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「優しい裏切り者」


皆々様
「面白い」という言葉の語源をご存知だろうか。

諸説あるけど一般的には朝日を浴びた顔(面)が白っぽく見えて表情が晴れやかになる。

顔が明るくなるというポジティブな意味から
元気になる、笑顔になると言う意味で使われるようになったらしい。

よくわからんけどそうらしい。

僕は人生に於いて、何より「面白い」を大切にしている。
物事の判断を面白いか、面白くないかで決定する。
逆にどう転んでも面白くならないような話が苦手だ。
お金の話とか本当に興味がないし、ふざけると怒られるので閉口しきりになってしまう。
斜め下40°の空を見て意識を失う。

例えば僕が創る曲なんかも面白いかどうか勝負でね。
「いい曲ですねぇ」なんて言われるくらいなら
ボッコボコに貶して欲しいし、そう言われるような作家になるくらいなら音楽など辞めてしまうだろう。
逆に「面白い曲ですねぇ」なんて言われると
大晦日を一緒に過ごしたくなるくらいその人を好きになる。蜜柑も剥いてあげたい。

「面白い」というのはそもそも何か。
それは「優しい裏切り」だと思う。

あるタイミングでその人が言わなそうな事をする。
やらなそうな事をする。
的確に違和感を指摘する。
比喩表現で違和感を言語化する。

会話の中で少し先の内容を予測して先回りし、
ほんの少しズレた答えを用意しておく。
その場の空気を、ほんの少し柔らかくする為に常にアンテナを張る必要がある。

(これを用意しなくても面白い行動が出来る人間を「天然」と呼ぶ。)
結構しんどいけど、会話を生業とする僕らのような人間は常にしなくてはならない努力。

「面白い」は当然日常のことなので記録も録音も録画もされないが瞬間的に現れて、煙のように消える。

かなり儚い努力。
でも面白い瞬間の為に、生きている。
だって面白い瞬間以外は苦痛だからね。

芸術もすべてそう。
芸術は特に、裏切りがないと唾味のガムみたいなものだ。
その作家が創らなそうなものを創ったり、
テーマに対して新しい切り口が無い芸術は
つまらない。

音楽的にも拍や音色、構成で常に予想を裏切らないとなんにも面白くない。

作り慣れただけで面白くなってる訳じゃない。

「この作家らしい作品」なんてカテゴライズされたら

お仕舞い。

絵画も映像も音楽も作品そのものよりも
それを製作する理由であったり、方法であったり、その芸術がどの面白さを狙ったものなのかが大切だと思う。

「面白い」以外はアートではないと思う。
面白いからアートなんだ。
しかもアートはクソの役にも立たないから最高だ。

どの芸術も結局は
「面白いやろコレ」のやり合いなんだと思う。

それが客にウケるかどうかはどちらでもよい。
作家はその面白さをわかってくれる人がいると信じて作り続ければいいだけ。
簡単なんだけど難しいね。

ウケれば金がある作家になるけど
ウケなくても金がない作家になるだけで、同じ作家だ。
どちらでもいい。
問題はそこじゃない。

結局会話にしても、芸術にしても
一番面白い人は一番優しい人なんだと思う。

そのものに触れた人の顔が少しでも晴れるならば、と努力出来る人は誰かの朝日になり得る。
面白い人だ。
誰よりも優しい裏切り者め。

僕は誰よりも面白い人になりたいよ。

皆が金や見栄でなく、「面白さ」を競う世界に成ればいいなぁ。

きっとそんなに多くは無いと思うけど
そんな人たちと生きていきたいなと思った。

春が終わる。
面白い夏がくればいいね。

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