しないことリスト


私の”しないことリスト”をまとめてみました。しないことと言うよりは、したくないことだったりもします。理想が含まれていたり、作り話もあるかもしれません。なんとなく文章を書いてみたい気分なのです。なので、これらを必ずしないという決意は微塵もないです。明日には取りやめていることもあるでしょう。あくまで瞬間の記録に過ぎません。写真のようなものです。あるいは私の創作のひとつかもしれません。

1. 一貫性を貫かない

人間は日々変化します。ずっと変わらないものもあるし、変わり続けるものもある。話の筋を通すとか、矛盾をなくすとか、そんなに重要だとは思えないのです。一個人の考え方や行動がフラフラしていたって大した影響はないはずです。これから書くことだって矛盾があるかもしれません。でも、私の文章力が拙いだけで繋がってはいるのです。一人の人間が考えていることですから。一貫性は一直線でなくていいと思うのです。ジグザグかもしれないし、絡まっているかもしれないし、点線かもしれない。このリストだって、したくない時にしないし、またしたくなったらすればいい。くらいのスタンスです。ブレていたってその時やりたいことや居心地の良いことをしていたいという理想です。ただし、あくまで一個人が独りで思考したり行動する時に限ると思います。誰かと一緒に創作や仕事するときとかは一貫性がないと困ります。リーダーや経営者に軸がないのも困りますね。国家がブレブレなのが一番困ります。

2. 感情を言語化しない

感情を言葉で表現するのが苦手です。読書感想文とか、修学旅行の感想文とか苦痛でした。”〇〇が楽しかった” ”□□が面白かった” のオンパレードだったと思います。面倒でした。感情を言語化するのは目の見えない人に色を説明するくらい難しいです。むしろ感情を丁寧に言葉で説明できている様を見ると疑ってしまいます。私は言葉よりも行動や態度、表現、作品(アート)を信じています。感情を詩、句/短歌、小説などでうまく言語表現されているのはすごく好きです。そういったものにたくさん触れていきたいです。言葉で表せるほどシンプルな感情は持ち合わせておりません。いびつだし、透明だし、濁っているし、美しいし、醜いです。なので言語にしませんし説明が難しければ諦めます。私だけが見れて、触れて、思い出せればいいです。
奥田民生さんの"あくまでドライブ"という曲に以下のような一節があります。奥田民生さんが気怠そうに歌う曲は特に好きな曲が多いです。

”俺の辞書に文字なんてないよ”

3. 効率を重要視しない/無駄を排除しない

無駄なことが人生に色をつけてくれると信じています。ちょっとググれば効率の良い方法がいくらでも調べられ、最短経路で答えにたどり着けます。失敗とか無駄な時間を過ごしたことの方が豊かだと思うんです。試行錯誤したほうが記憶にも残るし、思わぬ発見や出会いがあるかも知れないのです。
私は意味がないものや使い道のないものが好きです。なので古道具屋さんやリサイクルショップなどで置物をついつい買ってしまって、部屋に飾っています。飾るというよりは看取っている感覚かもしれません。服についてもそうで、無駄な形や装飾のある変な服をつい買ってしまいます。なくてもいいものほど、なぜそれが生まれたのか、なぜ作者は作ろうと思ったのか、そのストーリーを考えてしまいます。私の場合、無駄を楽しめることが、心に余裕があることの証拠になってます。効率や利便性を重視しすぎてものを減らした殺風景な部屋では、私の場合心に余裕が生まれないと思うのです。ビジネスホテルの部屋が好きではなくて、すぐに街へ飛び出したい衝動に駆られます。旅館などに泊まると、窓際に畳ではなく椅子が置かれたスペース(広縁というそうです)がありますよね。あのスペースはものすごく好きです。豊かだと思います。
とはいっても時間については有限なので効率の良い方法を取るのは至極当然です。時間を有効活用して余った時間で無駄なことを真剣にやりたいです。

4. 理由を探さない

好きな理由。嫌いな理由。やってみたい理由。やりたくない理由。生きる理由。感動した理由。あなたがこの店を知った理由。前項の評価にした理由。たびたび理由を求められます。これも面倒くさいです。好きだから好きだし、やってみたいからやってみたい。ただそれだけ。ごく自然なことだったり、そういうタイミングがきただけです。なので面倒だと感じたら、なんとなくって答えるようにします。いちいち理由を探さなくちゃいけない空気がとても苦手です。確かに明確な理由があって、それを論理的に説明できることは格好がいいです。"私が〇〇をやる理由"みたいなYoutubeや記事があったりして、そういうものは視聴していて気持ちが良いです。だけどまれに、本質が理由に傾いているのでは?と感じることもあったりします。理由を達成するために行動や状態、感情があるように思ってしまうことがあります。本質は行動や状態、感情にしたがって憑いていると思うのです。そして、”理由がないと説得力に欠ける”みたいなことを言われる世の中ですが、理由は感覚や直感よりも説得力が高いのでしょうか。

5.  SNS,YouTubeで暇つぶししない

うちにはTVを置いていないのです。何となく電源をつけてなんとなく時間を過ごしてしまうのが嫌だったからです。ただ気づけばSNSやYouTubeがTVになり変わってしまってました。とりあえずの暇つぶしにはもってこいですよね。TVと違ってこちらからみたいものを選択できてしまう。情報が欲しい時や、見たいコンテンツがあるときだけ利用したいという理想です。

6. 頑張って料理しない

土井義晴先生の"一汁一菜でよいという提案"を読んでから、無理におかずを作らなくなりました。ご飯とお味噌汁があれば十分です。お味噌汁には適当に具材を入れます。具沢山な方がおいしいです。毎回味が変わって毎回の楽しみとなります。ベーコンだってトマトだってお味噌汁に入れて仕舞えばいいのです。すると、おかずを兼ねたお味噌汁になるのです。なのでとりあえず肉と野菜を炒めて適当に味をつけた名前のない料理を作らなくなりました。食べたいと思ったときに作れば良いのです。毎食ご飯とお味噌汁でもいいんです。誰も私の食卓を見ていないのです。

7. 塩をかけすぎない

薄味になると旨味に気づきます。私が認識している旨味は正解かわかりませんが、甘味でも塩味でも酸味でも苦味でもない味を感じられるようになりました。お米も野菜も肉もそのもの自体にきちんと香りや味があります。味の濃い食べ物に慣れすぎたのだと思います。”味が濃いもの=おいしい”とか”苦くない、酸っぱくない、くせがない=おいしい”みたいな認識が溢れていると思います。私が好きでよく利用する飲食店は、素材の味が引き立つ味付けで、心身に染み渡るおいしい料理を提供してくれます。おいしいは感情であり、身体の反応でもあります。シンプルな味付けだからこそ、自分の家では再現できないと感じます。だからと言って味の濃い食事を完全にとらないわけではないです。ナポリタンも好きだしポークチャップも好きだし食べたい時にはそれらを食べます。
最近は食パンに何もつけず食べてます。食パンにはバターが入っていたり、砂糖、塩なども入ってます。十分味付けされています。トースターで焼き目をつけるだけで十分な風味です。安い食パンに体に悪いマーガリン、あるいは高いバターを塗るよりも、パン屋さんでちょっといい食パンを買ってそのまま食べる方がおいしいと私は思います。訳の分からない店名をつけて、景観を損ねるような外観に仕立てたパン屋が増殖することには断固反対です。

8. 泡をつけすぎない

私は乾燥肌です。泡をつけ過ぎると頭皮は突っ張るし、皮膚は粉をふくこともあるし、手も荒れます。なので泡をつけすぎないようにしています。毎日シャワーを浴びていますが、ボディソープや石鹸で体を洗うのは2〜3日にいっぺん。もしくは汗をかいて不快な時に洗います。ゴシゴシタオルはもう何年も使ってないです。シャンプーは毎日しますが、4分の1プッシュしか使わないので、1本使い切るのに半年くらいかかります。以前タモリさんがTVでお話しされていたのに影響されて体を洗う回数を減らしました。ぬるめのお湯に10分ほど浸かるだけで汚れは取れてしまうそうです。私の場合、家で湯船に浸かることがなくシャワーだけなので、たまに泡で体を洗うことにしています。

9. 他人にどうみられるかで選択しない

私は服が好きでよく買ってしまいます。昔は人にどう見られるかなど考えずに、自由に服を買い着ていました。今もそのマインドではあるのですが、どう見られるかを意識するようになってきたと思います。大人になったということかもしれません。自分の満足よりも他人の評価やどう見られるかをどんどん意識するようになっている気がします。以前、街を歩いているのを会社の人に目撃されたことがありました。その時の格好は、えんじ色のパンツに、古着のグレーのパーカー(えんじ色で大学名のロゴが入っている)、その上に派手目なアロハシャツを羽織っていました。夏以外にもアロハシャツを着れないかと画策していた時期です。その人から”もっと社会人らしい格好した方がいい”みたいなことを言われました。学生っぽく見えたり子どもっぽく見えたのかななどと思いましたが、そもそも社会人らしい格好ってなんでしょう。こだわりを持ちすぎず無難なデザインで毎年買い換えられるファストで薄っぺらい生地の服を着ることでしょうか。何にせよ私は社会人らしさなどいらないと思いました。もっと自由に服を着るべきです。着たい時に切るのが一番健康に良いです。無難なおしゃれは存在しないと思っていて、創意工夫の詰まったダサさがおしゃれで粋だと思います。

10. 愛想わらいしない

他人に話しかけられた時に、とりあえず笑ってしまう癖があります。昔の話になりますが、中学生になる前ごろまでは、今以上に無口で暗い人間でした。生まれつき人相も悪く、とても親しみを感じてもらえる人間ではないのです。特に大人や見ず知らずの人、異性には顕著でした。親戚や大人たちに、元気がないだとか、うんともすんとも言わない、などと言われてました。私はひねくれているので、”すん”と答えたことがあり、その時はウケました。いずれ、話しかけられたときにとりあえず笑っておけば、暗いだの元気がないだの言われないことに気付いてしまいました。味をしめた私はそれからとりあえず笑うようになってしまいました。無意識に人から好かれたいとか心配されたくないとか思っているのだと思います。そしてどんな話にもまず笑ってしまう癖がつきました。なので、面白くない話でも深刻な話でも笑ってしまうことがあります。”なんで今笑った?”とか”そこはわらいごとじゃないよ”と言われると固まってしまいます。とても嫌です。なのでやめたいです。

11. 自分や他人に期待しない 

悲観的に思われるかもしれませんが、私はポジティブ、楽観的なことだと思ってます。人生において、期待していたから良い結果が出たことって、私の場合ほぼないです。期待せず良い結果が出たことの方が圧倒的に多いです。期待するから裏切られたと感じるし、愛想尽かしてしまいそうになるのではないかと思います。期待することは卑しいことになってしまう場合もあると思います。私はこれを成し遂げたから、あの人はあれをやってくれるだろうとか。自分が勝手にやっていることに対して見返りを求めてしまうのは気持ち良くないし、卑しさを感じて嫌です。
いくら勉強したり努力しても成し遂げられないことは成し遂げられないのです。自分が悪いわけではいのです。努力すればなんでも叶うとか、あと一粒の涙で、一言の勇気で願いが叶うその時が来るってとか、そういう風に期待するのはおこがましく思います。努力してもできないことはできない。だから努力しなくても楽にできることが見つかっていくんだと思います。
自分の人生に期待しない方が楽に生きられています。悲観的になるというわけではないです。楽観的な視線です。

12. サスティナブルをブームにしない

これは自分に対しての戒めでもあります。社会に対する願いも含まれているかもしれません。サスティナブルだとか持続可能な社会だとか、エシカルだとか自然に配慮した素材とか、よーく耳にする時代になりました。個人や企業がこれらの言葉をおしゃれとかイケてるイメージを含めて発信してしまうのは違うと思うのです。サスティナブルは全くおしゃれではありません。泥臭いことです。手間をかけることだったり調べること、選択(投票)することだったりもします。環境に配慮した素材だから新しい服を作っていいわけでもないし、水素や電気が燃料だから新しい自動車を作っていいわけでもないと思います。サスティナブルな素材を売るために新しい服を作っているんじゃないかとすら思うこともあります。環境に配慮していることだけがその服のブランドメッセージなのだとしたら、僕はそのブランドの服は買わないと思います。私は再三申しあげているように服が好きなので、新品の服ももちろん買います。ですが、それらのブランドは、サスティナブルとか再生素材とか大々的に言われるずっと前から、環境に配慮された素材や天然素材で服を作っていたりします。意味や理由はなく、服を作るブランドとして当然のことなんだと思うのです。ブームに乗っかるのではなく、スタンダード、日常に溶け込ませることが重要だと思います。

13. 休日だからといって外出しない

休日を理由に外出しても良いことがないと感じてきてます。限られた休日なので充実させたいという気持ちが勝るんですね。とにかく外の世界に出れば充実するだろうという淡い期待があるんだと思うのです。そして出かけたことで休日を充実させることができたという錯覚に陥っているのです。でも本来出かけたい時に出かければ良いし、欲しいものがある時に買い物に行けばいいし、食べたいものがある時に外食すれば良いだけの話です。休日に何もしないのが怖いから消費する、というのは良い消費ではない気がしてきました。平日や休日という括りがなくなって、働きたい時に働き、休みたい時に休めればいいのにと思います。

参考文献

参考というか今の思想に至るまでに影響を受けたであろう文献をまとめます。


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