「アダルトチルドレン」➁ 私たちを馬鹿にするなかれ
私たち機能不全家庭に育った人は、小さい頃から親から束縛され、否定され、抑圧され、または無視され続けるような子供時代を過ごしている。
そこに温もりや安心、癒し、安らぎ、なんてものは、ない。
そこにあるのは「正しいこと」「間違っていること」、「良い子」「悪い子」、「好き」「嫌い」そういうジャッジメント。
私たちは、目つき、顔つき、髪型、服装、性格、声、趣味、好きなこと、嫌いなこと、、、、上から下まで全てを常に親からジャッジされ、親に気に入られなければ罰せられる。
私たちは、常に親に嫌われないための努力と緊張を強いられる。
私たちは、友達が親に応援されながら自分が好きなことに打ち込んでいる時、打ち込んでいるものを嘲笑され取り上げられ禁止される。
私たちは、友達が可愛いがられ成長を見守られている時、「お前のためを思って躾けてやっているんだ」と罵られたり馬鹿にされたり殴られたりする。
そんな私たちが、長い長い子供時代を耐えて大人になった時、家を出て親から離れる。
そして「やっと自立した!」「これからは自分の自由を謳歌してやる!」と声高らかに宣言する。
でもすぐに猛烈な焦燥感や罪悪感、自己嫌悪に襲われる。
まるで親と入れ替わるように親の亡霊が現れる、まるで壊れたテープレコーダーが頭の中でとめどなく回り続けるように自分を否定し嘲笑する声が、私たちを繰り返し襲う。
そんな状態で生きているから、私たちは自分に自信がなかったり、相手の言うことを気にしすぎたり、嫌なことをされたり言われたりしても我慢しすぎてしまったり、逆に全然我慢できなくて激昂してしまったり・・・生きづらさを体感する。
そんな私たちを、周りの人は「変わり者」「気難しい」「ナイーヴ」「子供っぽい」「考えすぎだ」「メンタルが弱い」などと言う。
実際その通りだから、唇噛み締めて下を向くしかなくて。
私たちは、なんとか変わろうと思って頑張っても努力する。
もっと明るくなる努力、もっと上手に仕事をする努力、もっと上手に話す努力、たくさんの生きていくスキルを必死で身につけようとする。
そして頑張れば、生きるための能力はいろいろついてくる。
でも苦しみだけは、全然とれない。
どんなに賢くなろうが、経験豊富になろうが、色んなことができるようになろうが、胸の奥の恐怖が消えない、人から文句を言われることがとても怖いし、自分の本当にしたいことがわからない、生きづらくて、でも人恋しくて、寂しくて、寂しくて。
「あんたなんか何の価値もない迷惑な存在」「あんたのせいでみんな不幸になる」・・・黙っているとそんな声が繰り返し聞こえてすごく苦しくて寂しい。
だから、倒れるまで仕事したり、たくさんお酒を飲んだり、恋人や友達に依存してすがるように一緒にいたり。
でも、誰にもわかってもらえなくて。
自分はやっぱりおかしいのかもしれないと心の底で怯える。
これってなんなの?ってずっと思ってたけど、心療内科に置いてあった雑誌を読んで、私みたいな人を「アダルトチルドレン」っていうんだって知った。
私が育った実家みたいな家族を機能不全家庭っていうんだって知った。
私は自分を癒して前進するために、自分が「アダルトチルドレン」なんだって受け入れた。
アダルトチルドレンのための自助グループにも行き始めた。
「アダルトチルドレン」で検索して自分の治療の参考になりそうな記事を探して読んだりもする。
「アダルトチルドレン」のための自助グループも書籍もすごくよく考えられていて、私は自分で自分を理解し、癒すためのたくさんのヒントをもらい、とても救われた。
助けられた。
でも・・・正直言うけど、未だにあんまり好きじゃない、この言葉。
運良く機能している家に生まれた健常者から小馬鹿にされてる気がするんだよね。
「あの人たちは、アダルトチルドレンだから」・・・って。
お前も一歩間違って機能不全の家に生まれてたら、こうなるんだぞ、長い長い間、めちゃくちゃ苦しむんだぞ・・・今世は良かっただろうけど来世もしお前が機能不全の家に生まれたら本当に辛いんだぞ 一生苦しむんだぞ・・・って思っちゃう自分がいる。
それくらいいいよね、別に。
だって、わかんないよこの辛さは、機能不全家庭に生まれた人だけしか。
私たちのことをわかった顔でこの言葉を使う健常者に言いたい。
「あなたは決してわからない それをわかることが唯一のあなたにできることです」