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【一般社団法人つなげる30人・理事インタビュー】第1回・加生健太朗「街に対等な立場で未来を語れるコミュ二ティーをつくりたい」

2022年12月にキックオフした一般社団法人つなげる30人。地域同士のネットワークを作り、横連携を深めていく「つなげる30人リーグ」や、メンバーデータベース「つなげる30人図鑑」など、今年度は数々の新しい取り組みが予定されています。

一般社団法人の理事に就任した加生健太朗、野村恭彦、日比谷尚武はこれまでも「渋谷をつなげる30人」の企画・運営をはじめ、全国各地への普及に努めてきました。その一方で、この3人がなぜ「つなげる30人」の活動にここまでコミットしているのかについて多くを語る機会は少なかったように思います。

そこで今回は、3人のキャリアなどをたどりながら、「つなげる30人」に対する思いをインタビュー。初回は「渋谷をつなげる30人」の発起人であり、一般社団法人の代表理事でもある加生に話を聞きました。

場所は、これまで数多くの「渋谷をつなげる30人」関係のイベント等でお世話になったボッシュ株式会社が運営する渋谷の” cafe 1886 at Bosch”にて行いました。

●NPOとの長く深い関わり、福岡での酒浸り生活

——まずは、「つなげる30人」の活動を始めようと思った原体験があれば教えてください。

大きくは2つあるのではと思います。

1つ目は、自身が若い頃からNPOに関心を持ち、周囲にもNPO経営者が多く、NPOに関わる機会が比較的多かったキャリアを持っていることです。今や老舗の若者支援などを行う「カタリバ」や、子育て支援の「フローレンス」の代表も同窓で、創業期から協力をしていました。

そのような経験を踏まえ、20代の頃は企業とNPOの連携コーディネートや、企画プロデュースをしていました。ただ、その際、企業はどこかNPOを「寄付や支援をする対象」と見ていて、逆にNPOも企業を「お金をくれる対象」として見ていたように思います。そんな状況を目の当たりにし、お互いがもっと対等な関係性を持つにはどうしたら良いのだろう、という問題意識を持っていました。それが「つなげる30人」の着想の根底にあるのではと思います。

2つ目は、豊かな人生を送る上で「対等な立場で未来を語れるコミュ二ティー」の重要性を、身をもって実感したことです。

僕は2011年の震災直後に原発事故に対する不安もあり子連れで実家の福岡にUターンしました。福岡は本当に良いところでしたし、友達もたくさん出来たのですが、唯一の悩みが話すことが世間話や馬鹿話、昔話が多かったこと。「自分がこうなりたい」、「街をこうしたい」、「日本をこうしたい」等の未来のことは、何だか恥ずかしくて話せず、ずっと試行錯誤して悩み苦しんでは酒に逃げていました(笑)。

ここから、どうしたら「対等な立場で未来を語れるコミュ二ティー」が作れるのだろうか、という問題意識が生まれ、その思いが「つなげる30人」の原点になっている気がします。

●ファシリテーションを通じて地域の課題に向き合う

——その思いが具現化していった過程を教えてください。

2013年に福岡を離れて東京に戻った後、さまざまな紹介を受けて、一人で東北の被災地を巡りました。それが大きなターニングポイントだったように思います。

そうした最中のこと、被災地の沿岸部では「防潮堤問題」が噴出していました。この問題について、ここでは詳しく述べませんが、行政が推し進めようとしていた公共事業に対して、住民側が反対したり、物申したりしたいけれども止まらない、いわゆる典型的な対話不足の事案が起きていたのです。この問題に関して、とある人から行政と住民の調整役に入ってファシリテーションを通じた対話の場作りをし、問題解決してもらいたい、というオファーを受けました。「はい?」と思いつつも、「君は革命コンサルタントだ!」と不思議なお立て方をされて(笑)、結果、ご縁だなと感じご一緒させていただくことになりました。

もともとファシリテーションに関しては興味・関心が深かったのですが、もっとスキルアップしたいと思っていた時に偶然目にしたメルマガが、フューチャーセッションズが主催する「イノベーションファシリテーター講座」の第1期生募集案内でした。価格は確か30万円くらいで、決して安くないのですが、見た瞬間に「これだ!」と思って応募しました。

結果的にこの防潮堤関係の話は、いっさい行政の計画変更なく進んでいくことになるのですが、ここでの経験から多くのことを学ばせてもらいました。

また、その講座でさまざまなスキルやマインドを磨いたおかげで、以降はファシリテーションを通じて地域の課題に向き合っていくことができるようになりました。
さらには、講座をきっかけに野村さん(現Slow Innovation代表取締役・一般社団法人つなげる30人理事)とのご縁もでき、お互い情報交換する中で、フューチャーセッションズが6人目の社員を募集していることを知りました。これも最初はメルマガで知ったんですけどね。

——まさに、メルマガが人生を変えたわけですね。
そうですね(笑)。
当時、フューチャーセッションズは渋谷区を本社に置き、主にNPOと行政、企業のクロスセクター連携をミッションに掲げ事業を推進していました。私は私でその頃、さまざまなご縁から渋谷区とつながりを持つことができた時期でした。
そこで「だったら渋谷区でクロスセクター連携を具現化するプロジェクトをやりませんか?」とペライチの企画書を作って野村さんに見せたら、いの一番でやろうとなりました。
そうして、満を持して2016年秋に立ち上がったのが「渋谷をつなげる30人」の第1期です。


<参考記事>
https://30fan.jp/shibuya_06_01.html/
https://30fan.jp/shibuya_06_02.html/

●5年後には国内で30地域を目標に

——つなげる30人を立ち上げてからの7年間を振り返って、個人としての最大の成果は?また課題は?

これまで全国12拠点で開催した実績のうち、9拠点を僕自身が担当できたのは大きな糧になっています。エリアそれぞれの特徴に向き合い、主催者の思いに寄り添い、コロナ禍に合わせた開催形態を模索したりと、多種多様な状況の中でやり遂げることができました。

加えて、初めて私たちの支援がほぼない中で自主開催した長崎県佐世保市のような事例を生み出せたことも大きな成果だと思っています。

佐世保には2回しか現地へ行けなかったのですが、そこでは「つなげる30人」の世界観が再現されていました。メンバーの一人である旅館の女将さんが「この30人がいれば何でもできる気がする!」と僕らの30人のコンセプトである言葉をそのまま言ってくれたことが最も印象に残っています。

プログラムの方法論や運営手法などを厳格に、丁寧に提供しなくても、最低限のレシピを共有すれば、「つなげる30人」を立ち上げるハードルを低くすることができると感じた瞬間でした。それが、2023年度からスタートする「つなげる30人リーグ」の企画構想につながっています。

一方、7年間やってきて課題に感じているのは、一人で9拠点も関わると認知の限界を超えてしまいメンバーの顔も名前もなかなか覚えられないし、全員とコミュニケーションをとることもできないことです。

また、AエリアとBエリアをつなげる、という余力がなかったのも事実です。そこを「つなげる30人図鑑」という形で全国のメンバーをデータベースし、見える化していくことも一般社団法人としての大きな取り組みになっていくと感じます。

——「つなげる30人」を続けているモチベーションは何ですか?

ポジションや立場を超えた人と人とのつながりを作ることで、さまざまな未来の可能性を広げ、イノベーションを起こせると信じているからです。

前述の東北で防潮堤問題の相談を持ちかけられた際、当初、行政と住民の話し合いは、「市役所の人」と、「町の団体の役員」という立場で話しており、平行線を辿っていました。

そこで、「立場の意見」ではなく「個人の思い」にフォーカスするような問いを投げかけて、みたところ、お互い一人の「人間」として向き合い、相互理解が進んだ局面がありました。それを目の当たりにした時に、人としてつながることの価値を実感しました。

「つなげる30人」は、参加する人は組織を背負ってきます。それが魅力であり、特徴ですが、組織の利益代表としてのつながりだけであれば単なる協議会やコンソーシアムとそんなに変わらないのかもしれません。

プログラムには相互に信頼関係を築いていくために、行政や企業、あるいは役職、立場といった役割をいったん捨てて、個人としての思いや問題意識を尊重し、対話して一個人としてつながっていくための工夫を凝らしています。今後もこのスタンスは大切にしたいと思います。

——ありがとうございました。

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