中国農民が日本軍と共同で中国軍を撃退した中国にとって不都合な歴史

中国政府は戦後一貫して旧日本軍を絶対的な悪とみなし、国民にもそう教育してきた。日本軍はいく先々で中国人を見境なく陵辱しては殺戮し、そして略奪のかぎりを尽くしてきたというわけだ。

ところが、そうした見方をまっこうから覆す事実が最近明らかになった。

それもなんと日本軍が地元の中国人農民と協力して中国軍を撃退したというのだから、当の中国政府にとってはさぞ頭の痛い話であろう。もっとも正確には、当時の中国軍と今の政府はまったく別物なので、それなりに言い逃れができると踏んだからこそ明らかになった話だとは思うが…。

さらに面白いのは、この史実をもとにした小説が中国国内でロングセラーとなっていることだ。

問題の小説というのは、劉 震雲著『温故一九四二』である。

小説のあらすじなどはこちらを参考にしていただき、ここではその背景となった黄河決壊事件とその後のエピソードをご紹介する。

黄河決壊事件とは?

以下、WIKIPEDIAの説明にしたがって、事実関係をみていこう。

まず発端は、1938年6月のことである。当時、徐州近辺によっていた中国軍は追撃する日本軍を足止めさせるため黄河の堤防を決壊させた。その結果、河南省、安徽省、江蘇省にまたがる約54000平方キロメートルが水没、水死者100万人、被害者600万人が出た他、農作物にも多大な損害が生じたという。世にいう黄河決壊事件である。

中国軍ははじめ例によってこれを日本軍の仕業として世界に宣伝しようとした。が、その真偽に疑問を抱いた海外メディアによって事実は逆であったことが明らかにされた。それは日本軍ではなく中国軍の仕業であったのだ。

そのうちのひとつ、スペインのディアリオ・バスコ紙は「中国軍は黄河の堤防を破壊してノアの大洪水 に勝る大水害を起こそうとしている。中国の中部地域における70万平方キロメートルの地域が水没の危機に晒され、7千万の住民が大洪水の犠牲となろうとしている。しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に対し一言たりとも抗議する声を聴かない」と手厳しく中国政府を非難している。

自分たちの悪行をすべて日本軍のせいにする中国政府の悪癖が今にはじまったものではなくその当時からあったことはここからも伺えよう。

一方で、この事件によって中国国内ではかえって日本軍の株があがることにもなったらしい。

というのも、この黄河氾濫の後遺症によって1942年から43年にかけて河南省で飢饉が発生したのだが、その際、日本人が多くの軍糧を放出して人々を救出したからだ。

当時の河南省は黄河の氾濫によって引き起こされた水害に加え、干ばつ、イナゴの大量発生などに悩まされていた。それに加え、地元の軍閥が課した重税により、300万人あまりが餓死していたという。そうした惨状を見かねた日本軍が各地の食料倉庫から調達した食料を放出し、飢えた人々に分け与えたのだ。

その後、日本軍は暴虐な河南省軍閥の掃蕩作戦に乗り出す。

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