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演者

今日は朝から、ひよこの数振り分けが仕事だった。

片手持ちの網で四隅にひよこ達を優しく追い詰め、十数羽ほどまとめて掬い上げると空いたケージに二羽、四羽と手際良く放り入れていく。

この業務を動物愛護団体などが見たら激しく虐待だと叫ぶだろう。否定はしない。

しかし現代人の胃袋を満たし続ける為にはこの養鶏の仕事が不可欠であり、卵の大量生産には必要不可欠である。

そしてこれは業務であり、手際良さが求められる仕事であり、「ひよこちゃん可愛い」などと、その愛らしさを感じる暇も余裕も無い。

ひよこも必死で逃げる。ぴぃぴぃ鳴く。
人間に例えれば産まれたばかりの赤ん坊を親から引き離し、それぞれ区画に分けて部屋に入れていくようなものである。

もしも歩けなかったり、目が見えなかったり、奇形だったり、衰弱していたり、発達が未熟だったり、病気があった場合は〆なければならない。もう何百羽と〆てきた。未だに柔らかい生きているものを手にかける感触には慣れない。慣れたくない。自分は命を奪っている。その事実から眼は逸らせない。なるべく苦しませないよう一発でやる。ごめんなさい。ありがとう。

嫌な仕事だが誰かがやらなければならない。
だからやる。


ふと、何故自分はこれをやっているのだろうと身も蓋もないことを思った。
生き物に触れる事は楽しいし、業務は順番にいくらでもあるから仕事に飽きが来ない。
例え殺生でも。

自分はミュージカルの演者なのだなと思った。

自分だけでなく、全ての存在が演者だ。
それぞれの役を自ずから求め、設定を自身で作り、何を喋り、何を唄い、何を踊るのか。
どんな舞台でどんな役に熱中するのか、どういうことが好きでどういうことが嫌いか、全部決めている。

喜劇にもできるし悲劇にもできる。
どんな役を演じるかも途中で変えられる。
無茶苦茶な筈なのに自然と秩序がある狂った筋書きであり、ほとんど皆、自分が演者だったことを忘れ、夢の中で三度も四度も舞踊っている。
皮肉であり滑稽でもある、愛すべき奇跡だ。


だけどもう、役から覚める時が来ているのだ。
まだ演じ足りない者は次の舞台へと移るだろう。



私は演者の自覚を思い出していた。
さて、お次はどんな役のオファーが来るのかな、と。



ふざけた戯言を脳裏で呟きながら、そんな感じに汗だくでひよこ達と格闘する一日だった。

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