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Hug

私はいつも大好きな人にはハグをしたいって思う。
ハグをして、大好きだって伝えたくなってしまう。
ハグが挨拶の文化に育った訳でもないのに、私はいつも言葉とハグを一緒に添えている。

こう書くと、私はどこかの外国人のように思うだろうけど、どちらかといえば、私の中では、そんな行動を起こす自分がお母さんの様に思う。
子供が親に抱っこ、というのを抱き締め返すお母さんのようだ。

特に母性が活性化した訳でもないのに、何故ハグをしたくなるのか、考えてみて、1つ思い出したことがあった。
私のハグは、子供の立場、更にいえば孫の立場から学んだものだったかもしれない。


数年前、大好きな祖母が余命1ヶ月の宣告をされて、その通りに亡くなった。
余命宣告された時、私は就活真っ只中で、先に病気を知った母親は、私の就活に支障をきたさぬ様に別の病気で入院している、という事にして、ずっと付きっきりだった。
不思議には思っていたけど、歳が歳だったので、何も不思議に思わず、慣れない家事と就活をしながら過ごしていた。

結局、私が知ったのは就活が落ち着いた頃。
亡くなる2週間前で、会いに行こうとしたその日の朝、祖母は亡くなった。
結局最期も看取れず、棺に入って目を開けない冷たくなった祖母と再開する事となってしまった。

葬儀の日も告別式の日も、ただただひたすらに泣いて、その2ヶ月後のお盆の送り火の時すらまだ涙は出て、ずっと悲しかった。

就活だって、自分自身の大事なことだからしょうがない。
それでも、病気の間、1度も祖母に何も出来なかった。会いにもこれなかった。
そばに居ることは出来なくても、電話で声を聞かせることぐらい出来たはずだった。
でもそれが怖かったし、ショックすぎて泣いて言葉が出なかった。
元気な声を聞かせたかったけど、どうにも出来なさそうだった。


そんな後悔が続いたお盆も終わった、8月の下旬。
ようやく色々と片付いた母親が家に帰ってきた。

母は沢山傍に居させてくれてありがとうと任せっぱなしにしてごめんね、と言い、その後、亡くなる日まで毎日撮ってたおばあちゃんの動画を見せてくれたり、色々な話をしてくれた。
亡くなるまでの周りの散々な話や聞いてて辛い話もあったけれど、その中でひとつだけ、忘れられない話があった。

病気と分かる前、つまり、私が生前最後に会った日の事だった。
私は家に帰りたくなくて、幼い子供のようにずっと椅子に座るおばあちゃんの膝に頭を乗せていた。
帰りたくない〜嫌だ〜と、グチグチ言いながらおばあちゃんに甘えていたのだ。
時には腰に手を回したり、おばあちゃんの手を握ったりして、ずっとベッタリ引っ付いていた。
祖母は、その時、私の温もりが心地が良くて、こんなに人って温かいのかと思ったらしい。
それが忘れられなかったらしいよ、と母は、話をしてくれた。

私は、その話を聞いて、祖母と私の最後がそれで良かったのかもしれないと、何となく思った。
それで良かったと言うより、私の悲しい姿や元気の無い言葉を聞かせるよりも、きっと祖母にとっての私の記憶が温かく残ったと、勝手に私は思っている。
それに、最期のお別れの言葉よりも、元気な姿や声よりも、私が甘えていたその時が一番、自分自身を祖母に贈れた気がした。
皮肉なことに、最後だと分かってなかったから、自分の等身大を祖母に贈れたのだと思う。

この出来事があってから、私はいつも大好きな人にハグをする様になった。と思う。

余命宣告なんてわざわざされなくても、命が無くなる訳じゃなくても、自分の周りの人がずっと傍にいると限らない。
その人の人生があり、私の人生があり、ただその瞬間に会うタイミングが出来ただけに過ぎない。
長くいようと、短くいようと、始まりがあればいつか終わりが来る。

お別れをする時は必ずやってくる。
別れのその時、精一杯を伝えられたらいいけど、きっとそれが分かってても満足出来てる人は少ないんじゃないのかと思う。

世の中には、沢山の素敵な言葉が満ち溢れてる。
その人の最適解を知って、贈る言葉も素敵だけど、大切だと思う気持ちは、言葉ではなく行動や所作でも、伝えていきたい。

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