「宗教のない社会」ー宗教探訪(4)

19世紀後半、学者たちは宗教の起源に関係する問題に熱中していた。人はどのようにして神を信じるようになったのか、宗教をもたないほど原始的な部族はあるのだろうかといった問題を関心として議論がされていたという。

1866年、著名な探検家であったサミュエル・ベーカー卿は民族学学会において「ナイル川流域の人々はいかなる種類の宗教的信条ももたない」と発表した。

「彼らは至高の存在への信仰をもっておらず、いかなる礼拝や偶像崇拝もしていない。迷信の光によってさえも精神的な闇が照らされることはない」とベーカー卿は記している……

B・モーリスは宗教研究における人類学的な伝統について記した章をこのように始めている(以前、参照した下記の本の第2章)。

(Brian Morris, Anthrological Studies of Religion. An Introductory Text, Cambridge University Press 1987)

ナイル川流域の人々の文化については、その後、1930〜40年代にエヴァンス=プリチャードが民族誌的な研究を発表する。そこには当然、宗教的なことがらも含まれていた。ヌアー族とアザンデ族の研究である。その宗教については「妖術」ないし「呪術」と呼ばれている。

モーリスはこのあと、1頁半にわたって、エヴァンス=プリチャードの研究姿勢について触れていく。

冒頭のベーカー卿の例は、当時の「反宗教的」な雰囲気を端的に表すための引用だ。長く西洋社会を覆ってきた宗教的権威に対する反発あるいはアンビバレンスがいかに宗教研究および人類学研究に影響していたかを示すことがモーリスの入門書の底流にある。

それは随所で、研究史上のさまざまな有名研究者(ヘーゲルやマルクス、ウェーバーを含む)への言及にエッジを加えており、エヴァンス=プリチャードの場合には、彼がカトリックの信徒であったことと、「無神論的」な研究傾向に当然のようにして反発していたと思われる様子に触れていることで示されている。

ナイル川流域の人々には宗教的なことが何もなかったと報告するベーカー卿に対して反論する形になったエヴァンス=プリチャードは、その宗教を「妖術」/「呪術」と呼ぶのである。

アフリカなどの民間信仰に見られる占いなどの行為をmagicと見ることには(それを「妖術」と日本語で訳すことも含め)、時代的な制約があることはもちろんだが、民族誌研究の歴史の中で、よく知られるエヴァンス=プリチャードの宗教的な背景が示されることの意味は小さなものではない。

文化人類学、社会人類学に関する研究者の思考の歴史を記そうとしている竹沢尚一郎『人類学的思考の歴史』(世界思想社 2007年)はモーリスと同様の視点から研究者の姿勢を辿ろうとするもので、人類学の歴史を辿ろうとするのには非常に参考になる。しかし、ここでの宗教に対する関心からすれば、やはり物足りないと言わざるを得ない。

改めて気づかされるのは、宗教研究の歴史への関心においては、宗教の変遷だけでなく、宗教をどのように扱ってきたのかという研究者の意識に注目する必要があるということである。そこにこそ、宗教の変遷が垣間見えるということもできる。

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上記『人類学的思考の歴史』は装丁にタイトルの英訳として、History of Anthropological Thought と大きくデザインされている。著者の責任ではないかもしれないが、「A History of …」であろう。エヴァンス=プリチャードの同名の著書が参考文献に挙げられているので、不定冠詞を除いたことに何か意味があるのかと考えないこともないが、考えすぎだ。このタイトルの付け方は英語の本では定型と言っていい。装丁にも気を抜けない。

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今回は「宗教のない社会」というタイトルであった。

今日の視点からすれば、「宗教のない社会などない」のだが、それを求めようとしていたところに思想史的な意味がある。

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