Feb.23 幸せに生きよう


気がつけば3ヶ月以上日記を書いていなかった。

しかし今日は私がだいすきなアイドルグループのデビュー日という特別な日だ。そんな特別な日に何を思っていたか、何を考えていたか。きっと来年もうきうきとこの日を迎える自分に向けて残しておきたい。


我が偉大なる推しはよく

「いつまでも僕たち一緒にいて、一緒に幸せになろうね」

という言葉をくれる。恐れ多い。感涙。ありがとうございます。


アイドルを推すということに関しては、これは学問にもなりうる領域であると思っている。そこには多種多様な解釈が存在し、人間としての人生観すら表しうる哲学だ。これについてもまたじっくりと考えを煮詰めたいところではあるが、今日この頃考えるのは「幸せに生きる」ということだ。

2022年2月23日を生きる私は「幸せに生きる」ということについて存分に迷っている。5年間も大学生を過ごしたというのに、社会人まであと1ヶ月というような時期になっても「幸せ」や「どのように生きるか」の答えはでていない。

きっと答えはでない、死ぬまで考え続けるものなのだろうけども、とりあえずの方針、道しるべすら見えない。ずっとぐるぐるしている。


今の私が考える私の幸せな生き方は「美しいものを感じて生きる」ことだ。

自分が綺麗、楽しい、素敵、美しいと思ったものに触れて生きていたい。


また世界は見方で変わるとも思っているから、どんなにつらく寂しく冷酷なものでも美しく温かい角度を見つけたいし、またはその冷たさもそれはそれで美しいと思える柔軟さが欲しいと思う。

これは比較的前から、具体的ではなかったけれども高校生のときもおんなじようなことを思っていた。

しかし大学生になり、真面目とはいえないけれどものんびりと自分のペースで世界を広げてきた。世界は広がれば広がるほど終わりのない、果てしないものだと知り、己の小ささを知った。物の見方は幾千もあり、絶対的な正しさや善が存在しないことを知った。誰かにとっての白は誰かにとっての黒である。そんな場面を多くみるうちに白と言うことも、黒と言うことも怖くなった。

最近はニュースを見ることが難しい。ニュース自体がありのままではなく、メディアによって加工された、視点が誘導されたものであるから、それに対する感情について延々と悩むのもお角違いではあるのだが、

それでもひとつのニュースに対して意見を持つことが怖い。

怖いのに感情を無にできないから、ひとつひとつにかき乱されぐちゃぐちゃになり、疲れ果てすべてを遮断したくなる。

美しいものだけを感じていたい。



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