わいの令和詩史1

令和になった。
わたしは1999年ごろにネットに繋いでから2001年ごろに詩のクラスタがあることを知り2004年ごろからぼやっとしてきて(にわかに忙しくなり)2013あたりからぽっかりしてきたのでなんか書いてたら(吠えてたら)2015年あたりにいろいろなタイミングが合って誘われてネットで見てたやつを物理で見に行けることに気づいて新幹線に乗ったりして1〜2年、2〜3年はそれでよかった。でも意外とはやく、2019年ぐらいで個人的に行くべきところには全部行った気がした。ここで令和。
じゃあ令和はどうかというとこうやってnoteにうだうだ書いたりenpituにアカウントを持ってみたりしながら生きてる。
たぶん昭和的には働きながら教養を求めてた人みたいなやつのもっと工員が無理して背伸びして身につけようとしていらん本ばっか買って積読になってるバージョンみたいな。。でもそれがむだともわるいともおもわんのよね。人それぞれだし。子供そだてるひとはそだてりゃいいしひとりみのひとはひとりでもいいし、仲間をわいのわいのするひとはそうすればいいし。
でも、ああ、こういうことかって思うことは増えてきた気もするし、許せるというかまあそうなるわなと思うことも増えてきた気がする。
くだっていくから、補助がいるのだと思うし、その補助がナチュラルであってほしい気持ちと、自分が求める気持ちが人工的じゃないかを訝る気持ちがせめぎあってる。
つまりいきなり自分から発露するというのか、内発的に何かを求めることをしてもいいのかしら、というのが孤独なおっさんの桎梏なのだとおもう。
援助、支援を求めたり、何かをアサーティブにやりとりしたり、規範から解き放たれた地平で話し合ってみたり、こんなところにいる自分…みたいにかんがえるのやめたりとかさ。
ぜんぶできる!っておもいながらやらずに過ごすと守れるけど、誰とも会わず、使えるパワーはネットのコメ欄とかになってくのだと思う。
そのまえにもうちょっと使い道を増やしたい。
この増やしたいという気持ちは助けを求めたいという気持ちとよく似ている。

ペットを飼ってて、撫でてやると甘噛みがしたくて指の噛めそうなところを探してくるけど、わたしは痛がりだし皮膚もうすいので結構避けてしまう。
返礼みたいなものを怖がってしまうのは申し訳ない。
なんか、人生ずっとこうだなーって思う。
そのままもう少し泰然としてればよかったのに、なにか余計な反応をして、返礼を待たずにいなくなってしまうし、助けてと言わずにこっちから離れていってしまう。そして相手には離れていったわたしの真意は当然のことながらわかるわけもなく。。。

車でも、なんか車の運転にも、自分の人生だなーって感じの所作が出る。こんな車に轢かれたくないだろうなーと思う。
ソニー損保の「相手とどう話せばいいのやら…」とコールセンターに電話してる人みたいな感じより、もっと人間の本能として「こんなやつと事故ったのかおれは!!!!!!」みたいな憤怒を引き起こしそうな気がする。
そういうおどおどさというか、脆弱性をもってる気がする。

令和において詩と関わった記憶はほとんどない。なんかコロナの時にネット上の合評みたいなのに1回か2回出てそのあとは出てない。あとは同人誌に時々原稿を送ってる。それぐらい。だからその界隈はみてる。あと現フォも景色としてみてる。
Twitterもぼんやりみてる。一応詩の関連の人が多めだから、ぼんやりとなんかみえるけど、ぼんやりとしかわからない。なんか気づいたら文フリがどうの、とかで、ああもうシフト決まってるや…みたいな。まあええかー、みたいな。

なんかあとは最近若年性認知症とかを結構気にしてる。
結構はやめになるんじゃないかとおもう。
今でも大概で、読み放題の東洋経済の自己チェックリストで結構、中程度やばいみたいな結果だった。

詩集なぁ。。。出したいけどなんかこう固まる要素というか、固まる気配がない。なんか時々慌ててバーっと出すことしかしないし、出してもこれは詩じゃないと思ってる。
これもさっきの事故の話と同じで、自分が詩ぃて! わしが詩ぃて、なあ!
詩ぃて! っていう自己意識によるものだろう
(断筆、しごと)


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