FF14黄金のレガシーにおけるゾラージャの立場を通して色々と考える

【はじめに】
この記事は、FF14こと「FINAL FANTASY XIV 黄金のレガシー」についての独断と偏見に基づく1ユーザーの所感です。全体を通してネガティブな話になっていますが、すべてのユーザーを主語としているわけではないという点をご理解いただけましたら幸いです。
また、物語終盤(最終エリア直前まで)のネタバレを含みます。ご注意ください。










ゾラージャは一体、何を望み、何を得ようとし、何を成そうとしたのでしょうか。
これは、何も彼のことを「考えなし」だとか「浅はかだ」とか貶す意図の問いかけではありません。

義弟妹に仄暗い感情を向け、軍事による外征施策を掲げ、「奇跡の子」という周囲からの期待に苦悩し、実の父親を超えることに執心し、世界中を武力で調伏させることで平和を実現しようとする。
正直なところ、本編内の描写では、「それだけ」しかわかりませんでした。

仄暗い感情とはなんだったのか。
なぜそんな感情を抱くに至ったのか。
義弟妹とどのような幼少期を過ごし、何を思い継承レースに臨むのか。
実の父親とどのような関係性を築き、それを殺害という形で完膚なきまでに破壊するに至ったのはなぜか。
アレクサンドリア連王国を武王として治めた30年間、なぜそうしようと考えたのか、どのような思惑を持って過ごしたのか。

グルージャに何を想うのか。

その全てが圧倒的な情報不足、説明不足で消化不良を起こしたまま、ラスボスへの通過点と成り果ててしまっている状況に、もっとどうにかならなかったのかと嘆きの感情すらおぼえます。

もちろん、物語の中で全てを語り尽くし表現しつくしてしまうことは不可能でしょう。
意図して伏せられることもままあるかと思います。
あえて余白や行間を作ることで、プレイヤー側が自由に想像できる余地を作るという意図もあったのかもしれません。
ですが、シナリオの端々から「プレイヤーが察してね」と丸投げされているような、シナリオに対する責任を放棄しているような印象を感じてなりませんでした。
「放任」と「放棄」はまったく別のものです。
百歩譲って、それが脚本家の「味」だったり、ゲーム全体としての主題だったのなら、それはそういうものとして割り切ってプレイできたのかもしれません。
ただ、長く愛されてきた続き物のストーリーで、愛されてきた暁の面々を別人のようにキャラ改変したり、光の戦士に浅慮とも取れる振る舞い(ウクラマトを一人にして攫われたり)をさせてまでやるべきことだったのでしょうか。

王候補のそれぞれが抱く思惑や歩んできた経緯、背負う苦しみがあったのでしょう。それは決して薄っぺらいものではなかったことかと思います。シナリオの尺や容量の関係で泣く泣く削ることもあるのかと思います。
ですが、それは、王位継承レースのドタバタに多くの時間を割いてまで、削らなければならない要素だったのでしょうか。

かねてからの触れ込み通り、「新大陸での光の戦士の明るく楽しい夏休み」感を演出したかったのかもしれません。

だったら中途半端に「闇」をちらつかせるべきではない。

いっそすべて「楽しい夏休み」、「ドタバタ王位継承レース」に振り切ってしまった方がよかったのではないでしょうか。
だとしても、おつかい感や茶番感、しつこいギャグ要素、諸々を鑑みれば「メインでそれをやるのはいかがなものか」となりかねませんが……
ここまでの物語がなまじ重く、深く、ときには暗く、「聞いて、感じて、考え」ながら進んできたものであったのに対して、あまりにも温度差がありすぎて、私は終始戸惑っていました。

明るく楽しいストーリー、その裏で渦巻く野望や暗躍する者たち、そういったものを表現したかったのかもしれません。
ただ、それをするのなら、明暗のバランスや緩急の付け方については一層慎重になるべきだったのではないかと思います。
「ウクラマトの成長、その後のスフェーンとの対比」を描きたかったのだとして、そこに至るプロセスがあまりにも粗雑。
言葉が足らず、説明が足らず、描写が足らず、すべてが憶測の域を出ない。そもそも矛盾と破綻が多すぎて憶測すらままならない。

その際たる被害者がゾラージャなのではないかと感じました。

説明や描写が足りなすぎるせいで、ことを成すほど、口を開くほど、ただの「小物の悪役」に成り下がってしまう。「何言ってるんだこの人…」となってしまう。
ただの「父親に構ってもらえなかった子供の癇癪」になってしまう。
今際の際に我が子にかけた言葉すら、「こういうことなのかもしれない」という憶測しかできない。「遺していくもの」についてもその場での説明や描写がなく、その場では不完全燃焼を起こしてしまっていました。(例えば「武王」としての権限が移譲されたのなら、説明はなくとも「ゾラージャの体からでた光がグルージャに移った」というような演出を挟むことで、後の説明に「ああ、あの時の演出はこういうことだったのか」という説得力が生まれたのでは?)
そもそもグルージャについても説明がなさすぎて、「なんとなく察してね」と言われていると錯覚してしまいます。なぜグルージャは生まれたのか、母親は誰なのか、ゾラージャは何を思って子を作りそして捨てたのか、なぜグルージャはゾラージャを父親だと認識できたのか、等々、シナリオの根幹に関わる部分をプレイヤーに委ねすぎている気がします。

もしかしたら、私の想像力や行間を読む力が足りないだけなのかもしれません。逆に深読みしすぎなのかもしれません。
ですが、人によって受け取る印象や想定する事柄がブレすぎていませんか。脚本から提示される判断要素が少なく杜撰ではありませんか。

それは「メインシナリオ」として、破綻してしまっていませんか。

現在は最終エリアの2つめくらいが終わったところで、こちらについてもすでに思うところが多々あるのですが、それはクリア後にまとめようかと思います。

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