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無いものが有る女として

私はひとりの女性。
誰かの妻になった経験はない。
誰かの母になった経験もない。

もっと言うと
結婚を望んだことはなく
子供を産みたいと考えたことも
育てたいと考えたこともない。

女として生まれた以上、それらの欲求は持つものだと
思っていたし、多分そう聞かされてきた。
時が来れば自然とそう思うものだと。

自分事でなければ腑に落ちる。
でも自分の中にはどこを探しても
引き出しの中が空っぽだった。
引き出しすらなかったのかもしれない。
引き出しくらいは持っているだろうと
どこかで信じていたのかもしれないのだけれど。

時が過ぎてあらゆる適齢期なるものを横目に追いやった頃
自分は欠陥品なのだと思ったら、妙に気持ちが軽くなった。
そもそも「持ち合わせていない」類の女性なのだ、と。
ないことを不自然に歪めて求め続けることは、自分を否定することになる。
欠陥品て言葉は不良品みたいに聞こえるかもしれないけれど
「無いものが有る」別物の女性なのだ、と気持ちは至って前向きだ。

それからこう考えるようになった。
どこかに私と同じような思いを持つ人がいるのではないかと。
自分を否定も肯定もできずに、今は大丈夫だけど少し不安な
ひとりで生きていくことをぼんやり決めている女性が。

私は母になった友人の話を、同じような気持ちで聞くことはできない。
けれど、何もない夜を過ごしている女性の話を聞く余裕は少しある。
今日はどんな日だった?って、昨日と違う時間を共有することはできる。
私となら話ができる人が、どこかにいるんじゃないかって。
そう、私が求めているように。

だから少し考えて、動いてみようと思ってる。
どこかにいる私のような人に出会えるように。
私たちは自分で自分を世間から疎外しなくていい。
私たちは私たちで、豊かに笑って過ごそうよ。

いつか出会ったら、話をしようよ。

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