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DETA 0252:真っ白のままで

実にクダラナイ賭けのようなnoteを遺してしまう病は治せないのか。

ここまで続けてこられたのは、強靭なウツ期が一度も来なかったおかげ様でもあります。

わたしもいつの日にか、改めて読み返す時がやってくるのかもしれません。

まるで、自分が書いたnoteじゃないかのように。


noteから、eを引くと「not」になる。


つまり、「じゃない」が残る。「eじゃない」

ところで、eの正体は何だ?

数学的には、自然対数の底のことになります。


「ネイビア数eじゃない=note」


んなこたぁない!とタモリ氏に突っ込まれそうですが、

簡単に云うと、「無限に続く無理数」という意味らしい。数学なんてずっと万年赤点だったアルにとっては、さっぱり分からない世界です。


単にアルの思いつきで世界の命運が決められてしまうのは不本意だ。

はい、ごもっともな感想です。

しかも、無限は悪魔の得意技のひとつですからね。

わたしのnoteも底の底まで来たと思っております。でも、底の底って底じゃないような気もするのですが、いったい如何なものでしょうか。


「無限じゃない」


そう考えると生命もそうだと思いがちだが、神なき世の流転ではそう感じるだけのことさ。

てことは、「note」という記号は、神の生成したアナグラムにも見えてくる。

聖書とは、現世における「デスノート」なのか。


否、どこぞの悪魔の皮を被った宗教といっしょくたに扱わないでください。

そもそも、たった一度も外れたことのない預言書が宗教なわけないでしょうに。


たとえ、「愛すべき記号」ばかり集めてみても、「闇は愛」の徴のように呪いの言葉に通じるわけです。そう、紛いなりにも心が救われたのだとしても、新たな痛みに苛まれ、永久に病みから逃れることができないのでしょう。

われわれに分け与える幸福のエッセンスは「飴と鞭」の麻薬的作用によって神の意識から遠ざける目的のために仕組まれたプログラムのただ中に存在しております。この通り、悪魔の手口は巧妙なんだ。

やはり、自ら底にいると意識していれば、あとは這い上がるかずっとそのままかの二択しかありえないことの方が救いになるようにね。

実際はどちらでもないかのような曖昧なファクターで、われわれを欺く準備は万端なのです。

ぼくらは記憶が残るから不幸だとか思うだけのことで、永続的な幸せを求めること自体、単なるディフェンスメカニズムの奴隷に過ぎなかった。

もしも、永久に真っ白なnoteのままなら、記憶喪失のまま死んでしまうようなものだ。

「無限じゃない」真っ白な意識であれ。


一度でも、アルnoteを読んだことのある人たちへ。

この場をお借りして、心より御礼申し上げます。

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