いっぱいいっぱい

人生なんだかんだ自分のことでいっぱいいっぱいです。まだ学生だけど。

そんなこんなでいつの間にか(?)周りは女作って相応の経験してる間にぼくは家に引きこもって寝てたので、これを「自由」と取るか「遅れ」と取るかと言われたときぼくは迷わず「遅れ」だと思います。本当になにができるんだわしは。

内容を考えてるとなんだか「年だけは食ってんだな」とか思い始めたのでちょっと悲しくなりました。

というわけで今回は「結婚」です。

まあだいたい20過ぎてできた相手ってのは自分たちがある程度成熟した状態で知り合ってるわけで、問題なければそのままいつしか結婚なんて人も少なくないと思ってます。でもまあ結局元が他人なので、結婚の前に同棲とかしてたらその時点で問題起きたりすると思うんすよ。ない人たちもいるだろうけども。

そんなわけで生活の変化についてです。

結局共同生活じゃないすか。バイト先で流れてたラジオでなんかの話題から「結婚相手の行動がどこまで“許せる”か」みたいなことを言ってて、(女もいないカス隠キャやけど)なんか違う気がするなと。

「許す」ってことは前提として最初に拒絶してると思うんすよ。雑に例を挙げるとすると、「トイレ行った後に手を洗わない人」が相手だとしたとき、これは如何にとなるわけです。なんとも思わないのか、はたまた開戦されるのか。レディートゥーファイッ!

戦いの果てに自分が納得したならそれは「許した」ことにはなると思いますが、自分は洗うのが当たり前だと思っている上でなんとも思わないことを「許している」状態だとは思えないし、こういうのは先例に限ったことではなく誰かと同じ空間で生活していると必ず出てくる問題だと思います。

言葉狩りみたいになってきましたけど何が言いたいかと言うと「許すことにした」人たちは生活できるのかっていうとこです。なんかそのうち仲悪くなりそうだなって。

個人的には1番大事な感覚はまず「認める」ことだと思ってます。「こういうのもいるよな」と。まあトイレ行って手洗わないのは普通にどうかと思いますけども。

人間どうしても実体験である周囲の環境を物差しにしてしまうので(←これは至って普通だしどうしようもないとも思ってる)、「普通」=「自分にとっての当たり前」だと勘違いしてしまいます。まあこれもまたしょうがない。

ただその「普通」に当てはまらないケースも当然あって、それをどう受け取るかが重要なんじゃないかなあと思います。まあ根本的な解決にはなってないんですけどもね()

次に責任についてです。曖昧ですね。

まあ増えます。1人のときは自分のことだけ考えとけばいいので。

父親を見てるとすげえなって思えてきます。うちの両親は共働きなので収入面では父親しか負担がないわけではないのですが、まあ大部分は父親のであって、それが衣食住だけではなく病院だったり学校だったり、はたまた保険や税金とあらゆる方向に飛んでいくわけです。で、子供が未成年のうちにやらかしたらそれも父親の責任。ただでさえ仕事でも責任背負ってるのに、自分以外のも負わされてる重さはすげえなと。ぼくにはできないなあ。

他人を受け入れるからこそ生まれた責任というか、安っぽく言えば「俺がこの家を守っていくんや!」みたいなのってよくよく考えると相当大きいものだなあと思いました。

書いてて薄くなってきたのでこの辺で。まあ何が言いたいかというと女持ちで今幸せなやつはちゃんと大事にしてあげようなということです。ぼくは1人で細々死にます。それでは。

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