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◆リプロダクティブヘルツライツは、優性思想体系による人口削減計画の一つ。まだ産まれ出でていない胎児の人権。我々は、かつては皆、胎児だったのに?

リプロダクティブヘルツライツは、優性思想体系による人口削減計画

リプロダクティブヘルツとは、生殖に関する健康と権利と訳され、性と生殖における女性の中絶権の自由と法的権利思想なので、優性思想体系で成り立っている。何故なら、親が望まない子供は中絶されても仕方がない。望まれない子供は誕生しない方が幸せだ。望まれない胎児は、まだ、人類の一員ではなく、社会的人権主体とはなっていないので殺してもかまわないとの思想で構築されているからだ。果たして、まだ産まれ出でていない胎児は、我々、人類の構成員である人間存在ではないのだろうか?我々は、皆、かつては胎児だったのである。胎児に人権がないという優性思想を定めたWHO指針を改めて、見直してみる必要があるのではないだろうか?WHOは、女性の中絶権を認めていると同時に、胎児の生存権を切り捨てて、胎児の殺害を肯定している。同時に、同じ、優性思想で、超有害ワクチンの被害者の権利を切り捨てているのである。胎児には、人としての権利はなく、親や産婦人科医、行政や国によって殺されてもかまわない存在なのだろうか?超有害ワクチンの被害者は、殺されてもかまわない存在なのだろうか?WHO組織、並びに、この優性思想体系を持つ医師や行政、国が、これまでに犯した罪を悔い改め、覚醒しない限り、我々の個人の尊厳、いのちの尊厳は、奪われ続ける。望まれない子供と望んでいる子どもを誰が、決定しているのだろう。誰が、胎児の生殺与奪権(人を生かすも殺すも支配できる専制特権、専権事項)を行使しているのだろう。WHOに、胎児を、超有害ワクチンの被害者を生かすも、殺すもどちらでも支配できる専権があるとでも言うのだろうか?人としての始期を民法は、どう規定しているのだろう。世界人権宣言は、どう、宣言しているのだろう?児童の権利条約は、胎児を児童という法的地位を持つ存在として、宣言しているのだろうか?これら、国際法、並びに、国の制定法に根付いている、優性思想体系のトリックを見抜かないと、胎児が虐殺の標的にされているように、我々が、今度、超有害ワクチンによって、虐殺の標的にされているのだ。超有害ワクチンの被害者の声が見捨てられてきた人類史を見直す時が訪れているのではないのだろうか?

胎児の人権宣言

胎児の人権宣言は、人類史上、最期の人権だと言われている。 1991年4月27日に、上智大学で開催された国際生命尊重会議で採択された、胎児の人権についての宣言。この日、「菊田医師赤ちゃんあっせん事件」の菊田昇氏は、世界生命賞を受賞している。会議ではこの日を『世界生命の日』として制定した。 国際生命尊重会議は、国際連合や各国政府に対して、この胎児の人権宣言が認定、批准されるよう求めている。

世界保健機関 (WHO) は、次のようにリプロダクティブ・ライツを定義している。

生殖に関する権利は、すべてのカップルと個人が、出産する子どもの人数、間隔、時期を、自由に責任を持って決断することができる権利、そしてそのための情報と手段を持つ権利、およびできうるだけ最高水準の性と生殖の健康を手に入れる権利を認めることにかかわっています。それらにはまたすべての人が差別と強制と暴力をうけることなく生殖に関する決定をする権利も含まれる。

リプロダクティブ・ヘルス/ライツには、以下の権利も含まれる。

合法かつ安全な中絶の権利、
断種や中絶を強制されない権利、
避妊の権利、
産婦人科医療にアクセスする権利、
情報に基づいて女性が生むか生まないかを自由に決定する権利 (right to choose)、
そのためのための性と生殖に関する教育と教育アクセスの権利、
性感染症やその他の性に関する教育を受ける権利、
生理期間の健康 (menstrual health) の権利、
女性性器切除 (FGM) のような慣行からの保護、

優性思想家の説く個人の人権は、優位の我々の生殺与奪権の支配

優性思想家の説く個人の権利には、胎児の生きたいという自然法に従った意志決定権は、入っていない。優性思想家の個人の権利とは、優性な、優位に立つ我々の個人の権利であって、他者が天賦人権として与えられている普遍立法、自然法体系における、個人の権利ではない。だから、優性思想家たちは、世界人権宣言を無効にする法律体系を世界で制定していく運動を繰り広げているのだ。

個人の尊厳、いのちの尊厳 という法と正義の社会科学が消滅すると・・・

安音は、高知県行政に、家族計画協会が侵略してきて、その赤ちゃん殺しの施策の中身について、深く学んだ。その結果、放送大学の卒業論文ではこのテーマを取り上げ、高知大学の生命倫理の武藤教授からご指導をいただいた。橋本大二郎が高知に持ち込んだこの人口削減計画は、恐ろしく根強く,根深くある高知県民一人一人の優性思想との共感によって、成立していた。これまでに述べた、議論を明瞭にする思考もないまま、赤ちゃん殺しの共謀者を助産婦、教師、行政の体系の中に組み込んでいくものであった。家族計画協会は、日本ではまだ、認可されていない、早期中絶薬やモーニングアフターピルの薬害を教えないまま、安全に使えるかのように宣伝して、高知県行政の㏋にまで、記載させた。これらの早期中絶薬は、女性の身体機能を著しく損なわせ、回復不可能な医原性疾患をもたらすものでもあった。まさに、超有害ワクチンの構図とそっくりである。優性思想が、社会に共感を広げる時、あらゆる人間存在は、生まれながらに、天から、幸福を追求し、自由を享受する権利、人としての権利が侵害され、狭められ、戦争状態を繰り広げ、いつの間にか、我々自身の平和に生きる権利を奪い去るのだ。
 優性思想体系をもう一度、検証しなおし、国際法でどこまで、これが暗躍しているのかを見直す歴史的転換点が訪れている。アフターコロナの時代を、平和へとワールドシフトさせられるのか?それとも、大量虐殺と第三次世界大戦の時代を迎えるのかは、この一点にかかっている。

まとめ

人間存在が、生きるも死ぬもを支配する権利は誰にもない。戦争の被害者を出しているのは、すべて優性思想の構造的暴力が決定している。その特権を誰かに与えた時、人間存在が殺される歴史が作られて行く。今ここで、我々の決断と選択が、自分たちの歴史の運命を決定しているのだ。あなたは、どちらを選択しますか?

#アンネの法則の山下安音です。私のライフワークは、平和学研究とピースメディア。VISGOのプロデューサーに就任により、完全成果報酬型の教育コンテンツと電子出版に、専念することになりました。udmyとVISGOへ動画教育コンテンで、世界を変える。SDGs3,4の実現に向けて一歩一歩