭遇したりすると、特に激しく他人の実在感が私自身を圧倒するのであった。このような体験が「激しい恋愛」と題された詩を生んだ。

p116

なるほどわからん案件ですね。難しい。昔はよくこんなの読んで「なるほど!」とか思ってたな…。今の脳で考えると、子供が紙を留めたくて「ホッチキスになりたい」とか言うのと似たニュアンスをなんとなく感じる。
というよりは、自分の精神が不安定なときに、世の中に流通する商品と他者がよろしくやってると、そこだけがものすごくクローズアップされて、自分の存在価値が毀損されたように感じる、みたいなことかもしれない。

この詩が生れた具体的な経過を記せば、私は勤め先のビルの五階にある食堂にいて、東西の大きいガラス窓から反映する夕焼に色づいた雰囲気の中で、私から少し離れた別のテーブルの上の食卓塩の小びんが他人の手にとり上げられ、振られるのを見ていた。そのとき私はその男と小びんの関係に対する鋭い嫉妬に似た感情に襲われた。私はその日その異常な感情を詩にした。この詩の中の食卓塩の小びんは正に実体であり、その小びんと私との間に起った感情も現実であった。私は小びんが与えた異様な実在感と私の感情を殆んど直かに記述したかった。

p116

少し飛ばします。

私は言葉を自分の内部に引き込む代りに、その実在感に対しては、もっと主観的に直接的な方法を取った。それはつまり、小びんを線描の図で示したのである。この線描の図を詩の中に入れるという仕方は、「激しい恋愛」の直前に書かれた「闇の中のことだった」(この詩集には収めなかった)などに乱用されている。その頃の私には物が私に感じさせる強い実在感を自分の内部の事件として言葉で表現せずに、もっぱらこの線描の図によって行っていた。それは私にとって言葉が持っている一般化してしまう性質によって、自分の個有な体験を個有なものとして表現するのが困難であるように思えたからなのである。私はあくまでも自分の個有な体験に執着した。

p117

とまあ、こういうことのようです。雁屋哲・花咲アキラの漫画作品『美味しんぼ』ラーメン大戦争において、海原雄山の美食倶楽部には化学調味料なんていう下卑たものはないので、瓶の中に「化学調味料」と書いた紙を封入したのとはまるきり逆の論理である。

というか、そういう話じゃなくて、今回はこの線描の食卓塩をすべての掲載された書籍から並べてみよう!という企画なのだ。

じゃあまず初出、バッテン10号から。まずはこのページのレイアウト自体からみてほしい。

バッテン10号 8ページ

元々はこういうレイアウトだったのか、と感動する。綺麗ですね。じゃあ食卓塩をズームしよう。

バッテン10号の食卓塩

なんかガチャガチャしてますね。いまだによくわかってないんですけど、こういうのって、活字を組むときどうやってるんですかね。次に『罐製同棲又は陥穽への逃走』の食卓塩をみてみよう。ちなみにこちらは見開き2ページに詩行があり、1ページ目の最後に食卓塩が置かれている。影が強いのは、この本がペーパーブック装であまり開くと割れそうだから、私には怖くてガッといけないため。

『罐製同棲又は陥穽への逃走』の食卓塩

なんかちょっとシャキッとした気がしますね。というか食卓塩ちょっとデカない?次は現代詩文庫版と攻勢の姿勢版の食卓塩を続けて。

現代詩文庫版の食卓塩
攻勢の姿勢版の食卓塩

なんか、見る限りでは文庫版に印刷の粗さはあれど、第二詩集の食卓塩が踏襲されてるっぽいですね。

あとは、気になる点として、100g入りの食卓塩って、あるのか?という点である。当時の社食にはあったのかもしれないが、ちょっと量が多すぎないかと思わなくもない。

と思ったら、普通に100gだった。
食卓塩の歴史のPDFを読むと、1963年当時(バッテン10号の頃)の食卓塩はこのようなデザインだったらしい。

食卓塩(1952年〜1969年までのデザイン)https://www.shiojigyo.com/product/upload/brandhistory_tablesalt.pdfより

おお。こうしてみると、確かに似ている。ただ、私たちのイメージだと↓こっちのシュッとしたほうがお馴染みである。

1969年のデザインリニューアル後。現在の基本形ができた(画像は先出URLのPDFより)

とりあえず以上です。詩の内容についてはまた後日(たぶん)。




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