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“言葉”の定義の重要性

 ナグです。

 スピリチュアルを語る上で、これをやっておかないと。と、思うことがあります。

 それは何か?というと、それは“言葉の定義”です。

 目に見えない、一人ひとりの心のうちを通して体験する世界を語るスピリチュアルにおいては、ていねいに“言葉”の意味や定義のすり合わせをしておかないと、伝わるものも伝わらない、という事態に陥ってしまいます。

 どのようなものでもそうですが、基本的なことを伝える前に、「用語」というか、言葉のすり合わせが必要なのです。

 この“言葉のすり合わせ”がなければ、スポーツにおいても、芸術においても、どのような分野であっても「知識や技能、概念を伝達すること」は不可能になります。

 仮にサッカーを例に挙げましょう。

「オフサイド」と言う言葉の意味がわかっていなければ、試合をテレビで見ていても、唐突に審判によってプレーが中断されるように感じるでしょう。
言葉の意味を理解する、ということは「ルール」を理解すると言うことに通じています。ルールを理解しなければ、スポーツをプレーすることも、観戦して楽しむこともできません。

 スピリチュアルの分野においては、明らかに“専門用語”的な言葉もありますし、その一方で一般的に使われている言葉でも意味合いが独特になるものもあります。

 そうした言葉のすり合わせや定義が十分でないために、する必要のない努力をしてしまったり、抱え込む必要のない苦悩を感じているケースがよくあります。

 そして、これはYoutubeなどで発信されている方々の影響もあると僕個人は思うのですが「その言葉がどう言う意味合い、どう言うニュアンスで使われているのか?」ということが、“視聴者はすでにわかっている”という前提になってしまっていないか?という疑問です。

 人は、生きていく中でさまざまな感情を感じるものですが、それらは心地よいものだけではなく、不快な思いや長く沈み込んでしまうようなものもあります。いや、むしろ心地よくない感情のほうが、このストレスの多い現代においては、多いのかもしれません。

 そうした、重苦しい空気から自由になるために、なにかの救いや学びや成長を求めて“スピリチュアル”な道へと歩みを進めてきたと言うのに、出口のわからない苦悩の渦に巻き込まれて行ってしまう人々が、多くいるのではないか?と危惧することがあります。

 また、日本で広まっている“スピリチュアルなお話”は、海外から入ってきたものも多くあり、海外の言葉から日本語へ翻訳されるそのプロセスで、ニュアンスが変わってきてしまったものも多くあります。

 そのなかでも、混乱の一因となっているものに「手放す」と言う言葉があります。他にも、ツインソウル/ツインレイをテーマとした話の中で見受けられるのは「統合」という言葉、表現など。

 同じ言葉を使っていても、その「語る人」がどういう意味やニュアンスを表現しようとしているのか?によって、変わってきてしまう。つまり、同じ言葉であっても、語る人によって違う。ということがスピリチュアルな分野では、比較的多く見られるでしょう。(スポーツなど他の分野と違って)

 クライアントとの対話の場面で、こういった話になることがときどきあります。

 “職場で関わる人が不機嫌そうにしていると、「何か自分が悪いことをしたのかな?」と思ってしまい、ついつい声をかけて、いろいろな頼まれごとをされてしまい、自分の仕事が増えてしまうんです。元々の自分の仕事だけでも手一杯なのに、聞いてしまった以上断りづらくなってしまって・・・。

 どうしたら、自分の仕事に集中して、周りの人のことが気にならないようになれるでしょうか?
「自分が悪いんじゃないか?」と、思ってしまうことを『手放そう』と、努力はしてるんですが・・・。”

 こうした「自分が悪いんじゃないか?」とか「嫌われてしまったんじゃないか?」というような不安というのは、誰にでもあるものです。

 スピリチュアルなことを学んできたが故に、誤解してしまうことの一つに

『手放すことができたら、その“感情的な反応”が無くなる。』

というものがあるのです。

 この方が、もし自分の中の思いを「手放す」ことができたら、イライラしている同僚をまったく気にかけることなく、自分の仕事にだけ集中できる人になれるのでしょうか?なにか困り事や悩み事を抱えている人を、気にしないで淡々と自分のことだけに取り組むことができる人になれるのでしょうか?そんな“冷たい人”に、この人はなれるのでしょうか?

 あなたが自分の手に、何かを握っているとします。そして、それがあなたにとっていらないものだとします。

 たとえばそれがゴミくずだとしたら、ゴミ箱のうえで“手放す”と、そのごみクズはゴミ箱に入ります。あなたの手は空になるでしょう。

 そんなふうに“感情”や“気持ち”も、きれいさっぱり無くなるのではないかと、誤った期待をしてしまっているのです。

 日本語では『手放す』と表現され、宇宙に飛ばしたりして手放す「ワーク」なども行われたりしていますが、英語で表現するなら、

“ surrender&release ”(サレンダー&リリース)

になるのです。

 日本語ではこの“surrender”が抜け落ちてしまっているんですね。意味としては「降伏、降参、明け渡す、放棄」と言う意味があります。

“現状を受け入れる、抵抗しない”という意味合いが隠れているのです。

 しかしながら、そう言った部分をていねいに説明されている方は少なく、日本語で表現されているスピリチュアルにおける“手放す”と言う言葉には、今、この瞬間に自分が体験している事柄に対して「必死の抵抗」を続けている姿勢から解放されたいがために、その状況や目の前の人や自分の感情を“強制的に変化させよう”という試みである、ということに気づいていないのです。

 考えても見てください。「変化を強制された人」は必ず抵抗します。仮に表面的には従順に従ったとしても、心で納得することはないでしょう。そうすれば、その人の中に“争いの火種”が生まれてしまうでしょう。

 そして、その人は「自分自身」でもあるのです。

 こうして、お互いの中に「抵抗」の火種が燻り続けた状態で、調和や相互理解から遠ざかっていくとともに、あなたのなかの火種が、いつか何かの刺激でまた、再燃してしまうのです。

 先ほど、たとえに出したクライアントの方と同じように感じる人もいることでしょう。その時に「なにか私、悪いことしたかな?」と思ってしまう気持ちをそのまま抱きしめて、より深いところを見つめていくのです。

 そうすると身近な人には笑顔でいてほしい、という思いがあったり、困っている人を助けたい、というあなた自身の中にある優しい思いに気づくことでしょう。ともすれば見失いがちな、あなたのなかにある「光」に気づけるでしょう。

 実際に、声をかけたり、助け舟を出すしたりするのは、その後で全然大丈夫です。心から、そう思った時で良いのです。

 心に抱えている矛盾を、矛盾のままにしておいては、いくら「手放す」ことを行なっても、葛藤は消えないのです。葛藤をなくすために手放すのではないのです。

 『手放す』という言葉。

 この言葉一つをとっても、どのように理解するか?どのように定義づけるか?で、“スピリチュアルな理解”というものは、全く変わってしまうのです。

 人は変わらない。そして、同時に人は変われる。

 
その人がまったくの別人になることはない、と言う意味では「変わらない」のです。その一方で、その人が自分自身を受け入れ、穏やかに自分を大切に扱うことができるように成長することができる、という意味では「変われる」のです。

 そして、これは誰もがそうなのです。

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