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日本兵残虐説が生まれた背景にある中国兵の残虐さ

第二次世界大戦中の日本軍がいかに残虐であったかという言説が一人歩きしている。もちろん日本軍残虐説はただのプロパガンダだ。とはいえ、一部にはそう思われても仕方のない行為があった可能性は否定できない。しかし、ではなぜそのような残虐な日本兵がいたのか、といえばおそらく中国戦線での経験がそうさせたのではあるまいか。

西洋のマスコミが日本兵の残虐性を非難する際にしばしば使うのがそこにあるモラル意識が中世期のそれであるという形容だ。同じような形容は、今のイスラム過激派の処刑の仕方に対してもしばしば使われる。

だが、モラルが中世のものであるというのはじつのところ中国兵を非難する際にもしばしば使われた形容である。実際、当時の戦記などを読んでもそこに記されてある中国兵のふるまいはまさに中世のそれというほかにない。中国共産党のシンパであったかのアグネス・スメドレーでさえ当時、中国で一般的に行われていた刑罰を指して「これは中世よ!」とヒステリックに非難している。

ここで問題なのは、戦争というのは一人ではできないことだ。そこには必ず敵兵という相手がいる。そしてどのような戦いぶりになるかは、多くの場合相手次第なのである。

仮にいくら日本兵のモラルが高かったとしても。相手がそうでなかったらどうなるか? いくらこっちが近代的な国際法のルールの範囲内で戦おうとしたところで、相手はいまだ中世期のモラル意識しかもたないほとんどならず者といってよい無教養な兵士たちである。そんなこと知ったこっちゃないとばかりに卑怯な手を使って攻撃してきたらどうなるか? 捕虜への虐待などもまったく意に介さず、卑劣きわまりない行為を平然と行ってきたらどうなるか?

そこでは武士道も近代的なモラルも通用しないことを思い知らされたことだろう。そうして相手がそうならこっちもだ、とばかりに互いに卑怯な戦い方を競ってエスカレートさせることになっただろう。

そのいい例が日清戦争時の旅順虐殺事件だ。これは日本軍が清国軍敗残兵の掃討中に発生したとされる事件であり、いわゆる南京虐殺と同様疑義の多い事件ではあるが、少なくともこちらではなんらかの形で日本側による報復的な殺害があったことは間違いないようだ。だが、ここで問題にしたいのはその規模や事件の信憑性などではない。事件のきっかけとなったのが、中国人の日本兵捕虜に対して行った遺体損壊をふくむ前近代的な所業だったという事実である。旅順虐殺は、それに激高した日本兵が報復して行った可能性があるのだ。

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