小さな発見

 私はクラシック音楽のファンである。とは言っても、楽器を弾いた経験は厳密に言うとなくはないのだが、ほぼないに等しいし、楽譜が読めるわけでもないし(そのくせ楽譜は十何冊か二十何冊かそこらは持っている)、なんせかんせ守備範囲が極めて狭いときている。言わばモグリのクラシックファンだ。

 北海道は冷涼な気候であることもあって、比較的北欧の音楽が好まれる土地柄だし、演奏もよくされる。だからシベリウスがないと生きていけないし、グリークも割とよく聴く。

 なぜかはわからないがロシア(ソ連)の音楽も好きだ。一番最初に買った楽譜はショスタコーヴィチの交響曲第5番だし、シベリウスは別格とするとしても史上最大の作曲家はチャイコフスキーと信じて疑わない人である。これまた守備範囲は広くはないが、ラフマニノフも大好きで、交響曲第2番はそれを狙って何度聴きにいったかわからないくらいだ(だからいつまでも守備範囲が狭いのである)。

 ラドミル・エリシュカさんが長年札響を振ってくれたおかげで、東欧の音楽も割とよく聴く機会があった。ドヴォルジャークはもとより有名だったが『モルダウ』以外のスメタナ、ヤナーチェク辺りはエリシュカおじさんがいなかったら接する機会もそうそうなかったのではないかと思う。

 ところが、ドイツやオーストリアから向こうあたり、イギリスまで行くとエルガーがいるけれども、とにかくあまり聴かないのだ。なぜかはわからない。毛嫌いしているわけでもないし、全く聴かないというわけでもない。モーツァルトは優れた作曲家だと思っているし、どんなに新しい音楽を聴いたところで結局バッハに戻ってくるのだな、という思いもあるし、ベートーベンも知らず知らずのうちに耳になじんでいる。スマホの着信音はワーグナーの「楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より第一幕への前奏曲」だ。

 いつの間にか口にしているが名前を知らない魚や野菜といったところか。それを目当てに聴きに行くこともないけれども、別に嫌いなわけでもないし、気に入ったものは側に置いておく。そんな感じだ。

 ある日のこと。少し暗めの曲を欲して、YouTubeで「葬送行進曲」を検索していた。葬送行進曲といえばショパンが有名で、マーラーも有名だろう(マーラーを聴かないのが最大の引け目かもしれない)。ベートーベンも有名だ。そんな中で目を引いたのが、ワーグナーの「ジークフリートの葬送行進曲」だった。どれどれ。

 聴いた時に衝撃が走った。

 『福井大震災』という短編映画がある。その勇壮なオープニングがなんという曲なのか、ずっと引っ掛かっていたのだけれど、ついに「ジークフリートの葬送行進曲」であることがわかってすっきりした、というお話。

 この『福井大震災』という短編映画は、1948(昭和23)年に起きた福井地震を描いた記録映画で、オープニングで提示される「いかなる災害にも屈せずわれわれはつねに不死鳥フェニックスでありたい。」という決意表明がなんともカッコいい。
 ちなみにこの福井地震の被害の凄まじさが当時の最高震度「震度6」を超えているというので、「震度7」が創設されるきっかけとなった。

 戦災を乗り越えていち早く復興した福井を地震が襲い、地震からの復旧に立ち上がったところを今度は洪水にやられるという困難にあって、これに立ち向かう人々が描かれていてなかなか感動的な映画なので、一見の価値はあると思う。

 このnoteの要点は、「何だお前『ジークフリートの葬送行進曲』も知らなかったの?」というところなのだが、私はこれからもモグリのクラシックファンを続けていくつもりだし、シベリウスとチャイコフスキーを与えておけば満足するところはこれからも変わらないだろう。

 別に曲を知らないことは恥ではない(と思う)ので、みなさんもどんどんクラシックを聴こう。知らなければ聴いたときに覚えればいいのだ。誰だって最初は初心者だったのだから。

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